第123話 『Birthday Present』

体育館に来るのは久しぶりだった。

幾分早く着いてしまったことに、なんとなく気恥ずかしさを感じながら、徹也は館内に入り、更衣室を探そうと廊下に足を踏み入れる。


一つの後ろ姿が、スッと前に現れた。

すらっとした長い足をあらわにして、真新しいチームウェアに真新しいバッシュを履いたその姿は、いつも見ているふんわりとした雰囲気の葉月とは違って、アスリートらしいこなれ感があって、洗練されていた。


声をかけようか迷うほどの距離で、すたすた歩いて行く葉月に向かって、前方から男の声がした。


徹也は咄嗟に、側にあった自販機に身を隠す。


「おいおい……なんで俺、隠れてるんだ?」


そう自分に突っ込みながらも、様子を伺う。


「ああ、ユウキ! おはよう!」


ユウキと呼ばれたその青年は、優しい笑顔で葉月に歩み寄る。


「ふーん。あれがリュウジのボーヤか?」



「なんかユウキ、その格好も板についてきたよね?」


そう言う葉月に、裕貴は皮肉な笑顔を見せる。


「え……そっか?」


「正式に『BLACK WALLS』に入ればいいのに」


葉月の言葉に、裕貴は大きく首を横に振った。


「そんなことしたらプライベートでもリュウジさんにしごかれることになるだろう? そんなのまっぴらごめんだよ」


「またまた、そんなこと言って! まんざらでもない感じだけど?」


「は? 葉月までボクのことをM扱いしないでよね! ますますウチのドSドラマーが増長するじゃない!」


「あはは、聞かれたら怒られるよ!」


葉月が笑う後ろの自販機の影で、徹也も吹き出していた。

若者二人が上司のちょっとした影口を話す構図に遭遇したことが面白い。


「ははは、リュウジめ! 俺のことをドS大魔王と命名しながら、てめぇもドS扱いされてんじゃねぇか!」


そう思うと笑いが込み上げる。

と同時に、自分も同じ立場にあることに気付く。


「ん? 俺もひょっとして部下にディスられてんのかな? それゆえの “ボス呼ばわり” なのか?」


首をひねりながら再びに耳を澄ませると、裕貴がおもむろに葉月に急接近した。


「おい……なにイチャイチャしてんだ?」


徹也が見ていることに気付かないからか、誰もいない廊下で、裕貴は更に葉月に顔を近づけた。


「やっぱり」


「ん? なに?」

 

「葉月、ネックレス外すの忘れてるよ」


「あ! ホントだ! 今までアクセサリー付ける習慣があんまり無かったから、つい外すの忘れちゃうよ」


「そっか」


徹也から、裕貴の優しく微笑む顔が見える。


「それさ、ペンダントトップが意外と重いから、走ったら危ないよ」


「そっか、走ると上下にコンコン当たっちゃうね」


「そうだね」


そう言って裕貴は、葉月の背中に回ってネックレスのホックを外した。


徹也は更に身を潜める。

「おいおい! まるでカップルだぞ」


裕貴は外したペンダントを手のひらに置いて差し出す。


「あのペンダント……あの感じだと彼本人からのプレゼントか?」


背後から様子を窺われているのにも気付かず、二人の会話は続く。


「ありがとう」


葉月がそう言ってペンダントを受け取ろうとした時、裕貴はそれを握り直すと、今度は葉月の手首をバッと掴んだ。


「お! どういう展開だ?」


裕貴はその掴んだ手首を持ち上げて言った。


「これも……だろ? ディフェンスで接触したら切れちゃうよ」


葉月が少しうつむいた。


「あ……そうね」


「それもボクが預かろうか? それとも、もらった本人預ける?」


葉月がバッと顔を上げた。


「リュウジさんに……預けたい?」


「ユウキ……」

そう言いながら溜め息をついたのか、葉月の肩が下がったのがわかった。

 

