第4話 恋人未満の藍原
母に頼まれた買い物をしていた。彼女の母はスーパーのパートタイマーだが、おしに弱く、頼まれたり仕事が残っているとなると自主的に居残ってしまう癖があった。帰宅すると、買い物よろしくとメッセージが届いた。
「うおぉ、奇遇やん」
そういって藍原に声をかけられた。ラルフローレンのポロシャツの図体のでかい男のことを、見ていなかったのだ。
なんと返そうかという戸惑いの顔から読み取ったのか、後頭部を人差し指でかきながら振り向いた。
「あぁ、お手伝いしてるところか。すごいな」
物凄く、人を小バカにしたような言い方だと反発しそうになる。十中八九、彼の頭では『ドレミファだいじょーぶ』が流れているだろうと想像した。
「えぇ、頑張ってるから。じゃあねっ」
「待ってよ。今、誰もいないの?」
「そうやな」
「行ってもいい?」
「べつに、いつも通りなんもないけど」
祥子は、じゃあ買い物あるからと一旦別れようとしたが、藍原は彼女の傍らを離れない。
「自分の買い物は?」
「だいじょーぶ」
藍原となし崩し的に恋人になる前は、単なる幼なじみであった。彼のあだ名が、デブしかなかった小学生時代のことを思うと、少しスッキリした体格にはなったと思う。エコバッグとそこに入りきらなかった卵を入れたレジ袋を持ってくれる彼の腕が、ここまで血管の浮き出るくらいになっていたのかと驚いた。
鍵を開けて袋を受け取ろうとした。しかし藍原はこれを無視して玄関をくぐる。
「ねぇ、両親が帰ってくるまで居ていいか?」
「いつになるか分からないから、今日はごめん」
「でも、まだ帰ってないよね」
「晩御飯の用意をしなきゃなんないから」
「俺も手伝うよ」彼は靴を脱いだ。「これ、はやく冷蔵庫に入れないとさ」
廊下の奥に進んでいき、彼は階段を見上げた。
祥子は来客用のスリッパも履かずにキッチンに向かう彼の手から、袋を奪い取った。
レジ袋が破れて、卵が落下した。一つ割れて、廊下が白身で汚れた。
「ごめん」祥子は謝った。
「うん、別にいいよ」
藍原はエコバッグを投げ置いて出ていった。
冷蔵庫に買ってきたものを詰め込み、自分の部屋に籠ることにした。
ベッドに寝転んだ。藍原の顔が浮かぶ。祥子と目を合わせようとしない弛緩した表情、投げやりな様子であった。
窓の外でカラスが羽を休めていた。翼の内側を、歯で整えているようだ。そして体中をふるわせ砂利や静的でも払いのけるかのようだった。
祥子は窓を開けた。そして寝る前に食べていたクッキーの残りを手に取り、カラスを誘惑するように見せつけた。
カラスは、祥子を一瞥して、そのまま飛び去った。罠だと思ったらしく、祥子から遠ざかった。
空を見上げれば夕立の予感がする雲色だった。
雛のカラスでも来るだろうかと、スマホを片手にもう片手はクッキーを構えたまま、しばらく待ってみた。降水確率が90%にまで上昇していた。
SNSや漫画アプリの更新に集中していると、一瞬、手が押さえつけられた。何事かとクッキーを見やると半分しか手の中になく、屋根の上のカラスが残りを啄んでいた。
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