第2話 『The Fireworks Are Over』

夏の大イベントの花火大会を観終え、雑居ビルの屋上でその余韻よいんひたりながら、二人でたたずんでいた。

もう花火が上がらなくなっても、下界に下りたくなかった。

ずっとここに居られたなら、もう小さな溜め息をつかずに済むのかもしれないと、そう思えた。


街の灯りが反射する空を見上げながら、彼が少しトーンを上げて話し出した。


「ねぇ。〝下り〟はさ、お姫様抱っこじゃなくて、おんぶでもいい?」


「え?」


「ほら、お姫様抱っこじゃ足元が見えないから、もしも階段を踏み外しでもしたら、僕と心中だよ?! ヤバいでしょ?」


彼はそう言って、私の前にしゃがみ、背中を差し出した。


「なんだか……本当に申し訳なくて……」


「なに今さら遠慮してるの。登って来た事を思ったら、下りなんてなんともないよ。さぁ! 早く乗って!」


彼は〝上り〟とは違って、帰りはよく話をした。


「ねぇ、正直なところ、ヤバいヤツに捕まったんじゃないかって、心配になったでしょ?」


「いえ……ご親切に、転んだ私を起こしてくれましたし」


「ウソだろ? もしそれが本当だとしたら、君はもっと気を付けた方がいいよ! だって、知らない男に抱き上げられて、どこに連れて行かれるか分かんないんだよ? 良からぬ場所へさらわれたらどうするの!」


「確かにそうですけど……それ、ご自分で言います?」


「はは! 確かに。ここで僕が君をビビらせるなんて、お門違かどちがいもいいところだね。本当はさ、君を抱き上げて階段を登りながら、君が僕を不審がって、逃げ出そうとしたり、もしくは殴り倒されたりしないだろうかって、内心ビビってたよ。どう考えても僕の行動は不審だし? ホント、よく信じてついてきてくれたよね! 本当は怖かった?」


「いいえ」

そう言って首を振る。

大切に抱き上げてくれたその手つきや、明るく振る舞う表情から、彼が怖がらせまいと声ではない〝形〟で空気を作ってくれていたのだと感じた。


「怖いだなんて! 私が感じたのは、この人も私と同じくらい花火が好きなんだなぁって。どうしても今日……そう、〝今年最後の花火を今日見なきゃ〟 って、思ってるんだろうなって」


彼は屈託のない表情で微笑んだ。

「なら安心した! ホッとしたよ」


「感謝しかないですよ。私も今年の花火を逃さずにすみましたし。本当にありがとうございました」


彼の背中に乗ったまま、地上まで降りてきた。

街は花火帰りの客でごった返していて、さすがにおんぶしてもらったままでは恥ずかしいので、脇の花壇におろしてもらった。


「足の具合はどう?」


「しばらく動かさずに済んだお陰で、随分マシになりました」


「とは言っても歩いて帰るわけにはいかないよね。このままおぶって帰ってあげようか?」


「いえ。隣の駅なので今夜はタクシーで帰ります」


「そっか」


「あの……鴻上こうがみさん」

さっき教えてもらったばかりの名前を口にする。


「ん? なに?」


スッと立ち上がり、改まって頭を下げた。

「今日は本当にありがとうございました。本当に素敵な花火が見れて、とっても嬉しかったです!」


鴻上は微笑みながら嬉しそうにうなづく。

「喜んでもらえてよかったよ。まあ、君にとっては本当に最高の花火大会には……ならなかったかもしれないけどね」


「そんなことないです! 今までにはない、ある意味最高の花火大会かも?」


「ホント? もしそうだったら貢献こうけんできてよかったよ。あ、そうだ このハンカチさ、洗って返したいんだけど……ナンテ言ったら、ナンパ男と思われちゃうかな?」


「とんでもない! こんなに親切なナンパ男、見たことないです」


「ははは。そう? でもさ、君を口説く為の策略かもしれないよ?」


「またそんなこと! 策略の為にあんなに大汗かいて、大人一人ビルに担いで上がるだなんて……策略にしては負担が大きすぎますよ。まして私なんかじゃ、割に合わないでしょ?」


