第22話 『What is his identity?』

舞台から降りても、葉月の顔は依然上気したままで、まだ夢の中にいるような表情だった。


そんな彼女を、微笑ましく見つめながらタカヨシが言った。


「暗くなってきたね、そろそろ葉月ちゃんを合宿所に連れて帰ってあげないとね」



2人が歩き出した時、葉月のスマホが鳴る。

隆二からだった。

リハーサルが一段落ついたから、裕貴と2人で合宿場に向かうというメッセージが入った。

裕貴もあの後、会場の音出しを終えてからペントハウスのスタジオの方に移ったらしい。


2人は合宿所に向かって、暗くなりつつある道を、肩を並べて歩いていた。

虫の声が心地よく、森の深さが自然を感じさせる。


「この辺りはまた雰囲気が違いますね」


「うん、静かだろ?」


「ええ、この緑の匂い……なんだか高校の時のキャンプを思い出します」


「キャンプか、テント張ったりバーベキューしたり?」


「はい、あとはキャンプファイヤーとか、あとはみんなで花火とか!」


「いいね! 夏だもんな……そういう遊び方、しばらく忘れてた」


「そうなんですか? タカヨシさんは大学院生ですよね? お友達とレジャーに出掛けたりしないんですか?」


その質問にタカヨシはくうを見つめた。

「あ……そうだな、サークルの仲間とかと……海に行ったり山に行ったり? よくしてたよ」


「へぇ、何のサークルですか?」 


「何の? あ……えっと、バスケのサークル、かな?」


「え! タカヨシさんもバスケを?」


「ん、まぁ、高校までだけど」


「私もです! わあ、じゃあリュウジさんとも話が合うでしょう?」


「水嶋……さんと? いや、あ、まあそうかな。……あの、ところでさ、さっき誰から連絡入ったの?」


「ああ、リュウジさんです」


「また水嶋……さん。そっか」



「あ、タカヨシさん、あそこに見えてきた明かりが合宿所ですか?」


彼が顔を上げた。

「うん、そうだよ。近いだろ?」


「ホントですね!」



葉月は立ち止まって彼に向き合った。

「あの、タカヨシさん」


「ん? なに?」


「今日は舞台を見せてもらって、ホントに感激しました。ありがとうございました!」


タカヨシは一息ついて、また白い歯を見せて微笑んだ。

「いやいや、喜んでもらえたなら良かったよ」


歩き出した葉月も、肩が触れそうな距離で微笑んでいる。


「そう言えばタカヨシさんって、何にでも詳しいじゃないですか? やっぱり何か音楽に関わる事をされてるんですか?」


「あーまあ……こんな仕事をやってるぐらいだからね」


「楽器ですか? エンジニアとか?」


「えっと、歌……」


「歌? ボーカルなんですか!」


「いや、コーラス……とか?」


「コーラス? じゃあバンドのバックで歌ったりとか?」


「まあ……そんな感じかな」


「どんな音楽が好きなんですか? エモとかラウドロックあたりですか?」


「それって僕のイメージ?」


「いえ、そういうわけじゃないですけど、やっぱり毎年フェスに来る人だから、そういうのが好きなのかなーって」


「うーん……どんな音楽………ね? そうだなあ、基本的には何でも聞くんだけど」


「それか、『Eternal boy's Life』 のファンとか?」


「ファン?! あー、まぁそうかな?」


「今回は『エタボ』がメインですけど、前半はいろんなバンドが出てきますよね?  その辺りの人達もやっぱりタカヨシさんは交流あるんですか?」


「ああ、今年もいろんなバンドいたよ。ペントハウスにも挨拶しに来てたし」


「ペントハウス?  タカヨシさんもペントハウス行ったりするんですか?」


「あ! いや、あの……ほら、一応『エタボ』のメンバーにも挨拶しなきゃいけないし」


「へぇ、こっちの現場仕切ったり人員を配置したりもしてるのに、ペントハウスまでケアしに行ってるんですか! ホント大変なんですね」


タカヨシは汗をぬぐいながらも、ほほえましい彼女の質問に答えているうちに、なんだか楽しくなってくるのを実感していた。


「タカヨシさんって忙しいんですね。私でお役に立てることがあったら、どこへでも走りますんで、何でも言ってくださいね!  あ……と言いつつ、初心者の私がバタバタしたりしても、足手まといかもしれませんけど」

