第4話 『Two Days Before Fireworks 』

憧れとも言える、老舗JAZZ Bar『Blueブルー Stone《ストーン》』

鴻上徹也には会えなかったが、徹也の親友の水嶋隆二には有意義な時間を与えてもらえて、葉月は軽い足取りで店を後にした。

受け取ったタオルハンカチをビニールから出して頬に当てる。

自分の家のものとはまた一味違う、爽やかな柔軟剤の香りがした。


繁華街から駅に近付くと、あの日来なかった彼氏との待ち合わせ場所を横切る形になる。


ふと数日前のことが頭によぎり、葉月の顔を曇らせた。


それは花火大会の二日前のことだった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆


目が覚めて、辺りを見回す。


「ん? ……ここは?」


ソファにもたれたまま、眠ってしまったらしい。

一瞬、前後不覚。

昼も夜もわからなくて、無機質なくすんだ色のカーテンが目に入ってようやく状況を把握した。


「もう夜……? このカーテンは私の部屋じゃ……ああ、そうか」


いい夢を見ていた記憶があった。

花火の夢。

二日後にある花火大会に、心がはやっているのだろうと思った。


子供の頃から打ち上げ花火が大好きで、花火大会は一度も欠かしたことがない。

夜空という漆黒のキャンバスに、大きな音と、豪華絢爛ごうかけんらんな色彩のスペクタクル。

夏真っ盛りの演出で心底感動させておいて、花火が消えると途端に夏の終わりを告げる無情さに、心揺さぶられるのがたまらなく好きだった。


ふと時計を見ると、二十一時を回っていた。


「遅いなぁ……〝ご飯がいる〟って言うから、早く来たのに……」


その時、鍵穴からガチャガチャという音がして、彼がぬっと姿を現した。


「あ、……葉月?」


「おかえり隆史タカシ。遅かったね。今日ご飯作って待ってるって、連絡してなかったっけ?」


「あ……ごめんごめん。ちょっと高校の時の友達とばったり会っちゃってさ」


「いいけど、連絡してくれたらいいのに……」


「ごめんって。そんな怒んなって」


「別に怒ってないけど……」


食卓につく彼にご飯をよそおうとしたら、米は要らないと言われた。


「もしかして、しっかり食べてきちゃったとか?」


「い、いや、そんなわけないだろ? 忙しくて昼飯が遅かったから、あんまり腹減ってないんだよ」


彼は面倒くさそうにネクタイを引き抜いた。


「そう。それはそうと、今週末の花火大会、行くよね?」


「あ? ああ……そうだっけな? 花火大会な」


「乗り気じゃないみたいだけど……」


「いいや、別にそんなことないけど。お前は行きたいんだろ? 花火好きだもんな。あ、そうだ! この前言ってたサッカーの試合、録画しといてくれた?」


「うん、しておいたわ」


「そっか、後で観よっと!」


葉月はため息をつきながら、食卓におかずを用意する。


今日、ここに来ていることも、今週末が花火大会であることも、どうやら隆史タカシは忘れていたらしい。


高校時代から知り合いだった隆史タカシとは、付き合ってもうすぐ二年になる。

最初の頃は違ったが、このところのデートはもっぱらこの彼の部屋一択になり、その頻度も減少しつつあった。


ワガママで強引なタイプではあるが、優柔不断な自分には、彼みたいな人に声をかけてもらわなかったら、二十代に入っても恋人なんて出来なかったかもしれないと、いつもそう思っている。

