第153話 『End of project party』
「んっ……これは……」
シャリこまの白身を喉に流し込んだ葉月は目を見開いた。
「白石さん、唸ってるね」
「めっちゃめちゃおいしいです!」
普段は閑散としている『form Fireworks』の六階のオフィスに隣接されたリラクゼーションルームが、今日は溢れんばかりの大勢のスタッフで活気に満ちている。
いつもは終業を知らせる
見るからに極上の豪華な寿司桶を前に、上機嫌に会話しながら
「そりゃ良かった、あのあとさ、『
「ルカさーん!」
飛び跳ねんばかりの葉月を制するように、琉佳はまぁまぁと葉月の肩に手を置いた。
「白石さんには "タコパ" 開いてもらわなきゃだから、このくらいの
「あはは。なら作戦成功ですね」
「言っとくけどマジだからね!」
「はい! ルカさんのたこ焼きパーティーに対する情熱は、しっかと承りました」
安心したように体を起こした琉佳は、近くのテーブルに手を伸ばした。
「そっか、よかった! じゃあ、まずは
琉佳は葉月の手に握らせた小さなグラスに一升瓶を傾ける。
あっという間に満杯になり、溢れんばかりのグラスに、葉月は慌てて口を寄せた。
大吟醸を一舐めした葉月は、それがあまりにも寿司とマッチすることに驚く。
「ん!」
なみなみと透明の液体が注がれたグラスを静かに傾けると、爽やかな香りと共に胸の奥に熱い筋がスッと落ちていくような感覚を覚えた。
それは寿司の味を際立たせ、芳醇な吐息が更に頬を熱くする。
「お! 白石さん、ひょっとして初めて?」
「はい。なんか……凄い……美味しい」
そこから幾分
「白石さん、ご機嫌だね。楽しんでる?」
「あ、はーい」
いつになくふんわりした雰囲気の葉月の頬に、琉佳が手を伸ばした。
「うわっ、顔、熱々だけど? 大丈夫?!」
そう言いながら葉月のトロリとした目を覗き込む。
「大丈夫でーす」
「あ、酔ってるな……だいぶ……」
少し動作が大きくなっていることに気が付いて、琉佳は苦笑いする。
「ルカさーん、私『Blue Stone』に行くって、ユウキと約束してて……」
「ああ! そうだったね。ユウキから連絡があったよ。その……あんまり飲ませないでくれって……」
琉佳はばつが悪そうに言った。
「全然大丈夫です!……そろそろ……行かなきゃなって……ありがとうございまし……た」
そう言って頭を下げた葉月がふらついたのをサッと抱き止めて、琉佳は困った顔をした。
「うわ、だいぶん酔ってるな。こりゃユウキに怒られるぞ……っていうか『Blue Stone』に無事に辿り着くとは思えない」
琉佳は近くのスタッフに頼んで、葉月の荷物を取ってきてもらうと、そのまま葉月を促しながら自社ビルを出た。
「あの……白石さん、大丈夫?」
「ルカさん! いつも気遣って頂いて、ありがとうございます!」
「な、なんだよ、わざわざそんなこと……」
「だって私、仕事においては月城姉弟にはお世話になりっぱなしで、もう足を向けて寝られないっていうか……わっ!」
つまずきそうになった葉月を、また抱き止めて、琉佳は苦笑いする。
「大したこともしてないのに、そんなに感謝されちゃあ、うかうか口説くこともできないじゃない」
「またまた!」
そう言って屈託なく笑う葉月の顔を、琉佳はしばらく見下ろして、そっとその腰に手を回す。
「困ったなぁ、そんなかわいい顔されちゃったら……」
琉佳がぼんやりした葉月をまっすぐ見据え、近付きながらその頬に手を伸ばした時、葉月が口を開いた。
「あ……ユウキ……」
「え!」
琉佳が肩をすくめて振り向くと、裕貴がつかつかと近付いて来た。
「ルカさん、お疲れ様です。葉月を店まで送って下さるつもりだったんですか? あれ? 葉月……酔ってるな……」
琉佳が頭をかきながら、苦笑いをして見せる横で、葉月は上機嫌で話し出した。
「あのねユウキ、大吟醸ってすごくお寿司に合うの! 特に白身の……」
「わかったわかった。あーあ、出来上がったらめんどくさいって言ったのに……」
琉佳がすかさず前へ出た。
