第9話 誓い

「最期の取引?」


 フィリアは地を這いつくばりながら左耳を押えて懇願するパイカーに向かって憐みの目を向けていた。


「こんな状況になってもよう、俺はお前らと商いをするって言ってんだよ」


「何をバカな!」


 ガルボが後ろから叫ぶ。


「じゃああなたは自分がこの国を滅ぼすために送り込まれたスパイであることを認めるのね」


「ああそうだ」


「おいやめろ!」


 ロイシェが叫んだ。


「うるせぇ、人の商談に割って入ってくるんじゃねえ」


 パイカーは怒鳴ってロイシェが口を挟むことを頑なに拒んだ。パイカーの耳から依然として出血が止まる気配がなく、むしろロイシェよりも重傷だった。

 しかし、その痛みに耐え、朦朧とする意識の中で必死にフィリアとの取引を始めた。


「俺は東の国、べサリアの戦士だ。この国に奪われた地を取り返すために、送り込まれた」


「そんなことは知れたことよ、そのあなたの言う取引とはなに?」


「それはここでロイシェをかくまってほしい」


「俺はそんなこと望んじゃいねえぞ」


 ロイシェが叫ぶ。

 その姿を見て、パイカーはロイシェに笑顔をを向けた。なんとも言えない寂しい笑顔だった。パイカーのそんな顔をロイシェは初めて見た。


「それが願いか」


「誰がそんなどこの馬の骨かもわからぬ小僧を」


 ボルガが鼻で笑った。


「そいつはベザリアの人間じゃねえ、ここの国のガキだ。もしお前らに国民を思う慈悲があるなら、そのガキ一人だけでも助けてくれ。俺はどうなってもいい」


「なるほどね、分かったわ。でもその代わりあなたはもう二度と太陽を見るこはないわよ」


「分かっている。だからロイシェを頼む」


 パイカーの必死な眼差しを見てフィリアは静かに頷いた。


「おい貴様、そんな小汚いガキをこの城で匿うというのか、ワイは反対じゃぞ」


「この子供がこの国の人間であることは私が知っています。この子の義を尽くす心は必ずしやこの国の尽力になるでしょう、この子の才能は私が認めました。必ずしやいっぱしの兵士に育て上げてみせます」


