第21話 『Who Is The Unique Guide?』

野音フェスの会場に着く頃には、夕日が傾きかけていた。

視界が開放されるような、広大な芝のグランドが果てしなく続き、スケールの大きさを見せつける。


「うわぁ……こんなに……広いんだ!」

いったい何万人入るのだろう、改めて規模の大きさに驚く。


ステージの手前に並ぶいくつもの柵のコーナーは、そのひとつだけでも運動会が開催できるほどの広さだった。

そのブースが、もう視界から見えなくなるほど向こうにまで続いている。

方や、鉄骨で組み上げられたステージは、一体ビルの何階分くらいあるだろうか、屋根までが果てしなく高く、その間に設置された巨大スクリーンは、目視できないほどの後方からも、アーティストのパフォーマンスがしっかり見られるように縦横ともに大規模で、それがステージセンターだけでなく、更に左右に二枚ずつ設置され、まるで都会の高層ビルがいくつも立ったような壮大な建造物と化していた。


今はそこにうっすらと夕焼けのオレンジがかかり、バックの深緑と相まって絶妙なコントラストを醸している。

ここにどんな演出があるのか、とワクワクせざるを得ない。


うっとりと眺める葉月とは裏腹に、裕貴は焦っていた。


「やべぇ、日が沈む前にレベル調整しないと! ごめん葉月、ボクはPAエンジニアのところに行って、さっそくドラム叩かないと。この舞台の裏に、簡易型の控え室がいくつもあるんだ。多分その辺りに元締めの人が来てくれる筈だから、悪いけどさ、ここからは一人で行ってきてくれる?」


「うん、わかった」


「ごめんな、じゃあね」


「私は大丈夫! ユウキ、頑張って!」

裕貴に手を振った。


バタバタと裕貴が走って行くのを見送って、PAブースの逆側から舞台の裏側に回った。


裏に回ると、その壮大な建物がすべてハリボテであることに、改めて気づく。

舞台までには、演出用のエレベーターがあったり、色々な複雑な装置があって、それだけでも見て回りたいぐらい、面白そうだった。


PAマイクの声がして、トントンとテスト的にドラムを叩く音がした。

静かな会場に響く重低音は、それだけで胸を高鳴らせてくれた。

前に隆二とショッピングに行った時に、少しだけレクチャーを受けたので、裕貴が今どのパーツを叩いているのか、大体わかるようになっていた。

葉月は、足取りも軽く舞台裏を進んでいった。


簡易の控え室が沢山並んだ廊下の前に差し掛かると、そこに一人の男性が立っていた。

スタッフTシャツと、その揃いのキャップを目深にかぶり、少し長めの髪が顔を覆い隠すようだった。


勝手に思い描いていた “爽やかお兄さん” のイメージを、大きく覆す風貌……

黒いマスクをアゴにずらしたまま装置していて、おまけに今どき珍しいくらいの、度のキツそうな黒縁メガネをかけている。


「あの……スタッフの総括の方ですか?」


「はい、お待ちしてましたよ、白石葉月さん」


名前を呼ばれて、葉月はホッとした。

「わざわざありがとうございます、この度はお世話になります。私、お役に立てるか自信がないですが、お仕事を教えて頂けたら精一杯……」


「あははは」

その笑い声は、風貌とは全くイメージのちがう声だった。


「カタイですね。野音フェスですよ? 楽しまなきゃ!」


葉月はパッと顔を上げてにっこり笑った。

「そうですよね!」

彼もにっこり笑った。

白い歯がとてもきれいだった。


「じゃあ今から、このセットの案内、しましょうか?」


「ホントですか! お願いします! 実は私、凄く気になっていたんです」


「そう? よかった。では行きましょうか」


彼が歩き出したので、葉月はあわてて彼を呼び止めた。

「あの……まだ、お名前伺ってないので……」


「ああ、失礼しました。僕は総括の渡辺貴良といいます。みなさんからは“タカヨシさん”って呼ばれてるんで」


「わかりました。タカヨシさん、よろしくお願いします」


「僕はあなたのこと、なんて呼べば?」


「ああ、お任せします」


「じゃあ、葉月ちゃん……でも、いいかな?」


「ええ、もちろん」


「馴れ馴れしくないですか?」


「いいえ、実は今日初対面の人と一緒に車に乗せてもらって来たんですけど、その人は私と同い年だからって、いきなり呼び捨てで敬語もなくて……あ、ご存じですよね? ドラムの水嶋隆二さんの付き人の大浜裕貴くん」


「あ、ボーヤのあいつか……」


「え?」


「いえ。彼のことは知っていますよ」


「最初は馴れ馴れしいなって思ったんですけど、本当にすぐに打ち解けちゃったんで、彼の方針は正しかったんだなって。なのでタカヨシさんも、私には敬語は使わないでくださいね! 年下ですし、ここでは部下なんですから」


