第126話 『working On A Holiday』

徹也と葉月は、アキラの追跡から逃げるように体育館から走り出た。

もうここまで追ってくる筈もないのに、なぜか二人は走ったまま、笑いながら駐車場までやって来た。


徹也は掴んだ葉月の手首をさりげなく外しながら言った。

「アイツ、高校の時はクールなヤツに見えたんだけどな。キャプテンのくせにあんまりしゃべんない印象でさ」


「そうなんですか?『BLACK WALLS』の中では随一のtalkerですよ」


「みたいだな、抜け目なくてめんどくさそうだ」


「リュウジさんと3人で、いいトリオになりそうですけど」


「いや、そのポジションはユウキに譲って、俺は遠慮しとくよ。さぁ、乗って!」


そう言って徹也は、右側の助手席のドアを開けて、葉月を促した。


「また違う車……鴻上こうがみさんもリュウジさんも、一体何者なんですか? ひょっとして……なんか怪しい人ですか?」


「は? なんだよそれ。怪しい人がこんな健全に休日出勤するかよ」


「そう……ですね」


首をかしげながら車に乗り込んだ葉月の、膝の上のカバンに目をやる。


その視線に気付いた葉月は切り出した。


「あの、実はあの企画の……」


「わかってるよ、プレゼンのゲラが上がったんだろ? たくさん資料を持ち帰ってたから、また根詰めてやったんじゃないかって思ってたけど?」


「……その通りです」


「で? 自信は?」


「……あります」


「そうか。楽しみだな。ただ……」


「え?」


「まだ社外だろ、俺との約束はどうしたのかな、白雪姫?」


「え……だってさっき、白石くん! って鴻上さんが……」


「あれは、リュウジの手前だよ。解ってほしかったな」


「ああ、すみません」


「いいよ。それより……ごめんな」


「なにがですか?」


徹也は右手で葉月の髪に触れた。


「急いで出てきてくれたのに、男の俺が遅くなって……クライアントから連絡が入ってさ。思いの外、長引いちまった」


「何かトラブルでも?」


「いいや。むしろいい話なんだが……明日から数日、また福岡に飛ばなきゃならなくなった」


「そうですか……」


徹也がグッと顔を近づけて来た。


「今、ちょっと淋しい、って思った?」


「え? いや、えーっと……」


「ん? 赤くなってない?」


「もう! からかわないでください!」


徹也が笑いながらそっぽを向いた葉月の左手を掴んで引き寄せる。


その時、徹也の親指に、華奢なブレスレットの冷たい感覚が走った。


二人の視線が一瞬絡み合う。


徹也は、そっとその手を離してエンジンをかけた。


前方を見据えながら徹也は言った。


「じゃあ今からは、作業効率向上の為に、特別に仕事の話をしよう。白石くん、君の企画のプレゼン原稿について、修正した点を会社につくまでに説明してくれるか」


「はい、わかりました」