「いや、ごめん! 日本酒初めてだって知らなくて……白石さん、機嫌よく飲み食いしてたから、ついすすめちゃって……」
「そうですか。ご面倒をおかけしました」
裕貴はペコリと頭を下げる。
「い、いやいや、今回はユウキにも、ホント色々世話になったからさ、こっちの打ち上げにも来てほしかったよ。特上の寿司だったんだぜ。あれ? そういやぁユウキ、
「あ、リュウジさんのバスケのチームメイトのアキラさん、覚えてます? あの人に任せて葉月を迎えに来たんです。お客さんも身内ばかりだったので」
「そっか」
「ルカさんも、また来て下さいね」
「おう!」
「では。お疲れ様でした。ほら、葉月! しっかり歩いて」
葉月の肩をポンと叩くと、裕貴はさっと後ろに葉月を促した。
「……うん。あ、ルカさん、お疲れ様でした。おやすみなさぁい……」
おぼつかない足元で、フラフラと歩き出す葉月の後ろに付きながら、裕貴は振り向いて琉佳に頭を下げた。
琉佳は大きく息をついて胸を撫で下ろす。
「おっかねぇ。全く…… 絶妙なタイミングで現れる
そう言って、少し遠くなった二人の背中を見つめながら呟く。
「ふーん、あの距離感か……うちのボスもそうだけど、よくもまぁ女の子といつまでも一定の距離保ってられるよなぁ? さっきの白石さん、相当かわいかったぞ。思わず……なんてこと、今までもなかったのか?」
琉佳は何度も首をかしげながら『form Fireworks』へ引き返していった。
「葉月!」
夜風に熱い頬を晒しながら、ゆっくりと歩いていた葉月は、裕貴の突然の声に驚いた。
振り返った瞬間に、また少しバランスを崩す。
「わっ! び、びっくりした……なによユウキ」
「潰れるのは勘弁だって言っただろ!」
葉月の腕を支えながら、裕貴がたしなめる。
「あ……でも、そんなに飲んでないし、大丈夫……」
「なに言ってんだ! よく言うよ、こんなにフラフラになって! さっきもし、ボクが来てなかったら……あのままどうなってたか……」
「ん? なにが?」
「……ダメだな葉月、もう日本酒は禁止!」
「えーそんなぁ……」
葉月は口を尖らせて抗議する。
「いや絶対だめ! 危険すぎる。リュウジさんに告げ口するぞ! いや、それよりももっと強力な陣営にリークしてやる。覚悟しろよ!」
「なに? それ……」
首をかしげる葉月に、裕貴は不適な笑みでこたえた。
「じゃあその目で確かめて。ほら」
裕貴は到着した『Blue Stone』の入り口を開けて葉月を誘導する。
赤い階段を降りると、いつもそこにあるアーティストの額縁がどれも笑いかけているように見えて、さすがに葉月も自分が酔っていると実感した。
中扉を開くと、いつものように華やかなジャズの演奏と共に、明るい喧騒が飛び込んでくる。
その中に、自分の名を呼ぶ聞き覚えのある声があってハッとする。
顔をあげると同時に、走り寄ってきたその影にぎゅっと抱き締められて、葉月は目を丸くする。
「うわっ! あれ……由夏が見える……やっぱり私、だいぶ酔ってるのかな……」
その瞬間、頬をつねられた。
「痛っ!」
「こら葉月! 目を覚ましなさいよ!」
その声にまた驚く。
「あれ? ホントに由夏だ! なんで?」
至近距離の由夏を確認し、にっこりと笑って葉月も抱き付いた。
その肩越しにはかれんの姿も見える。
「あ、かれんもいる……」
かれんがカウンターから呼び掛ける。
「ほら、早くここに座んなさいよ!」
由夏はガッチリと葉月の腕をとってカウンターまで連れてくると、キョトンと目を丸くした葉月を自分達の間に座らせた。
「私たちも昨日今日と『
飲酒の適量範囲をゆうに越えている葉月は、親友と遭遇したのも相まっていつになく饒舌に話し始めた。
裕貴が二人の親友たちに目配せをすると、由夏とかれんはしっかと頷く。
アキラを帰らせた裕貴は、奥のステージブースでドラムの調律を行うからと言って、三人をカウンターに残したまま、席をはずした。
いつになく静まり返った廊下を歩きながら、さっきドアボードを「CLOSED」に掛け変えた光景を思い出す。
