第119話 『Surprise』

自らが “モーショングラフィックデザイナー” として大手製作会社から独立し、設立した 『form Fireworks』の代表として、鴻上こうがみ徹也は日々忙しく国内外を飛び回っている。


そんな多忙な社長から、仕事が終わったら 『Blue Stone』に来るように言われていた 葉月が店に到着すると、既に到着していた社長と隆二の代わりにカウンターに入っていた アキラが親しげに話していた。


高校時代、隆二とチームメイトだった徹也は、現在隆二とチームメイトである晃と、引退試合で対戦していたそうだ。


花火大会のエピソードで晃に詰め寄られた二人は、笑いながら外に逃げる。

徹也に連れ出された葉月は、ディナーへ向かうことになった。




洗練された高級車の助手席に、緊張気味な面持ちでちょこんと座る葉月を乗せて、徹也は海沿いの道をひた走る。


海が間近になると、葉月は窓の外を食い入るように眺めた。


「どうしたの? 夜の海なんて何にも見えないじゃない?」


「そうなんですけど、よく考えたら今年の夏、全然海に行かなかったなぁと思って」


「ああ、そうだな。花火大会に野音フェスか。そこから戻ったらウチFireworksの仕事だもんな」


「はい」


「海、好きなの?」


「ええ、花火大会と同様に、目にするだけで夏を全身で感じられるので」


「君らしい表現だけど、じゃあ冬の海は?」


「そうですね……まだ知らないかも」


「知らない?」


「誰かと共有したことがないです。そうですね……まるで “海の家” みたいに、秋が近付いたらお店をたたんで、次の夏までは閉店しちゃう、みたいな……」


徹也は前を見たまま優しい表情をしている。


「なるほどね。経験値を上げれば、君の感性も益々アップするってことだな。よぉし、俄然、ノってきた!」


「え?」


「さあ、着いたよ」


不思議そうな顔をした葉月に微笑みかけて、徹也は彼女を車の外に促した。


潮の香りがフワッと漂って、なんだか懐かしいような気分になった。


「わぁ!」


葉月は息を吸い込んだまま一瞬言葉を失った。


降り立ったその場所は海辺の公園のような、だだっ広い空間で海が目の前にあり、そこからまるで船の甲板のような木製の床が続いていた。

そこをカタカタと音をたてながら歩いていると、潮の音が聞こえてきて、まるで大きな豪華客船にでも乗っているかのような錯覚に陥る。

 

「綺麗……」


思わず吐息混じりで声を発した葉月の横で、徹也は微笑ましくその様子を見ていた。


漆黒の海が時折夜景に照らされてキラキラと反射し、そびえ立つ巨大な吊り橋は圧倒されるほど迫力があった。

そしてその吊り橋を彩る七色のイルミネーションはその形を際立たせ、絶妙なグラデーションで美しさに満ちていた。


海沿いの素晴らしいこのロケーションに立地するイタリアンレストラン『ギャレットソリアーノ』


入店すると、徹也の顔を見た支配人ディレクトールが、すぐさま女性オーナーを連れてくる。


「いらっしゃいませ、鴻上様。本日はお越しいただきましてありがとうございます」



一番奥の大きな窓際の席に案内された。

その巨大な窓からは、漆黒のキャンバスに描かれた、煌びやかなイルミネーションが反射し、そびえ立っている吊り橋の迫力に華を添える。


「ここからの眺めも素敵ですね。まるでスクラッチアートみたい……」


うっとり窓の外を見つめる葉月を徹也はじっと見ていた。

葉月が何気なく振り向く。


「鴻上さん?」


「いや……君の感性にいたく共感したからさ。感心した」


「うわ、スーパークリエイターに誉められた!」


「こら、茶化すな! 真面目な話、君をうちに巻き込んだのは、君の感覚に俺が衝撃をうけたからなんだ」


「そんな……衝撃的な事を言った覚えはありませんよ? あ! もしかして、再会した2回目の 『Blue Stone』でですか! 私……あの時はだいぶん酔ってて……寝ちゃったりして殆ど覚えてなくて……変なコト言ったんじゃないですか? ああ、もう! あの日の事は……」


「あはは、違うよ。面白いなぁ……そんなに焦んなくてもいいのに。あの日だって……まぁ確かに酔ってた君は面白かったけどね。どちらかというと、もともと抱いていた “勘” みたいなものが確信に変わった日って感じ」


「え? どういう事ですか?」


「実はさ、初めて会った日から、感じてた」


「……花火大会の? 二時間しか一緒に居てませんでしたけど……」


「そうだな、でも俺みたいな、瞬間を演出するクリエイターにとって、何かを感じるのには数秒で充分ってこともあるんだ。実際、君の言葉や仕草、視線だって、俺にとっては注目すべきポイントになる。君はどう? あの花火の下で何か感じた?」


