第10話 坂野

藍原が何事もなかったかのように登校していた。いつものようにクラスメイトのカードゲームを見つめ、いつものように授業をこなし、いつものように体育では中程の実力であり、いつものように弁当を食べていた。

顔に絆創膏が貼っているものの、軽症のような、まるでニキビが潰れた程度の様子だった。

「藍原くんと何かあったの?」

杉原がニヤリとしながら尋ねた。

「……別に」

「祥子って、隠し事をするとき口数が減るよね」

あの死体のように横たわった藍原が1日で復活するとは思えなかった。昨日、彼は急所を抉られ、生殖器を抜き取られたのだ。即入院が妥当で、「いつものよう」な生活を送るのは不可能なはずだった。

「藍原くんの方は祥子を見てないから、祥子が一方的に気にやんでる」まじまじと祥子を見つめた。「図星でしょ」

「言えないことがあるの」

「お姉ちゃんのこと?」

「知ってるの?」

「昨日ね、あんたの友達はあんたと同じでつまんないってさ」

「……そう」

「もしかしてさ」

杉原は箸をおいて、弁当箱の蓋をしめた。そして意を決した顔で机を叩いた。

「お姉ちゃん、藍原くんを寝取ったんでしょ」

クラス中のざわめきが鎮まった。

クラスメイトが全員こちらを見つめていた。

「ちがう、そんなことない。絶対にないから」

「そうなんだ」

クラスは失笑で包まれた。

藍原は、隣の男子に肘で小突かれているのに、カードゲームの推移を見つめていた。



「でも、どうしてお姉ちゃんが祥子のことなんか気にしていたんだろ」

「さぁ。たまたますれ違ったとかじゃないかな」

「それは、ないよ。お姉ちゃん、あんまし人に興味ないし」

150円のミックスジュースを飲んでいると、女子大生がタピオカを飲みながらすれ違った。

「お金欲しいなぁ」

「お姉さんに貰えばいいじゃん」

「無理。ケチだし」

「誰がケチだって」

振り向くと冬子と坂野が笑顔で立っていた。

「お姉ちゃん!!」

「祥子ちゃんに何を言ってるんですかぁ」

「じゃあ、タピオカ買ってよ」

「いいよ。坂野くん、よろしく」

「はいはい、祥子ちゃんは?」

「要りません。申し訳ないです」

「最近、妙に素直やな坂野くん。とりあえずタピオカ2つよろしく」


「お姉ちゃん、どこで祥子と知り合ったの?」

「祥子ちゃんが、人面カラスに付け狙われているのを私たちが追い払ってあげたの」

「え、祥子もだったの?」

「それで、お礼にって家に誘われたってわけ」

「祥子も言ってくれれば良かったのに」

「……ごめん」

「トラウマは言いたくないもんね」

冬子は満面の笑みであった。

「じゃあ、私たちゼミがあるから行くね」

冬子はタピオカミルクティーを飲みながら立ち去った。

「おいしいよ、これ。飲んでみて」

「要らない。坂野さんに悪い気がするし」

「そうだねぇ。お姉ちゃんの彼氏かなぁ」

「パシりみたいだったね」

二人が別れて、祥子が家に着くと当然のように冬子と坂野が待ち構えていた。


「カラスがいないんだけど」

「逃げたんでしょ」

冬子は祥子の胸ぐらを掴んだ。

「このエゴイストがっ。あんただけカラスと戯れて」

「やめてください。私は何もしてません」

「どうだかな。飛ぶのが下手なガキのカラスもいないじゃないか、あんたがどっかの山奥にでも置いてきたんだろ?」

「本当に知りませんよ。自分で一から探してください」

祥子は腕を振り払って家に逃げ込んだ。

冬子は門柱を蹴って帰った。

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