第8話 冬子

冬子は、祥子の母親が買っていた箕面の地ビールを取り出した。スーパーでフェアをしていて余分に買ったという。店員の男の子ががっついてくるから負けちゃったとのことだったが、見ず知らずの人に飲まれるためには買っていないはずだ。

「これ、スタウトが一番よな」

祥子と坂野は、スタウトにペールエールにヴァイツェンと言われようと何が違うのかさっぱり分からない。

銀河高原ビールのヴァイツェンなら母親に飲まされたものの、あまり飲みたいものではなかった。あれ以降、一般のビールで何を飲んでも重みを感じなくて困る。アルコールと称した苦い炭酸飲料ばかりだという落胆があった。

ぬちゃぁあという音がした。壁に張り付いていた藍原の睾丸の肉片をレジ袋に捨てた。

自分の身体についたものを捨てたあと、すぐに風呂に入った。人面カラスが無理矢理引きちぎってしまったため、彼の出血が止まらないため、動かない彼の隣でシャワーを浴びた。

いつもと同じ水の音だが、背中を撫でられたように身震いした。神経が病んでいた。


彼の赤黒くなった股間に、右手の中指をおそるおそる近づけた。

残された睾丸に触れてみようとした。

しかし、すぐに我に帰った。バッチいものに触れる必要がなかった。

ビールを飲み干すと、冬子は、10%のアルコール分であるレモン味のチューハイを口にしていた。彼女の右腕の男が必死に働いている傍らで飲酒をする理由が見えてこなかった。祥子は、彼女は単なるアル中なのかもしれないと危ぶんだ。

肉片は可燃ごみ袋に捨てた。藍原の触った缶や瓶は別の袋だ。

現実感の無さは、薬剤を飲まされている気分であった。何に対する罰なのだろうがなと自嘲した。

ごみ袋の口をきつく縛って、坂野は外に持っていった。


「落ち着いた?」

「無理です。そもそもあなたたち誰なんですか」

「杉原祥子。たしか妹の友人よね? あんた」

「俺は坂野です。俺たちは人面カラスを追ってたんですよ」

「藍原くんはどうするんですか」

「ちょっとは自分で考えなよ。まぁいいけど。

山のなかでチンコまるだしで放置しとくことにした。立ちションしてたら野良動物に噛みつかれて失神ってことにしておいてあげる」

「うまくいくと思いませんが」

「大丈夫。もし疑われたとしたら私たちが有利なように証言してあげる」

手際が良いのか悪いのか判じかねたものの、祥子としても彼女たちに帰ってもらうわけにはいかなくなった。

「こいつがニトリかなんかでマットレスとか買ってくるから、待っててあげて」

「はいはい」

「人面カラスのための投資と思いなさいよ。ほら行った行った」

坂野はぼやきながら出ていった。

板野は部屋から出ていくときに、「冬子さんは性格ゴミだから気をつけて」とアドバイスを残した。祥子は言われなくても分かるメッセージを持て余した。

「そういえば、カラスの写真をあげたそうですよね。言ってましたよ」

「そう。やっぱし口軽いな、あいつ」

「カラスには手を出さないでやってください。前に石を投げたのって、あなたたちですよね」

「たち、じゃない。私が投げたの。坂野はビビってただけ」

「何がしたいんですか」

冬子はニヤリと笑って、したいんですか唇に人差し指をおいた。

「ひ・み・つ」

「ふざけないでください」

「教えてもいいけど、どうせ反対するのが目に見えてるから、教えない」


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