第128話 『Monday Evening』
月曜日の夜、と言っても今日は早い上がりだった。
朝から福岡に発った社長が、
昨日の休日出勤を労ってのことだろう。
おまけに、ボスからランチもご馳走しろとの通達があったのか、お昼になると琉佳に連れられて『
半ば押し出されるように オフィスを退出した葉月が『form Fireworks』のビルのガラス扉を開けると、汗ばむ 熱気につつまれた。
まだ昼間に近い日差しに目を細め、顔にそそがれる光を遮るように俯きながら、耳にイヤホンを装着した。
蝉の鳴く声もかすかに聞きながら駅に向かうと、タクシー乗り場の近くの花壇に目が行く。
花火大会の日に、あそこで転んだ。
そして、そんな私に手を差しのべてくれたのが、鴻上徹也という人。
その名前も知らなかった。
なのにその人は私を抱き上げて、ビルの屋上まで汗だくで上がって、今までに見たことのないような満天の花火を見せてくれた。
駅から随分遠く思えたあの日の道のりは、今では勝手知ったる通勤路として、葉月の日常の元にある。
そういえばあれ以来、あの屋上には登っていないな……
そう思いながら、今出てきた ビルを見上げた。
西日を照り返して眩しいほど輝くそのビルが、何故か少し寂しげに見えた。
主は不在のせいか。
そう思った瞬間、曲が切り替わった。
ランダムに頭出しされた曲のイントロが、ふっと昨日のワンシーンへと
その時の徹也の頭の重さがよりリアルに甦って、何故か少し胸を圧迫した。
葉月は帰路の駅の方向には行かず、そこを素通りして、センター街の方向に足をむけた。
ドアを開けて赤い階段に足を踏み入れると、その暗さになかなか目が慣れなくて、幾分慎重に階段をおりた。
重い中扉に手をかけ、一気に押し開けるときに、ふと初めてこのドアを開けたときのことを思い出す。
まだ誰のことも知らなかったあの日の自分は、このドアを開けることによって多くの出会いと経験が待っていることなんて、なにも知らなかったはずだ。
そしていつものように、心地よく華やかな喧騒に包まれながら、快適な温度の中に安堵をもたらしてくれる人の笑顔……
「あれ? ユウキ?」
週始まり、オープンしたての『Blue Stone』は
「お疲れ! 今日は早いな葉月」
「ユウキこそ、いつもこんな早い時間に『
「いやいや、今日は特別。前に我妻さんとシフト代わったからさ」
「ああ、先週の私のバースデーパーティーの時にBass弾いてた女性?」
「あ……そうそう」
葉月がチラリと店内を見回すと、裕貴がすかさず言った。
「リュウジさんが今、
裕貴はそう言ってさっさと奥に入っていく。
葉月がいつもの席に腰を下ろすと、ほどなくして笑いながら裕貴が戻ってきた。
「あはは、リュウジさんさ、厨房が暑いからって裸でフライパン振ってたんだ」
葉月が連られて笑いだすと、裕貴は
「葉月、なに想像してんの? 全裸じゃないぞ!」
「そ、そんなのわかってるわよ!」
目をむいて対抗する葉月に、さらに笑いながら言った。
「なら行って、見てくれば? それはそれは男らしい姿でフライパン振ってるからさ、あはは」
「なに言ってるのよ!」
「全くだ!」
裕貴の後ろから艶のある声が聞こえてきた。
辟易とした表情で裕貴を睨む隆二は、いつもの白いシャツを着ている。
慌ててシャツを着たのだろう、両手に大皿を掲げた隆二のシャツのボタンが、いつもより一つ 多く外されていた。
それが妙に色っぽく見えて、葉月は少し視線を落とす。
「お待たせしました。チキンと海老のトマトソース煮込みでございます」
そうおどけて見せる隆二の言葉に、葉月は顔を上げた。
「え? フライパン振ってたって……」
「あ、それはこっち」
そう言って反対の手に持ったバターライスをカウンターの上に置いた。
香り高く、食欲をそそる琥珀色の御飯が、うず高く皿に盛られ、パセリが散らしてあった。
見た目も鮮やかな取り合わせで、改めて隆二のスキルに感心する。
「隆二さんって、料理もできるんですね? しかも本格的!」
「そうか? 煮込み料理なんて基本、ぶっ込んで火加減に気を付けてれば勝手に出来るしさ、こっちもバターとガーリックに白飯ぶっ込んで醤油と塩で炒めただけだぞ。これしきのこと葉月ちゃんだって出来るだろ? 実家だけど料理とかするんだっけ?」
「結構好きなんですけど、そういえば最近は忙しくて出来てないなぁ」
隆二は皮肉な笑いを浮かべる。
