第2話「フラン姫の失踪」第9部
日曜日17時47分
というわけで――
ぼくがこの物語の語り手だ。語り手であるぼくが死んでしまったら、こんな続きは絶対にありえないわけで……
要するに、ぼくは無事に生き延びてます。
結局、ぼくは骨折もせず、内臓にも脳波にも以上はなかった。お尻の打撲と軽い
けれど、大事を取って入院することになった。事故のあと、最初に目を覚ましたのもこの病室だった。個室だったけれど、やたらと広い。本当なら四人部屋でもおかしくない広さの豪華な病室だ。
父さんの知り合いが経営する病院の、最上階にある特別室だった。悪いことをした政治家や財界人なんかがすぐに「入院」して世の中から雲隠れできるという、とても便利な部屋だ。
あのとき何が起きたのか、ぼくもうっすらと理解していた。
ぼくにぶつかったのは、ユタカ兄ちゃんと亜子さんのお母さんが運転する車だった。
ユタカ兄ちゃんのお母さんは、亜子さんにどうしても会いたいという思いに取り憑かれていた。そしてユタカ兄ちゃんと会っていたカフェから飛び出し、軽自動車に乗って走り出した。その瞬間に、ぼくたちが出くわしてしまったのだ。眼の前にほかならぬ亜子さんの姿が見えた。亜子さんのお母さんは、パニックを起こした。ブレーキではなく、アクセルを踏み込んだ。
そして軽自動車は、運動神経の鈍いぼくの体を引っ掛けた――それが、事故の真相だった。
ユタカ兄ちゃんと亜子さんのお母さんは、その後に警察に保護された。
ぼくは百%完全に「被害者」ではあったけれど、ユタカ兄ちゃんと亜子さんのお母さんが逮捕されるようなことはあって欲しくなかった。
いろいろな話を聞かされ、さらにいろいろな検査をされて、ぼくの虹色の脳細胞は、もうパンクしそうだ。これ以上、何も考えたくない。
睡眠欲が食欲に勝つなんて信じられなかったけれど、ぼくは目を閉じて二秒後には眠りに落ちていた。
「よく眠れるねえ」
安らぎに満ちた暗闇の奥深くから、誰かの声が耳もとで聞こえた。
「ん……?」
薄い睡眠から一気に現実に引き戻される。
両眼を開いて、仰天した。
ぼくの顔、すぐ五センチほどの位置に顔が迫っている。
「ふ、ふ、ふ、ふ……」
舌が突っ張って、やっぱり言葉が言えない。
「いかなる局面であっても安眠できるというのは、一種の才能だねえ、
「ふ、ふ、ふ、
なんてこった。
「ど、ど、ど、ど、どうして?」
「どうしてもこうしてもないさ。お見舞い兼事件の報告さ」
「そ、そりゃどうも……」
そこで不老は言葉を切った。ぼくは黙ったまま、返答を待った。
不意に不老は、ぼくから顔を離して、病室の窓の外に眼を向けた。
「きみが無事でいてくれて、ほんとうに、心の底から安心したよ、
思いがけない言葉に、ぼくの顔が急に火照ってしまう。
窓の外を見つめる不老の両眼が、少し潤んでいるように見えた。けれど、それはぼくの気のせいかもしれない。
「きみの運動神経の鈍さは、ひとつの才能と言えるね」
笑顔に戻った不老は、ぼくを見つめてにやりとし、まるで負け惜しみのように言った。
「全然
ぼくが言うと、不老はぴくりと右眉を動かした。
「無論、褒めてはいない。さあ、御器所君、聞きたくないはずはないだろう、事件を真相を」
いつもの不老の様子に戻って、すりすりと
「事件……ああ、事件ね。で、どの事件?」
ぼくが訊くと、不老は一気にまくしたてた。
