第154話 『love interest』

裕貴は、もうすっかり調律を済ませていたドラムセットから身を起こし、そっと立ち上がった。

一滴も飲んでいないのにふらついて、指先にシンバルをぶつける。

その残響は静まり返った部屋にいつまでも鳴り響いて、妙に裕貴の胸を圧迫した。


ついさっき『form Fireworks』の自社ビルの前で、自動販売機の光に照らされた琉佳と葉月のシルエットが近づいていくのを見た時の焦燥しょうそう感や、そして昨夜、あの葬儀場の中庭のドアの前で、泣いている葉月を目撃した時のいきどおり、そして彼女をかばうように促す徹也との間に流れていた空気を感じた時のやるせない思い……

裕貴は胸を叩いて大きく息をつきながら、それらをかき消そうとした。

くうを見上げる。

封印していたパンドラの箱が開きかけていると感じた裕貴は、改めてその鍵をかけ直そうと気持ちを一掃する決心をして立ち上がった。


カウンターへ向かうと、葉月は起き上がったものの、眠たそうに目をこすっていた。


「お、酔っぱらいのお目覚めか?」


「もう……ユウキ……」


スローテンポながらも、思ったよりもしっかりしたその表情に安堵する。

「よかった! ボクまでお姫様抱っこさせられるんじゃないかってヒヤヒヤしてたから」


「ユウキ! それは言わないで!」


葉月が恥ずかしそうに突っ伏すのを、二人の親友が笑いながら遮った。

「ほら葉月、行くよ!」



手早く片付け、店を閉まいをして四人で地上に上がる。

施錠した裕貴が目と鼻の先に停めていたレンジローバーを店の前に持ってくると、青く光沢を帯びた外車がその後ろに着く。

ハルのBMWに乗り込むかれんを見送ってから、由夏と葉月を乗せて、もうすっかり馴れた道をひた走る。

車が発進して間もなく、後部座席の葉月は、由夏の肩に頭を置いたまま、うつらうつらと眠りに落ちていった。


「由夏、今日は先に葉月を送ってもいい?」


「うん、もちろん。また寝ちゃってるしね」


「ったく……ホントに手がかかるよな。ちっとも言うことを聞かない。ま、今回は色々あったから……由夏、葉月から聞いた?」


「うん。話しながら整理しようとはしてたみたい。ま、酔っ払ってるから、私達に話したことを覚えてるかどうか、わかんないけどね」


「はは、そっか。ま、今回は大目に見てやるか」 


由夏はミラー越しに視線を飛ばす。

「ユウキ、パパみたいだね」


「はぁ? さっきはかれんにオジサン呼ばわりされたんだけど?」


「だって……到底同い年とは思えない雰囲気っていうか……」


「あのさ、じゃあなんで未だに高校生に間違えられるんだよ! 寄ってたかってガキだジジィだ好き勝手言われてさ!」


「あはは! ビジュアルと中身があまりにも……」


「ったく、由夏まで……しょうがないだろ、ボクを振り回す人間が何人も居るんだから」


「リュウジさんと葉月かぁ……大変だね」


「だろ? 体がいくつあっても足りないよ」 

そう言いながらも、ミラーに映る裕貴の表情は晴れやかだった。


「ユウキ、今日も送ってくれてありがとうね」


「いや、助かるよ。こんな遅くにボクだけで酔っ払った葉月を連れて帰ったら、智代さんに誤解されちゃうしね」


「その点はご心配なく! そう思ってさっき、葉月ママにメールしといたの。葉月が高級寿司と大吟醸のせいで寝ちゃったので、私も付き添ってユウキと一緒に届けますって」


「さすが由夏! そりゃ助かる。サンキュー」


「お礼なんて。あ……さっきかれんが面白いこと言ってたよ。ユウキは白石家の婿の座を狙ってるんじゃない? って」


「あはは、そういやそんなこと言ってたなぁ。ったく、そんなわけないじゃん!」


