第11話 『changes in the relationship』
徹也の困惑した声に、奥から隆二が戻ってきた。
「え? 葉月ちゃん! 一体どうしたんだ?」
隆二はあたふたしている徹也に尋ねる。
「おい徹也……これはどういう状況?」
「なんかさ、喋ってるうちに寝ちゃって……」
「喋ってる? さっき近くを通ったら口論してるように聞こえたけど?」
「そ、そんなわけないだろ」
隆二は、やれやれといったように奥からタオルケットを持ってきて、小さく畳むと葉月の頭を持ち上げて、顔の下に敷いてやった。
「ほぉ、手慣れてるよなぁ、バーテンさん!」
「まあね、ひたすらオレの顔を見ながら酔いつぶれる女子なんて、わんさか居るわけだから」
「フン、軽薄だな」
隆二はへへっと笑った。
「でもな徹也」
隆二が穏やかな顔で言った。
「なんだよ」
「この子は違うよ。なんかお前、誤解してんだろ」
「なんだお前……聞いてたのかよ」
「いや、そんなガッツリ聞いてたわけじゃねぇけどさ。ただ、この子は……葉月ちゃんは、彼氏がいるのに他の男を漁りに来てるような女じゃないってことさ。お前のこと、待ってたんじやないか? オレにはそんなこと、一言も言わないけどさ。きっとお前の事を……」
徹也が遮る。
「やめろよ! 別にへんな風に誤解もしてないよ。ただこの子は、義理堅いだけだろ」
徹也の表情に、隆二が眉を上げた。
「徹也、ひょっとしてお前、まだ昔を引きずって……」
「やめろって。俺は加速も暴走もしたくないんだよ。そういうのに嫌気がさしたんだ。なのに……暴走しかけるなんて」
「え?」
「まだ会って間もない、こんな純真な子にさ、なにかを叩きつけようとしたんだよ、俺は」
「わかったから落ち着けって」
隆二が徹也の肩に触れた。
「……ああ、わりぃ」
「いや、オレも悪いんだよ。酒、濃く作り過ぎたし」
そう言って隆二は大きなグラスを二つ並べ、ミネラルウォーターをどくどく入れて二人の前に置くと、再び奥に消えていった。
心地よいJazzがうっすらと耳に入ってくる。
聞き覚えのある曲が流れて、葉月はまぶたを開く。
ついこの前、隆二から教えてもらったばかりだった。
「この曲……」
「お目覚めかな?」
「え、あれ? 私……寝ちゃったんですか?!……すみません!」
そこには徹也がいて、彼は目線を合わせるかように肘をつきながら、こちらを見ていた。
「
「何も」
「リュウジさんは?」
「ああ、また奥のバーラウンジの方に駆り出された」
「ごめんなさい、退屈だったですよね?」
「いや、ぜんぜん」
「そうですか? っていうか私、いつから寝てるんだろ?」
「もう一時間くらいかな?」
「ええっ! 起こしてくださいよ!」
「だって気持ち良さそうにスヤスヤ寝てたし」
「恥ずかしい……ホントすみません」
「謝んなくていいって」
「でも……」
「頭を整理するのには、ちょうどいい時間だったからさ」
「え?」
葉月は身なりを整えながら言った。
「何か……困ったことでもあったんですか?」
「まあ、あったかな」
「それは……お仕事?」
「いいや」
「じゃあ?」
「君が……」
葉月は目を見開く。
「ええっ!? 私ですか!? なんかしました!? どうしよう、あんまり記憶がない……何か失礼なことやらかしちゃったなら、ごめんなさい」
「急によくしゃべるよね。ふふふ。まだ酔いが覚めてないみたいだ。じゃあ……責任取ってもらえるのかな?」
「はい! なんでも!」
「なんでも? ずいぶん安請け合いだな」
「あーどうしよう、怒ってますよね?」
葉月がうなだれる。
「ある意味ね。困ってる」
「どうしたら……許してくれますか?」
「そうだな……再来週から僕の個展が開催されるんだ」
葉月は顔を上げる。
「え? ホントですか?」
「ああ、メディアアートのね」
「すごい、観に行きます!」
「うん」
「あ……チケットも、いっぱい買います!」
しばらく葉月の顔を凝視して、徹也はもうたまらないと言わんばかりに吹き出した。
「あはは、あーもうダメだ。我慢できない。あはは……」
「鴻上さん? どうしたんですか?」
「君、個展に来てくれるって?」
「はい、行きます!」
「チケットは買わなくていいよ」
「どうして?」
「君にはスタッフになってもらいたいんだ」
「え? 私で役に立ちますか?」
「もちろん。僕と一緒に成功させてよ!」
「私でいいんでしたら、了解です!」
「バイト代は払うけど結構ハードだよ。いいの?」
「はい、いいです!」
「土日も挟むよ?」
「はい、いいです!」
「君のこと、気になってるんだけど、それもいい?」
「はい、いいです!……え? 今のは……」
徹也はまた天井を仰ぐように笑いだす。
「あははは。やっぱりだいぶん酔ってるよね? 今のは聞かなかったことに。ねぇ、気分は悪くない?」
「はい……いいです……」
徹也はまたプッと笑った。
「フッ、ダメだな。完全に出来上がっちゃったみたいだ」
「はい……」
「あはは、じゃあ今日は帰ろう! おうちはどこ?」
「湊駅……」
「良かった、近くだ。ちょっと待ってて」
徹也は隆二に声をかけて、支払いを済ませ、タクシーを依頼した。
二人して戻ってくると、葉月は再びタオルケットの枕に顔を埋めていた。
「あ、また寝ちゃってるよ」