『form Fireworks会社』に着くと、ビルの前で大きな紙袋を抱えた女性が、ガラス扉の中を覗き込んでいた。


「あ、待たせちゃった? ごめん!」


そう徹也が声をかけるとその女性は笑顔で振り向いた。


「良かった! いいえ、少し早く来ちゃったから……」


「あ、いろどりカフェの……アヤさん?」


「ええ、こんにちは。徹也さんからご注文頂いてたので」


そう言って彩は、その大きな紙袋を徹也に渡した。


「サンキュー」


「注文?」


「ええ、ランチボックスをお二つ。それとホワイトサングリアのフルーツティーです」


「だってさ、『Black walls』のマスコットガールをからかっさらっといてさ、メシも食わせないで働かせるわけにはいかないだろ?」


彩は微笑んで葉月に向かって言った。

「女性の好きそうなものを、ってご注文だったのでオリーブオイルたっぷりのチキンのコンフィをメインにしましたよ」


「うわぁ、楽しみです!」


「良かった」


そう言いながら、またガラス扉を覗き込む彩に徹也が言った。


「今日は琉佳ルカは来ないんだ」


「そうじゃなくて」

彩はクスッと笑った。


「これから、ふたりきりなのかなぁと思って。他に誰もいませんよね?」


そう言って彩は二人を交互に見た。


「ああ、お仕事でしたよね。じゃあ、頑張ってください」


にっこり笑って立ち去ろうとする彩に向かって徹也が言った。


「琉佳は今日はクライアントの所へ行ってるんだ、だからこっちに戻るのは……」


彩が振り向き様に言う。


「ええ、知ってますよ。京都でしょ? さっきまで一緒だったので。厳密に言うと朝食までかな?」


そう言いながら店の方向へ歩いていく彼女の背中を見つめながら、二人は黙り込んだ。


「あ……えっと、じゃあ早速、ランチタイムにしようか」


「あ……はい」


二人は静かにエレベーターに乗り込んだ。

どこもまだエアコンが効き始めていないのもあって、妙に汗ばむ。


そんな葉月の様子を見て、徹也は吹き出した。


「こ、鴻上さん! 何で笑うんですか!」


「あはは。何でだろ? 葉月ちゃん見てると無性に笑いたくなって」


「からかわないで下さいよ!」


「いや、からかいたい訳じゃないんだけどさ」


「なら尚更ひどいです!」


「ごめんごめん」


徹也はデスクに荷物を置くと、紙袋持ってリラクゼーションコーナーに行き、飲み物をテーブルに置いた。

そして電子レンジの前に立つ。

ランチボックス蓋の上には「レンジで1分」と書かれた付箋が貼ってあった。


「すごい、いい匂い!」


「彼女さ、イタリアに料理人の修行に行ってたみたいなんだ。本来はあんな可愛らしいこじんまりしたカフェで店主をやるよりも、一流店で下積みをするか、ある程度の構えの店を持って看板シェフを務める方こともできたと思うんだけどね。何があったのか……そこは話してはくれなかったけど、マチカフェが希望だって言うからさ」


