第4話 街道

 二人はネビルの包囲網を抜けることに成功し、深夜の町中を馬車で疾走していた。ほとんど、人通りはいなく、夜の閑静な雰囲気が漂っていた。

 民家の明かりも点いているとこもほとんどのなく、たまに、酒場からの明かりが漏れているくらいだった。

 月と街灯が道しるべになり、馬車を町の中心に導いている。

 まだ遠くのほうでネビルたちの松明がちらつくのが見えた。今ネビルは痛恨の敗戦を喫した相手を血眼になって探しているだろう。


「巻いたみてぇだな」


 荷台からロイシェが顔を出した。パイカーは深く頷きながら、自分と馬の顔に巻いてあった濡れた布を剥がすと、道に放り投げる。


「お前の作戦、思った以上にうまくいったぜ」


 パイカーは振り向き、親指を立てて、ロイシェに対し笑顔で応えた。


 二人が宿屋の中で導き出した打開策は想像以上に功を成し、その決め手となったものの正体はずばり、密輸を偽装するための唐辛子粉だった。

 唐辛子粉はスパイスよりも安価で手に入る。さらに、その強烈な刺激臭は火薬の放つ独特の匂いを妨げる効果もあったのだ。

 そのおかげでパイカーはその唐辛子粉を積み荷の中に大量に入れていた。それをロイシェは思い出した。

 その唐辛子粉を同じように偽装輸出品として持っていた、壺の中にできるだけ詰め込んだのである。


 その壺を空に投げることによって、ネビルは確実に爆弾だと勘違いし、撃ち落すとロイシェは読んだのである。そのため、撃ち落しやすくするためにロイシェはわざと空高く、長く投げたのだ。ネビルはそのロイシェの策略にまんまと騙され、自ら唐辛子粉の入った壺をたたき割った。

 唐辛子粉は非常に軽く、空に舞いやすい、その上こんなものが目などの粘膜に入ればひとたまりもないだろう。ロイシェはこれをうまく利用したのだ。

 さらにパイカーと馬は濡れた布を被ることによって、目や口などに入るリスクを極限まで低くすることが出来る。

 濡れた布に、唐辛子粉が吸い付き、さらに、布を多く濡らしておけば、布の僅かに開いた部分に表面張力が発生して、水の膜が出来上がる。そのおかげで、パイカーは自分の目と馬の目を守るに至ったのだ。

 さらにこの唐辛子粉を使った要因としては、もう一つある。それは唐辛子に含まれる油脂成分、カプサイシンによるものだ。

 カプサイシンとは唐辛子における辛み成分で知られていいるが、実は引火するという特性も持ち合わせている。もちろん、料理などで使用する分には全く問題がないのだが、今回のようにように大量の唐辛子粉をまき散らせば、いつ引火したもおかしくない。

 さらに火縄銃の火は通常の火よりも熱く、その分、カプサイシンに引火しやすい。

 ロイシェはこれも知っていた。知っていたうえで積み荷にあった唐辛子粉を選び、それを使って脱出を企てたのだ。


「まさかあんなにうまくいくとはな」


 パイカーはロイシェの判断力とその才に溢れる知謀に感心した。


「まぁな、でもネビルもこれじゃ収まりがつかないだろうな」


「必ず追ってくる」


 ロイシェははっきりと言った。


「まだここにはネビルの追っては来てないみたいだけど、必ず来る。明け方には俺たちの逃走圏内の施設という施設に大規模な捜索が入るだろうな」


「ネビルとやらはそこまでして俺たちをつかめてぇのかよ」


「まぁ俺が見る限り武器商人で城に辿り着いた奴は見たことねぇ」


「この町を隈なく探されたんじゃ、俺たち八方塞がりなんじゃねぇのか」


 パイカーは不安そうな顔でロイシェを見た。


「まぁ普通に逃げりゃ捕まるだろうな、でも今はとにかく馬車は走らすことだ。大丈夫、必ず城に着く、俺を信じてくれよ」


「本当に信じていいんだな」


 パイカーは若干十二歳のまだ年端もいかない少年を本当に信じ始めていた。パイカーはこの時二十歳だった。そのパイカーが辛辣な思いを八つも下の少年に抱いているのだから、どこかこの光景は異様なものである。しかし、パイカーの運命はこの少年にかかっているのだと自分でも分かっていた。


