真夏の夜の打ち上げ花火
彩川カオルコ
第1話 『Grand Fireworks Display』
真昼の暑さから解放され
美しい音色で囁く
草むらの虫たちの如く
真夏の夜の打ち上げ花火に
引き寄せられる人々の
波が連なっていく
夜空という漆黒のキャンバスに
大きな音と豪華絢爛な色彩の
スペクタクル
夏の夜を彩る大輪の花が
一瞬にして散ってしまう
脆さ
音や光をすべて奪われた後の
虚無感
夏の終わりを告げる
無情さ
人はどうしてそれに魅せられ
支配され骨抜きにされて
しまうのだろう
儚く散ることを知りながらも
それぞれの特別な思いを
真夏の夜に馳せて
今年も夏の夜空を見上げる
ただひとときの夢物語
ー 花火大会 ー
The beginning of things
駅の南側で待ち合わせしたはずだった。
もう30分以上も、ここでこうして
待っている。
人でごった返しているから、私のことを
見つけられないのかも知れないけれど……
でも、それなら連絡してくれたらいいのに……
こちらからはもう何度も、連絡を入れていた。
辺りは活気に溢れている。
浴衣の女の子の手を引いてエスコートする男の子、水風船を片手に楽しく笑いあって、仲睦まじく寄り添うカップル。
浮き足だった観客は、心がはやると同時に走り出す。
繋いだ手と手を握りしめながら、お互いを感じ合い、見つめ合いながら、お互いを慈しんで……
同じ所を目指して、同じ思いで……
かつて私達も……
そうだったんだろうか?
人が羨むような、カップルだったことが、これまでにあっただろうか?
今は思い出せない。
もうすぐ花火が始まる。
あたりがうっすらと暗くなり、駅には人もまばらになった。
体の奥に響く重低音とともに、一発目が
上がった。
「あ……」
始まる前の興奮と、始まった後の感動。
この瞬間が好きだったのに……
満面の笑みで首が痛くなるほど空を
見上げて、それを感じたかったのに……
今私は空も見ずに、キョロキョロと彼を
探しているだけだ。
もう少し前だったら……
そう、半年前の私だったら。
ここに来ない彼に、何かあったんじゃないかと心配して、いてもたってもいられなかったかもしれない。
彼のことを知らなかったから……
でも今は、彼が無事なことも分かっているし、彼はきっと他で なんでもない時間を過ごしていることも、知っている。
もう……諦めようかな。
そう思ってフラフラしていると、急いで走り去る男の子にぶつかった。
「すいません!」
そう言ってその子は、そのまま足早に立ち去る。
「痛っ!」
最悪だ。
足首をくじいてしまったみたい。
ゆっくり立ち上がろうとした時、誰かが手を差しのべてくれた。
「君、大丈夫!」
男の人の声。
「あ……大丈夫です」
そう言って顔を上げた。
心配そうに私を覗き込んでいる優しそうな眼差し……
こんなふうに見てもらった事なんて、あったかな?
ふとそんなこと思う。
彼は私の両腕を持って、ひょいっと、立ち上がらせてくれた。
「あ、すみません。ありがとうございます」
「どうしたの? 誰かにぶつかられたとか?」
「ええ……まあ」
「女の子が転んでるのに、放っておくなんてひどいね! で? 待ち合わせかなんか?」
「はい」
「じゃあ……えっと? 彼氏はどうした
の?」
「あ……どうしたんでしょう……?」
「……ん? 何それ? もう花火始まっ
てるよ」
「……そうですね」
彼は辺りを見回した。
「あ……ここからだとビルがあって全然見えないね。音はこんなに近いのにさ、なんだか〝生殺し〟って感じ?!」
「あはは、その表現!」
笑ってしまった。
「ん? 違った?」
「いえ、本当にそうだなと思って」
彼は今度はニコッと笑った。
「こうしてたら、花火終わっちゃうね」
花火が見えるはずの方向に、顔を向ける。
無情にも、音と共に建物を縁取るだけの
光が見えるだけだった。
「ねぇ提案なんだけど」
「はい……?」
「実はさ、特等席があるんだけど、そこで一緒に花火、見ない?」
「私が行ってもいいんですか?」
「うん、観客は俺一人だから」
「そうなんですか……お邪魔じゃ
なければ……」
「よし決まり! じゃあ急がなきゃね!」
彼が歩き出したので、後ろをついて行こうと一歩を踏み出して、思い出した。
「どうしたの? あ、分かった! さっき転んだ時?」
「……そうみたいです」
「ちょっと見てもいい?」
「はい……」