馴れ合いの夫婦みたいになるのを嫌がる子もいるけれど、優しいことばは少ないがそれも気楽でいいと思っていた。


「ビール飲みたいなぁ」


葉月はそそくさと冷蔵庫から一缶持ってくる。

「はい」


そう言って缶ビールを差し出しても、彼の視線はテレビの方を向いたままだった。


「お前も飲めば? ]と言われなかったので、再度冷蔵庫まで行ってミネラルウォーターを取る。


冷蔵庫の隅にイチゴのパックが入っていた。


「そうそう、聞こうと思ってたのよね。彼がイチゴを買うなんて珍しいわ」


よく見ると、少ししなびている。


「ねえ隆史タカシ、このイチゴ、どうしたの? ちょっと傷んでるけど」


「イチゴ? ああ、そういえば、お前の母ちゃんに会ったんだよ。で、もらった」


葉月は驚く。

「え! お母さんに? いつ?」


「そうだなあ……二週間ぐらい前?」


「え? 二週間も前に!?」


そういえば、いつもはたくさんフルーツを買ってくる母が、イチゴを一パックだけ買ってきた日があった。

珍しいなと思って覚えていたあの日は随分前だ。

二週間どころか、二十日ぐらい前かもしれない。


「どうして言ってくれなかったの?」


「は? 母ちゃんから聞いてると思ったよ。聞いてないのかよ」


「まあ……聞いてなかったけど」


彼の視線は依然、テレビに向けらたままだ。


「二週間も前のイチゴを置いておくなんて。傷んだら食べられなくなるじゃない」


「そんなの大丈夫だって」


イチゴパックを出して水洗いをして、お皿に並べた。

傷んでいるものは、ヘタを落として予めいくつか自分で食べた。


テーブルに置くと、彼がようやくこっちを向いた。


「ほら見ろよ! 全然傷んでないじゃないか」

そう言って、添えてあるフォークを無視して、手でバクバク食べ始めた。

一通り食べ終えたところで、番組が終わる。

もう二十二時になるところだった。


「なぁ、こっち来いよ」

隆史タカシが、ベッドに脱ぎ散らかしていた寝巻きのTシャツと短パンを床に放り投げて、そこに座った。


気分じゃなかった。

でも数日後に花火大会を控えているので、喧嘩をしたくなかった。


身ぐるみがされたところで、彼のスマートフォンが鳴った。

彼はすぐにそれを手に取る。

画面を見て「おっ!」と短く言った。


「もしもし! ミホちゃんが俺に電話してくるなんて超めずらしくない? うん。分かってるって。サークルの同窓会のことでしょ? でさぁ、オレ思ったんだけどさあ……」


彼は私に飲み物を飲むジェスチャーをした。

水を取ってきてくれ、ということらしい。

私が持ってきたグラスをサッと取って、何やら楽しそうに話しながら飲み干すと、彼はスマートフォンを持ったまま隣の部屋に入ってしまった。


とりあえず、そこにあった彼のTシャツを素肌に着て、服を拾って集める。

そんな自分の姿が鏡に映った。

なんとも滑稽な格好で、本当に自分の顔が付いているか確認してしまう。


彼のTシャツをベッドに放り投げて、身支度を整えた。

時計を見上げながら帰ろうとした時、彼が戻ってきた。


「おいおまえ! 何してんだよ」

彼は強引にベッドに組み敷いた。



時計は二十四時に近付いている。


「もう帰るね」


眠っていた隆史タカシに声をかけると、彼は目をこすりながら返事をした。


「泊まればいいだろ!」


「明日はレポートを出しに大学に行かなきゃならないの。着替えもないから帰る」


「めんどくせぇな」


「あ、いいわよ。一人で帰るから」


「そうもいかないだろ? イチゴまでもらってるのに」


「そういう意味じゃないと思うけど……」


「お前のことを、よろしくって言われたんだよ」


「え? お母さん、そんなことを言ったんだ」


彼は面倒くさそうに上半身起こし、その辺にあった服を着る。

彼がため息をつくのを見るたびに、心の中ではもっと大きなため息が出ていた。


蒸し暑い夜道を並んで歩く。

部屋で話すより、夜道を歩いている間のほうが割と普通に会話ができた。


「明後日か。花火大会」


「うん。行ってもいい?」


「ああ。ただその日は、花火大会が終わったらさ、ちょっと……すぐに行かなきゃいけない所があるんだけど、いい?」


「まあ……花火が見られるなら」


「花火は見れるんじゃね?」


彼は家の真ん前までは来ない。

いつものようにT字路の辺りで、立ち止まった。


「じゃあ明後日、駅で待ち合わせね」

葉月は片手を上げる。


その道を門を目指してまっすぐ歩き、玄関フェンスに手をかける。

振り向いた時には、いつもながら彼の姿はもうなかった。


部屋に入ってスマホをみると、親友からメッセージが届いていて、気持ちがグンと上がるのを感じた。


「私は友達には本当に恵まれてるわ」


今日メッセージをくれているこの彼女は、大学に入って一番最初に出来た友達だった。

同じ学部で、マネージメントコースでは常にトップクラスだ。

優秀なだけではなく、いつもポジティブで、そばに居るだけで元気がもらえる。

男女関係なく皆が彼女の横を望み、皆が彼女と関わろうとする。

彼女と関わると、何らかの温かい思いがもらえて幸福度が増すのだ。

そんな彼女は、いつでも人の目を見て話す。

彼女が当たり前のようにやってのけるそれが、私にとっては果てしなく難しい事でもあった。

中には、そんな彼女に対してやっかみ半分で絡んでいく同性も居ることは居るが、しばらくすると皆彼女の事が好きになって、同じように彼女の横に居たがるようになってしまう。


まるで魔法使いのよう。

とんでもない『人たらし』

究極の『愛されキャラ』


そんな彼女に、親しくなって間もない時期、問いかけてみた事がある。


「どうしたらそんな風に、いつも前向きに、人を肯定的に捉えることが出来るの?」


彼女は笑いながら言った。


「え? そんなに器用なんかじゃないって! 自分が完成形じゃないから、人に興味があるのよ。その人の考える事が、自分と違えば違うほど面白く感じるの」


そしてその彼女が唯一自分の特技だと自負している事は、その人の良いところが、話していると心にフワッと湧いてくる事なのだと。


最後に、彼女は私に向かって言った。


「私だって辛いこともあるのよ。そういうときは、心休まる親友に助けてもらってる。こうして毎日頑張れてるのも、葉月のお陰なんだからね! だから不死身ふじみみたいに言わないでさ、これからも私のこと、助けてよね!」


弱味まで見せてくれるこの素敵な子が、私なんかを親友だと言ってくれるなんて、夢のようだ。


「だから……だから私は、もう充分なのよ」


素敵な親友がいて、一応の彼氏もいる……

もう充分、贅沢ぜいたくなのだと思う。

あんな彼氏のことも、私の親友のような寛大な気持ちで見る事が出来れば、それこそ、私の親友が皆に愛されているように、私も彼に愛されるに違いないと、心のどこかで信じていた。



ー PS. ー

あの、花火が始まるまでは……



第4話 Two Days Before Fireworks ー終ー



Next→ 第5話

A Place Of Nostalgia And Refreshing



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