「任せとけ。まぁ遠くに逃げらるかどうかはその馬にかかっているのかもしれねえけどな」


「この馬か」


 パイカーは走る馬の背中を触りながら言った。


「その馬、お前が育てたのか」


「そんなことねぇ、この馬車もこの馬も俺のもんじゃねぇよ」


「そうか……まぁとにかく今は五番街にある。馬車宿を目指すんだ」


「五番街だと、城から少し遠ざかってしまわないか」


 この城下町は町の区画を数字で決めていた。ただ、ロイシェが最初にいたところは郊外であるため、そのような区分などされていない。

 しかし、町が賑わってくるにつれ、そういう区画が出来始める。城を囲むように一番街から四番街までがあり、その外を五番街から八番街が囲んでいる。

 いま二人が走っているのは八番街の極南である。本来ならこのまま真っ直ぐと走り、四番街に向かうのが城までの最短コースだが、ロイシェは行き先を五番街に向けたのだ。


「大丈夫だ、俺の知り合いが店を経営している。そこでかくまってもらうよ」


「そいつ本当に信じられるんだろうな」


「安心しろ、俺の義父みてえなもんだ」


「義父だと」


 パイカーは驚いて振り向く。


「あぁ俺は孤児院で育ったんだよ。戦争孤児だったんだ。俺は自分の実の親の顔を見たことがねぇ。でも運がいいことに今から会う、最初の親父に妹と一緒に拾われたんだ」


「最初の親父……」


「ああそうだ。俺はそのあと、あるいっぱしの兵士によく可愛がられたんだ。その兵士が第二の親父だ」


「じゃあその兵士に引き取られたのか?」


「戦時中だ。戦争があれば、その兵士は戦争に行っちまう、でもよく戦争の合間に孤児院に顔を出して、俺たちの面倒を見てくれた。俺と妹はその兵士にひいきにされていたんだ」


「そうか、じゃあお前が金を求めるのは、その恩返しのためか」


「違うよ、その兵士はもう死んだ。国に殺されたんだ……」


「……悪いこと聞いちまったな」


「別に悪かねえよ、俺が金を求めるのは俺と妹のためだけだぜ」


 ロイシェは満面の笑みでパイカーに答えた。


「まぁ昔話はこの辺にしといて」


 ロイシェはそう言いながら、荷台から半分だけ体を出し、外を見渡した。


「そもそもこんな夜中に宿屋がやってんのかよ」


 パイカーも周りを見渡しながら言う。


「安心しろ、その親父の経営している店の一階は酒場だ。そのせいで二階の宿はかなり安い、そして、そこは一風変わってて馬車は一か所に集めて置いておくんだ」


「そんなんところに泊まる奴いるのかよ」


「安いから案外繁盛してるぜ」


 ロイシェはハッとした顔をすると、煌々と明かりがついている酒場を指さした。


「あれだ、あの酒場だ」


「了解」


 パイカーは馬の手綱を引き、馬車をその酒場に向かわせた。


 見えてからその酒場に着くのはかなり早かった。

 その酒場の前に行くと、凄い熱気が入り口から漏れ出てくるの分かる。三階建てで確かに二階から上は宿屋になっているようだ。この熱気あふれる宿屋の両脇に大きな車庫がある。この車庫が他の住宅との境にあるため、深夜でもこんなに騒げるのだ。

 パイカーは馬車で車庫の中に入る。

 するとその中には想像以上に馬車が止まっていて、パイカーはその意外性に少し驚いた。さらに車庫の中は馬が放つ獣臭い匂いが充満している。パイカーが手前の空いているところに止めようとすると、


「いや一番奥にしたほうがいい」


 と言う。ネビルに身元がバレた時、できるだけ外に止めたほうが逃げやすいのは確かだ。しかし、ロイシェはその場所を頑なに嫌がった。


「本当にお前を信じていいんだな」


 パイカーはロイシェに疑心感を抱きながらも、ロイシェの指示に素直に従った。

 さらにロイシェはパイカーに馬車の帳を付け替えるように言った。確かに帳は汚れていたが、今替える必要があるのかと、不思議に思った。しかし、帳は常に予備を持っていたし、変える作業もそこまで重労働ではなかった。そのためすぐに替えることが出来る。


 ロイシェはさらにその古い帳を車庫の中に隠した。この時点でパイカーはロイシェの不思議な行動に対し、不信感を抱き始めていた。

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