第143話 『Too Hard』

コーヒーラウンジから五階に上がった葉月と祐貴が話していると、またもや祐貴のスマートフォンに電話が入った。


「あ、もしもし、リュウジさん? お疲れ様です。どうしました?」


「ユウキ、今どこだ? 忙しいか?」


「いえ、ボクらは全然。『Fireworks』のスタッフさんは大変そうですが。ああ、今は五階の会場前に居ます」


「そうか、それでその『Ending Ceremony』なるものは何時からだ?」


「この後、十七時からの予定ですが。っていうか……リュウジさん、まだ火葬場ですよね? どうかしましたか?」


「いや、今もう『想命館そうめいかん』に着いてる」


「え! どこです?」


「駐車場だ。今から五階に向かうよ。それと……その会はスタートを少し遅らせることになるかもな」


「え? 何かあったんですか?」

葉月は、祐貴のその怪訝な顔を覗き込んだ。


「ああ。徹也の母親が倒れてな」


「え!」


祐貴の声に驚いた葉月が尋ねる。

「ねぇユウキ、どうしたの?」


「葉月ちゃんも一緒か?」

隆二の問いに祐貴が答える。


「ええ、時間が空いたんで美波さんも交えて話してました。それで? 鴻上さんのお母さんの具合は?」


葉月が更に驚いたように目を見張る。


「とにかく、今から上がるから、そこで待ってろ」




西館の方向からやってきた隆二に、二人は駆け寄った。


「リュウジさん……」


呆然とする葉月に代わって祐貴が尋ねた。

「鴻上さんのお母さんが倒れたって……何があったんですか?」


「いざ火葬ってときに、取り乱してな。待ってる間もずっと泣いていて……骨を拾うときに倒れた。とはいっても徹也が受け止めて大事には至らなかったし、意識はあったから、なんとか儀式的なことは済ましてきたんだが……」


「そんな風には……全然見えなかったのに」

そう言って葉月が視線を落とす。


「まぁな……気丈にしてても、早くに母親を亡くしてるから親は会長だけだったし、徹也のお母さんも一人娘だから、気が許せる人間も少なかったのかもな。いざの当たりするとショックが大きかったんだろう」


あれほど明るく、なんなら気にも留めていないかのように振る舞いながらも、実は心を痛めていたのかと思うと、葉月は胸が苦しくなった。


「リュウジさん、鴻上さんはお母様と?」


「ああ、徹也が付き添って上に上がったから、お母さんの自室だろうな」 


後ろからバタバタと足音が聞こえた。


三人が振り返ると、美波が慌てた素振りで走って来るのが見えた。


「あ、水嶋先輩!」


そう言ってあっと口を押さえる。


「あ、あの……お帰りなさい」


「ああ。徹也と会ったよな? お母さん、大丈夫だって?」


「あ……それが……白石さん、ちょっと来てもらえる?」


「え? 私……ですか? はい……どこへ?」


絢子あやこさんのお部屋に」


「え! 鴻上さんのお母様の?」


「ええ、徹也が呼んできてくれって……絢子さんと知り合いだっけ?」


「いえ、先ほど控え室で初めてお話したんですけど」


「そうよね? とにかく案内するから来てくれる? ユウキくん、色々手伝ってくれてありがとうね」


美波は隆二に頭を下げて、葉月を連れてエレベーターホールへ急いだ。


隆二は二人の背中を見送りながら、首をかしげる。

「ユウキ、どういうことだ?」


祐貴は、葬儀前の控え室での事を隆二に話した。


「そうか……それで会場に姿がなかったんだな。てっきりお前が一緒だと思ってたよ」 


「まあ、ボクは廊下で葉月を待ってただけなんですけどね。中から笑い声がやたら聞こえるんで、おかしいなって思ってて。明るい感じのお母さんでしたから、意外ですね。それで、ずっと鴻上さんが付き添ってるんですか?」


「ああ、親族と仲が悪いわけじゃないが、あのお母さんはいつも徹也しか側に置かない。弟は父寄りの人間だし、同じカテゴリーの徹也といる方が居心地が良いんだろうな。帰国したらいつもベッタリだから、仕事もろくに出来ないって、徹也はよくぼやいてたよ」


「へぇ。じゃあ、あの登場パフォーマンスは、まんざら嘘でもないんですね」


「ああ、あれか。にしても、わざわざマスコミを前にして、あれはさすがにわざとらしかったけどな」


少しネクタイを緩めながら隆二は祐貴に尋ねる。

「で、なんで葉月ちゃんが徹也の母親に呼ばれるんだ?」


祐貴は首をかしげる。

「さぁ……控え室ではだいぶん盛り上がってましたから、女性同士意気投合でもしたんじゃないですか? あ、そうそう、今日葉月が来てたあの服がたまたま鴻上さんのお母さんのデザインだったんです。気に入られたのかもしれませんね」


