第157話 『In Hiding』

葉月は『form Fireworksバイト先』の自社ビルが見渡せる、近くの陸橋りっきょうの上に移動した。

そこから見下ろしたエントランス付近に、数は多くはないものの何人かの怪しい人影が周りをキョロキョロと伺っている姿が確認できる。


ダメだわ……

しばらくは近付けない……


陸橋の中央の花壇に腰を下ろした葉月は肩を落としたまま、今朝からの一連の出来事を思い返していた。


日本を代表する有名バンド『Eternalエターナル Boy'sボーイズ Lifeライフ』の数ある非公式ファンサイトの中のひとつに、隠し撮り写真が投稿された。

それは野音フェスの最中、食事がてら夜に大勢で訪れたファッションモールでの一コマだったが、ピアニストのアレックスと葉月とがあたかも親密な関係であると誤解されるような、絶妙なアングルで映っている写真だった。

誰かが悪意をもってそれを世にばら蒔き、そしてそこには中傷の数々をちりばめて、ファンたちの非難の矛先を葉月に向けようとしている。


「どうして……こんな……」


酔いつぶれた葉月を、アレックスはただの友人として介抱してくれただけだった。

それを明確に証明しようとすると、彼のセクシャリティがおおやけになる恐れがある。

それだけは絶対に知られてはいけない。

確かにこの写真だけを見れば、多くの人に誤解されるのも無理はないだろう。

だとしても、コソコソと有らぬ想像を書き立てるような角度から撮った写真を、ありもしないストーリーを植え付けた言葉と共にさらす行為は極めて悪質だ。

一体誰が何のためにこんなことをしているのだろうか。

そして……なぜ自分がこんなに恨まれているのだろうか……


空を見上げると、葉月の心とは裏腹に、真っ青なキャンバスに秋の到来をはばむかのように、夏らしいもくもくとした雲がそびえていた。


裕貴に電話しようとスマホを取り出したとたん、着信が入ってハッとする。

画面には『team Fireworks』の社長でもある若き映像クリエイター『鴻上こうがみ徹也』の文字。

しかもビデオ通話だった。


葉月は少し前髪を直しながら咳払いをすると、そのスマホを目線まで上げてからタップをする。


「鴻上……さん……」


「葉月ちゃん、おはよう! ってか、もう昼だな」


葉月はうつむき加減で緊張した声を発した。

「あの……」


「見たよ。なかなかセクシーに写ってんじゃん? ナンテ……冗談言ってる場合じゃないか……困ってるよな」


「ええ……」


力ない声を発する葉月に、徹也は優しい口調で問いかけた。


「今どこ? ああ……そこは」

葉月の背後に見える景色に目をやる。


「会社の近くだな。君がそんな妙な場所にいるってことは、会社の前にもパパラッチが?」


「……はい」


「そっか」

徹也は小さくため息をついてから、更に優しい視線を向ける。


「しかし……絶妙にバッドタイミングだよな、俺もそっちに居ないし。で? 大学にも追っ手が来たんだって?」


「ええ……あれ? でもどうしてそれを?!」


「え? 君が自分から報告してきたんだろ? ああ! 俺にじゃなかったか。実はさ、コイツもここに居るんだよ」


「え?」


画面の横からちらっと顔を出したのは裕貴だった。


「ユウキ!」


徹也を押し退けるように裕貴が割り込んで勢いよく口を開く。


「葉月!! 心配しただろ! 何回電話したと思ってんの!」


「ごめん……」

葉月は首をすくめた。


裕貴はすぐに表情をゆるめる。

「いいよ……話せない状況だったんだってな。葉月がメール送ってきた後に由夏から電話があってさ、大体のことは聞いた」


「そう……でもどうして鴻上さんと一緒なの? ユウキこそ、今どこにいるの?」


「ああ、今さ、『エタボ』の事務所に来てるんだ。さっき着いたところで」


「え?! それは……明日じゃ?」


「それがさぁ……」

裕貴は溜め息混じりに画面に近付く。


「昨日葉月を送ったあの後にキラさんエタボVo.から電話が入ってさ……深夜だよ! 「リュウジが来る前に作戦会議やるからすぐ来い!」って言われて……それで急遽きゅうきょ朝イチから一日前乗まえのりすることになったんだ。そしたら同じ新幹線で鴻上さんとバッタリ会ってさ。しかも! そこで一緒にこの報道を知るっていう……」


