第125話 『Stay Late After Games』

チームメイトより一足先にバスケコートを後にした葉月は、手短に済ませたシャワーを終え、更衣室の前のベンチに座っていた。


同じく少し早引きした徹也が出てくるのを待ちながら、練習中も側に置いていたラベンダーピンクのカバンの中を書類を確認する。

取っ手に装着したキーホルダーがカチャリと音をたてる。

ふと思い出したように、カバンの内側にいくつかあるポケットのひとつに手を突っ込んだ。

じゃらっとした感覚のものを、一つ取り出す。


幾つもの小さな石が取り成す、キラキラと美しい輝きを帯びたそのペンダントトップを愛でてから、おもむろに装着した。


それを着け終えた葉月は、もう一度ポケットに手を入れて、今度は華奢な鎖を取り出す。


その繊細な美しさに少し微笑んで、いざ身に着けようとするも、少し重さのあるそのブレスレット左手首の上から何度もずり落ちて中々ホックがかけられなかった。


その時、頭に何かが乗っかった感覚がして、視界に大きなバスケットシューズが入ってきた。


「苦戦してるみたいだね」


その声に顔を上げると、優しい表情の隆二が自分のことを見下ろしている。


思わず微笑む葉月の前で、隆二は目の高さまでしゃがみこむ。


「ほら、貸して」


隆二が大きな手のひらを差し出すと、葉月はその上に華奢なブレスレットをさらりと乗せた。


隆二は葉月の左の手首をグイッと掴んで目の高さまで持ってくると、器用な指先でそれを装着した。


「はい、完了」


「ありがとうございます」


そう言いながら、嬉しそうにまたそのブレスレットを愛でる葉月の表情を、隆二は満足気に見つめた。


「いつも着けてくれてるんだ?」


「はい」


葉月は少し恥ずかしそうに下を向く。


「とても、気に入ってるので」


「そっか、嬉しいな。ああ……でも、これも?」


隆二の手が胸元にすっと伸びて来てドキッとする。


「あ……はい。これは……」


「ユウキだろ?」


「え?」


葉月が顔をあげた。

視線が絡む。


「なんだ。やっぱりそうか。勘が当たった」


葉月は少し睨む。


「もう! かまかけたんですか?」


「あはは。別にそんなつもりはないよ。なんとなくそう思っただけだよ。それより……」


隆二はまた葉月の方に腕を伸ばして、もう一度頭の上に手のひらを置いた。


「髪、濡れてるじゃない」


そう言って、さあっと毛先まで指を下ろした。


ほんの少し、その手が葉月の頬に触れる。


「ほら、この辺。まだ濡れてる……風邪引いちまうぞ。あ……分かった。急いで出てきたんだろう? 何? 今から仕事なの?」


葉月はドキッとした心臓の音をかき消すように、少し上ずり気味で話す。


「あ、はい。そういう条件で鴻上こうがみさんに来てもらったので」


隆二は溜め息をつきながら、湿った毛先をつまんだ。


「なんだよそれ。本当に何様なんだか。“職権乱用ドS上司” か?」


「あ、そのフレーズ……」


「ああ、さっきアキラが連呼してたから」


「あはは」


二人で笑った。



徹也は慌てて更衣室を後にした。

不意にかかってきたクライアントからの電話が、予想外に長引いたのだった。


「……とか言って、彼女だってシャワー浴びてるわけだから、まだ出てきてでないかもな」


そう言いながら足をゆっくり進める徹也は、廊下を曲がりかけて、ベンチに向かい合っている二人の姿を目撃するとまた足を止める。


「なんで俺……また隠れてるんだ?」


ため息をつきながらも柱の影に身を寄せながら様子をうかがう。


葉月の正面に座り込んだ隆二は、おもむろに両手を伸ばして、その大きな手で葉月の頭を挟んだ。


「は? アイツ、こんなとこで何やってんだ? 公衆の面前でキスでもする気か?」


隆二が葉月に言った。


「葉月ちゃん、毛先だけじゃなくてこの辺も濡れてるよ。やっぱりもう一回、ドライヤーしに行きな」


「でも……」


「徹也が来たら待っとくように言っとくから。なに、そもそも遅いのはあっちなんだから、気にしないで行って来て」


「あ……分かりました。すぐ戻りますね、ありがとうございます」


そう言って葉月が立ち去るの見送ってから、徹也はおずおずと隆二のもとへ足を進めた。


振り返った隆二が、腕を組みながら、また溜め息をつく。


「お前なぁ! 大体、女子より身支度の長い男ってどうなんだ? 気持ち悪いヤツだな」


「ちげーよ。クライアントから電話が入ったんだ。思いの外、長引いた」


「全く、そういう要領の悪いとこ、高校ん時から変わんねえな」


「これしきの事で俺の要領をはかるなよ」


「まあいいや。久しぶりにお前とバスケができて楽しかった」


「そうだな」


「お! お前もそう思ったってことだな。なら毎週来るか? そしたらそのなまった無様なシュートも改善してやるからさ」


「おいおい、ひどい言いようだな!」


「だって、葉月ちゃんに足元止められたら、てんで入んねぇへっぽこシュートじゃねぇか」


「くっそー! アキラにも言われた……」


「な? だからうちのチームBLACK WALLSに入れって!


