第20話 『To A New Frontier』

「なんだ? この渋滞は」


葉月はその声に目を覚ました。

厳密には、自分が眠りに落ちたことに気づいていなかった。


「あれ? 寝ちゃってた?」


体を起こすと、肩にかかっていたタオルが、はらりと手首のところに落ちてきた。

「あれ? タオル?」


「リュウジさんがかけてくれたよ。後ろから」


後ろを振り向くと、渋滞を見るために前のめりに座っている隆二の顔が、すぐそばにあった。


「あ……ありがとうございます」


「いえいえ、寝てたら肩が冷えちゃうかなぁと思って」


「いつも思うんですけど、リュウジさんって、本当に気が利くんですね」


「まあ、ウチの店にいると、色々な女子が俺目当てでやってくるからね。必然的に女の子に優しくなるってわけよ」

そう言って隆二は、挑発的な視線でぐぐっと顔を近づける。


「な、なんか、軽っ!」

葉月が、手早くタオルをたたみ、それをポンと渡してプイっと前を向いた。


今度は裕貴に向かって話す。 

「ごめんね寝ちゃって。ユウキだって眠いよね」


「ホントだよ! でも大丈夫、あんなにゴーゴーいびきかかれたら、さすがにボクだって眠くなんないわ」


「……いびき?」

葉月が真っ青な顔をしたので、隆二が裕貴 をたしなめる。


「こら! 葉月ちゃんをいじめるな!」


裕貴はカラカラ笑った。

「うそうそ!」


「ひどい! 初対面なのに、そんなひどい意地悪言うなんて! 本気で焦ったんだから」


「葉月こそ、初対面なのにあんな無防備な寝顔見せちゃってさ。運転してなかったら襲っちまうところだったよ。うわっ! 痛えっ!」

裕貴はまた後ろから、スティックで殴られた。


「だから、からかうなって言っただろ」


葉月はちょっと恥ずかしい顔をしながらも、整然と言った。

「それをリュウジさんが言います? いつも私のことからかってばっかりなのに」


「違うよ、葉月ちゃんをからかうのは俺の専売特許だっていうこと。ユウキ! ガキのくせに、色めいた事言うんじゃねぇ!」


「リュウジさん、そりゃ、あんな環境にいたら、ボクだって男になりますよ!」


「それってどういう意味?」

葉月がきょとんとした顔で言った。


それをルームミラーで見た2人は、笑い出した。


「なに?」


「いいの、いいの!  葉月ちゃんは何もわかんなくて」



「しかし渋滞続きそうだなあ、一体何が原因だ? 事故か?」


「わかりません。何か別のイベントでもあったのかも。夏休みも、もうすぐ終わりですしね」


「わりと順調に来たと思ってたんだけどな、こりゃ遅れるな」


「リハーサルって、もう始まってるんですか?」


「まぁ、初日はどっちかって言うと、楽曲のリハじゃなくて、現地の音バランスの第一段階……あんまり詳しく言ってもわかんねぇな、とにかく野外ステージだから明るいうちにやっちまおうと思ってたんだけど、まぁ、誰か代わりに太鼓の音調節してるだろ」


「じゃあ現地に着いたら、ボクが微調整しときますよ」


「おう。ユウキ、頼んだ」


「じゃあ先にリュウジさんはスタジオの方に送りますね」


「そうだなぁ。ユウキは会場の方に行くから……葉月ちゃんを連れて行けるな。あ、そう葉月ちゃんさ、現地スタッフの総元締めのヤツがいるから、そいつにスタッフの皆を紹介してもらって交流深めててよ」


裕貴が心配そうな顔で言った。

「最初からひとりぼっちで大丈夫?」


「あ、全然大丈夫! 私そういうの全然平気なの」


「さすが体育会系だな、その元締めってヤツは、毎年来てる信頼できるしっかりした人間だから心配ないよ! 現場スタッフも葉月ちゃんに歳も近いだろうし、たくさん友達できるかもな」