「一昨日の帰りの車の中で気付いてたよ。なに? 車を待ってる間にでももらったの?」


更にもう一度、葉月の肩が動く。


「もう……ユウキにはかなわないわ」


「あはは、まあね。さあ、それも外しとこう」


そう言って、裕貴は葉月の手首からブレスレットを外した。


「へぇ……」

徹也は自分の中に沸いてきた妙な感覚に、少し戸惑った。


「うわ、高そうだな! 失くせないな!」


そうおどけて言いながら、裕貴は手の中の2つのアクセサリーを葉月に手渡した。


「ありがと」


「うん。しまっといて。それと、もう一つ言うとさ……」


「え……なに?」


「バスケにはそぐわないその大きなバッグ、ロッカーに入れない理由は大事な書類が入ってるから?」


「えっ」


「なるほどね、葉月らしいよ。見慣れないバッグだね。新品じゃん? それも……プレゼントなんじゃない?」


「……もう、ユウキが怖いよ。なんでもお見通しなんだから」


「あはは、だったら当てちゃおうかな。そのバッグの送り主はきっと……」


そこまで言った裕貴が口をつぐんで葉月の背後に目を移した。


「ん? ユウキ?」


そう言いながら葉月が後ろを振り向いた。


鴻上こうがみさん!」


葉月がおもむろに明るい顔をして、徹也を見た。


「本当に来て下さったんですね!」


そう言って近づいてくる葉月のその嬉しそうな表情に満足しながらも、徹也はそれを押し殺して、平然とした表情のまま言った。


「ああ、今日もしっかり働いてもらわなきゃいけないからね。従業員との約束は守る主義だし」


そう言いながら徹也は裕貴の方に歩み寄った。


「君がリュウジの付き人の大浜裕貴くん?」


「はい。はじめまして。ようやくお会い出来ました。野音フェスでもご挨拶出来なかったので」


「ウチの個展も来てくれてたんだってね。ごめんな、俺もいつも居ないから、ろくに挨拶もできてなくて」


「いえ、鴻上こうがみさんがご多忙なのは、葉月からもリュウジさんからも聞いて心得てますので」


徹也は、裕貴のその落ち着いた雰囲気と、誠実な受け答えに感心した。


「君ってさ、葉月ちゃんと同い年なんだって?」


「あ……はい。そうですが」


「そうは見えないなぁ。しっかりしてるから、てっきり20代中盤ぐらいかと思ったよ」


驚いた表情をしている裕貴を、葉月が覗き込むように見た。 


「ユウキ? どうしたの?」


「……いや、そんなこと言われたの、初めてで……」


「ん? そうか?」


「ええ。今でも高校生に間違われるので」


「あはは、そっか。その気持ち、わかるよ。俺もそうだったからね」


徹也が爽やかに笑う。


裕貴はそんな徹也の顔を不思議そうに仰いだ。


二人の会話をにこやかに見ていた葉月が言った。


「鴻上さん、先に体育館に行ってますね! ユウキ、私メンバーに挨拶してくるよ」


「そうだな。そのユニフォームもバッシュも 全部誕生日にもらったものだから、お披露目しなきゃな」


「うん! じゃあ鴻上さん、待ってますね!」


そう言って軽やかな足取りで立ち去る葉月を、徹也と裕貴は二人して見送った。


彼女の背中に目をやったまま、裕貴が言った。


鴻上こうがみさん、葉月に無理矢理連れてこられた口じゃないですか?」


徹也はそう言う裕貴の横顔に目をやる。

 

「その通り。従業員の日常を見ておくのも大切だとかなんとか、もっともらしいこと言ってたけど……あれはアキラの回し者だな」


「あはは、そうですね。リュウジさんもそうですけど、みんな仲間意識が高いんで。みんながみんな巻き込まれちゃって……ボクも大変ですよ」


「その割にはまんざらでもない顔だけど?」


「まぁ一応、遊び事なんで。っていうか、アキラさんとお知り合いでしたっけ?」


徹也は昨夜の『Blue Stone』でのやり取りを裕貴に話した。


「なるほど、まぁ……考えてみたらそうですよね? 先週、美波さんがここに来たんですよ。聞きましたか?」


「いや、聞いてないぞ。あいつめ……大方リュウジが目当てだろ」


「あはは、ボクがバラして良かったんですかね? 美波さんはリュウジさんと鴻上さんの高校のバスケ部のマネージャーさんだったんですよね? それでいて鴻上さんとも幼馴染だとか? そう聞きましたよ」


「そうそう。親同士が元々知り合いでね。美波はリュウジの大ファンだったから」


「それもご本人が言ってましたよ。観に来たのに、リュウジさんに頼まれて審判までしてくれました。いい人ですよね! 琉佳ルカさんのお姉さんなんですね。葉月もお世話になってるみたいだし」


徹也はからからと笑った。

「なんか、ユウキ君はさ、うちの会社Fireworksの人間とすっかり親しいのに、社長の俺だけほぼ初対面なんて、なんか変な感じだな」


「そうですね。なんだか勝手に知ったような気になってましたけど」


「俺もそうだよ、葉月ちゃんから君の話はよく聞かされてるからね」


「どうせ口うるさく思ってるんでしょ? そう聞いてませんか?」


「あはは、まさか。ずいぶん感謝してるって言ってたよ。君はまるで彼女のマネージャーみたいだな」 


「そんなことないですが……葉月はなんか危なっかしいでしょ? フェスの時もあんな様子だったし」


「それは言えてる。じゃあ……そんな君に、いきなりだけど、ちょっと聞きたい事があるんだ」


「葉月のことで、ですか?」


「ああ……引っ掛かってることがあって……というより彼女の中なかでの引っ掛かりを感じたんだ」


「引っ掛かり?」


徹也は、昨夜葉月に、今後『Eternal Boy's Life』の仕事を受けるにあたって、そのメインスタッフの一人に葉月を起用することを伝えた時の、彼女が見せた複雑な表情に違和感を感じたことを説明した。


