第156話 『SCANDAL』

「その『エタボ』のアレックスがどうしたって?」


「大スクープ!! いや……スキャンダルかな」


コミュニケーションブースの片隅に居た葉月の耳に、思いがけない言葉が飛び込んできた。


スキャンダル?!

アレックスさんが?!


「え! なになに、それ!」


「熱愛だってさ! ねぇこれ見てよ」


葉月はハッと驚いた表情で顔を上げる。

アレックスの熱愛報道なんて、聞いてもいないし、それに、あり得ない。


だって彼は……


「ほら見てよ! こんな写真が出回ってんのよ。屋外で堂々と……」


「どれどれ……ええっ! 大胆!」


「うわ……」


あまりの不穏な話の内容に、葉月はまたもや自動販売機のすみに隠れて聞き耳をたてる羽目になった。

タブレットを覗き込む男女五人は依然、その話題に食いついている。


「これ……どういう状況だよ? ネットニュースにはまだ流れてないだろ?」


「うん。これね、コアな『エタボ』ファンの裏サイトなの。管理人が過激でさ、いつも結構攻めた隠し撮りなんかをアップするから、ファンの間では有名なサイトなんだけどね。今朝コレが出回ってから大騒ぎでさ」


「っていうか、このオンナ、誰なの?」


「それがさぁ、相手は普通の大学生なんだって! なんかムカつかない?!」


え……


「ウソだろ、ホントに大学生なのか? 情報は?」


「しっかりそのサイトに書いてあるわよ。野音フェスの時のバイトスタッフなんだって。職権乱用ってやつよね」


葉月は後ずさりしながらその場を離れ、すぐそばにあるの化粧室に入った。

何が起こっているのかは分からないが、アレックスの周りに居た大学生となれば、自分をおいて他には思い当たらない。


ありもしない事実に困惑しながらも、とにかく調べる必要があるとスマホを取り出すと、通知のランプが点滅していた。

あわてて履歴を見てみると、由夏と裕貴の名前がびっしり並んでいる。

すぐにまた画面が変わったので、あわててその電話に出た。


「もしもし……」


「あ! やっと繋がった! 葉月、今どこ?! まさか学校?」


由夏の声は緊迫感に満ちていた。


「うん……図書館の横の化粧室にとりあえず……」


声を潜める葉月に、由夏が状況を察して心配そうに問いかける。


「そんな行動をとったってことは……あの記事を見たの?」


「ううん、見てない……アレックスさんの話をしてる学生がいて……由夏、一体なんのことなの? 私が関係してるってこと?」


「ねぇ葉月、誰かになんか言われたりしてないよね?!」


「うん。でも由夏、私、何が何だか……わからない」


「そっか、そうだよね。私が送ったメッセージ、さかのぼってみて。『エタボ』のファンサイトに出回ってる画像とコメント、送ったから。それで……」


「葉月」

今度はかれんの声が流れてきた。

由夏の隣に居て話を聞いていたようだった。


「今すぐ学校から出なさい。私たち、食堂にいるけど……ここに来ちゃダメ。ネットニュースの記者かなんかわかんないけど、その写真を片手に学生相手に片っ端から聞いて回ってるの」


葉月は由夏から送られてきた画像を見て目を見開いた。


これは……


「私達も学校から出るから、今から外で会おう! ねぇ……葉月? 聞いてる?」


葉月は動揺を隠し、努めて冷静な声で答えた。

「ううん、二人は今日は教授と約束があるでしょ? 私、とりあえず今日は帰るから……」


また由夏の声に代わった。

「家はダメ! ずっと連絡着かなかったから、まだ葉月が家に居るんじゃないかって思って、ここに来る前に私、葉月ん家に寄ったのよ。そしたら怪しげな人がうろうろしてた。記者かどうかはわからないけど、今回の件で葉月をマークしてるに違いないわ。カーテンが閉まってたから葉月はもう家を出たんだろうと思って慌てて来たのよ」


「えっ……そうなんだ……」


「うん。あの連中、まだ居るかもしれない……一人で帰って危害でも加えられたら……」


「わかった。由夏、大丈夫。私『form Fireworksバイト先』に行くわ。どうせ午後から出勤する予定だったし」


「そうね、その方がいいわ。とにかく何かあったらすぐ連絡するのよ。私たちの方でも、なぜ葉月と特定出来るような情報が載せられてるのかってことを調べてみるから」


「うん。ありがとう」


電話を切った葉月は裕貴からのメッセージを開いて、由夏とのやり取りを送信した。

そして再び、由夏から送られたURLをタップする。


『アレックス 熱愛』という見出しがついた大きな写真が一枚。

フェス会場の近くの、あのアウトレットモールのベンチだった。

あの日、みんなでショッピングを楽しんだあと、ディナーで飲みすぎた葉月をアレックスが外のベンチで介抱してくれた。

画像を見ても泥酔しているのは明らかで、アレックスの横にいるのは紛れもない自分だったが、そんな姿でベンチに座っていたような記憶すらもない。

撮影角度のせいで、アレックスが膝に抱いた葉月に覆い被さるような格好で映っている。


「まさか……撮られていたなんて……」


軽率な行動がやまれた。

写真の下の記事には『驚愕!『エタボ』をむさぼる女子大生』というサブタイトルと共に、知人であることを利用して、各メンバーをそれぞれにたらし込んでいた、などという記事が続いた。