その視線の先には、危ない足取りで階段を下りながら、往年のアーティストの額縁を大袈裟に見回す葉月の姿があり、裕貴はクスッと笑った。
それと同時に、昨夜の中庭前で見送った時の儚げな後ろ姿が重なって、裕貴は瞬時に胸に痛みを感じる。
部屋を訪れた時の無理を押した笑顔、俯いてポタポタと涙を
立ち止まって大きく深呼吸した裕貴は、また歩き始める。
「さ、親友に委ねたぞ。ちゃんと話せるかな、葉月は」
一時間程経った頃、ドラムセットに座っている裕貴のもとに、コツコツとヒールの音を響かせながらかれんがやって来た。
「葉月の様子は?」
「それがさ、寝ちゃったのよ」
裕貴は鼻で笑いながらも少しホッとしたような表情を見せた。
「そっか。葉月……どうだった?」
「そりゃ、支離滅裂よ! ユウキに事情を聞いていたから把握できただけで……でもまぁ、そういう事態に遭遇して、それに対して自分のことのように心痛めるなんて、ホント葉月らしいけど」
「だね」
「だからあまり心底探ったりしないようにしたわ。本人が整理できてないみたいだったから」
「そうだろうな……」
かれんは静かに近くのソファーに腰を下ろす。
「で? ユウキこそ、リュウジさんに何か聞けたの?」
「いや、今朝もバタバタしてたからね。朝食かき込んで空港に向かったけど、その間も週末の『Eternal Boy's Life』との打ち合わせに出掛ける為に、楽器のメンテナンスとスケジュール調整が必要だって話だけだったし」
「そう」
少し不満げな裕貴に、かれんは微笑みながら言葉を投げ掛ける。
「しかし、優しいよねユウキは。気が利いてる」
裕貴は眉を上げた。
「そう? 今回はボク自身も衝撃受けちゃって、どうしたらいいのかわからなくなってたからさ。葉月、辛そうなのに無理してるのがわかったから、二人の力を借りようって。葉月のくすんだ気持ちも、二人なら浄化してくれるだろうな、ってね」
かれんはふわっと微笑んだ。
「あの子ね、酔った頭でもちゃんとわかってたよ。ひどく泣いたりしたのはびっくりしただけで、人には色々事情があったり、簡単に解決ができないことも、世の中にはあるし、ましてや自分の力ではなんとも出来ないことはわかってるって」
「良かった。やっぱり親友パワーだな!」
「それにね」
「ん?」
裕貴は手を停めてドラムセットから顔をあげた。
「ユウキがこうして私たちを呼んでくれたことにも、感謝してたよ」
「ああ、そっか……」
「ありがとうね、ユウキ。あの子、危なっかしいからいつも心配だけど、ユウキがいてくれてるから安心出来るわ」
裕貴は上目遣いで笑いながらかれんを見据える。
「保護者的な発言だな、かれん。ホントは二十年ほどサバ読んでんだろ?」
「あはっ、そっくりそのままお返しするわ! ユウキなんて、私最近は仙人にしか見えなくなったもん」
「ひどいなぁ、同い年だぞ! ジジイ扱いすんなよな!」
「あはは」
二人は視線を合わせて笑い合った。
「それで? 今夜は
「ああ……連絡すれば来てくれるだろうから、由夏も葉月も乗せて帰るわ」
「いや、ボクが葉月と由夏を送っていくよ。もともとそのつもりだったし」
「そう?」
「うん。葉月が泥酔してるから、ボクだけで送っていくより、由夏が居てくれた方がいいしね」
「あ……確かに」
「せっかく
かれんが大袈裟にのけぞる。「わ! 知らなかったな、ユウキが白石家の婿の座を狙ってたなんて!」
「あはは、そんなわけないだろ! だって葉月は……」
失速する裕貴の言葉尻をつかんで、かれんは前のめりに座り直した。
「葉月は……なに? 誰かのものなの?」
「別に………」
ほんの一瞬の沈黙の後、かれんはサッと立ち上がった。
「じゃあ、由夏に言っとくね。葉月、起こし始めるわ」
「うん、よろしく」
「お疲れ様」
かれんはにっこり微笑んで、またコツコツとヒールを鳴らしながらカウンターに戻っていった。
第153話 『End of project party』- 終 -
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