葉月はあの日に思いを巡らせた。


花火の下で見た彼の目の中に映る花火と、その首を滴り落ちる水滴に投影された光のグラデーションが目の奥に浮かんで、頬が紅潮していくのを感じる。


「ん? どうした?」


何気なく覗き込む、その優しい視線の奥にある少年のような瞳と、それに反するような包容力を感じさせる声のトーンに、ドキッとした。


「いえ……あの花火には、かなり感動してしまって……もう動転していたに近かったかもしれません」


「そういう言いかたも君らしい。あの日、君はそれまでの自分から一歩踏み出したんだ。実際には、まだ君についてなにも知らなかった俺は、泣いてる君を見て、君がこれまでの日常に戻ることを願っているんだろうと思ったから、そのまま帰したんだけどね」


「え?」


「だから『Blue Stone』に行かなかった。行って君に会えば、俺は俺の意思で君を動かしてしまうような気がしたから。でも君があそこに通っているっていうのを聞いて、“そうか、あれから彼女に何か変化が起きたんだ” って思って……そう思ったらもう、足を踏み入れてた」


「鴻上さん……」


「実際はさ、君とリュウジがあまりにも親密だったから、“なんだよそっちかよ” って気持ちになって、結構意地の悪いことも言っちゃったけどな。そこは俺も幼稚だなって、後から反省したよ」


葉月がフワッと笑った。


「俺はさ、この海を見てスクラッチアートだと思う君の、その感性をかいたいんだ」


「感性……ですか?」


「ねぇ葉月ちゃん、学校が始まっても、このまま俺のそばで、その感性を見せ続けてくれないか? 東雲しののめコーポレーションの仕事は、むしろ続けてもらっていいから、『Fireworks』で、インターンのつもりで来てもらえない?」


「凄く……嬉しいです。そんな素敵な世界をこれからも近くで見せてもらえるなんて」


「違うよ、これから君はただの観客じゃなく創造していくんだ。決して観客の心を失わないようにしながら、あらゆる想像と発想にワクワクしながら、それを俺に伝え続けてよ。……そう、あのフェスで、PAブースで再会したときの君のような……あのままの君でさ」


葉月の目は潤んでいた。

なぜかわからない……

あのフェスで感じた多くの感動が一気に押し寄せて、彼女の胸を強く圧迫する。


「ん? どうした?」


またこの声、この表情だ。

もうダメ……


彼女の瞳がオーバーフロートした。


「ちょっと……どうしたの!」


「ごめんなさい……コントロール苦手で」


徹也は優しい目で、見下ろすように葉月に目を向ける。


「君の感性は俺が思っている以上に満ち溢れている。まるで源泉みたいにね。せっかく溢れているその感性を、日常で流してしまったらもったいない。なら、それを全部有用に撒き散らせるキャンバスを提供するよ。そこで出た君のコントロール不能な想いは、全部俺が受け止めてあげるから」


葉月はしばらく下を向いたまま、涙を落とした。

膝にかけられたナフキンに幾重にも水滴の波紋が重なるのを見ながら、熱くヒリヒリとした胸に手をやる。

葉月はこの上ない幸福感を感じた。


「……大丈夫?」


そのまろやかな声に顔を上げた。


「はい」


最後の一粒が頬を伝った。


徹也はゆっくりと腕を伸ばして、その指で彼女の涙を捉えた。

そして、その手をそっと頭に置いた。


「乾杯しようか」


「ええ」


グラスを交わした音と共に、 店内の照明が全て落とされた。

各テーブルのゆらめく小さなキャンドルと窓の外の壮大な美しいイルミネーションが、その暗闇を演出していた。


「……え? 何ですか?」


Happy Birthday to You

Happy Birthday to You

Happy Birthday Dear Hazuki

Happy Birthday to You


3人のゴスペルシンガーがやってきて、オルガンの音とともにこの曲を歌った。


店内の客も全て、彼女を祝福した。

21本のろうそくの乗った大きな生ケーキが、二人のギャルソンの手で運ばれ、彼女は満面の笑みで、とまどいながらもそれを吹き消す。


大きな拍手に包まれた。

そして女店主が徹也の後ろに大きな紙袋を置いた。

そこから徹也が取り出したのは、ダークレッドの薔薇のみで埋まった花束だった。


「うわ……この色!」


「え? わかるの?」


「はい。この前の東雲しののめのブライダルフェアで見たんです。この薔薇の品種、『ブラックティー』ですよね?」


「そう! 正解」


「素敵……ありがとうございます」


彼女は嬉しそうにその花束をずっと離さず持っていた。


大きな生ケーキはカットされ、その店にいる全ての客に振る舞われた。


「鴻上さん、こんな素敵な演出……ありがとうございます」


「気に入った?」


「なんか結婚式みたい。この前のブライダルフェアでは、ホントこんな生ケーキで新郎新婦でケーキカットしてて素敵でした」


「じゃあ今日も俺たちでケーキカットすればよかったなあ? ブーケもあるんだし、いっそのこと結婚して……」


「なに言ってるんですか……」


恥ずかしそうにする彼女の顔を、徹也はチョンと突いた。


「ごめん、昨日パーティーに行けなくて」


「いえ、こんな風にサプライズしてもらって、本当に嬉しいです」


「せっかく二人きりなんだから、ロマンチックに演出したいじゃない? 俺みたいなクリエイターとしては」


「そうですね」


葉月の心の中にも、今まで感じたことのない音が、何かを奏で始めた。



第119話 『Surprise』ー終ー

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