「今回の事件は複雑だった。本来、それぞれがべつべつの事件であるべきだったものが、互いに重なりあい、からまりあっていたために、僕自身も撹乱されてしまった。しかし、おのおの一つずつの事件自体は実に単純なものだったんだよ。無論、そのうちのひとつはトトちゃん誘拐事件のことを僕は言っている」
「それじゃ、ほかの事件は……?」
「きみがここで安らかな惰眠をむさぼっているあいだに、僕たちもきみ同様にサボっていたなんて、まさか思っていないだろうね?」
「うーん、何も考えてないけど」
「きみはほんとうにのんきだねえ。僕は
いきなりの言葉の連打に、ぼくの虹色の脳細胞はまったくついて行けなかった。
「へ? あの……情報量が多すぎるんだけど。あの、その、えーと、イチタロー君って迷子になっただけだし……ルナちゃんって、誰のこと?」
不老はおおげさに右の眉を上げ、ため息をついた。そして、ベッドサイドに置かれたぼくのスマートフォンを取り上げると、ひょいと投げてよこした。
「僕はきみのスマートフォンしか使っていない。だったらきみも、僕の思考の痕跡をたどることが充分に可能だったはずじゃないのかい? とっくに君も理解していると思っていたよ」
ぼくはスマートフォンの画面を覗いた。ブラウザで検索した履歴を開く。
「ん? 久屋さんのサイト……?」
今日、不老翔太郎がぼくからスマートフォンを
不老は言った。
「もっと早く気づくべきだった。
「砂田さんのイチタロー君も、ミニチュア・シュナウザーだった。小型犬だよ。迷子になってただけじゃないの?」
「イチタロー君失踪は、八熊先生の犯行ではなかった。砂田さんからイチタロー君が見つかったときの話を聞いた時点で、僕はもっと深刻にとらえるべきだったよ」
そこでやっと、ぼくの脳内でもいろいろな記憶がつながった。
「あ、そっか! 不老は言ってたよね。『フラン姫もXさんが見つけてくれる』って。じゃあ。イチタロー君を見つけたXさんにも会ったんだね!」
けれど、不老はにやりと笑みを見せて首を振った。
「情報を整理しよう。イチタロー君が行方不明になったあと、久屋さんの言う『Xさん』によって彼が発見されたのはどこだった?」
「スーパーの裏だよね。一緒に行ったじゃん」
それは今朝のことだった。なんだか、何週間も前の出来事に思えてしまう。
「そう。すぐ脇にはL商業高校がある。あの時点で僕にはわかった。『Xさん』なる人物がその場所でイチタロー君を見つけたのはウソだとね」
「ええっ? ウソだったの?」
「イチタロー君失踪場所からスーパーの裏に行くまでには、片側二車線の市道を横断しなければならない。あの道は深夜でも車の通行は少なくない。それに、商業高校に通う生徒たちは、日々あの道を使っている。L商業高校の公式サイトによれば、この夏休みに野球部、サッカー部、バレー部、硬式テニス部、柔道部が、先週の水曜日の午前中に部活を行なっている。九時から十時という朝の時間帯には、学校へ向かう多くの生徒たちがあの道は歩いていたはずだ。さあ、思い出してくれたまえ、御器所君。つい今朝のことだよ。『Xさん』がどんな状況でイチタロー君を見つけたと、久屋さんは言っていた?」
不老に問われて、ぼくは記憶を探った。
あのとき久屋さんは確かに言っていた――Xさんの証言として。
――迷子になって周りに誰もいなくて、ワンちゃんは寂しかったのね。
「誰もいないなんてことはありえない。それ以前に、犬が車通りの多い市道を横断するのはきわめて困難だ。万一渡れたとして、高校生が行き交う水曜の朝に『Xさん』の言っていた状況はありえない」
