第2話:心臓が凍って変身するようです
(ゆき、おんな……?)
皆がよく知るその妖怪の名を探り当てる。
雪山に現れ、登山客を凍らせて魂を奪う怪異。しかし、雪山さえも凍らせる力があるとは聞いた事が無い。
尻餅をつき、息がまともに出来なくなる。少女の姿をしていても相手は妖怪だ。相手が山を凍らせた元凶ならば猶更だ。
せめてトウジローだけは守ろうと鞄を庇う。
そして呪符を取り出し、目の前の少女に突き付けた。
「来るなっ……! お前、大分弱ってるんだろッ……! それ以上近付いたら──」
ふらり
少女の身体が倒れ込む。
雪女の身体が春輔に重なった。
体温を全く感じさせない肌に恐怖を抱く。
妖怪が、自分に密着している。
見れば、その表情は虚ろだ。瞼は半ば閉じており、呼び掛けても反応が無い。衰弱の余り、何も答えられないようだ。
「ちょ、ちょ、離れろ! 大丈夫なのか!? おい!?」
「うぁ……うぅ……うぅん……」
少女を引き剥がそうとした瞬間──背後の木が一気に燃え上がる。周囲の雪を溶かし、そして焼き払っていく。
巨大な怪鳥・ヒクイドリの姿があった。
──見つかった。獲物を狙う目がこちらを睨んでいる。既に春輔は気を失いそうだった。
ただでさえ雪女に引っ付かれているのに、怪鳥まで迫って来る。絶体絶命だ。
「あ、嫌、嫌だ……!」
身体が震える。
汗が流れ出る。
今、まだ倒れるわけにはいかない、と己に言い聞かせるが、もう身体が自由に動かない。
「君さ……死にたく……ないよね?」
ぼそり、と耳元で少女がか細く囁いた。
少女の身体は柔らかくも、重さを感じない。
綿雪のようにもう消えてしまいそうだった。
「あたしも、消えたく……ないかな。でも、多分もうすぐ消えるかヒクイドリの炎で溶かされる」
「だ、だけど……!」
「震えちゃって……あたしがそんなに……怖いのかなっ? 優しい死に方がお望みなら……凍らせてあげるけどね」
掻き消えそうな声で呟きながらも、少女の指が首に伸びた。
しかし。
「違う……!」
妖怪は怖い。
自分が死ぬのは、もっと怖い。
しかし、それよりもっと恐れるべき事がある。
「俺が……今、死んだらトウジローが……俺の相棒が死んでしまう。あいつは口うるさいけど、俺の兄弟代わりで立派な式神なんだ。まだ俺は何もあいつにお返し出来てないのに、俺の情けなさで死なせてしまうのが一番怖いんだッ……!」
雪女を祓う為、震える手で春輔は呪符を取り出す。
「そっ。じゃあ、覚悟してもらおうかな」
しかし、言うが早いか彼女は髪についていた簪を彼の左胸に突き刺した。
潰れるような声が響く。
「あっ、あぁっ……!?」
「君。面白いね……情けない癖に……仲間を死なせるのは嫌なんだ。非力な癖に、何て傲慢な人間なんだろーね……ふふっ」
「あ、ぐっ、お前ッ何を──」
「あたしの興を引いたお礼に、少しだけ……君の力になってあげるよ」
「ま、待て、ヒクイドリが──!!」
前から怪鳥の野太い声が木霊し、呪いの炎と共に周囲が焼き払われた──
「──?」
熱くない。
それどころか、体中がひんやりと程よく涼しい。
先程までのような凍える寒さではなく、身体を、心を落ち着けるような冷たさだ。
炎は自分の周囲を避けるように広がっており、春輔もトウジローの入っている鞄も無事だ。
「ふぅー、助かった……見てよ、自分の身体を」
身体の中から雪女の声が聞こえてきた。
雪が解けて出来た水溜まりに映った自分の姿を見やる。
全身が、顔まで隠す氷のような鎧に包まれていた。
「な、何だよこれっ!?」