名前こそ書かれていないものの、イニシャルと居住地域や大学名、『Eternal エターナルBoyボーイズ's Lifeライフ』のライブのバックスクリーンを制作している会社でアルバイトをしていることまで書かれていた。

他にも野音フェスの時のバックステージの廊下や楽屋での隠し撮りのような写真が連なり、そこに映る葉月はいずれも目元だけ黒テープで隠されているだけだった。


どうして……こんな……


化粧室を出ると、さっきからコミュニケーションブースに居た学生たちを、暗い色の身なりの大人たちが数人で囲んでいるのが見えた。

また身を隠して聞き耳を立てる。

取材を受ける学生達は興奮気味で、逆にその男たちに記事の内容をあれこれ質問したりしていた。


「君たち、この子を見かけたことある? この大学にいるらしいんだけどさ」


学生達は驚きながらも首を横に振る。


「ああ、知らなかったらいいよ。邪魔したね」


そう言って帰ろうとする連中に、学生の一人が聞いた。

「この子の名前、なんて言うんですか?」


記者は振り返るとニヤリとしながら声を潜めて言った。

「ここだけの話だよ。"ハヅキ"って呼ばれてたんだってさ」


そのグループと話し終えた軍団はカメラをたずさえ、辺りを見回しながら姿を消した。


「すげぇ、大ニュースじゃん! ってか、このアレックスと映ってるのがマジでうちの学生だったなんて!」


「ホント! びっくり」


「なぁ、だったらさ、俺達でひっ捕まえてやんない?」


「へぇ……面白いじゃん」


「ハンターか! やろうぜ」


青ざめた葉月は物音を立てないように注意し、逃げるようにその場から立ち去った。

顔を隠しながら足早に正門に向かう。


下を向いたまま電車に乗り、またサイトを開いてみる。

どこにもハヅキという名前は書かれていない。

先程の記者はフェスの関係者から聞き付けたのかもしれない。

見ているそばからまた新たに写真が更新され、キラと二人、あの早朝のベンチで話している画像が追加された。

その下には『尻軽女に制裁を!』の文字。


なぜ自分が攻撃を受けているのか、頭の中がぐちゃぐちゃで整理できない。


「どうして……だれがこんな……」


スマホの画面が点灯し、裕貴からの着信が入ったが、出ることができなかった。

単に電車内というからだけでなく、裕貴の声をきくと泣き崩れてしまいそうだと思ったのもあった。


とにかく『form Fireworks』に向かおうと駅から真っ直ぐ自社ビルを目指した時に、後ろから自分を追い越していく人を見て愕然とする。


この人たちは……


さっき大学にいたあの記者の姿に、葉月は足を止めた。

同じ電車に乗っていたらしい。

葉月本人に気が付いてはいないが、真っ直ぐ向かう行く手を見れば、それが『Fireworks』であることは明確だった。


彼らの後ろ姿を落胆した面持ちで見送りながら、葉月は会社に向かうのを断念し、噴水広場の端っこに腰を下ろした。


スマホを取り出すと同時に由夏から電話がかかってきた。


「葉月、今どこ?」


「あ、会社の近く」


「無事に脱出できたか! 良かった」


「それがね……」


葉月は先程、記者が会社に向かうのに遭遇したことを話した。


「はぁ? 何でそんなに執拗に葉月に付きまとうのかしら?! どうするの? あ、ユウキと連絡は?」


「あ、さっき電話があったんだけど、電車の中だったから話せなくて……だから由夏と話したことをメールで送ったの」


「そっか。大体の流れは話しといたよ。当然だけど……すごく心配してたから……」


「わかった。ありがとう。電話してみるね。私、しばらくして記者がいなくなったら『Fireworks』に行くから大丈夫! それとね由夏、アレックスさんとは……そんな関係じゃないの。だって……」


そこまで言って葉月は言葉を止めた。

彼……いや彼女がゲイだということは、誰にも知られてはいけない。

たとえ親友でも。


「あの……アレックスさんってね、とっても親切な人なんだ! 本当に酔っ払った私を介抱してくれただけなの。確かに意気投合してショッピングだって一緒に楽しんだけど、リュウジさんやユウキも一緒だったし、何より私とそんな関係に発展することなんて、絶対に絶対にないの」


由夏はフッと柔らかい声で言った。

「そっか。葉月のバースデープレゼントを送ってくれた人でしょ? とびきりセンスのいい人よね。葉月と気が合うのもうなづけるわ。わかった。っていうか、そもそも疑ったりしてないって! 大丈夫大丈夫!」


「そっか、良かった」


「じゃあさ、教授との面談が終わったらまた連絡するから。気を付けてね」


「ありがとう由夏。かれんにも伝えて」


「オッケー」


由夏の言葉に救われてほっと息をつきながら、葉月は『form Fireworks』の自社ビルのエントランスが見渡せる大きな歩道橋の上に上がった。


中央にある花壇の縁に腰かけて、裕貴に電話をかけようとスマホを取り出した瞬間、また着信が入る。


鴻上こうがみ徹也』と表示された画面を見て、葉月はハッと息を詰まらせた。


第156話『SCANDAL』- 終 -

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