第3話 人面カラスの赤子
憂鬱ながらも帰宅すると、夕陽に向かって人面カラスが鳴いていた。驚いたことに、巣まで拵えていたのだ。
――いや、私が気づかなかっただけかな
巣を、怖々と見つめていると、カラスは祥子に向かって翼を広げた。威嚇であると理解して、窓を閉めた。
母が夕食の準備をしているあいだ、いつもならベッドで寝ながら待つものの、カラスに睨まれていると思うと落ち着かない。とはいえ、こちらから攻撃すれば、カラスの反撃があるに違いない。並のカラスでさえ頭が良いというのに、文字通り頭の出来が違う人面カラスが何をしてくるのか。
夕食は、用意ができても父が帰ってくるまで待つことになっている。何故なら、癇癪をおこしかねないから。
「ご飯なに?」
「今日はチキンカレーやけど」
キッチンに立つ母はコールスローを作っていた。変哲のないキャベツの刻まれる音が、祥子にかすかな苦痛だった。
祥子の部屋は二階であり、階下の居間からは人面カラスが見えなかった。
「そういや、朝さ、カラスの鳴き声で起きてんな」
「あぁ、煩かったもんな」
煩いなんて生易しいものではなく、あれは、音波を使った攻撃であった。
「あんまりやと、業者呼ばないとなぁ」母は溜め息をついた。
「そうやな」
同意したものの、狂暴な人面カラスなんて、その辺の業者に始末できるのか? と疑問に思った。
週末もカラスの鳴き声で目が覚めた。二度寝なんてできないのは、すぐそこでカラスが見張っている気がしたからだ。
妙なもので、カラスの鳴き声は、一羽だけではなかった。
窓を開けて、似たような屋根が続く住宅街を見渡した。すると、あの人面カラスは電柱の天辺でおとなしくしている。
では、自分を起こしたカラスは何だったのか。
巣を見ると、もう一羽のカラスがいた。そして当然のように人面であった。
よく聞けば、鳴き方が下手なのだ。顔は、電柱にいるカラスそっくりでサイズくらいしか違いが分からないものの、あれは、孵化したばかりなのだと直感した。
この小さい人面カラスは、愛嬌はよいものの、ぶるっと震えて糞を垂らす。そして、幼児的な無邪気さで笑って祥子を見る。
――糞まみれってこういうことか?
どうやらカラスが精力的に獲物を狙っているのは、我が子が産まれたからであろう。明けた月曜、祥子のクラスでは、カラスを見たかどうかで持ちきりだった。
先週の金曜日までは、自分が何を話したのか覚えていないものの、女も男もこぞって同じことなどというのではなかった。ましてカラスの話はしていなかった。何人かが夜道で見たという。
艶やかな黒の翼で飛ぶ姿は、さながら女の生首だろう。月光の青白い光の下では、翼と黒髪の違いを一瞬で視認できないだろう。夜道、部活や塾の帰りにふと月を見上げれば、生首が飛んでいれば腰を抜かすに違いない。
祥子は産まれたばかりのカラスの顔を思い出した。日曜の昼間に洗面器に水を張って庭に置いてやるくらいには、自分も慣れてきたところだ。
しかし、町の人々はそうではない。この週末にはじめて見たという人ばかりだ。つまり彼ら以外にも、サラリーマンや主婦も目撃しているに違いなく、人伝いやSNSでの発言を制御できない以上、人面カラスが居着いたのは――町の蕗家であると知られるかもしれない。
祥子は溜め息をついた。いえに帰ったら庭で出迎えてくれる幼いカラスの顔に愛しさはあれど、それを上回る不安で真っ正面から見つめられない。
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