「なにか『エタボ』との間で問題はないか?」


裕貴はかすかに神妙な表情を見せた。


「俺は『エタボ』の件に関しては、2つ返事でOKをもらえると思っていたから意外で……」


「え? 葉月が断るようなことはないですよね?」


「ああ、もちろん。嬉しいとまで言うんだけど、なんかね……」


「葉月の中では、二つ返事でOKしてるつもりだと思います」


「つもり? 君がそう言うってことは、何か引っかかる事があるんだな? メンバーとの間にってこと? それとも………リュウジ?」


「いえ、リュウジさんについては、むしろリュウジさんが『エタボ』に加入することを葉月も 喜んでると思います」


「待った! リュウジの正式加入のこと、君は知ってるの?」


「ええ、知らないのは本人だけです」


「マジか! それはやっぱ、俺がリュウジに言わなきゃいけないか」


「そうですね。ボクや葉月じゃなくて、鴻上さんかトーマさんでしょうね」


「近々、事務所に集結することも、リュウジは

まだ知らないんだよな?」


「すみません、伝えられてないので。そこにましてや葉月が加わるなんてこと、リュウジさんは全く知らないので……」


「わかった。折を見て、それなりのラインまで話す。正式なことを言うのはやっぱりトーマ君に任せよう」


「そうですね、それがいいと思います」


「じゃあそれについては、一度トーマくんと相談してから伝えるようにしよう。それはいいんだけど……その葉月ちゃんのわだかまりって、何なんだ? 君は知ってるんだよね?」


「ああ……それは……」


「ん?」


「ボクからは……言えません」


「なんだよそれ? 口止めされるようなことでも?」


「口止め……というか……うーん」


「煮えきらないな、彼女が、メンバーと恋に落ちたりしたようなスキャンダラスな印象は見受けられなかったけど」


「ええ。でも深刻な顔をしていたでしょう?」


「まあ、確かに……」


「最初のミーティングには葉月も同行させますか?」


「それは本人にも、もう伝えて了承を得てある」


「そうですか……」


「それ! その顔。君の今の表情と同じ顔を彼女もしていた」


「そうですか……」


「まあ……無理に聞き出すことはしないでおこう。何か知ってるのなら、彼女のサポート頼むね」


「わかりました。あ……」


裕貴が徹也の肩越しに、その背後に目をやった。


「おはようございます、リュウジさん」


その言葉に徹也は振り向く。


「よう! なんだ? 自己紹介は終わったのか? ほらよ!」


そう言いながら、隆二は徹也にシューズケースを放り投げた。


「おっ、サンキュー」


「こいつめ! 俺が何度誘ってもバスケに来なかったくせに、葉月ちゃんに言われたらコロっと来やがって!」


そう言いながらも、隆二は嬉しそうな表情を隠せなかった。


「俺は彼女に買収されたんだぜ」


「は? 物は言いようだな。まあいい、久しぶりだからって手加減はしねぇぞ」


「いやいや、お手柔らかに。こちとら、スポーツとは無縁のクリエイティブ稼業だ」


「ほざくな!」


「あはは」


徹也がちらりと時計を見た。  


すっと裕貴の肩に近付いて話す。

 

「ちょっと今は時間がないから、ひと暴れしてから少し触れてみるよ」


「わかりました」


「おい徹也! 更衣室、こっちだぞ」


「ユウキ君、またゆっくり相談しよう」


「よろしくお願いします。あ、ボクのことは呼び捨てで」


「了解、ユウキ! あとでな」


そう言って徹也は、隆二と肩を並べる。


ふと思い出した。

肝心の彼と葉月のことを聞きそびれた事を。


「リュウジ、葉月ちゃんと彼って……」


「あ? ユウキのこと?」


「あ……なんでもない。良く出来たボーヤだなと思ってな」


「ああ、無駄に洞察力があって抜け目なくてさ。絶対に中におっさん入ってるよなって、いつも葉月ちゃんと話してるんだ」


「確かに……」


そう言って振り向くと、そこにはまだ裕貴の姿があった。


軽く手を上げて更衣室に入る。


裕貴は、隆二と共に長い足で颯爽と歩くシルバーヘアの背中を見送りながら、また一つ複雑な気持ちを抱いた。


第123話 『Birthday Present』ー終ー

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