「うーん、少し腫れてるな。左足捻挫してるよね。家は近く?」
「わりと……」
「そっか。いや! でも花火はは、今日一日しかないから絶対見なきゃだめだよ!」
「え?」
「そう思わない? ここの花火は一年に
一回しかないんだよ。逃しちゃダメだろ? まあ……俺にとっては、なんだけどね」
「いえ、私も毎年欠かさず観てます」
「そうなの? じゃあ、なおさらだね。よし! 運動部の意地を見せてやる!」
彼はボディバッグをブンと背中側に回すと、まるで準備体操でもするかのように、アキレス腱をのばす仕草をした。
「あの……それはどういう……?」
最後まで言う前に、ふわっと抱きあげられた。
「うわっ!……どうして?」
「ああ、歩けないと行けない所なんだよね」
彼は、まるで昔からの知り合いのような
屈託のない笑顔を見せた。
男の人の顔がこんなに近いなんて、どうしたらいいのか戸惑う。
「あ……あの……花火会場と反対方向ですけど?」
彼は彼女を抱きかかえたまま、雑居ビルに入っていった。
コンクリートの打ちっぱなしの空間に、階段が現れる。
「え? まさか、これ……登るんですか? エレベーターは?」
「それがさ、エレベーターはあいにく今はまだ使えないんだよな」
「そんな! 私を抱きかかえたまま屋上
まで上がるのなんて、そんなの無理ですよ!」
「無理かどうかは、俺の根性次第でしょう?」
「そんなこと言ったって……」
「じゃあ、このまま上まで上がれたら、花火見てる間だけ俺の彼女になってくれる?」
「え?」
「あ、ウソウソ。じゃあそうだな……名前、教えてくれる? 約束だよ」
「名前? ええ……もちろん」
「よし! じゃあ上がろう。今からは……
ちょっと喋れそうにないから、しばしサイレントタイムね。行くよ!」
彼はぐんぐん登って行った。
体を支えてくれる腕も、華奢に見えるのにしっかり安定している。
時折、よいしょと体を跳ね上げながら、抱き直す。
少しでも彼の負担を軽減したくて、身を
起こし、彼の首に手を回してその胸に
寄り添った。
階上が上がるごとに、空がどんどん近づいてくる。
花火が上空に上がる度に、下界からは大きな歓声が沸き立った。
彼は言葉は汗をいっぱいかきながらも、笑顔だった。
そして……
何度も折り返すように階段を上がりながら、本当にそのまま屋上まで
彼は到着すると、抱き上げた身体をそっと下ろして、バンとそのまま後ろに倒れこんだ。
「あー! 疲れた……もう起き上がれない」
「大丈夫ですか?! なんか……重くてごめんなさい」
「ふふふ、大丈夫だよ。こうやって寝っ転がっても見られるし。ほら」
「ホント……」
2人して大の字に寝っ転がって花火を見た。
なんの障害物もなく、誰もいないなかで、視界から溢れんばかりの、美しくも迫力のある大輪の花火を満喫できる贅沢な空間。
ひとつ花が開く度に、興奮に近い感動が心を揺さぶった。
「毎年ここで見てるんですか?」
「そうだな、ここで一人で見るように
なって……3回目の花火だ」
何か深い事情があるような気がして、それ以上突っ込めなかった。
身体の底に響くようなその音は、どんどん
「本当にすごい! こんなに近くで見た事って、今までなかったと思います」
遥か下界から、大勢の歓声が聞こえる。
「どう? 俺の特等席。気に入った?」
「とっても!」
カバンがパタンと倒れて、買ってあった
飲み物が転がり出てきた。
「あ、ミルクティーとサイダー、 どっちか飲みませんか?」
「なんだ。それのせいで重かったのかな?」
彼は
「そういう事にしておいて下さい」
「ああ、ウソウソ! 羽みたいに軽かったよ。ここまで楽勝で上がれたしさ」
「無理しちゃって! 汗だくじゃないですか。さあ、飲んでください」
「もらっていいの?」
「もちろん! ここまで運んで頂いたお礼なんで」
「お礼にしてはちょっとなぁ……まあ、
だけど今本当に喉乾いてるから、ありがたいご褒美だな」
「よかった!」
「じゃあサイダー、もらっていい?」
「はいどうぞ」
彼が体を起こしてキャップを捻ると、プシュという音と共に、中身が勢いよく吹き出した。
「うわっ!」
「ちょっと、やだ! こっち向けないで
くださいよ!」
二人とも慌てて身をよじる。
大きな声でキャーキャー騒いでも、大輪の花火の前では、一ミリも迷惑にならない。
「まさか振ってから持ってきたとか!?」
「そんなこと、するわけないですって!
