第127話 『Let’s Take A Break』

『form Fireworks』の6階のオフィスにあるリラクゼーションコーナーで、体にフィットするライトグリーンの大きなソファーに腰を下ろした葉月と徹也は、それぞれ片方ずつイヤホンを共有しながら、知り合った当初に隆二が 葉月に勧めてくれたという音楽に聴き入っていた。


「へぇ、確かにいいセンスだ。フュージョンか……こういうサウンドは確かにインスピレーションが湧くね」


徹也がイヤホンを少し引っ張って、ソファーに深く座り直した。

そして顔を天井に向けて大きく深呼吸すると、息を吐き出しながら葉月に言った。


「葉月ちゃん、10分たったら起こして。これもイヤホンこのまま、貸しといてね」


息遣いが聞こえるほどすぐ近くに徹也の顔があるのが視界に入る。


「え、あ、はい、わかりました」


真正面を向いたまま、少し固い声で言った葉月に、徹也は更に近付いてクスッと笑った。


「じゃあちょっと肩も借りる」


そう言って徹也は、葉月の肩に頭を置くようにもたれて目を閉じた。


いつもなら、その優しいギターの音に酔いしれながら心をフラットに出来る筈が、今はこの心臓の音が徹也に伝わってしまうのではないかと、気が気じゃなかった。

耳元に時折触れるシルバーカラーの髪は、思っていたよりもずっと柔らかく、艶やかだった。 そしてまたそこから、昨夜の海辺の記憶も新しい、あの優しい香りフレグランスが、フッと鼻先をよぎる。


次の曲に切り替わった時、胸に差し迫るような メロウなイントロの誘いで、葉月の心はますます上気する。

このアルバムの中で一番好きなナンバー。

言葉を使わず楽器だけで、こんなにも情景が浮かび、甘く切ない気持ちを掻き立ててくれるこの曲には、毎回心が震わされていた。


すぐ近くにある徹也の顔をそっと見る。

目をつぶるとグッと大人っぽいその表情……


普段は割と少年ぽい顔なのにな……


そう心の中で呟いた。

長い睫毛まつげと穏やかな頬、血色の良い艶やかな唇……


綺麗な人だな……


そう思った。


徹也の頭が幾分重くなってきていた。

安らかなその寝顔を見ていると、その重みすら、なぜか嬉しいと思えるような不思議な感覚が沸いてくる。


今日はバスケットに無理を言ってきてもらったけれど、本当に多忙なこの人は、その分昨夜寝る時間を削ってさっきのグラフィックを手掛けていたに違いない。

無理をしてくれたんだな……

本当にすごく疲れていたのかもしれない。

こんなので休んだことになるのかな?


