第9話 冬子の本性
「俺たちがいたらまずいし帰るわ」
風呂場はまだ血で汚れている。帰って来た坂野が、動かない藍原をブルーシートで巻いて左肩に背負った。そして、また耳打ちをした。
「なにもされなかったかな」
「大丈夫です」
「そう。ならいいんだ」
「どうして、彼女の言いなりなんですか」
「……言われたからそうしてる、としか言いようがない関係なんだよ」
ミニバンに藍原を積んで走り去っていくのを見届けた。そして部屋に戻ると、新しいマットレスを敷いたベッドに冬子が仰向けに寝転んでいた。
割れたガラスから外を眺めて、祥子のクッキーを食べていた。食べカスがマットレスにこぼれていた。
枕元に羽織っていた服が丸めて置かれ、灰色のタンクトップが汗で滲んでいた。
「冷房つけないの」
「どうぞ。リモコンは机の上です」
「あんたがつけて」
設定を28度で固定していたが、冬子の強い希望により20度まで下げた。
「どうして、まだいるんですか」
「あのカラス、あんたになついてるの?」
「……知りません」
「つまんないな。あいつと仲良いだけあるわ。よく似てる」
「あなたに似てないなら、私に人を見る目があったってことです」
冷気が吹きすさぶ。すでに祥子は足先が痛くなりはじめていた。露出したところの肌もヒリヒリと乾燥してきた。一方で、冬子はまだ肌に光沢があるくらいには潤っていた。
「よく言うよ。善人面することの心地よさに酔ってるだけだろ? 結局、あんたらみたいなのは何もしないだけ、そして何もしないから失敗も成功もしない。それだけ」
「喧嘩したいだけなら帰ってください。今日はありがとうございました」
「喧嘩したいわけじゃない。明確に、あんたには、動いてほしくないって言いたかっただけ。私が何をしてても動くな。坂野が何をしてても動くな。動いたら、血塗れの藍原くんとあんたのツーショットを注釈なしでばら蒔くから」
冬子が帰るとすぐに冷房をとめた。外の暖気ですぐに室温が上昇した。
暖かな風とともに、人面カラスの親子が割れたガラスをくぐって侵入してきた。親のカラスは無表情でタンスの上に降り立ち、目玉を一周させ祥子の部屋全体を嘗めるように観察した。
そして机の上のクッキーの箱に向かって一飛び、クッキーの個包装を口と脚で器用に裂いて、それを踏んで2つに割った。大きい方を子に口移しで与えて、もう一片を祥子に蹴ってよこした。
子のカラスは祥子を見つめて、それから、自らの手で個包装を破り中のクッキーを取り出した。
もらい受けて食べると、クッキーとは異なる食感に気がついたが、とりあえず飲み込んだ。裏返してみると、カラスの羽がいくつか付着しており、それを飲んだようだ。
母の人面カラスは悠然と空に帰っていった。机の上には食べカスが一欠片どころか粉の一粒も落ちていなかった。
残された子のカラスは空に向かって鳴いた。
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