「じゃあつまり、イチタロー君はXさんが誘拐してたってこと? もしかして、フラン姫も?」
不老は、またぴくりと右の眉を上げた。
「もしも、『Xさん』なる人物が実在するならね」
「へ? っていうことは『Xさん』なんて存在しない……まさか、久屋さんがウソをついてたの? フラン姫の誘拐犯は……久屋さんだったってわけ?」
不老翔太郎は静かにうなずいた。
「そのとおりさ、御器所くん」
「で、で、でもどうして? なんで誘拐なんかしたの? だって、ちゃんと飼い主に返してあげてるわけじゃん!」
「必死の思いで探した迷子の犬や猫たちが帰ってきたとき、『ありがとうございました』だけですむだろうか?」
不老の声は冷ややかだった。
そこでぼくは、グサッと胸の奥のほうを突かれるような感じを覚えた。
病室は明るいのに、一気に視界が曇り空に覆われたような気分になる。
ぼくはベッドの枕に頭をあずけてあお向けになった。
「謝礼目的ってことか……」
つぶやいた。
ついうっかり、見るべきではない汚いものを眼にした気分だった。見ずにいたら、ずっとその存在を気づかずにすんだというのに。
「
不老は静かだけれど、力のこもった声で言った。
「でも、それって犯罪じゃん。営利誘拐だよ!」
「銀河さんと梓さんには僕の推理を告げた。けれど、僕よりも先に彼女たちのほうが、同じ結論に達していたよ。フラン姫が見つかったという連絡があった直後にね」
「そんなのおかしいよ! みんな真実を知ってるのに、黙り続けるの?」
ぼくは辛抱できず、ベッドから上体を起こして不老に突っかかった。
不老はというと、冷ややかな面持ちで、病室の窓の外を見やっていた。
「愛菜さんのご両親も、砂田さんも、ルナちゃんの飼い主も、みな喜んで謝礼を支払った。互いに、みんな幸福なんだ。僕がつねづね嫌悪している言葉をあえて使用するならば『ウィン・ウィン』だ。不幸になった者はいない。すべては丸く収まってしまった。つまり、被害者が存在しない事件だった」
不老の冷静な顔つきが、ほんとうに心底腹立たしかった。ぼくは拳を握りしめて、ベッドを叩いた。
「被害者はいるよ……!」
ぼくはつぶやいた。不老がぴくりと右の眉を上げ、ぼくを振り返った。
「不老みたいな冷たい推理マシーンには、どうせ理解できないだろうけど、とってもつらい思いをした被害者はいるんだよ。なのに、事件をうやむやにして闇に葬ろうなんて、ぼくは許せない」
「御器所君……」
「被害者は、フラン姫だよ! イチタロー君だ! ルナちゃんだ! 何も言葉は言えないけど、いちばん苦しんだ被害者じゃないか! どうして不老は無視できる?」
ぼくは起き上がって不老に向かって身を乗り出した。
バカな行為だった。
ぼくの脳から一気に血の気が下がって行く――ああ、立ちくらみだ。いや、ベッドに寝てるから「寝くらみ」かな。やっぱりぼくには血が足りない。視界がチラチラとまたたく。
――まだ今日はご飯を食べてなかったっけ……。
そんな思いがよぎった瞬間に、脳内が真っ暗になった。
日曜日21時09分
眼が覚めると、母さんの顔がすぐ近くにあった。
「ほんとによく寝るわねえ」
感嘆したように、母さんは言った。確かに、それはぼくとしても同感である。
けれど、一人息子が事故にあったというのに、ずいぶんな発言だ。もっとも、そのくらいの図太さがないと「極道の妻」はやってられないんだろう。
「えーと、不老は?」
口にして、我ながらびっくりした。なぜにその名前がぼくの口から飛び出す?