あははは」
ようやく落ち着いたら、サイダーは半分になっていた。
二人ともまだ笑っていた。
「ここに登る時に揺れたのかな……あーあ、びちゃびちゃだ」
「これ、使ってください」
ハンドタオルを彼に差し出した。
「大丈夫大丈夫! 汗もサイダーも、もうわかんないしさ」
「そう言わずに、汗もサイダーも拭いて
ください」
再度ハンカチを差し出した。
「そう? じゃあ、ありがとう!」
彼は顔と服を拭いて、タオルを頭の上に
ちょこんとのせた。
「こんなに笑ったの……久しぶりかも」
「俺もだ」
その時、また大きな花火が上がった。
残ったサイダーを彼が飲み干す。
空を仰いだ彼の顎から首に向かって流れる汗が、花火の光と共に見えたり消えたりしている。
なんだか目が離せなくなって、しばらくじっと見ていた。
彼がちらっと時計に目をやる。
「あともう少しで花火大会も終わってしまうね」
「あ……ええ……」
そこからしばらくは、言葉を交わさず
二人ともただ空を見上げた。
それぞれの思いを込めた時間だった。
フィナーレは、本当に周りが昼間のように明るくなって、稲妻に打たれたような大きな音が連発し、その光に吸い込まれそうな気持ちになった。
光を全身に浴びて、宙に浮いているような心地よさに陶酔した。
音と光が止むと、あたりは急激に闇と化す。
「あのさ……」
彼は遠慮がちに声をかけてきた。
「もう……話してもいい?」
「え? どうしてそんなことを? 全然
いいに決まってますよ」
「だって……」
「なんです?」
「君……泣いてるよ」
「泣いてる!?」
頬を拭ってみる。
手の甲が濡れていた。
「え? 本当だ」
「気付かないなんて……きっと何かに
辛いって、君自身が自覚ないんだよね」
「どうして、こんなこと……」
「俺もそういう経験、あるなぁ……悲しいことを、悲しいって認識できた方が楽なこともあるんだよね。君みたいに気付かないっていうのは……わりと重症なのかもしれないよ」
「そうなんでしょうか……」
「その涙の訳は、自分に聞いても思い当たらないの? ひょっとして、その指輪のせい?」
左の薬指にはめている指輪を見る。
「まだ若いから結婚してるわけじゃないんでしょ? 彼氏にもらったステディリング?」
「あ……ええ。随分前のことですけどね」
「そっか」
急に〝彼〟の存在を思い出して、カバンを探った。
携帯電話を探して、そこに通知を探す。
「彼氏、何だって? きっと大事な用事があったんだろう?」
「……いいえ。メッセージも既読も、ありません」
「……そっか」
きっとこの人は私を気遣って、言葉を探してくれているんだと、そう感じた。
「気にしないでください。あ……平気ですって言っても、説得力ないかもしれませんけど……でも特別辛い感情も、悲しい気持ちも本当に無いんです。きっと、花火を間近で観て感動したから、涙が出たんじゃないかな」
彼は私の顔をまじまじと見ていた。
薄暗いビルの屋上には、少し焦げたにおいのする風が吹いていて、汗をすーっと乾かす。
心地良さを感じ、しばらく目を閉じた。
目の裏に大輪の花火と、さっき見た彼の
シルエットが浮かぶ。
「そうだ!」
彼の声に目を開けた。
「さっきの約束、守ってくれる?」
「約束?」
「そう。まあ……でも花火はもう終わっ
ちゃったから、俺の彼女でいなくていいよ」
彼はいっそう優しい笑みで振り返った。
「それで? 君の名前は?」
第1話 Grand Firework Display ー終ー
『Leave The Forest』
~失われた記憶 奇跡の始まり~
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