「あのなぁ、俺は超多忙なんだぞ! 今日もたまたまこっちに居たから、来れただけで……」


「じゃあ、こっちにいる間だけでも来いよ。お宅の従業員も、いたく喜んでたみたいだし?」


「まあなあ……っていうか、なんだ、彼女のあのバスケスキルの高さは! 普段の葉月ちゃんから想像つかないじゃん」


「だろう? そりゃスカウトにも身が入るってこった」


「なるほどな……ただのマスコットガールじゃねぇな。まぁ……夏は海岸で走り込んでたって言ってたから、体幹も根性もあるんだな」


「なんだその話? そんな話聞いたことないぞ」


「俺も昨日聞いたばっかだけど」


「昨日? ああ、そういやアキラがそんなこと言ってたな。うちBlue Stoneに来て10分もしないうちに帰っちまったって。おまけにマスコットガールをかっさらってった、ってボヤいてたぞ」


「じゃあ、今日もぼボヤいてたんじゃね?」


「ああ、散々ね。ユウキがなだめてたよ」


律儀に約束を守ってくれるのか、と思った。


「……ユウキ、面白いヤツだな」


「そうだろう? でもそうやって軽く言ってられるのも今のうちだぞ。アイツ、抜け目ないからな。中々手強いヤツだ」


「確かにな。まあ、能天気でガキ臭い師匠を支えなきゃならないから、あの若さにして、自ずと学習したんじゃないか?」


「は? 俺がガキならお前も充分ガキの分類だからな! だいたいこの年にして、なんだその派手な頭は!」


「なに言ってる! お前こそインスタでメンヘラ旋風起こしてるロックバンドのチャラいドラマーじゃねぇか!」


「なんだとぉ!」


「あの……」


クスクス笑いながら葉月が近付いてきた。


「なにじゃれ合ってるんですか?」


「じゃれ合ってない!」

「じゃれ合ってない!」


同時に言い放った二人は、揃ってしらけた顔をして、お互いを睨み付けた。


「ホント、息もぴったりですね! キャプテンと副キャプテンの名コンビ、いよいよ復活ですか?」


「は? なんでコイツと……」

「は? なんでコイツと……」


笑いだす葉月に、二人は言葉を飲み込む。


「とにかく……行こうか白石くん」


「はい! ボス!」


「ああっ、またその言葉! ボスは禁止にしただろうが!」


葉月は笑いながら隆二の後ろに隠れた。


隆二はかばうように立ちはだかって言った。

「おいドS上司! 髪も濡らしたまま急いで出てきた女子を待たせておいて、その高圧的な態度はやめろよ」

 

徹也はおもむろに隆二の前まで来て、その背後の葉月の左手手首を掴むと、グッと引き寄せた。


「今後、気を付けるよ」


そう言いながら徹也は腕を伸ばして、隆二の前で、葉月の髪に触れた。

 

「よし、しっかり乾いてるな。白石くん、今後は俺に無理な気を遣わなくていいから」


「でも、昨日も “多忙な俺を待たせるとは!” って……」


隆二がギロリと徹也を睨んだ。


徹也は溜め息混じりに言う。

「あのさ……あれは冗談だろ? 俺がそんなことで怒るとでも?」


「まぁ……そうですね」


「もう少し俺を理解してほしいよ」


隆二が口を挟んだ。

「結局オマエが葉月ちゃんに甘えてんじゃねぇか! 情けないヤツだな」


「うるせーよ」


そう言ったとき、廊下の先から大きな声がした。


「あーっ、徹也! オマエ、うちのマスコットガールをどこに連れていくんだ!」


アキラがこっちに向かってつかつかとやって来る。


「うわ、ややこしいのが来た……リュウジ、俺ら行くわ」


そう言って徹也は葉月の肩に手を回して、足早に体育館を出た。


アキラは舌打ちしながら二人の背中を見つめた。

「逃げ足だけは早ぇな。おいリュウジ、アイツさウチにBLACK WALLSに入んの?」


「さぁな」


「やっぱりいいコンビだったぞ。アイツとは。ブランクあると思えないくらいにな」


「だな。俺も高校時代を思い出したよ」


「なら本腰いれて勧誘しろよ」


「そうなんだけどさ、アイツだけじゃなくて、俺も……」


アキラは隆二の顔をじっと見た。

「なんだ? もしかして『エタボ』か?」


「ああ」


溜め息混じりに俯いた。

「そうか、忙しくなりそうなんだな。徹也もなんか……そんなこと言ってたな」


「悪いなアキラ。そうなったら……」


「ああ、『BLACK WALLS』はオレが守っとくから。いつでもお前らが帰ってこられるようにしといてやるよ!」


「アキラ、頼んだ!」


「任せとけ!」


二人は並んで更衣室へ向かった。



第125話 『Stay Late After Games』

               ー終ー

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