彼はまた白い歯を見せて笑った。

「了解! じゃあ早速、ステージ下の装置から見せてあげるね」


「わ! 楽しみです!」


迷路のように、沢山の鉄柱が立ち並ぶそのスペースには、簡易のメイク室や更衣室等もあり、高さも充分あるため舞台の下ということを忘れてしまいそうだ。


彼は、花火の装置やエレベーターについて、そして現場スタッフが、ここでどのようにアーティスト達のケアやサポートをしているのかを、詳しく教えてくれた。


その風貌とは相まって、ユーモアがあって饒舌なタカヨシの話に引き込まれながら、あらゆるブースを見て回る。


さっきまで聞こえていた裕貴のドラムの音は、いつの間にか消えていた。


配線の束の横に、天井が空いたスペースがあった。


「葉月ちゃん、この一段高くなってるところに乗ってみて」


「でも、これって……」


「そう、ボーカルの立ち位置。今からこれに乗って、上に上がってみよう!」


「え! いや、でも……」


「いいから! ほら乗るよ!」 


「あ!」

ふらついた葉月を支える。

「おっと! 気を付けて」

フワッといい匂いがして、驚いて彼を見上げる。


「じゃあ行くよ! この景色、よく見といて!」


彼がスイッチをオンした。

ブーンという音と共に、床が押し上げられていく。


沈みかけた夕日が残した、薄紫の空が現れた。

そして更に上がっていくにつれ、目の前に広がる壮大な観客席。


「当日は、今見えているスペースすべてが、人で埋まるんだ。埋まるだけじゃなくてそれだけ大勢の人間が、ここで一つになる。みんなが感じて、みんなが叫んで、みんなが歌い踊るんだ」


「凄い……これが、キラが見ている景色……」


彼は、そう呟いた葉月の顔をまじまじと見た。


彼女は口許を両手で覆って、小刻みに震えながら、大きく見開いた目を潤ませて、その景色を見入っている。


「本当に……最高の景色ですね。これを見て、みんなの歓声も聞いて、それを受け取ったキラが、また私たちに最高の夢をくれるんですね」


「ああ、そうだよ。アーティストは一方的に与えているだけじゃない、ちゃんとファンの心も、もらってるんだ」


感極まった葉月は、言葉を失ったままその景色を見渡していた。

そして、深呼吸するように、大きく息を吐いた。


「武道館ライブに行ったときにね、キラがそんなこと言ってました。でもその時は、実感がわかなかったんですけど……今初めてそれが本当だって、知りました」


嬉しそうに微笑む葉月の目から、涙がひとしずく落ちた。

思わず手を伸ばしてしまったタカヨシを、葉月は少し驚いた顔で見た。


「あ、ごめん」


「いえ、私の方こそすみません、感極まってしまって。あまりに素晴らしいので……タカヨシさん、見せて頂いて、本当にありがとうございました!」

葉月は勢いよく頭を下げた。


「よかった」

タカヨシは彼女に微笑みかけ、そして自分ももう一度、その景色を見渡した。


「じゃあ次はステージ機材、見ていく?」


「いいんですか?」


「何が見たい?」


「ドラムセット!」


「うわぁ高い! 転がり落ちそうで怖いくらいですね。ここにリュウジさんが座るのか」 

そう言ってドラムセットを慈しむように見ている葉月に、タカヨシは聞いた。


「水嶋……隆二さんとは親しいの?」


「説明すると長くなるんですけど、まだ知り合って数週間です。リュウジさんのお店の……まあ、知り合ってからは常連なんですけど」


「そうなんだ? ジャズが好きなの?」


「いえ、お酒も苦手だし、ジャズもあんまり知らなくて……リュウジさんに教えてもらってるんです。あれ? タカヨシさん、リュウジさんのお店がジャズバーだって、ご存知なんですか? 実はかなり親しいとか?」


「いや……えっと、去年、そう! 昨年度のフェスの打ち上げの時に聞いたんだ」


「そうなんですね! リュウジさんって不思議な人ですよね? 私、出会ってからしばらくして、一緒にバスケしたことはあったんですけど、ミュージシャンだっていう実感が持てなくて……つい最近になってようやく、私が持ってるCDも私が行ったライブも、全部リュウジさんが叩いてたって知ったんです。もう本当にビックリで!」


「そうか。葉月ちゃんは水嶋……さんとバスケしたりするんだ? 付き合ってるの?」


葉月は大袈裟に首を振った。

「そんな、まさか! 私なんか釣り合いませんよ。私が『エタボ』の熱狂的ファンだってわかったから、親切で連れてきてくれただけだと思います。もちろんめちゃめちゃ感謝してますよ」


「へぇ、熱狂的ファンなんだ? それって……キラ?」


「もちろんキラも好きですけど、トーマのベースがたまらなくて……もう今から、緊張してるんです。生で見たりしたら、失神するかもって!」


「ふーん、そんなにトーマが好き?」


「というより『エタボ』メンバーなら誰に会ってもヤバいと思います。黙々とギターを弾くハヤトも素敵だし、トーマは立ってるだけでカッコいいし。でもあのキラの声……ハイトーンなのにはがねみたいな声が凄く好きなんです。もろそうなのに凄く強い。歌詞も、強いけど弱い部分も見せてくれるような、温かくて、守られてるようでいて、でも守ってあげたくなるような……キラのメッセージはいつも心の奥底まで届くって言うか……もうキラの世界に引き込まれてしまっているんです」


「……そうなんだ」


「あ! ごめんなさい! 私ったら、ついついアツく語ってしまって……引いてますよね、恥ずかしいな……ホント、すみません!」

葉月は頬を紅潮させて、しどろもどろになった。


「いや、そんなことない……いい話が聞けたよ」

タカヨシはまた白い歯を見せて、葉月に笑いかけた。


第21話『What is a unique guide?』ー終ー

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