「それってどういう意味?」

鴻上が急に真顔になって問いかけた。


「え?」


「ひょっとして、自分のこと、見下してるの?」


「別に……普通にそう思っただけです」


「本当にそうだとしたら、それって花火を見られないよりも、もっともったいないことしてると思うよ」


「え?」


「君は充分素敵だと思うよ。あ……またこんな事言ったら、ナンパ男って思われるよね!?」

彼はガハハと笑った。


「そんな風に、思わないですって!」


「じゃあ、君が僕を信用してくれてるとして。そうだな……じゃあ、明日は休み?」


「はい」


「でもきっと彼氏が今日の埋め合わせをしてくれるだろうから……そうだな、この近くの『Blueブルー Stoneストーン』っていうバー、知ってる? 」


「ええ、大通りの近くの?」


「そう!」


「そりゃあ知ってますよ。有名なお店だし、大学でもみんなの憧れで。でも私にはオシャレすぎっていうか……なので入ったことはないです」


「そうなの? あそこのバーテンダー、僕の友達なんだ」


「そうなんですか?」


「うん、その友達にさ、このハンカチ洗って預けておくから」


「え?」


「だから都合のいい時間に……ああ、別に明日じゃなくてもいいけどね。明日には置いておくから、 受け取りに行って」


「……鴻上こうがみさん」


「なに?」


「あの……こういう場合、普通は連絡先交換とか……普通はそういうことになるかと……」


「まあ、普通はそうかもね。でもさ、君が彼氏とめる原因になるかも知れないじゃない?」


「そんなことを考えるんですか?」


「男のくせに珍しいと思ったでしょ?」


「あ、いえ……」


「君は正直だな。でも、いいんだよ。これで」

鴻上は爽やかな笑顔を見せた。


「ねぇ、一緒に花火を見た仲として、ひとつだけ忠告していい?」


「ええ。なんですか?」


「君は明朗で素敵な女性だと思う。思いやりがあって親切だし。だからね、全くもって自分をさげすむことはないんだよ」


「え? そんな……親切なのは鴻上さんの方じゃないですか。見ず知らずの私を助けてくれた上に、特等席まで連れて行ってくれるんですから」


「君のそういう所も、とてもいいと思う。君の彼氏は、まだ君のそういう所に気が付いていないのかもしれないし、君が生真面目で彼の元を離れないから安心しきって、君のことをないがしろにしているのかもしれない。だけどきっと解ってもらえるはずだから。だから少しずつ、自分の気持ちを言うといいよ。自分がどうしたいか、はっきり言うんだ。君がひとつやふたつ何か言ったところで、わがままになんてあたいすらしないと思うから。ね?」


言葉が出なかった。

ずっと誰かに言って欲しかったのは、こんな言葉だったのだと、その瞬間に感じて鼻の奥がツンとする。


「あ、タクシー来たよ!」

彼が手をあげた。


開いたドアの上部に手を置いて、頭がぶつからないように配慮してくれながら、私を後部座席に優しく押し込んだ。


「じゃあね。降りる時にもっかい転んじゃダメだよ!」


「ありがとうございました」


「さよなら、葉月ちゃん」


タクシーのドアがバタンと閉まった。

初めて、彼が私の名前を呼んだ。


「なんだろう? この気持ち……」


あんなに近くで花火を見たせいだろうか、まるで日焼けしたみたいに顔が火照るのを感じる。


葉月は家に帰って風呂から上がると、左足に湿布をして包帯で固定した。

バスケ部を引退してから二年、足を固定するのなんていつぶりだろうと、懐かしく感じた。

なんとなく笑みが出る。

「やだ、何笑ってるんだろう」


一瞬、彼が私の足を診てくれたシーンが目に浮かぶ。

少し冷たい指先が、壊れ物を扱うようにそっと触れた瞬間、鼓動が高鳴ったこと。

彼の顔を見おろして、長い睫毛だなと思ったすぐあとに、心配そうに見上げた優しい眼差しも、くっきりと頭のなかに残っていた。


「怪我人なんかに構うから、あんなに大汗をかいてビルを登る羽目になるんだわ。ホントに親切な人」

また笑みがこぼれる。


彼の首を伝う汗。

そして、ゆっくり階段を下りながら感じる、彼の体温とほんのり香るサイダーの匂いが、心の中に充満するのを感じて、目を閉じた。


それは花火のフィナーレの時、眩しい光に体がとろけそうになったあの感覚と似ていた。


温かい回顧を打ち砕くように、携帯電話が鳴った。


「あ……隆史たかし

なぜか妙に緊張する自分がいた。


「もしもし」


「あ、葉月。あの……怒ってる?」


「別に……」


「今日だったんだよな? 花火大会。わりぃ、ちょっと外せない会議があってさ」


「会議? 例のセミナーの?」


「まあ……そんなとこだ」


「セミナーのメンバーは皆さん大人なのね。花火なんかに興味ないんだ?」


「まあ、そうかな。で? お前、花火見たのか?」


「ええ」


「それは良かった。綺麗だったか?」


興味もないくせに聞くなんて……


「うん、とっても」


「そっか。まあ来年ぐらい行けるかな?」


「私は必ず来年も行く」


「そうだな。あ、明日は俺、会議の続きがあるから」


「また会議?」


「ああ。だから来週月曜か火曜に、家に来いよ」


「もうすぐレポート提出だから……しばらくは行かないわ」


「はぁ? レポートくらい大丈夫だろ? あ、やっぱり怒ってるんじゃ?」


「怒ってなんかないわ。今に始まったことじゃないし……」


「じゃあ来れたら来るって事で」


「分かった。おやすみなさい」


先に電話を切った。


「自分から先に切ったのって、いつぶりだろう?」


今日はなんだか変だと思った。

あの人鴻上の最後の言葉が、頭に残ってるからかもしれないと思った。


「お世辞でも嬉しい言葉だったな…… その上、もっと言いたい事を言ったらいいんだなんて……」


たとえその代償がこの捻挫だったとしても、今日はいつもよりずっと高得点が着いた一日となった。


 第2話『The Fireworks Are Over』ー終ー

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