第145話 『Kiss after the Ceremony』

なんとか時間通りに始まった『Ending Ceremony』は、多くの有名人やあらゆる業界の重鎮をゲスト弔問客に迎え、なんとも華々しい社交の場と化していた。


式の間、会場の端から葉月はずっと絢子あやこに注目していた。

絢子が心を乱したり、感極まったりして、また倒れたりしないかと気が気じゃなかった。


その心配には及ばず、絢子は親族席で息子に挟まれ、終始和やかに過ごした。

その朗らかな笑顔は芝居ではなく、純粋に生前の父の姿を沢山観られたことによる喜びを素直に感じているように見てとれた。


終演を迎え、鴻上家の人々が壇上で挨拶を始める。

徹也の父であり、喪主である『LBフロンティア』の社長が、多くのシャッター音の中、来賓に向けて今後の展望をにおわせた挨拶をし、その横に並んだ息子二人が父と同時に頭を下げたあと、絢子が話し始め、フラッシュが更に多くたかれた。


整列したまま先に会場をあとにする鴻上家の人々を拍手で送り出す。

故人の笑顔がスクリーンに大きく映し出されているなか、ふと水嶋家のテーブルに目をやると、淡々とした表情の人達に紛れた隆二が、同じ様な無表情で手を叩いているのが見えた。


「白石さん」


美波に呼ばれて、葉月は隆二から視線を離し、裕貴に目配せをして先に会場を出た。


「鴻上家の控え室に入って、親族の方々にお茶を淹れてもらえる? 準備はしてあるから」


「はい」


「あと……」


美波は言いにくそうに話す。

「その時にね、なんか上手く言って徹也を控え室から連れ出してもらいたいんだけど……」


「え?」


「徹也に頼まれちゃってね……苦手なおば様が居るとかで……」


美波は、もう飽き飽きと言わんばかりの表情で、葉月の肩に手を置いた。

「白石さん、任せた」


「あ、あの……鴻上さんはどこに行ってもらえばいいんでしょうか?」


「あ、そればどうでもいいみたい。ただ抜け出せたら、徹也はなんだってイイのよ。全く……手が掛かるったらありゃしない! ごめんなさいね、白石さんにまで片棒を担がせて」


「いえ、私でお役に立てるなら何なりと」


「そう言ってもらえるとありがたいわ。あ! 水嶋家も出てきたわね。ユウキ君にも話してくる。じゃあね」



化粧室で身なりを整えてから、控え室のフロアまで降りた。

葬儀の前に徹也と絢子がいた控え室の前を通り過ぎ、一番奥にある大きな部屋の前に立ち、ノックをしてから入る。


親族に断りを入れてからお茶を淹れ始めるも、誰もそれには構わずそれぞれが近くの者同士と会話をしている。

徹也は一番奥で中年の女性二人に挟まれながら、身を縮めて座っていた。


一際凛とした風格を持った徹也の父だけが、目が合った葉月に会釈をした。


深々と頭を下げ、隣の次男に目を移す。

少し思い詰めたような表情の彼は、近くで見ると確かにその肌は若く、どことなく徹也にも似ていた。


葉月は会話の邪魔にならないように、それぞれの前にそっとお茶を配膳し始める。

徹也の弟の前にお茶を置こうと手を伸ばした。


「ありがとう」


その声に驚いて、カップの水面が揺れる。


「あっ! ごめんなさい」

こぼさずには済んだが思いの外、大きな声が出てしまった。


「大丈夫?」


またもやその声に、ただ頷いて答えると、彼は不可解な顔をして葉月を覗き込んだ。


「どうしたの?」


葉月は恐縮しながら俯いた。

「すみません。その……声が、あまりにもお兄様に似ていらっしゃるので……びっくりして」


彼はふわりと笑った。


「それ、よく言われるんだよ。なぁ兄貴!」


皆が一斉に徹也の方を向いたのと同時に葉月も徹也に目をやった。


「ホント、よく似てるな。俺も今、自分が喋ったっけ? って錯覚したわ」


皆が笑い出して、また個々の雑談が開始される。


「君は兄貴の会社の人なの?」


「ええ。アルバイトですけど」


「さっき、母の部屋に行かなかった?」


「あ……伺いました」


「母さん……大丈夫だった? ほら火葬場で倒れてから……まだちゃんと話してなくてさ」


葉月は徹也の面影のあるその和也の表情をうかがった。

そこには、ただ母親を心配する素直な思いが溢れていた。


「絢子さんは、色々な葛藤があった中で、やはりお父様ともっと話したかったり、心を通わせたかったという思いが沢山溢れてきたようです。でも後悔という後ろ向きな思いではなく、仕事で恩返ししていきたいと仰っていました。きっと見ていてくれると思うからって」


「そっか。いい話を聞けて嬉しいよ。ありがとう」


そう笑顔で言った和也の隣で、その父が黙ったまま小さく頷くのが見えた。



お茶を淹れて回り、徹也のテーブルに近付くと、困惑の表情の徹也の両サイドで、おば様らしき女性たちが意気揚々と話していた。


「だからね徹也くん、あなた長男なんだから。そんなわけのわからない映像の仕事なんかは人に任せてさ、副業でいいじゃないの。フラフラしてないで、さっさと『LBフロンティア』に入って勉強しなさいよ」