「何を世迷言を言い追って、貴様も情にほだされるか」


「何とでも言って下さい」


 フィリアがガルボに対し、殺気を向けた。


「おのれ……」


「大王陛下、私の出過ぎた真似をどうかお許しください」


「よかろう」


 王は興のなさげな声で言った。フィリアは女将軍でありながらも、男よりも勇猛果敢で誰よりも忠義を尽くす義の人間であった。

 しかし、自分の世界をを持っており、自らが決めたことは死しても突き進むような豪胆さもかけ備えている。

 この将軍を突き動かしたパイカーの命を懸けた交渉はフィリアの心を強く打ったのだ。


「給仕よ、この者の手当てを!」


 フィリアは召使を呼び、ロイシェの手当てをさせた。


「小娘がこの場を仕切りおって……」


 ガルボは苦虫を噛みしめるような顔で言った。ガルボはフィリアよりも古株であり、相当な権力を有していたが、大王の決定したこととあれば、逆らうこともできなかった。


「あなたに聞くことはたくさんあるわ。せいぜい覚悟をしとくことね」


 フィリアはそう言ってパイカーを見下ろした。

 謁見に次々と召使が入ってきて、ロイシェの手当てを行った。さらにパイカーの周りにも召使が集まり、パイカーの両手に手錠をかける。


「ちょっと待ってくれ」


 ロイシェはパイカーのもとに駆け寄った。


「お前、なんで俺を助けたんだ?」


 ロイシェの声は震えていて目には涙が滲んでいる。


「そんなこと聞くんじゃねえよ」


「でもよ……」


 パイカーは下を向くロイシェの肩を軽く叩いた。


「金が欲しいなんて、嘘をつくもんじゃねえ。お前にはやるべきことがあるはずだ。そのやるべきことのためにここから一人で進んでいけ」


 パイカーの言葉がロイシェの胸に深く突き刺さった。


「お前……」


 ロイシェは目頭にためていた涙をついにこぼしてしまった。パイカーはロイシェが何のためにこの城に乗り込んできたのか気づいていたのだ。

 パイカーの熱い視線はハロルドを指していた。ロイシェの目も同じようにハロルドを指していた。

 あの玉座にふんぞり返る、いけ好かないガキを必ず、引きずり下ろす。二人は言葉を交わさずにそう誓い合ったのだ。


「じゃあな」


 パイカーは連れていかれる前に笑顔でそう言った。ロイシェは決して返事をしなかった。

 ただ無言のまま、玉座に向かって小さく拳を突き立てていた。そのロイシェの反逆行為ともいえる行動を見たのはパイカーただ一人だった。


 当のハロルドはこの不測の事態が思わぬ形で終息したのでほっと肩を撫でおろしていた。

 ハロルドは国民の苦しみを眼前しても何も変わらない。自分の幸福さえよければ他には何もいらないのだ。


「もうよいだろ。その者を連れて、さっさと我の前から去りたまえ」


 ハロルドは面倒くさそうに言った。


 ************


 パイカーが謁見を去ったあと、ロイシェは一人、応接室に移った。ロイシェの心の中は何とも言えぬ、絶望感にかられていた。パイカーは恐らくこの後は、さんざん拷問をうけ最期は殺されるだろう。その代償として自分が生かされたという、申し訳なさと惨めさが体の末端までを締め付けた。


 応接室は狭い、その中たったで一人だ。扉の向こうには兵士は番をしていて逃げることはできない。その喪失感に包まれた孤独の空間は延々と続くように思えた。

 しばらくすると、扉が開いた。


「待たせたわね」


 入ってきたのはフィリアだった。


「あなたの面倒は私が見るわ」


「俺そんなのこと望んでないです」


 ロイシェはまるで別人格になったような小さな声でしゃべった。


「そこで、あなたは私が責任をもって、剛勇に育てるわ」


 フィリアはロイシェの言葉を無視して話を続けた。

 ロイシェはその話に聞く耳話持たなかった。今はフィリアへの憎悪すら湧かない、自分の惨めさに押しつぶされそうになっていた。


「それでね、あたな妹がいるでしょ。その子はこの城で侍女をしてもらうわ」


「俺の妹……」


「ええ、そうよ。いるでしょ」


「なんでそれを知っている! 俺の妹まで奪う気か!」


 ロイシェの態度は豹変した。今までないような大きな声で怒鳴った。


「それはそうよ、あなたのこともあなたの妹のことも全部知っているわ。でも安心しなさいあなたの妹はこの国が責任をもって育てるわ」


「てめえ、そんなこと誰も望んでねえんだよ、勝手に話を進めやがって、妹まで人質に取る気か! 殺してやる!」


 気が立っていたロイシェはフィリアの首にめがけて飛び掛かった。机を蹴っ飛ばしてフィリアの首を絞め殺す勢いだった。


「フィリア将軍、何事ですか」


 扉の前で番をしていた兵士たちが勢いよく中に入ってきた。


「大丈夫よ、大したことないわ。とっとと出ていきなさい」


 フィリアは首を絞められたまま、そう言った。


「しかし……」


「いいから早く!」


「分かりました……」


 フィリアは入ってきた兵士たちを一喝して外に出した。

 扉が閉まるを確認すると、ロイシェの首に手を回し、ロイシェの手を剥がしてから、床にたたきつけた。


「あの武器商人の思いを無駄にする気!」


 フィリアは大きな声で怒鳴る、ロイシェの胸を折れるほど押さえつけている。


「しょぼくれるのもいい加減にしなさい。あなたがなすべきことはここで私を殺すことなの? あの武器商人の覚悟を踏みにじってどうするのよ」


「俺は……」


「あなたがこの国生んだ被害者であることは見ればわかる。確かに今の王になってからこの国は変ってしまった。でもならあなたが変えなさい。あの男の目はあなたとは違ったわ」


 ロイシェは大声を上げて泣いた。

 それは一人の少年がずっとため込んできたすべての思いが詰まっている涙だった。自分の本当の弱さを知った。

 フィリアはロイシェの胸から手を離す、そしてそっと抱き寄せた。


 ロイシェは自分の小ささを知り、必ず強くなること誓った。フィリアのぬくもりは母親のいないロイシェにとって、本当の母のぬくもりのように感じた。


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