笑い合いながら、裕貴をまたミラー越しに覗いた由夏は、その顔にかすかな強張こわばりを見つけた。

同時に、自分も全然笑っていないことに気付く。


「さあ! 葉月を搬入するか!」


「あ……うん!」


由夏が葉月を揺り起こし、停車した裕貴は先に葉月のキャリーバッグを白石邸前に運ぶ。


気配に気付いて出て来た葉月の母に彼女を引き渡して、二人は車へ戻っていった。


「この前ここに来た時は、元カレがヤバイって、葉月ママに知らせに来た時なの。あの時は不安で……どうなるんだろうって思ったけど、ユウキとリュウジさんが解決してくれて良かった」


「あれはさ、100%リュウジさんだよ。ボクは……」


「そんなことない! だってユウキがどれ程心配してたか……私たち親友と寸分変わらなかったわ。それにユウキがどれだけ葉月に気を配ってきたか私は知ってるし!……ああ、なんか、ごめん……」


「いや、そんな風に見てもらってたなら嬉しいよ」


前を向いたまま裕貴はそう言ってレンジローバーにスマートキーを向けた。


「あ、ユウキ!」


ピッいう音ともに光ったライトに照らされた由夏の表情をうかがう。


「ん? どうした?」


「あ……あのさ、ちょっと……話せないかな?」


そう言って由夏は視線を前方に促した。

由夏の指差した方に公園が見えて、裕貴は頷いてもう一度スマートキーを押す。


砂地にザッと靴音を立てて公園に入ると、由夏はブランコに駆け寄った。


「うわ! 懐かしい!」


そう言って座ろうとした由夏を裕貴が制する。


「待って! スカートが汚れるから、ほら、この上に」


裕貴がポケットからハンカチを出して、ブランコの座面にふわっと置いた。


「あ、ありがとう」


「ただし!」


裕貴の強い口調に驚いて見上げる。


「座るだけだぞ! 漕いじゃダメ」


「ええーっ、そんなぁ」


「そんな短いスカートで漕いだら丸見えだぞ! それに由夏は相当飲んでるんだから。いくら酒豪って言われてたってさ、さすがにブランコで揺れたりしたら気分悪くなっちゃうかもしれないだろ?」


裕貴は由夏を覗き込んで、同意を求めるように首をかしげる。


「わかった……」

そう言って由夏がそっと腰を下ろした横で、裕貴はおもむろに座面に足を掛けると、勢いよく漕ぎ始めた。


「えー、ズルいよユウキ!」


裕貴は笑いながら由夏を見下ろす。

「だって一滴も飲んでないんだから。これくらいの特権、あったって構わないだろ?」


屈託なく笑った裕貴の笑顔を、由夏は眩しそうな表情で見上げていた。


「なんか……小学生の裕貴の姿が想像できる」


「は?! なんだ? 今度はまたガキ扱いか?」


「あはは、少年らしくてかわいいなって思っただけ」


「あ! そのワード、ちっとも誉め言葉じゃないからな!」


そう言って裕貴はブランコから飛び降りた。


「うわ、そんなことしてる同級生、見たことある!」


「それ、小学生の時だろ!」


「もちろん! 二十歳越えてやってたら、ちょっと危なくない?」


「あはは、確かに危ないかも! 幼稚園児連れたママ連中に通報されるな」


「あはは、ホント。深夜限定よね」


「だな」

裕貴は戻ってきてブランコに腰を下ろした。


「でもよく飛べたよね。大人になったら怖くない? だって小学生以来でしょ?」


「いや」

裕貴はまた少しブランコを揺らした。


「この前一回チャレンジしてる。その時はさすがにちょっとビビったかも。子供の頃より体重もあるからさ、思いのほか遠くに飛んじゃって、ヒヤっとしたんだけど、葉月はその時も酔ってたから気付いてないと思うんだよね」


