第5話 『A Place Of Nostalgia And Refreshing』

葉月は自室の鏡の前に立ち、久しぶりに袖を通すこととなったTシャツを体に当てながら、前を向いたり横を向いたりしながら首をひねっていた。


「まさかサイズアウトとかしてないわよね? 体重は変わってないし……大丈夫よね?」


高校の時のチームTシャツとバスパン。

ずっとしまったままになっていたそれらを引っ張り出して着てみると、そこには当時のままの自分が映っていた。

バッシュにも足を入れてみる。


「わぁ、懐かしい!」


たった二年前のことなのに、あのほとばしる汗が輝く部活の日々が、ものすごく昔のように感じた。

バッシュを踏みしめて、腰を落としてみる。


「まぁ……やれなくもないわね!」


それらを全部スポーツバッグに詰め込んで、葉月は少し勇気をもって出かけた。



「わぁ……この音!」

体育館に足を踏み入れると、二年前まで日常的に聞いていたキュッキュッというバッシュの音が無数に鳴り響いていて、それまで抱いていた緊張感を、一気に取り払った。


「葉月ちゃん! こっちこっち!」


カウンター越しではないところで見る隆二はNBA選手さながらのスタイルとファッションでキメていて、汗とは無縁のあの地下の空間で洒落た雰囲気をまとっている男性とは、別人に見えた。


こちらに笑顔を一つ送って、そのまま美しいフォームでレイアップシュートを決める。


隆二のプレイは、その長身のせいもあってか、とにかく派手で、他のチームの女子達もみんな彼に釘付けになっていた。


彼の好きなNBAプレイヤーは、そのプレイスタイルを見ればすぐわかる。


隆二が汗をぬぐいながらこっちにやって来た。


「リュウジさん、お誘い頂いてありがとうございます」


「なに言ってんの! 固い挨拶はいらないって」


「リュウジさんが〝付き合って欲しい所がある〟ナンテ言うから、どんな洒落た所に連れて行かれるんだろうって、内心ハラハラしてたんですけど、バスケだって聞いて正直ホッとしました」