「隆二、これからは彼女にあんまり強い酒を飲ますなよ」
隆二はばつが悪そうに首をすくめた。
「いや……ちょっとしたサービスのつもりだったんだけどな……」
「は? サービス? 飲めない子にサービスしてどうする!」
「違うよ、お前たちに、だ!」
徹也が首をかしげる。
「は? どういうことだ?」
「酒のお陰でお前達、ぶっちゃけて話が弾んだろ?」
徹也は目を見開く。
「マジか! お前、なにやってんだ!」
隆二は頭をかきながら軽く笑う。
「まぁ、確かにちょっと過剰サービスだったか? 悪かったな」
そう言いながら、隆二は葉月の寝顔を覗き込んだ。
「あ……そろそろタクシー着く頃だけど、徹也、どうする? 彼女、起こすか?」
徹也は首を横に振ると、肩にかけたカバンを背中にグルッと回した。
「いや。連れて上がるわ」
隆二は眉をあげる。
「へぇ、花火大会の再現か? じゃあな、王子様。せいぜい頑張れよ」
徹也はまたあの日のように葉月を抱き上げて、階段を登り始めた。
「よっと!」
途中で彼女の目が開く。
「あれ! え、鴻上さん……?」
徹也はすぐ近くにある葉月の顔に微笑みかけた。
「今日は花火大会はやってないよ。この階段はどこかわかる?」
「まさか……私、また寝ちゃったんですか?!」
「ああ。ほらサラヴォーンが君のこと見てるよ」
「やだ! ごめんなさい、降ります!」
「バカだな、こんな狭い階段で降ろす方が危ないよ。じっとしてて」
「……すみません」
徹也はそのままタクシーに乗り込んだ。
ようやく座席に座った葉月は恐縮する。
「あの、鴻上さん、本当に……」
「ストップ! もう謝るのはナシ。今夜はリュウジが飲ませすぎた。ゴメンね、反省してるってさ。今度はちゃんと酔わないようにしてくれるそうだよ」
「あの私、何か……話してましたよね?」
葉月が身を縮めながら尋ねる。
「ははは。どこまで覚えてるのか、楽しみだけど?」
「あの……へんなこと言ってませんでした?」
徹也はにっこりと笑って見せる。
「まぁ、君の本音が聞けたかも」
「え、本音? それって……」
「大丈夫だって」
徹也は優しい口調で言った。
「君が心配するようなことはなにもないよ。信じて」
葉月はほっとしたように、微笑み返す。
「あの……ご迷惑かけてるのにこんなこと言うのはどうかなって……でも、たまには酔うのも悪くないなって、ちょっと思っちゃいました」
「え?」
葉月は恥ずかしそうに下を向く。
「へぇ、君にとってはこれも新しい経験なんだな? そう思えるなら良かったじゃん。ねぇ、それはそうと個展の話は覚えてる?」
「あ……はい、覚えてます。メディアアートの個展」
「で? 手伝ってくれるの?」
「もちろん。本番は……再来週!」
「ちゃんと覚えてるじゃん」
葉月はハッとして顔を上げる。
「あ、再来週だったらバスケも行きません? リュウジさんのチーム、みんないい人で……」
「はいはい、わかったよ。その話はまた追々ね」
「あの……私はどうすれば?」
「そうだな……打ち合わせするにしても、今週末は僕もこっちには居ないんだ」
「あ、私もです」
「そっか。じゃあ、来週の中盤辺りに連絡くれるかな?」
そう言って徹也は葉月に名刺を渡した。
「はい。了解です!」
「って、まだ結構酔ってるよね? 二日酔いとか、大丈夫?」
「ああ、どうでしょう? それも経験したことないんで」
「そうなの! 本当にごめんな」
「鴻上さんが謝ることはないですよ」
「いや、それがそうでも……なくて」
「え?」
「あ、何でもない。もうすぐ湊駅だから、家までの道、説明してね」
窓の外をキョロキョロと眺める葉月の無垢な横顔を見ながら、徹也は微笑んでゆっくりとシートにもたれた。
「あ、運転手さん、そこのT字路のところで降ろしてください」
ドアが開くと、葉月が心もとない足取りで立ち上がる。
「家の前まで支えようか?」
徹也の申し出に首を振った。
「いえ、大丈夫です。まっすぐ行った、あれが家なので」
「そう? 遅くなっちゃってごめんね」
「とんでもない、寝ちゃったのは私なんで……付き合ってくださってありがとうございました」
「じゃあ、気をつけて」
「おやすみなさい」
葉月少しふらつきながらまっすぐ歩き、家の門に手をかけた。
いつもこの門に手をかける時、後ろにはもう誰も居ない。
それでも寂しいなんて思っちゃダメだと、ずっと言い聞かせていた。
葉月は一度目をつぶると、息を吸いながら思い切って後ろを振り返る。
そこにはタクシーのドアを開けたまま、徹也がこっちを向いて手を振っていた。
「えっ……」
あわてて手を振り返す。
家にはいるその時まで、徹也は見送っていてくれた。
嬉しかった。
部屋に入ると、少し耳がキーンと音をたてる。
でも気だるさの中に、ふわっとした温かい気持ちが残っていた。
タクシーの中でもらった『鴻上徹也』と書かれた名刺を眺める。
「今日はたくさん話したのに、それでもやっぱり、自分から連絡先は聞かない人なのね」
葉月は、手を振る彼の姿を思い出し、ふわっと微笑んだ。
第11話
『changes in the relationship』ー終ー
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