「あたしが君に憑依した。君の心臓は今、凍っているから……恐怖の余り、戦えないって事は無いはず」
「ちょっと待って、俺の心臓が何だって?」
「ほらほらっ、早くしないと……仲間がピンチなんでしょ? 今君を覆っているのは、あたしの力と君の妖力が合わさって浮かび上がったモノ。君の刀であり、鎧だよっ」
「──刀であり、鎧……クソッ、やるしかない!」
襲いかかって来るヒクイドリを睨む。
トウジローよりも巨大で、ビル程の大きさはあろう怪鳥だが今なら戦える。
その手には呪符が幾つも握られていた。
「行け、弓符式ッ!」
投げれば札が幾つも飛んでいき、弓矢となって怪物を刺すが全て炎に払われて燃えてしまった。
術が敵の妖力に負けてしまったのだ。
「クソッ、それなら爆砕札を──」
「あははっ、やめときなよ。未熟者の君が使うお札なんて、あのレベルの怪物には効かないからね」
「じゃあどうすれば良いんだよ!?」
「今、君の身体は血の代わりにあたしの妖力が迸っている。使いこなせもしない道具に頼るくらいなら、身体を走る冷気を、奴に直接ぶち撒ければ良いと思うけどねっ」
「直接ぶち撒けるッ……!? まさかそれって……」
拳を握り締める。
そこに、凍てつく気が集中した。
あの炎を鞄と一緒に防いだ鎧だ。ヒクイドリに突っ込むくらい、何てことは無いと言うのだろう。
幾ら恐怖が薄れていると言えど、春輔は足が竦んだ。
「至近距離まで突っ込めと!?」
「仲間を助けたいんでしょ? 先ずはあの怪物を倒さないと……啄まれちゃうよ」
「……」
ちらり、と鞄を見やる。
答えは決まっている。
「っ……やるしか、ないッ!」
ギッシャァァァーッ、と叫び散らしながら怪鳥が炎を噴きだす。木々に飛び移りながらそれを避けていく。
しかし、向こうも止まってはいない。巨大な羽根を広げて飛翔し、大腕が春徒を振り払った。
「がっはァっ!?」
肺が潰れるような感覚と共に氷の地面に落とされる。
しかし、痛くない。
鎧が頑強なおかげか、腕の一撃も地面から受けた衝撃も全く響かない。
「っ……動ける、動けるぞッ……怖くないし、痛くもない……これなら、突っ込めるッ!!」
嘴を開けて炎が降りかかった。
しかし、それも冷気が障壁となって掻き消される。
彼女の言った通り、今は心臓の鼓動が聞こえない。怖くない。
炎を突っ切り、鬨の声を上げ、土手っ腹に冷たい拳が叩き込まれた。
「ッッッらぁぁぁーッ!!」
身体を貫き、血と炎の代わりに冷気が傷穴から溢れ出す。
怪鳥が苦しみ混じりの咆哮を上げる。しかし、もう遅かった。
その身を包む炎の羽毛諸共、断末魔の叫びさえも上げぬ間にヒクイドリの身体が白く凍える。
完全に熱を奪われ、氷の像と化した怪鳥に幾つもの光が迸り、音を立てて粉々に砕け散った──
「ヤれば出来るじゃん」
「……信じられない……俺が、妖怪を倒すなんて」
鎧が溶けるようにして消える。
筋肉痛でガクガクの身体の傍らで、雪女が微笑んでいた。
※※※
気が付けば、山を覆っていた雪も氷も、霜も全て消えていた。
身体もふらふらのまま、何とか春輔は山を降り、息も絶え絶えに家に帰った頃にはとっくに日が落ちていた。
トウジローの手当ても終わり、後は時間を待つだけだ。
「早く治れば良いけど、まともに戦えるようになるまで大分時間かかると思うよ?」
「本家から人が来れば術で治してもらえるさ。式神は人が作ったんだ。人が作ったものは絶対治せる」
不安な自分に言い聞かせるように彼は言った。