「へぇ……そうか」


隆二はもうすっかり見えなくなった葉月の背中を追うように、無意識にエレベーターホールに目をやる。


「あの、リュウジさん、今日は帰るんですよね? 『Ending Party』が終わったら……」


「あ、そうそう。今日はここに泊まろうと思うんだが……いいか? もちろんお前の部屋も用意する」


「え? ああ……ボクは構いませんが……どうしたんですか?」


「ま、ちょっとした親族会議もあるし……」


祐貴が頷く。

「あ……なるほど」


「それだけだったら帰っちまってもいいんだけどな、徹也に居てくれって言われてさ」


「え? 鴻上さんにですか?」

祐貴はパッと顔を上げた。


「ああ。なんか、話があるとかで……」


「ああ……へぇ……」


「ユウキ、おまえ、なんか知ってる?」

隆二は祐貴の顔を覗き込んだ。


「あ、いえ」


「ふーん。じゃあ、泊まってもかまわないか? アキラには店を頼むって連絡を入れといた」


「ええ。アキラさんがいいなら構いません」


「そっか。なら一旦フロントに降りよう。お前の部屋も取らないと」


「はい」


まばゆいほどのエレベーターに二人ならんで乗り込んだ。

階数数字を見ながら、隆二が尋ねる。


「葉月ちゃんは? 相変わらずこき使われてそうだな」


「あはは、大丈夫ですよ。今日はボクも一緒にいましたけど、美波さんも葉月の事を大事にしてくれてますし」


「そうか」


そう言ったきり何も言わない隆二の横顔を、祐貴はそっと見る。

今夜、何らかの形で『エタボ』の話がされるなら、自分はどういう立ち位置で隆二をサポートすべきか、祐貴は考えながら、彼の後について行った。




葉月は美波に連れられて、またもや絢爛豪華なエレベーターに乗り込み、上階のフロアへ案内された。


エレベーターが開いた途端その光景に目を丸くする。 

「あの……ここ、葬儀場ですよね?」


美波は眉を上げる。

「驚くのも無理ないわね。そんじょそこらの高級ホテルよりも施設が整っているものね。さぁ行くわよ」


ふかふかのじゅうたん敷き廊下の突き当たりに、大きな観音開きのドアが見えてくる。


美波がノックすると、しばらくして中から徹也が現れた。


「はい。姫をお連れしたわよ」


そう言った美波に背中を押された葉月に、徹也は明るい表情で言った。


「ごめんな、うちの母親のわがままで呼びつけて。 美波もありがとう。俺もじきに降りるから、うちの会社の人間集めといて。映像も見せてもらうし、話もあるからさ。頼むな」


「分かったわ。大宴会場に集めておく。じゃあね」


「ああ」


戻って行く美波を見送っていると、後ろから徹也がひょいと葉月の手を取った。


驚いてその顔を見上げると、徹也はその大きな手のひらで葉月の手を包み込みながら、優しい表情で微笑んだ。


とっさに後ろを振り返ったが、美波はもう角を曲がってその姿はなかった。徹也がその指に力を込める。


「倒れたなんて聞いて驚いたろ? ごめんな」


「いえ……」


「葉月ちゃん、こっちだ」


奥の部屋に到達するまでに、何枚ものドアがあった。

一体この部屋はどんな広さなんだと思いながらも、その指先に気持ちが集中して、その手が汗ばんでいやしないか気になり始める。


そしてひとつのドアの前で徹也がノックした。


「はい」


絢子あやこの声がして、扉が開くと同時に、徹也は葉月の手を離した。


「葉月ちゃん、ごめんね呼びつけて」


ベットで半身を起こした絢子に、葉月は駆け寄った。

「いえ、そんな事よりどうされたんですか! 倒れられたと聞いて……驚きました」


「やだ! 大げさね。貧血よ。長いこと待たされたし。だって、今日帰国したばっかりなのよ。フライト疲れしてるんだから当然でしょ? なのに周りが病人扱いするから、面倒くさくって」


珍しく徹也が顔を曇らせて、母をたしなめる。

「またそんな強がったこと言って。心労がたたってんだろ? ったく、素直じゃないな」


絢子は葉月ににっこり笑いかけた。


「今日はうちの息子が優しいの。ねぇ葉月ちゃん、どう思う? この子のこと」


「だから! そういうのやめろって言ってんだろ!」


「あはは。ねぇ、ここに座って」

そう言って葉月をベッドの横の椅子に座らせると、絢子は葉月の手をそっと取る。


その手はさっき繋いだ徹也の手とは正反対に、華奢で、そしてどことなく頼りない弱さを感じた。


「私ね、女の子が欲しかったの。だって私は女性ブランドのデザイナーよ。自分の娘に取っ替え引っ替え服を着せるのが夢だったの。なのに生まれてくる子達は無骨な男ばかりで……ほんとつまんない」


「悪かったな、無骨な男で。俺さ、下に会社の人間またしてるから一旦降りるわ。葉月ちゃんごめん、母を任せてもいい?」


「はい。もちろんです」


そして二人して、笑顔で徹也を送り出した。




ドアが閉まると、葉月は静かに尋ねた。

「大丈夫なんですか? 本当に」


「ちょっと飛行機の中で眠れなかったもんだから……ちょっと疲れてただけよ」


葉月はその言葉を最後まで静かに聞いてから、今度はそっと、自分から絢子の手を握った。


「心、痛いでしょ? 胸が苦しいですか?」



第143話『Too Hard』- 終 -



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