「葉月と……そっか」


「うん」


そう言って微笑みながら前後に揺れる裕貴の横顔を、由夏はじっと見つめていた。


「好き……なんだよね?」

そのかすかな言葉は、キイキイという音にかき消される。

「ん? なんて?」


「ううん、なんでも。ブランコ、好きなんだなって思ってね」


裕貴は足をつけて動きを止めた。

「ああ、ごめんごめん。話があるから来たのに。で? なんの話?」


まじまじと見つめられて、由夏は慌てて正面を向いた。


「いや、たいした話じゃないんだけど」


「葉月に聞いた話? ただでも複雑な話だったのに、支離滅裂だったんだろ? かれんもボヤいてた」


「あ……そうそう、葉月はその義姉の気持ちが理解できないってしきりに……まぁ、私もそうだけど」


「だよな。ま、むしろ同調すらして欲しくないけどさ、心がすさんだ人間がいるって事を知った社会勉強だと思ってくれたら……まぁ無理か、相手は何せリュウジさんだからな」

スッと笑顔が消えた裕貴に投げ掛ける。

「葉月はリュウジさんが? でも鴻上こうがみさんも……」


「由夏にもそういった気持ち、話してないんだな。じゃあ、やっぱり自分の気持ちに気付けてないんだろう。それについて由夏に相談したりしてないの?」


「うん、何にも。いつも私もかれんも話を吹っ掛けたりするんだけど、解った上でかわしてるとは思えないくらい、いつも仕事のこととか新しい経験して楽しかったとか、そんなことを興奮ぎみに話してるわ」


「あはは、目に浮かぶな」


「今日は葉月も感情的だったから、かれんと確信を突けるかもよって話してたんだけど、それもままならず、バッと話してバッと寝ちゃうみたいな」


裕貴はまた高らかに笑った。


「よかった。二人に話してホッとしたんだろ?」

そして優しい表情をみせる。


「かもね」


裕貴が公園の時計タワーを見上げたのに気付く。


「あ、もう遅いわね! ごめん引き留めちゃって」


「いいよ、全然。でも女の子がこんなに遅く帰ったら親御さん心配するだろ?」


「大丈夫。私、親にも信頼されてるから」


「わかる! 由夏はしっかりしててブレないから。みんなが頼りにするのもよくわかるよ」


「そんなことないよ」

本当はいつも揺れているんだと言いたい気持ちを押し殺した。


「じゃあ行こっか。あ、ユウキ、ハンカチ貸しといてね、洗って返すから」


「いいよ別に」


「あのね、女子がお尻に敷いたハンカチをそのまま男子に返すと思う?」


「そっか、わかった」


二人はすぐそこに見えている白いレンジローバーに向かって歩き出した。


「由夏」

肩を並べた裕貴がスマートキーをかざしながら言った。

「由夏は大丈夫?」


その言葉に驚いて、由夏は裕貴の方に顔を向けた。


「何か他にも話があったのかと思ってさ」


「え?」


「由夏自身、何か悩んだりしてない?」


「あ……いえ」

由夏は静かに俯いた。


裕貴が助手席のドアを開けて、由夏を促す。

ドアを閉めてぐるっと運転席に回り込んできた裕貴は、シートベルトを装着しながら言った。


「由夏はさ、いつも冷静でしっかり者に見られるから、逆にみんなの期待通りでいなきゃって、強い自分を演じたりしがちだろ?」


由夏は言葉を失ったまま、車を発車させた裕貴の横顔を見つめていた。


「何かあったら何でも言いなよ、話せばスッキリすることもあるしさ」


そう優しいトーンで言われた由夏は、胸の鼓動を押さえながら平静を装う。


「うん、ありがとね」

そう言ってから、星を見上げるふりをして、由夏は視線を上に上げたまま、涙がこぼれ落ちるのをこらえた。

そして、同時に今にも溢れ出してしまいそうな思いを閉じ込めるように、そっと胸を押さえた。


第154話 『love interest』- 終 -

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