葉月は気まずそうに視線を外す。

「……じゃあメンバーとは、もう……」


「うん、キラさんにも会ったし、トーマさんエタボ リーダーは……報道抑制に駆けずり回ってるよ」


「そう……なんだ……」


葉月はうつむきかけて、ハッと画面に近付いた。

「ねぇ、アレックスさんは?! 私、迷惑かけちゃった……軽率な行動のせいで……」


動揺する葉月に対して、裕貴は更に画面いっぱいに近づくと、上目遣いに葉月を睨む。


「なに言ってんのさ! 全くもって潔白じゃん! アレックスさんのこと知ってる俺たちならみんなわかってるんだからさ、気にすることないだろ?! トーマさんからも、葉月ちゃんににそう伝えといてくれって、言われてるんだ」


「えっ、トーマさんが……」


「ああ。アレックスさん、実は今こっちにいなくてさ、他のアーティストのレコーディングで缶詰めらしい。早くこっちに来たがってるみたいだし、葉月と連絡をとりたがってるらしいんだけど、今はトーマさんがストップかけててさ。話がつくまでは動かない方がいいからって。だから葉月も、もうしばらくは目立たないように頑張れる?」


「うん、大丈夫」


「なるべく人混みを避けて、って言ってもなぁ……家に帰れないんじゃ、どこがいいかな? あ……今日そっちに戻れるのってさ、リュウジさんくらいなんだよな……」


葉月は少し俯いた。

想命館葬儀場』の自販機コーナーでの一件以来、言葉も交わしていない。


「リュウジさんが……そう……」


「うん。さっきから連絡してるんだけどさ、あの人SNSにうといだろ? 全然見てないんだよなぁ……」


葉月の様子に気付きながらも、裕貴は更に大袈裟に溜め息をつく。


「リュウジさんがいつボクの連絡に気が付くかわかんないけどさ、とりあえず葉月は携帯がいつでも繋がるようにしといて。それと、もし移動するようなら細かく連絡をくれる?」


葉月が頷くと、横から徹也が顔を出した。

「トーマくん、君のことやたら心配してたなぁ。やっぱ気になる?」


「えっ! そ、それは……」

葉月は複雑な表情で、徹也を見上げる。


「……ごめん、からかって。でもさ、俺だって心配してるんだ」


横でそれを聞きながら、裕貴が呆れたように肩をすくめた。


「ごめんなさい。会社にも迷惑かけてしまって……」


頭を下げてみせる葉月に、徹也は溜め息をつく。


「バカだな。謝る必要なんかないだろ! 何も悪くないんだ、社員にはちゃんと言ってあるから、野次馬が消えたらいつでも社内に入って休むといい」


「鴻上さん……」


「それと」

徹也は目に力を込める。


「もし報道陣に囲まれても、何もしゃべっちゃだめだぞ。一言もだ。名前も何も。今は君は俺の会社の従業員なんだから、責任は俺が持つ。いいね?」


「はい」


緊張感を帯びた葉月の頬に、徹也は優しい眼差しを向けた。


「葉月ちゃん、何も心配することはないよ。そうだな……そんな所にいないでさ、何か美味しいもんでも食べておいでよ。それか……どこか静かなとこでゆっくり読書するってのもいいんじゃないか? 君のことだから、資料の他にも何かしらの本がカバンに入ってそうだし」


「あ……ええ」


「余暇だと思って過ごせってことだよ。あ、かくれんぼでもいいぞ!」


「そんな……」


葉月の苦笑いに、裕貴も徹也も少しホッとする。


「はは。それくらい軽く考えて良いってことだ! また連絡入れるよ。もしも困ったことが起きたら、こっちの事情なんか考えなくていいからいつでも連絡を入れるように! いいね? これはボスからの命令だぞ!」