「随分詳しいんですね?」


「仕事を請け負う際は、カウンセリングもするよ。リサーチってとこか。その人の背景が分からなければイメージがわかないし、希望に沿ったものが作れないだろう?」


「なるほど、そうですね。そういえばあの店を全てプロデュースしたのは琉佳さんなんですね」


「そうなんだ。良かったのか悪かったのか、わかんないけど……まぁ、今日のあの感じだと、良かったのか?」


そう言って葉月の顔覗き込んだ。

またぎこちない表情をした葉月に、徹也はまた笑った。


「もう! 笑わないでくださいよ!」


「ごめんごめん! 葉月ちゃん、分かりやすいから。あはは」


少しむくれた表情でテーブルについた葉月も、ランチボックスを開いたとたん、目の色が変わる。


「わあ素敵! お昼からこんなゴージャスなランチ! しかもテイクアウトでこのグレードですか」


徹也はまた笑った。

「女の子って美味しいもの与えると機嫌が良くなるって言うけど、本当なんだな」


「なんか単細胞だって言われてるみたいなんですけど……」


「そんなことないよ、素直でいいなって、言ってるだけ」


「本当かな……」


「ま、味も保証するよ。食べてみて」


「いただきます!」


一口放り込むと、葉月はまた満面の笑みを浮かべる。


「美味しい! ホントはゆっくり味わいたいけど……でも今日は仕事しなきゃですよね」


徹也はペーパーナプキンを葉月の前に置きながらその顔をまじまじと見る。


「ほう、なかなか熱心な」


「あ、また茶化してます?」


「いやいや、感心しているだけだよ」


「そうかな……」


「すっかり疑り深くなったもんだ」


「あの……琉佳さんって……彩さんと付き合ってるんですかね?」


徹也は予想外の質問に怪訝な顔をした。

「なんでまたそんな事気になるの? まさか琉佳のことを?」


「何言ってるんですか! そんなことないです よ」


「だったらいいけど。あの二人は付き合ってなんかないよ。って言うか、琉佳は誰とも付き合わない」


「えっ? でも昨夜泊まったって……」


また徹夜が笑い出して、葉月は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

「もういいです」


「ごめんごめん」


そう言って顔を覗き込みながら機嫌をとった。


「あいつはさぁ、ちゃんと恋愛をしたことがないんだ」


その言葉に葉月は驚いて顔をあげる。

「え? むしろ恋愛マスターなんじゃないんですか? だって、手馴れてるっていうか……周りに女の子がいっぱい居るみたいだし」


「たしかに女性との距離感とか、そういったことには長けた奴だけだけど、自分が本当に心底好きになれる相手に巡り合ったことがないって、いつもそう言ってるよ」


「そうなんですか……でも、それなのに? あ……」

葉月が黙り込む。


「まあ……そう言うと、軽くてひどいヤツみたい見えるけどな。でも、ヤツはヤツなりに模索してるんだ。真実の愛を探してるんだとさ」


「そんなこと言ったら……」


「うん?」


自分だって同じだと思った。

真実の愛をまだ知らないのは私もそう……

だけど……

だからって相手を試したり、自分を試すために 相手と関係を持ったりするなんて……


「やっぱ女の子からすると “女の敵” にしか見えないよな?」


葉月は返事に困る。

徹也は葉月の手にサングリアティーを手渡して、肩に軽く触れた。


「さぁ、そろそろ仕事を始めようか」

葉月はそれを持ったままパソコンデスクに移動した。


そこからのディスカッションは、上司と部下、はたまた師匠と弟子の如く、効率の良いアクティブが続いた。


二人でパソコンモニターを覗き込んでは細かい修正を入れながら、企画がどんどん現実へと傾いていくのを実感し、時にうまく表現できない自分を腹立たしく思ったりしながらも、葉月はのめり込んでいく自分を感じた。


あっという間に数時間が経過し、すっかり日も傾いていた。


「ちょっと休憩にしようか。クールダウンしよう。リラクゼーションコーナーに行っといて」


葉月はラベンダーピンクのバッグから、小さなミュージックプレイヤーを取り出し、そのイヤホンを装着してソファーに滑り込んだ。


しばらく目をつぶって聴いていると、頬にピッと冷たい感覚が走って、驚いて目を開けた。


徹也が葉月の頬に引っ付けたミルクティーのボトルを、ストンと葉月に差し出して、横に座った。


「なに聴いてんの?」


そう言って顔を近づけた徹也から、フワッといい匂いがした。

覚えのある香り……巨大なイルミネーションの吊り橋を見上げたときに、肩にかけられた徹也のジャケットからフワッと立ち上った大人の香り。


ドキッとする葉月を気にする様子もなく、徹也は葉月の耳から一つイヤホン外して自分の耳に装着した。


「あれ? 『Eternal Boy's Life』じゃないじゃん。こういうのも好きなんだ?」


「あ……意外ですか?」


「正直『エタボ』ばっかり聴いてるのかと思ったてたからさ」


「こういう時に『エタボ』聴いたら休憩にならないので」


「そうだよな。あのメンバーを思い出して、興奮しちまうか? クールダウンどころかヒートアップ?」


「もう……やめてくださいよ。そうじゃなくて、こういう時はインストものがいいんです」


「なるほどね。しかし、ずいぶん渋いね」


「これね、“ジャズの中でも古典ジャズじゃなくて、こういった現代的な物ならきっと気に入ると思う” って、『Blue Stone』に行き始めた頃にリュウジさんが勧めてくれたんです」


「へぇ、確かにいいセンスだな」


そう言って二人でしばらく聴き入った。



第126話 『working On A Holiday』 

               ー終ー

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