第7話 不穏の藍原 2

藍原は、この世のどこも見ていなかった。

「というか、分かってたはずやんな? 前もその前もさらに前も帰らされたのに今日は入れてくれてんやから」

彼は立ち上がり、ズボンのチャックをおろした。垂れ下がった男性器を彼は利き手で握った。それを前後に動かして、手の中で膨張させた。

「今すぐ帰ってくれるなら、誰も呼ばないし、誰にも言わないから」

握りしめていた手を離して、その手で祥子の顎から頬にかけて触れた。

「汚いっ……」

「そんなわけない。祥子も、無いだけで似たようなもんだよ」

彼を押し退けた。少しバランスを崩したようで、テーブルに尻をぶつけていた。

「ベルト、外してくれよ」

「デートレイプって知ってる?」祥子は頬を叩いた。

藍原は舌打ちした。

そして、あの冷えた視線になった。

「お前はなぁ」空いた缶を祥子に投げつけた。「なんで俺に協力してくれないんだ」

藍原は祥子の髪を掴んで、首をベッドに押し付けた。

憎々しげに歯を噛みしめ、それにも関わらず、怒張し続ける男性器を眼前にさらした。

祥子は流れそうになる涙でさえ頭の中で蒸発するほど怒りを覚えたものの、藍原の内側から形容しがたい怪物が現れたことに恐怖して力が沸いてこなかった。

雷鳴がとどろいた。

祥子は後退するのみであった。体の反応に任せるだけであった。彼女がベッドの上に逃げれば、藍原にとって都合がよかった。

片手で、祥子の両手が拘束された。スカートに皺がよるのも構わず、彼の股間に脚を当てようともがく。それを歯牙にもかけず彼女の体操ズボンと下着をさげた。舌を伸ばした。皿に残ったソースを嘗めるような卑しさであった。

気持ち悪い。それ以外に形容しようにもなかった。舌の表面に毒薬でも分泌しているようで、舌の這った跡が痺れる。

鼻を、祥子の秘所に近づけた。

「なんだ、やっぱり臭いはかわんないじゃん」

腿で彼の頭を蹴ろうとするものの、位置が悪く、全くの驚異にならないだろう。

全く、どうして藍原がこんな奴だと見抜けなかったのか。悔し涙が溢れそうだった。反対の手で胸を触る。腹を撫でる。痛いわけではないのに、蹂躙されていく。何かが蝕まれていく。

――これが、杉原の言っていた魂なのか。

祥子は目を閉じた。せめて、異形の者は見たくなかった。すると、窓ガラスが振動し始めた。

窓が、何度も何度も叩かれている。ぐらついている音から徐々に窓ガラス自身が形状を保ちきれない断末魔に変わっていった。

そして。

祥子が目を開けると夕焼けの破片が部屋に飛び散った。ガラスの破片が藍原の額を切り裂いた。

ガラスの破片をものともしないカラスは気品のある面がまえだった。

一瞬で顔中が血塗れになり、化物から藍原に戻った。藍原が部屋を見渡していた。

祥子には天井のあたりを飛び回る人面カラスが見えていた。背後に回られていることに気づいていない藍原は無防備であり、耳を噛まれた。

すぐに片手で払えたものの、対象に当たることはなく、その手は空を切るだけ。人面カラスはすばやい身のこなしの羽ばたきで、藍原から距離をとる。

するどい爪で額や頬を踏みつけ、反撃されそうになると飛んで逃げる。軽々と舞って藍原を翻弄。祥子は隙をみて、力いっぱい彼を押し退けた。

仰向けになった彼は、ようやく人面カラスを見たらしい。大声の悲鳴をあげた。

彼は天井を見るまいと、顔の前で腕を重ねた。よって、カラスを追い払う手段を自ら放棄したのだ。

固くなっていた男性器が萎れていく。人面カラスはこれを見逃さない。

「やめっ、やめろ、やめろっっ!!」

自分の生殖器の危機に無抵抗というわけにはいかなかったようで、怯えきって震えた腕を自分の股間に伸ばした。しかし、間に合わなかった。

人面カラスは、藍原の睾丸に歯を立てた。

血の袋が、破裂した。

内臓だった。

祥子の顔に、彼の粉砕した金玉の粘っこい血と肉片がかかった。人面カラスは口を血だらけにして、咀嚼した。

飲み込むと、藍原の眼前で人面カラスは鳴いた。そして脳天を蹴ってから、飛び去った。


藍原は気を失った。死んだのかもしれないと思ったが、辛うじて脈はあった。ベッドに血が広がっていく。

「ねぇ」

女の声がした。祥子は心臓を槍で突かれた気がした。

「誰ですか」

「後でいいでしょ? いまあなたが頷いたら、その男の処理とベッドの片付け手伝うけど」

祥子は頷いた。


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