「鴻上さん……」


横からまた裕貴が顔を出す。

「じゃあ、移動開始!」



とりあえず、次なる潜伏場所に身を置いたら連絡する約束をして、葉月は二人に向かって笑顔で手を振り、通話を止めた。

切れる寸前の0.1秒で、二人が素の表情になって向かい合うのを目撃してしまった葉月は、彼ら二人の本当の心情を悟った。

心配をかけていることは明らかで、申し訳なく思った。


葉月のカバンには、徹也の言った通り、事務所に置いておくために持ってきていた資料や本が詰まっていた。

確かにどこか静かな場所に身を置いて、時をやり過ごすのもいいかもしれない。

仕事の合間に少しずつ読もうと思っていつも持ち歩いていたビジネス書がちらりと見えた。

この際一気に読んでしまうのも悪くはない。

そう思いながら、葉月はコンビニでサンドイッチとミルクティーを買って東公園に足を向けた。



さすがに花時計付近は、元カレとの気まずい思い出がよぎったので、もう少し西寄りの人気ひとけのない木陰の連なったベンチに腰を下ろした。

髪を撫でていく風が、スッと汗を引かせ、葉月は心を落ち着かせようと目を閉じる。


そのまま顔を少し上に向けて、木々の狭間から差す光の温度を感じた。

このまま目を開けたら、すべてが只の悪い夢であったなら……

そう願いながら仰いだ視界には、依然としてまるで何事もなかったかのような青く澄みきったい空が広がっていた。

皮肉に思っていたその清々しい景色も、さっき画面から溢れてきた二人の優しい表情を介せば、今は彼らと同様に、その空さえも自分を応援してくれているようにも思える。


しばし読書にいそしむことにした。

時の流れすらわすれてしまうほど没頭しようと、のめり込む。

心が和みかけたその時にまたスマホが振動をし始めて、現実を知る。

深呼吸してからスマホを開いた。

由夏からのメッセージだった。


ホッとしつつ、今いる場所に加え、読書をして過ごしていることを書いて送信し、徹也と裕貴にも同等の内容を送った。

例のサイトも確認しておいた方がいいのかもしれないと思って指を伸ばそうと試みたが、指が震え、気持ちが混濁こんだくしてタップ出来なかった。

そして更に胸の奥に引っ掛かっている一つの疑問が葉月の心に付きまとい、その存在をどんどん大きくしていく。

湧きあがるその別の懸念は、更に葉月を不安に陥れはじめた。


問題になったあのアウトレットモールでの写真。

意識のない自分が体をアレックスに預けているさまは、意思をもって彼に身を寄せているようにしか見えず、事情を知らない人間が十人見れば十人とも、その男女の関係を疑うであろう構図だった。


徹也の顔を思い浮かべる。

徹也はあの情景を見て、どう解釈したのだろう?


アレックスと自分の関係……アレックスが "ゲイ" であることを、徹也は知らないはずだ。


まさか、裕貴が……?


いや、裕貴が自分の判断で、勝手に徹也に秘密を暴露する筈がない。

裕貴は『Eternalエターナル Boyボーイズ's Lifeライフ』の事務所と誓約書も交わしていると言っていたし……

もちろん、アウトレットモールには裕貴も隆二も同行していた事実は、以前も自分から徹也に話したことがあったし、認識してくれてはいるだろうが……


単に、私を信じてくれた……?

それならどんなにいいだろう、無条件ですべてを信じてくれたなら……


徹也はそんな口ぶりで話してはくれていたが、それが本当に心の底からのものなのか……

葉月は一気に不安になった。

同時に、こんなにも自分の中に徹也に誤解されたくないという思いが高まるその先に、どういった感情が生まれているのか……

自らも知り得ない自分の気持ちの揺れに、葉月はただただ胸を押さえるばかりだった。



第157話『In Hiding』- 終 -

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