「あはは。今日は葉月ちゃんも来るから、女子のバスケチームも誘っておいたよ。楽しんで!」


「ありがとうございます!」


隆二は葉月の肩にポンと手を置いた。


「リュウジさん、キレキレですね!」


「そっか?」


「それはもう! ねぇ、NBAプレイヤーの『ST.Jonson』が好きなんでしょ?」


「え! なんでバレたの?」


「見ればわかりますよ、プレイスタイルも似てますし。サマになっててカッコ良かったです」


「ありがとう! 葉月ちゃんも似合ってるじゃん。それ高校の時の?」


「ええ、久しぶりに引っ張り出してきて……」


隆二がTシャツに目を落としたあと、驚いたように二度見した。


「あれ?『REIJIN GAKUEN』って……え! それって、あの麓神学園?」


「はい、そうです」


「はぁ?! 麓神学園の女バスだったら、インターハイじゃん!」


「そうですね、最後の試合の時にキャプテンが故障してたんで、ベスト8になっちゃいましたけどね」


「え、マジ?! すごいじゃん! そこのメンバーだったの?」


「ええ。まあ小柄だったんで、外からのシューターでしたけど」


「そうなんだ! いやぁ、アガるなぁ! だったら女子チームじゃなくて、俺らのチームに入ってやろうよ!」


「あ、はい」



久しぶりに全身を使って汗を流すと、当時の熱い思いも甦ってくる。

ボールに触れる度に、どんどん勘が戻ってくるのも実感できて、葉月は意気揚々とボールをさばいた。

大きな男達をかわし、シュートを決める度に歓声があがる。


「こんなに楽しかったっけ? まあ……あの頃はキツかったという印象が強かったのかもね」


ベンチに座って汗を拭いていると、隆二がスポーツドリンクを手渡してくれた。


「ありがとうございます」


「いやもう……すごいじゃん! ぜんぜん鈍ってないんじゃない?」


「いや、さすがにブランクは感じましたよ。まだボールが手に馴染みきってないし」


「男子勢もタジタジだったわ。葉月ちゃんのフェイクに、みんながみんな引っ掛かるとは……俺らも練習が足らないなぁ」


「私みたいな小さな選手は、小技を極めるしかないですからね」


「小柄って……葉月ちゃん、ゆうに165はあるだろ?」


「ええ。でもうちのチームの平均は173で、キャプテンは182ですから」


「うわ……全国レベルだとそうなるのか……でさ葉月ちゃん、大学ではバスケはやらなかったってこと?」


「そうなんです。だから今日は二年ぶりにチームTシャツを着て……なんか懐かしかったです」


「全然現役じゃん! もったいないな、続けたらいいのに。葉月ちゃん、気が向いたらさ、いつでもうちのチームの練習来てよ」


葉月はパッと明るい顔を向ける。

「いいんですか?!」


「もちろん! 大歓迎だよ!」


「ありがとうございます!」


メンバーはみんないい人だった。

レディースチームの人達は、シュートフォームを教えてほしいと言われ、セットシュートの形についてのレクチャーも頼まれたりした。

スポーツを介せば、どんな人とも社交的に関われる事を改めて知った。

久しぶりにいい汗をかいて、嫌なことを忘れている。


「嫌なこと? 嫌なことってなんだろう?……例えば、レポートの提出期限が近いなぁ、とか? 昨夜洗濯し忘れてたから、帰ったら面倒だなぁ、とか? それか……彼氏という存在から連絡が来ないことを、そういうのだろうか?」


「葉月ちゃん!」


そう呼ばれて顔を上げた葉月は、頭を振って、今やどうでもよくなったそれらを払拭ふっしょくした。


隆二が率いるメンズチームと昼食に出かけることになった。

いつもこのチームは練習後に大人数でファミレスに行くらしい。

大勢の男性の中に、女子一人で参加するような境遇は初めてだった。


それでもスポーツの力は偉大で、ちっとも恥ずかしく感じないどころか、バスケの話で大いに盛り上がった。

不思議な気持ちがする。

そして、もうひとつ葉月が驚いたことがあった。

男性陣みんながとても親切にしてくれて、葉月は目をぱちくりさせていた。


「葉月ちゃん、ここに座って。はい、これメニューね!」

「葉月ちゃん、何食べる? もう決めた?」

「葉月ちゃん、お水持ってきたよ!」

「葉月ちゃん、はいフォーク!」


「……なに? なになに?」


目を白黒していると隆二が側にやって来て葉月の様子に首をかしげる。


「ん? 葉月ちゃん、どうしたの?」


「あ、あの……こんなに気遣ってもらって……女の子ってこんな扱いしてもらえるものなんですか? 私は二十年生きてきて、初めて知ったような気がするんですけど……」


隆二が豪快に笑った。


「なに? その自信なさげな考え方は! 葉月ちゃんは仲間になったんだし、かわいい女の子だからみんなが親切にしたくてやってるんだよ。甘えてやってよね」


隆二は葉月の頭にポンと手を置いてドリンクを取りに行った。


「ねぇねぇ、葉月ちゃんってさ、彼氏いるの?」


こういう質問も来るんだなぁと、少し身構える。

隆二が戻ってきて、チームメイトに厳重注意した。


「おいおい、今はそういうこと言うと、すぐセクハラだって言われる時代だぞ!」


「あ、そうだな……ごめんね葉月ちゃん」


男性の社会もなかなか大変なんだなぁと思いながら、軽く「いますよ」と言うと、皆が驚いた顔をした。


「こういう時って、この状況下だとさ、普通女子って、〝いませんよ〟とか、〝別れたばっかりで〟とか言うんじゃないの?」

ポイントガードの彼が言った。


「バカだな、オマエどんな女子と付き合ってんだよ?」


「いや、葉月ちゃんは正直だなぁと思って……」


「俺はてっきり……」

フォワードの彼が隆二のことをちらっと見る。


腕組みしていた隆二が、ハイハイと手を叩いた。


「はい! セクハラ質問はそこまで! 彼女はちゃんと彼氏もいて、真面目で優秀なスポーツマンです。オマエ達も妙な行動をとらないように! でないとバスケの練習に来てくれなくなるぞ!」