実際の所は分からない。仮にも陰陽師の手で妖怪に相対する為に作られたトウジローがこれほどのダメージを受けたのだ。どれほどあのヒクイドリが強かったかが分かる。
毛布にくるまり、札を貼ったトウジローは未だに目を覚まさない。そして、部屋には当たり前のように雪女が居座っていた。
「……てか、お前は何時まで居るんだよっ!?」
「えへへっ、仕方ないじゃん。今のあたしは、殆ど力がないし……それまで君に憑りついてようかなって」
「ふざけんな! さっさと出て行って貰うからな!」
「隠れながら言わなくても。君、本当に妖怪とかダメなんだねー。陰陽師のくせに変なの」
実際春輔は情けない状態ではあった。
姿を見さえしなければ、まだ気絶はするまいとずっと布団の下に隠れている。
掛け布団ではない。敷布団の下に、だ。
「お前だって、雪女のくせに雪山で消えかけてたじゃないか!」
「その雪山を作ったのはあたしだけどね」
「何であんなところに居たんだよ! し、しかも素っ裸で……!」
「役得でしょ? ちょっとは喜びなよ?」
「せめて着物があったら、少しは姿が隠れたのに……!」
「是が非でも妖怪は視界に入れたくない、と。本当色々勿体ないよねー、君って」
たとえ女の子の姿をしていても、妖怪は妖怪だ。
傍にいるだけで悪い寒気で身体が震えてきた。
「……とにかく、何であんな所に居たんだ? 答えて貰うぞ」
「良いから布団の中から出てきなよ」
「ええい、答えるんだ!」
「本当に可愛いなあ、君……まあ、喧嘩だよ」
「ケンカ? 誰とケンカしてたんだ?」
「火の妖怪統」
「妖怪とう……って、あの妖怪統!?」
五行という考えがある。
万物は木、火、土、金、水の五つに分かれるとする思想だ。
陰陽師の司る力や妖怪、そして式神を大まかに分類すればこの五つの元素の属性に振り分けることが出来るとされている。
そして、その元素を司る妖怪達の元締めが妖怪統と言われている。
しかし、下級妖怪の口から妖怪統の肩書きが出こそすれど彼らが人間と接触する事はほぼ無い。故に、妖怪統は陰陽師の間でも半ば伝説的な存在となっていた。
「滅茶苦茶強い妖怪相手じゃないか……」
「強いなんてもんじゃない。妖怪の世界は弱肉強食。力関係なんてすぐに変わるけど、今の火の妖怪統に関しては生まれてこの方、その地位が揺らいだことはない」
キレたら見境なく火災という形で君たちや他の妖怪に仇名すけどね、と雪女は付け加えた。
「喧嘩を売ってきたのはまさに、その火の妖怪統。名は灼薬鬼。火をも食らう火山を司る妖怪共のトップだよ。あのヒクイドリも奴が差し向けた手下だから、すっごく狂暴だったわけ」
「何故あいつ自身が追って来なかったんだ?」
「まあ、アレも大分疲れてたみたいだしね。手下にあたしの始末を任せたんでしょ」
そうなると、あのヒクイドリが姿を現したのも納得が行った。
そもそもが灼薬鬼の手下だったのだ。
「……なんてこった、そんな奴が暴れたら日本の危機じゃないか。でも、そんな危ないヤツと何で喧嘩に? 並み大抵の妖怪が勝てるわけないじゃないし」
「仕方ないじゃん。いきなり大群連れて攻め込んできたんだもん。なんて言ってたかは……忘れたけど」
「そんな奴に絡まれて、よく助かったね……」
「ふふんっ、あたしが簡単に負けるわけがないからねっ。だって、あたしも妖怪統だしっ」
「ああ成程、道理で強いわけ……今何て?」
「あれ? 言わなかったっけ」
彼女は首を傾げながら言った。
「あたしは水の妖怪統。雪女の姫君・
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