第144話 『To Be Honest』

「心、痛いでしょ? 胸が苦しいですか?」


絢子は驚いたように顔を上げた。


「葉月ちゃん……」


葉月は絢子あやこの手にそっと手を添えたまま話し始めた。


「この『attractive Visionアトラクティブ・ヴィジョン』のセレモニードレスね、去年の冬に、母が用意してくれたんですけど。その直後に 祖父が亡くなって……とても静かなおじいさんで、母と祖父が話しているのもほとんど見たことなかったんです。私に喪服を用意したのは、もう死期が分かっていたからかなって、それは後から気付いたんですけど、そんなこと母は1mmも見せてなくて、葬儀の時も 何の感情もないと言うか、すごく平静を保っていて、不安がっている祖母を、母が励ましていたんです。でも葬儀が終わって家に帰ってから、母は部屋に閉じこもってしまって……そっと部屋に近付いたら、中から小さな声で父さんって泣き声が聞こえて……胸が痛いよって。それを聞いて、私も胸が苦しくなりました。しばらくして部屋から出てきた母は、何事もなかったようにいつも通りだったけれど、私は母にそういう思いがあることを知って良かったと思ったんです。でないと私は、ずっと祖父と母の関係が希薄なものだと思ったまま生きてたと思うので」


葉月は絢子の手を握る指先に力を入れた。


「だからね、息子さんである鴻上さんには、本当に辛いって思う気持ちを見せてもいいんじゃないかなって思います。うちの母は見せてくれなかったけど、それは私がまだ子供だからだと思います。いつか、私がもっと成長したら、多分話してくれるんだろうなって。一周忌とか 三周忌とか、そういった局面に。私は それを、待ってるんです」


絢子は葉月をじっと見つめてから、さっと腕を伸ばし、その肩に絡めてぎゅっと抱きしめた。


「しばらくこのままで、いてもいい?」


「はい」


小さく鼻をすする音がして、それから 絢子はゆっくり話し始めた。


「父がいたから今の私がいる。父という偉大なデザイナーは、時に私の目の上のたんこぶでもあったし、動かせない大きな壁であると感じたこともあったわ。だから反発もした。でもそれは私が未熟だったせい。そう気づいた時は、もう自立してて、父にそのことを告げたり謝ったり出来ない関係になってたの。でも数年前に身体を悪くしてから、もうこの先見込みがないって父本人が知った時にね、父は私にさっき控え室で話した提案をしてきた。その時にね……私はそれまでの年月を取り戻したいって、心から思ったわ。もっと、娘として父の心に触れればよかったって。感謝してるって告げればよかったって。それなのに更に先延ばしにしてた。そしたらもう父は意識を失って、伝えられなくなって……だから私は、父への恩は仕事で返すしかなかったの。見ていてくれると、そして信じてくれてると、私もそう父を信じて」


絢子はそっと身体を離した。

その頬にはなん筋もの涙が流れていた。


「ずっと父の亡骸を見たくなくて。本当に火葬場に着くまで、ちゃんと見られなかった。でも最後の最後に、あそこで久しぶりに見た父の顔からはね、何て言うのかな、邪念みたいなものが全部消えていて。驚くほど安らかでね。ようやく、お疲れ様って言えたの。でもそれと同時に、こんな顔の父と、もっと長く過ごしたかったっていう気持ちが湧いて……なのに数時間経ったら、あんなにちっちゃい骨になっちゃうのよ。そりゃ、気も失いそうになるわ」


そう言って絢子はベッドサイドから沢山ティッシュを取り出して、半分は自分に、そして半分は同じ様に泣いている葉月の顔に押し当てた。


「私は決して良い娘ではなかったけど、でも誰にもとって代われないビジネスパートナーにはなれた。これからはその形で、父に恩返しして行こうと思ってるの。見ていてくれるよね、父は」


「ええ、きっと素晴らしい娘さんを持てた事を誇らしく思ってらっしゃると思います」


絢子はまた葉月をぎゅっと抱きしめた。


「そのお話は、鴻上さんには?」


「あはは。しないわよ! あんな斜に構えた偏屈息子には」


「鴻上さんは、確かにカッコつけてますけど、偏屈な男性ではありませんよ。寛大で、少年の心を持ってるくせに、ものすごく大人で、いつも人のこと考えてる、素敵な人ですよ」


絢子はパッと顔を上げて、葉月の両肩を掴んだまま、彼女の顔を覗き込んだ。

「ねぇ、今の話、葉月ちゃんから徹也にしてくれない?」


「え……でもご本人から話した方が……」


「ダメダメ、そういうキャラじゃないのよ私たち。でも葉月ちゃんの話を聞いたら徹也には分かってもらいたくなったわ。私が父に素直に言えなかったこと。そういった気持ちを徹也にも抱いて欲しくないからね」


「そうですよね。……わかりました、私でよろしければ」


「ありがとう! ここが日本じゃなかったら、あなたにキスしてるわよ」


「ええっ?!」


「海外じゃ普通に挨拶なんだけど……日本のコンサバティブな風潮は私には合わないわね」


そう言って絢子は、もう一度葉月に顔を近づける。

涙の跡はすっかり乾いていた。


「あなたのお母様とも気が合いそう! ねぇ、なんなら、本当にあなたたち付き合ったら! 私は大歓迎なんだけど」


「な、なにを仰るんですか! そんな……恐れ多い……私になんか、鴻上さんはもったいないですよ」


小さく手を振る葉月を、絢子は睨んだ。

「あ! ほらまた出た! 私になんか? ダメよ! もうそれは言わない約束でしょ?」


「あ……そうでした。ごめんなさい」


絢子はふふっと笑う。

「自信を持ちなさい。あなたはとっても素敵なレディーよ。ねぇ葉月ちゃん、ひょっとして他に好……」


絢子が口をつぐんだ。


「え? 何ですか?」


「ううん、なんでもない。これからも息子をよろしくね」


「はい、わかりました」



『Ending Ceremony』が始まるまでの時間、少しだけ眠ると言った絢子に、葉月は布団をかけ、襟元を整えてから笑顔を向けて部屋を後にした。


確かにちょっとママに似てると思った。


ぎゅっと抱きしめられた時、自分が小さな子供だった時を思い出した。


「ママにハグしてもらったのって、何年前だろ?」

そう思うと、しきりに母に会いたくなる。


エレベーターホールについて、そこに置いてある猫足の豪華な椅子にちょこんと腰を下ろした葉月は、大きな窓から見える自然と空を眺めながら、母に電話をした。

とりわけ葬儀の話をするでもなく、『attractive Visionアトラクティブ・ヴィジョン』のこの服を褒められたとだけに、話を止め置く。


まさかそのデザイナーと親しくなったなんて言ったら、ママは電話口で卒倒しかねないので、それは帰ってから折を見てゆっくり話そうと思った。


電話を終えた葉月は立ち上がり、襟を正して会場に向かう。

エレベーターの正面の大きな鏡に映った自分の姿は、確かに昨日よりも少し成長した大人の女性に見えた。


第144話『To Be Honest』- 終 -

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