メンズ達はそれぞれ、ざわざわしだす。


「それは困るな。葉月ちゃんが来てくれると、盛り上がるしね」


「また来てくれる?」


「ええ、もちろん! ありがとうございます」


「毎回来てほしいよ! 俺もフォーム改善したくなったもん」


「ホント、葉月ちゃんのフォームはキレイだもんな!」


こんなに人に求められるのも、初めてだった。

嬉しいと、心の底からそう思って隆二を見る。

目を合わせると、うんうんと頷いて優しく微笑む隆二に、 口元だけで〝ありがとうございます〟と言って、ちょこっと頭を下げた。

彼はバチッとウインクをしながら、またさわやかな笑顔で返してくれた。


さんざん盛り上がったランチは、解散する頃には陽も傾いている時間になっていた。


「お疲れ様でした」


隆二の車が停めてある駐車場まで、二人で歩きながら話す。


「いつもこんな感じなんですか?」


「まあそうだね。ちょっとびっくりした?」


「いえ楽しそうだなぁと思って」


「そっか。また来てみたくなった?」


「ええ、もちろん」


「みんなさ、リップサービスで言ってるんじゃないよ。本当に葉月ちゃんに来てもらいたいみたいだし、良かったら毎回来てよ!」


「嬉しいです。ただ私……ここに毎回来たら、甘やかされた女になっちゃいそうです」


「ははは、本当だな! ヤツらの反応も面白かった! そうだな……来週は俺、ツアーで来れないんだけど、再来週はいかが?」


「是非、喜んで! っていうか……ツアーって何ですか?」


隆二は過ごし部が悪い顔をする。

「ああ、そのこと……話してなかったね。まぁ、とりあえず車に乗って。この車だよ」


彼が指差した方向を見て、葉月は目を見開く。

「な……何ですか? この車!」


これまで見たこともないような豪華な……というか、派手な車だった。


美しく湾曲した真っ黒なボディと、内装のレザーには所々赤が施してあり、スタイリッシュ極まりないスポーツカーを前に、葉月はガチッと固まる。


「が、外車ですね……」


「ああ、『アストンマーチン』って言うんだ。俺はコイツが好きでね」


普通の人が乗れるような車ではないと思った。


「あの……ど、どうやって乗ったら? えっと、どうやって入って……」


隆二はプッと吹き出す。

「あはは、普通に乗ればいいよ」


「あ、はい……わっ!」


転がるように座席に身体を埋める。

経験したことがないほど沈み込んだシートに、すっぽり包まれた。

フィット感があって、安心するような感覚が、妙に良かったりする。


「ね? 悪くないだろう?」


「はい、なんかしっくりきて……気持ちいいです」


「だろ?」


「でも、降りるときに起き上がれるか……ちょっと心配……」


隆二は豪快に笑う。

「あはは。葉月ちゃんて、やっぱり面白いね」


「そうですか? あ、さっき言ってた、ツアーって何ですか?」


隆二はエンジンをかける。


「ああ俺さ、ミュージシャンだって言ったでしょ? ドラマーなんだけど、来週のフェスで『Eternalエターナル Boy'sボーイズ Lifeライフ』の演奏をすることになって。本番まで数日間、缶詰めでリハなんだよね」


隆二がそう話して葉月の方を見る。 


「ん? 葉月ちゃん?」


葉月は虚ろな目で口をパクパクしている。


「あはは、どうしたの? 変な顔して」


葉月はようやくの思いで声を発した。

「え……あの、待ってください……『Eternal Boy's Life』って言いました?  ひょつとして、あの『エタボ』じゃないですよね?」


「いや、多分、その『エタボ』だね」


「え、ええーっ!」

葉月のつんざくような声に隆二は驚く。


「ちょっと! 運転中に脅かさないでよ、危ないじゃん」


「私の方がびっくりですよ! 私、何枚もCD持ってますし、ライブも行ったことあるんです!」


「じゃあ多分、CDもライブも俺が叩いてるな。どこの?」


「武道館ですけど……」


「じゃあ間違いない。葉月ちゃんとはそんな前から出会ってたんだな。運命かも?」


涼しい顔でそう言う隆二に、葉月は必死に言葉を探す。


「冗談言ってる場合じゃないですよ! だって私、『エタボ』が大好きで……」


「わかったわかった。じゃあさ、続きはうちの店でっていうのはどう?」


「あ……はい」


隆二はまた笑う。

「なにその返事! もう上の空じゃん?まあいいか、そんなに好きなら彼らの話を色々聞かせてあげるよ」


葉月が紅潮した頬を両手で覆った。


第5話 A Place Of Nostalgia And Refreshing ー終ー


Next →

第6話 『Excitement And Confusion』 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る