「それさ、一人暮らしの新米サラリーマンが言うセリフだぞ」
「まあ、今はそれに近い感じですから」
「どうせ 徹也のせいだろ?」
ため息混じりに言う隆二に、葉月は笑いながら答えた。
「確かに、
隆二は腕を組んで葉月を見下ろす。
「仕事熱心だな。また寝不足になんないようにな」
「昨日も鴻上さんにそう言われたところなので」
「へぇ、ヤツもようやく気を使えるようになったか」
「あはは、多分。それに……」
「ん? なに?」
「またこっちに居られる時は『BLACK WALLS』の練習に来てくれると思います」
「そうか! 徹也がそう言ってた?」
「いえ、そうは言ってませんでしたけど楽しかったって言ってましたし、アキラさんにもよろしく伝えてほしいって言ってましたから」
隆二の表情から嬉しそうなのが見て取れた。
「そっか、じゃあ俺も2個目のバッシュ磨いて待っとくわ」
「そうですね」
奥から取り皿とカトラリーを持ってきた裕貴が 言った。
「リュウジさん、パセリはすぐに袋に戻して冷蔵庫入れてもらわないと! すぐに乾燥するって、この前も……」
「あーわかったわかった」
隆二は面倒くさそうな顔をして、葉月の方に向くと、裕貴を指差して言った。
「コイツ、ほんと細かくてさ! まるで小姑だよ」
裕貴は辟易とした表情で返す。
「おじさん扱いを通り越して、今度はおばさん扱いですか!」
その言葉に、葉月はしばらく笑った。
大皿を隅のソファー席に移して、3人は少し早い夕飯をとる。
「本当に美味しそう! いただきます」
そういう葉月を満足そうに見ている隆二に向かって、裕貴が言った。
「リュウジさん、葉月にしっかり食事をさせてやりたかったら、いい加減セクシーさを軽減してもらわないと」
「あー? お前何言ってんだ」
「その胸のボタンをちゃんと留めないと。葉月が気にして食欲不振になるかもしれませんから」
「ち、ちょっとユウキ!」
「あ、葉月ごめん! もしかして言わない方が良かった? 楽しみを奪っちゃったかな?」
葉月は裕貴と隆二の顔を交互に見ながら、どんどん顔を赤らめる。
「もぉ! ユウキまで私をからかうのやめてよ!」
二人に笑われてしばしむくれていた葉月も、バターライスを一口頬張ったとたん 表情を変えた。
「うわ、美味しい!」
その言葉に隆二は満足そうに微笑みながら、さりげなくボタンをひとつ留めた。
ちょうど食事が終わる頃に団体客が入店し、隆二は奥のコーナー席へ自ら赴いた。
付き合いの長い、音楽関係者らしい。
「葉月ちゃんに飲ませすぎるなよ」
ユウキにそう言って、奥へ歩いていく隆二の背中を見つめる葉月に、裕貴は溜め息混じりで言った。
「リュウジさんじゃあるまいし、ボクはそんなうっかりじゃないけどね。でもまあ……」
意味ありげな視線で葉月を見据えた。
「今日は夜が長いから、どうかな? こんな時間から飲んでみろよ、葉月が帰るって言い出す頃にはもう規定値を越えてるぞ」
「そんなこと……」
「いくら誕生日だったとはいえ、先週は飲み過ぎだっただろ?」
「ああ……あの日はね……」
「もともとお酒を飲む習慣のなかった葉月が、ここ一ヶ月、急に毎日のように飲むようになってるんだろ? おまけに大学生のクセに仕事もハードとなると、季節の変わり目にどっと疲れが押し寄せるぞ」
静かに聞いていた葉月が笑いだした。
「あはは。やっぱり、ユウキは小姑なんだね」
「だから! オバサン扱いすんなって!」
「あはは。わかってるって。ありがとうね、心配してくれて」
「というわけで、今日はこれだ」
そう言って裕貴が葉月の前に差し出したグラスには、色とりどりのフルーツが浮かんでいた。
「はい。サングリアティー」
「え? これは……」
「ノンアルコールだ、文句ある? まあ、昨日も真っ直ぐ帰って飲んでないなら、後で少しは飲ませてあげるけどね」
そう言って、自分も同じものをあおぐ。
「好きなんだろ? まあ、レシピ次第で味も変わるけどさ」
「うん、好き……でも昨日初めて飲んだんだけど……なんで好きだって知ってるの? それに真っ直ぐって」
裕貴は額に手をやって
「あ……ボクとしたことが。まぁいいか、じゃあこの際、葉月にも話すか!」
「一体なんのこと?」
第128話 『Monday Evening』ー終ー
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