そう思いながら、何気なく積まれている資料とホワイトボードに目をやる。


葉月は、ハッと気づいた。


この人は休みに来たんじゃない、私を励ましに来たてくれたんだ……


葉月はつい先程、自分でも意外なほどに熱くなってしまったことを思い出す。

未熟ゆえに、うまく逃せない自分対する憤りを、徹也は誰しも通る道だといってなだめてくれた。

それでも落ち込む自分のために、クールダウンを提案してくれた。


徹也から手渡されたミルクティーを見つめる。

そして次に徹也の顔を見つめた。


今こうして耳を癒してくれるこの音楽のように、この人は言葉を使わず、本当にさりげなく 私の気持ちを導いてくれる。


「そんなに……」


突然その唇が動き出して、葉月はひどく驚いた。


「わっ! な、なんですか……鴻上こうがみさん、起きてたんですか?」


目を閉じたまま徹也が言った。

「……そんなにじっと見つめたら顔に穴が開くだろ?」


「えっ? 鴻上さん……なんで……」


葉月のその言葉に、目を瞑ったまま徹也が笑った。


「……じっと見たりしてませんよ」


徹也はまた笑う。

「往生際がわるいな、見てただろ?」


「そんなのわかるんですか? 鴻上さん、ずっと目をつぶってたじゃないですか」


「ほら、やっぱり」


「あ……」


徹也が声をあげて笑った。

「なんだ、本当に俺のことじっと見てたんだ?」


「あ! また私をからかったんですね! なんかズルいな……鴻上さんっていつもそうやって余裕があって、私のことからかってばっかり」


そう言って体を離そうとする葉月の肩を、徹也はサッと掴んだ。


「まだ動いちゃだめだ。この曲、最後まで聴きたいからな」


葉月は力を抜いて、もとの体勢にもどる。

二人は寄り添ったまま、お互いに目を閉じて、その音楽を共有した。



二人は息を吹き返したかのようにそこからまた精力的に仕事に時間を費やした。


「かなり進んだな。よく頑張った! 白石くん!」


「ありがとうございました、ボス!」


「あ? やっぱりボスなの?」


「この場合はボスでしょう」


「そうか……やむを得んな。今日のところは」


二人とも同じように伸びをして時計に目をやった。


「本当ならこれから食事して『Blue Stone』にでも行きたいところだが……明日は早朝から福岡だからな」


「ああ、さっき体育館でクライアントさんから電話があったって言ってましたね?」


「結構大掛かりなプロジェクトでね。ちょっとまだ下準備がいるから」


「え! 鴻上さん、まだ仕事するんですか?」


「まあもうちょっとね。ごめんな、食事に連れて行ってあげられなくて」


「いえいえとんでもない、私もこのところ自宅で食事とってないんで、そろそろママの顔でも見ないとなぁって、思ってたんですよ」


「あはは、そうだね。じゃあ送っていくよ」


「いいですよ! お仕事あるんだったらそのまま続けてください。まだ全然電車で帰れる時間なので」


「いや、そうじゃなくてさ。ちょっと車を運転してリフレッシュしたい気分なんだよ」


「……本当に?」


「本当だよ。まだ少し君と話もしたいしね」


葉月が少しうつむき加減で恥ずかしそうにしたのに気を良くして、徹也は葉月の帰り支度を手伝った。


「いい? 書類は預けるけど、明日からは俺もいないし、この件を早急に詰める必要はない。だから無理しないで、ゆっくり休むんだよ」


「はい」


「明日は『Blue Stone』に行くのかな?」


「ああ、そうですね、おそらく」


「じゃあ、アキラにもよろしく言っといて。楽しかったって。時間があったらまた行かせてもらうよ」


葉月の顔がみるみる明るくなった。


「はい!」



部屋を出るとエアコンの効いていない廊下の熱気が一気に二人を飲み込む。

人気ひとけのない館内を通り、エレベーターに乗って駐車場に下りた。


今度は、体育館から乗って帰ってきた車の隣に停めてある、漆黒の車のハザードランプが点滅した。


右側の助手席のドアを開ける徹也に、葉月は上目遣いで視線を送る。


「なんだ? その怪しい人を見るような目は?」


「だって……」

葉月はそのピカピカのボディーに目をやる。


徹也は一つ息をついた。

「まあ……そのうち俺の背景みたいなことも、話すよ。おいおいね」


車に乗り込むと、徹也は『Eternal Boy's Life』の話をした。


「リュウジが正式に加入するってことについては、葉月ちゃんはどう思ってるの?」


「私、フェスの最終日にトーマさんから、リュウジさんに対する熱い思いを聞いたんです」


葉月は、アレックスの計らいで楽屋に柊馬トーマと2人きりになった時に、彼が話してくれたことを徹也に伝えた。


「すごく感動して、そしてその思いが現実になったらいいなって、心底思いました。リュウジさんからも『エタボ』に対する思いを聞かされてたので、これって両想いだなーとか思って、嬉しくなっちゃって。翌朝はキラさんとゆっくりお話しする機会があって、その時キラさんからも思いを聞きました。そんなメンバー が、同じ方向を向きながら一緒に音楽を追求 できるなんて、素晴らしいことだなって思います」


「そっか。そこまで君も深く関わってたんだな。だからトーマくんは葉月ちゃんを指名したわけだ。なるほどね」 


その日を思い出してか、葉月は窓の外を眺めながらにこにこしていた。


「やたらニヤニヤしてるけど、トーマくんのことでも思い出してるの?」


「な、なに言ってんですか!」


「うわ、図星か。分かりやすいなぁ」


「違いますよ! みんながいい方向にいったらいいなって、そう思ってるだけです」


「ふーん、まあいい」


「なんですか? その意味アリ気な “ふーん” は?」


不満気な顔をする葉月に笑いかける。


「葉月ちゃん、君の思いは叶うよ。しかも秒読みだ。じきにリュウジには、俺からかトーマくんから話を切り出すことになるだろう。そうしたら、すぐに実働する。早ければ今週中にでもみんなして事務所に出向くことになるだろう。どうやらトーマくんは待ちきれない様子だしね。そうなったらさ、君も同行できる?」


「事務所ですか……はい」


徹也はまた小さく息をついた。

「葉月ちゃん、聞いてもいいかな? その少しのインターバルの理由」


「え……いえ、そんなつもりは」


「何か……隠さなきゃならないことがあるんだな」


「いえ……そんな……」


「無理に聞き出すつもりはないから。だけど何かわだかまりがあって、俺で解決できそうなことがあるなら何でも言ってくれ。そっとしておいてほしいことだったら、そう言ってくれたらいいから」


「……今は……すみません」


そう言ってうつむく彼女の左肩に、徹也は右手を置いて言った。


「把握した。何も聞かない。その代わり何でも頼ってくれ。いいね?」


「ありがとうございます」


葉月を玄関の前まで送り届けた徹也は、車に戻るとすぐにエンジンをかけ、発進させながらハンズフリーホンのボタンを押した。


「Blue Stone」


そう呟いてから鳴り出した2コール目の呼び出し音で電話を取った相手は、徹也の意中の相手だった。


「よう、ユウキ! よかった、君が出てくれて。あれからどうよ? アキラ、面倒くさくなかったか? はは、ご苦労さん。連絡先を聞いてなかったからさ、教えてくれる?」


そう言いながら会社に向かって車を走らせた。


第127話 『Let’s Take A Break』

                ー終ー


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