「そうよ! もういい歳なんだから急がないとね。あ、そうだわ! この際、お見合いして所帯を持つのはどう? 家族が出来れば、男は仕事に打ち込めるわよ」


なるほど……

予想を遥かに上回るレベルの内容に、葉月は驚く。


終始困り顔のまま愛想笑いを続ける徹也が、葉月に対して明らかにヘルプ信号を発した視線を送って来ているのを見て、葉月は吹き出しそうになるのを必死で押さえた。


抗議の視線を向ける徹也に、プイと背を向けて、立ち去る素振りをしてからまた振り向くと、徹也は降参したかのように息をついた。

葉月を見つめたまま、テーブルの下から両手をちらつかせ、小さく拝んで見せる。


葉月はほくそ笑みながら、小さく頷いた。

そして表情を引き締め、再び近付く。


「社長」


「あ……なんだ、白石くん」


「クライアントがどうしてもお話ししたいことがあると」


「クライアント? 誰だ?」


「こんな時にお伝えするのはどうかと思ったのですが、貴島有栖様から直々にご連絡頂いたので、やむを得ず……申し訳ありません」


その名前に、周りがざわざわし始めた。

「え! 貴島有栖って、あの歌手の? 紅白に出てたわよね?」


「徹也くん、そんな大スターとの仕事もしてるの?」


「ああ……まあ……あ、じゃあ、ちょっと俺、電話してくるんで」


そう言って徹也はサッと立ち上がり、葉月にも促して控え室を出た。



扉を閉めて、ずんずん歩いていく徹也に必死で付いていきながら、葉月は笑いを堪えるために口を押さえた。

すると、角を曲がったところでグイッと腕を引っ張られ、同時に背中を壁に押し当てられる。


「おい、俺で遊んだな!」


葉月は我慢しきれなくなって、吹き出した。

徹也もつられて、二人は声を出して笑った。


「だって……あんなにうろたえた顔した鴻上さん、見たことなくて……」

語尾が笑いで掻き消される。

「あはは……」


「ったく、悪い子だな! 完璧に大人をからかってんな。しかも弱味につけ込むなんぞ……」


「だって、いつも私ばかりからかわれてるんですから、その仕返しには格好のチャンスでしょ?」


「なんだと! お仕置きだな」


徹也が葉月の肩に手を掛けたと同時に、後ろから声がした。


「まぁ仲がよろしいこと!」


「わ、母さん!」


「このまま恋に発展しちゃわないかなぁ?」


「な、なんでいるんだよ!」


絢子はカラカラと笑った。

「そんな中学生みたいにばつの悪い顔しないの! あ、ひょっとしてお邪魔だった?」


「んなわけないだろ!」


「おおかた、親戚のうんざりする話に耐えきれずに、あの部屋を抜け出してきたんでしょ? どんな手を使ったのやら」


「ってか、母さんはどこに行ってたんだ?」


「電話してたのよイタリアに。ここんとこ立て込んでるのに、すべての行程をキャンセルしたから、アポの取り直しに四苦八苦よ」


そう言っている間にも絢子の手にあるスマートフォンがバイブレーション音を放つ。


絢子の話す言葉は葉月にとっては聞いたことがないもので、先程の話からそれがイタリア語であると推察した。


「ってか、なんでスーツケース転がしてるんだ? 今日はここに泊まるんじゃなかったのか?」


「今から空港に向かうのよ」


「は? 今日来たばかりじゃないか。日帰りでイタリアに帰るのか? 今から?」 


「ええ、早く帰んないと、今後の予定の見通しがたたなくなるからね」


呆れたように大きくため息をつく徹也の代わりに、葉月が一歩前に進んで言った。

「まだお体を休めた方がいいのではないですか? これから飛行機に乗るだなんて……また倒れそうで心配です」


絢子はにっこりと笑って、葉月にガバッと抱きついた。


「お、おい、なにしてんだよ母さん」


息子の声もそのままに、絢子は葉月の背中に回した手に力を込めながら、その耳元で囁いた。


「さっきの話、お願いね。息子をよろしく」


葉月は返事をして、自分もその華奢な背中に手を回した。



三人はエントランスに降り、絢子を見送るために建物の外に出た。

タクシーのトランクにスーツケースを渋々放り込んだ徹也を背に、絢子はまた葉月に抱きついて、今度はその頬にキスをした。


手を降り、あっけなくタクシーに乗り込んだ絢子をボーッと見ている葉月の顔を見て、徹也が笑い出す。


「え……なんです?」


「ほら、こっちきて」


徹也に促され、ガラスの前に立った葉月は、そこに映った顔を見て驚く。


「あ!」


「あはは、そんなところにキスマーク付けてちゃ、会場に戻れねぇな」


徹也はまた葉月の手を引いて、外からぐるっと駐車場の方へ向かった。



葉月は、ほっぺたの真ん中にくっきりと着けられた真っ赤なルージュを髪で隠すように俯きながら客室への直通エレベーターに乗った。


「ほら、もう誰もいないから、顔を上げて」


エレベーターが開くと、さきほど母に電話した時に腰かけた椅子が二人を出迎えた。


夕焼けに染まった絵画のような風景を見せていた全面ガラス張りの明るかった廊下は、今は落ち着いた漆黒の壁のように静かな佇まいを見せていた。


手は繋がれたままだった、不思議とぎくしゃくした気持ちはなく、それがまるで、鴻上絢子という人物に対する思いを共有しているかのような、不思議な連帯感のもとで繋がれているような気もした。


第145話 『Kiss after the Ceremony』- 終 -


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