葉月は肩をすくめてみせる。


彼女のまっすぐな気持ちに、少したじろいだ。

「……そんなことないよ」


「とにかく頑張りますんで! 明日からよろしくお願いします!」


その笑顔に、少し息をついた。

「そんなに頑張らなくてもいいのに。それより絶対お願いしたいのはさ、音楽を楽しんで帰ってほしいってことかな。でなきゃここに来た意味はないからね!」


その言葉に、葉月の顔がみるみる明るくなった。

「ホントそうですね、ありがとうございます!」


タカヨシは頷いて、また白い歯を見せて微笑んだ。


「もうじき来るって?」


「リュウジさんですか? はい」


「そっか、じゃあそれまで、もうちょっと 合宿所の周りの案内をしてあげるから、ちょっと奥に行こう」


そういってタカヨシが葉月の手首を引っ張った瞬間、後ろから声がした。


「あれ? 葉月?」

裕貴の声だった。


葉月が振り向いた時に、タカヨシはスッとその手を離した。


「ああユウキ、おかえり!」


「ごめんな。ボク、葉月の携帯の番号聞くの忘れたまま別れちゃって……だからドラムのリハが終わっても連絡もできないから、ペントハウスのスタジオに戻って、隆二さんから連絡してもらったんだよ。心細くなかった? ちゃんと案内してもらえたの?」


「もちろん! すごく親切にしてもらったの」


「そっか、良かった。で? どうしてこんなところに?」


「だから、この合宿所も案内してもらってるのよ」


「え?  総括の人はどこ?」


「横に……あれ? どこ行ったんだろう? 今までここにいたけど……」


少し離れたところの暗がりに、人影があった。


「いやだ、びっくりした! タカヨシさん、どうしたんですかそんなところで?」


彼は後ろを向いたまま、こちらに背中を向けて立っているだけで、動かなかった。


「は? タカヨシさん? 葉月、誰だそれ?」


「え……?」


その言葉に思わず裕貴を振り返る。

裕貴はその人物から目を離さないまま、葉月のそばに寄っきて、小さな声で囁く。


「葉月、あれは総括の人じゃないぞ。総括の人は確か……山下さんか山内さんか……そんな名前で、もっと大柄でいかにもスポーツマンってタイプだったはずだ」


「え? うそ! タカヨシさんは、なんか度がきついメガネで華奢な……」

そう言いながら彼を見る。


その時、裕貴が大きく息を吸い込む音が聞こえた。


「ユウキ? どうしたの?」


裕貴が目を見開いて、彼を指差した。

「葉月……」

裕貴は少し震えた声で言う。


「どうしたの? ユウキ、変よ?」


「葉月、ボクと会場で別れてさ、あれからずっと彼と一緒に居たってこと?」


「ええ、そうよ。とても親切に会場の説明して回って下さって」


「落ち着いて聞けよ……」

裕貴がそう言いかけたとき、その彼の肩越しに隆二がこちらに歩いて来るのが見えた。


「葉月ちゃん、お疲れ! 待たせたね」

そう言ってこちらに向かおうとして、そこに立っているタカヨシを目に止めた。


隆二が彼の前に立ちはだかるような格好で、立ち止まった。


「あ? お前……何だその格好! スタッフTなんか着やがって。こんな所で何してんだ! お前、何でスタジオに来ねぇんだよ! シカトしてんじゃねーぞ、渡辺!」


その言葉に、葉月がパッと顔を上げた。

「渡辺……?」


裕貴がため息をついて下を向く。


隆二は更に、彼につかつかと歩み寄ると、パカッとその頭からキャップをもぎ取るように外して、更にそのキャップで頭をバシンと叩いた。


「ったく! 悪ふざけはやめろよ。なんだそのメガネは」


すると、タカヨシが反撃に出る。

「うるせぇ! それが久しぶりに会ったヤツに言うことか? 相変わらずガヤだな、お前は!」


「なんだと! ってかお前、今日一日何してたんだ! リハ、サボりやがって! なんでここに居るんだ?」


言い争いは続くも、その声の内容も、もはや聞こえなくなるほど、葉月は凍りついていた。


裕貴は、お手上げというように頭をかいている。


「ユ、ユウキ」


「あ……葉月、大丈夫?」


「ユウキ……」


「ダメ……みたいだな」


「あの人本当は……誰だって?」


「渡辺さんだな」


「渡辺さん……もしかして」


「そう、もしかしての渡辺さん」


隆二が絡んでいるその相手は、隆二の悪戯な手を交わしながら、葉月の方を向いた。


彼は顔を覆うさらっとした前髪を、勢いよくかき上げ、眼鏡を外すと、その大きな目で葉月にバチッとウィンクをした。

そして大きく舌を出すと、不敵な笑みをうかべる。


葉月が大切にしている『エタボ』の写真集『JEWEL LIKE FOOTMARK』の中でいつも見ている、キラのオフショット写真と瓜二つだった。


葉月が両手で口を押さえて大きく息をついた。

膝の力が抜けて、意識が遠のきそうになった葉月を、裕貴はサッと支えた。


「まいったな! 葉月、とにかく合宿所に入ろう」


裕貴が葉月を抱えるようにしているのを見て、隆二がこちらを向く。


「あれ? ユウキ、葉月ちゃんどうかしたのか?」


「リュウジさん、先に中に入ってますんで、詳しいことはキラさんに聞いてください!」


第22話『What is his identity?』ー終ー

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