「それは楽しみ!」


「すごいね葉月、アクティブ! ボクならお腹が痛くなりそうだ」


「そうだなぁ、ユウキはこう見えて意外と人見知りだしね」


「人見知りではないでしょう? 私ともこんなに話してるし、初対面なのに呼び捨てだし」


「違うよ、葉月が特別喋りやすいだけだろ」


「そう? 光栄に思っとくわ」



「もう着きますよ、リュウジさん」

裕貴が車を回しながらそう言う。


「ご苦労さん」

隆二はヘッドホンを外しながら、グンと伸びをした。


そうは言われても、どこにスタジオがあるのか全然わからない。


鬱蒼とした森があって、ポツンとある門の中に、何やら建物が見える。

ツタが這うようなアンティークな門から、車でググっと中に入ると、外からは想像できない広々とした空間が現れた。

白亜の建物があって、まるで異人館? いや、ビバリーヒルズのような佇まいだった。


何台か車が停まっている所に隆二の Range Roverも駐車したが、その回りにはどれも目を見張るような高級外車ばかり。

この車に、それぞれ『エタボ』のメンバーが乗っていたのかと思うと、頭の後ろから カッと熱くなるような気持ちになって、少し足がすくむ。


「どうしたの? 葉月ちゃん」

隆二が荷物を持ちながら、葉月に問いかけた。


「いや、すごい建物だなと思って……」


「ああ、ここはスタジオ完備の宿泊施設なんだ。他のフェスの出場者は合宿所付近に泊まってると思うんだけど、『エタボ』メンバーは毎年ここに宿泊するんだ」


「ボクらは荷物を館内に運んでくるから、ちょっと葉月はここで待ってて」


「じゃあ葉月ちゃん、俺はリハにこもっちまうけど、しばらく自由に過ごしててね。ごめんな」


「とんでもない。私のことは気にしないで、リハーサル頑張ってください!」


隆二と裕貴が荷物を持って中に入っている間、葉月は辺りを見回しながらスマホを取り出した。

地図アプリの航空写真で現地を見てみる。


「わぁ! この奥って更に広くなってるのね」

上空から白亜の建物にズームアップする。

屋上のブルーの長方形は、きっと屋外プールだろうと思った。

「すごい豪勢な建物ね……」


その時、駐車場で何かが動いたように見えた。

ハッとしてそちらに目をやってみるも、ただ車が並んでいるだけだった。

なんとなく視線を感じたような気もしたので、散策がてら車の方に近づいてみた。

見れば見るほど絢爛豪華な外車の列が、眩しかった。


「ひょっとしたら、動物か何か、いたりするのかな?」

暫くキョロキョロしながら車の下を覗いた。

「リスとか、いそうだもんね? タヌキとか? でもさっきの影はもう少し大きかったような……まさか熊だったりして! それならもっと存在感あるよね?」

ブツブツ言いながら、妙にワクワクするのを感じていた。


「葉月!」

裕貴が大きな声で呼びながら、小走りで帰ってきた。


「お待たせ! じゃあ会場に行こう」

2人は車に乗り込んだ。


「葉月、あそこで何してたの?」


「なんか動物がいたみたいだったから、見に行ってたの。しかし、すごい建物よね!」


「そうだなあ」


「泊まってる車も凄かったし」


「だな。ボクも中に入って早速メンバーに挨拶してきたんだけど、やっぱり何回会ってても最初は少し緊張するよ」


「えっ! メンバーが普通に居るんだ……あの建物の中に」


「当たり前だろ? リビングにいたよ。柊馬トーマさんと颯斗ハヤトさんと、ピアノのアレックスさんもいたな。あ、キラさんだけ見かけなかったけど」


葉月がフーっと大きく息をついたので、運転しながら裕貴がその顔を覗き込んだ。


「どうしたの? 葉月」


「私、荷物運ぶの手伝いましょうかって、言わなくて良かったーと思って……」


「なんで?」


「無防備に中に入ってメンバーに遭遇したら、そこで失神だもん」


「あはは、葉月、言ったろ? そんなんじゃこのフェスの最後まで心臓持たねえよ!」


「そうだろうけど……」


「彼らはね、スタッフとの親交も熱いよ。今夜かどうかはわかんないけど、夕食で合宿所の方に来ることもあるんじゃないかな?」


「え! メンバーが来るの!」


「そうだよ。とにかくアットホームな人たちだから。とか言って、ボクも最初は緊張したよ。だから葉月の気持ちも分からなくもないけどね。とは言え、慣れとかないと仕事になんないだろ?」


「どうしよう! ユウキ、私どうしたらいい?」


「簡単さ、彼らを同じ人間って思えばいいのさ。みんな、本当にフラットでフランクな人たちなんだから」


「そんな簡単には……」

葉月は自信なさげにうつむく。


会場にはすぐに着いた。

あの鬱蒼とした森の中の自然溢れる白亜の御殿から、こんなに近くに広大な敷地と大規模なステージセットが組み上げられた近代的な施設が作られ、それも歩けるような距離に位置しているなんて、まるでタイムリープしたかのような気分になる。


「あ、今からはね、ボクもドラムの微調整しなきゃなんないしちょっと別行動になるけど大丈夫?」


「ああ、うん。全然大丈夫」


「そっか。あ、現地のスタッフにはさっきリュウジさんが電話してくれてたから、葉月のことはもう伝わってるよ。ちゃんと元締めの人が迎えに来てくれるってさ」


「そうなんだ、助かるなぁ」


「ボクらよりちょっと年上の大学院生だから、2年ぐらい上だと思う。気さくな人だよ。会場係のバイトは、ホントにボクらと同じくらいの年齢の大学生が多いから、社交的な葉月なら“友達100人できるかな”?」

裕貴は笑いながら、そう歌った。


「うん、頑張るよ。なんだか楽しみになって来た!」


第20話 『To A New Frontier』 ー終ー

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