「不老君は、とっくに帰ったわよ」
母さんは答えた。
その背後から、ゆっくりと父さんが歩み寄ってきた。左の唇の端に絆創膏が貼られていた。
「苦労をかけたね」
父さんは、ぼくが横になっているベッドに腰を下ろした。
「ユタカ兄ちゃんは……やっぱり破門になるの?」
ぼくが尋ねると、父さんは苦笑いした。
「そんなことを心配しなくていい。そもそもユタカは盃を受け取っていないんだ。だから、破門も何もないよ」
「どうしてユタカ兄ちゃん、父さんを殴ったりしたの?」
父さんは、そこで大きく息を吐いた。
「世の中は変わっているんだ。だから我々大人たちこそ、真っ先に変わらなきゃいけない。そのまさに、アップデートの最中なんだ。それを伝えたつもりだったけれど、父さんの言葉が足りなかった。だからユタカは……自分の居所を失うように思い込んで、パニックになってしまったんだな」
父さんは、今までぼくがはじめて見るような悲しげな笑みを浮かべた。
「なんだかよくわからない。ユタカ兄ちゃんは、うちにもういられないんでしょ? 組として
不意に父さんが真顔になった。
「そういう言葉
「ぼくはどうでもいいよ。ユタカ兄ちゃんはどうなるの? 亜子さんは?」
「そのことだが……」
父さんは立ち上がると、病室のドアへと向かった。
「二人がどうしても直接会いたいというのでね」
父さんは、病室のドアを引き開けた。
うなだれて入ってきたのは、ユタカ兄ちゃんと亜子さんだった。
だしぬけに、ユタカ兄ちゃんがベッドの脇の床にはいつくばった。
「お坊ちゃん、申し訳ありません。あの、俺……お、おと、おとしまえ……つ、つけます」
ユタカ兄ちゃんは、かすかに唇の隙間から声を漏らした。あろうことか、亜子さんもまた、見様見真似でユタカ兄ちゃんの隣に土下座しようとした。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! ストップストップストップ!」
前にもこんな経験を何度かしているけど、ほんとうに気持ち悪い。
どうして極道の家に生まれちゃったんだろう? ぼくは自分の生まれを呪いたくなる。
「土下座なんてやめてよ!」
ぼくが言うと、父さんも口を挟んだ。
「そうだ、ユタカ、亜子ちゃん。そんなことは必要ない。土下座、おとしまえ、面子、そんなものとはもう縁を切らなきゃいけない。
「そ、そんなわけないよ。二人とも悪いことなんか何もしてないんだし」
そうは言ったけれど、ユタカ兄ちゃんは父さんを殴ったんだったっけ。
「ごめんなさい……わたしたちがちゃんとママのこと見てなかったから、怪我させちゃったりして……」
大森亜子さんが、震える声で言った。
「怪我って言ったって、全然平気だし、ほら、ピンピンしてるし……」
慌てて言ったけれど、亜子さんは泣き出していた。すぐさま母さんが歩み寄って、まるで実の娘であるかのように、亜子さんをやさしく抱きしめた。それを見て、急にぼくの心の内側に、嫉妬のような奇妙な気持ちが膨らむのを感じた。
「大森は――ユタカと亜子ちゃんのお父さんがちゃんと二人を守ってくれる。だからユタカも亜子ちゃんも、心配しなくていい。私も、できる限りのことは協力するよ」
父さんが静かに言うと、ユタカ兄ちゃんがゆっくりと病室の床から立ち上がった。そして、ぞっとするくらいに冷たい目線を父さんに向けた――アイ・オブ・ザ・デッド――死者の眼だ。
「ユタカ、不安か?」
父さんが訊く。が、ユタカ兄ちゃんはうつむいて首を振るだけだった。
父さんはゆっくりとした足取りで、ユタカ兄ちゃんに近づいた。
「はっきりさせる必要があるな。ユタカ、きみをうちの組員として置くつもりはない。誤解のないように言うが、それはきみだけじゃない。ノリもだ――まあ、あいつにはまだちゃんと話してないがね」
ぼくはびっくりして、身を乗り出していた。
「ノリ兄ちゃんも、組から追い出しちゃうの?」
「落ち着け、
父さんは、そっとユタカ兄ちゃんの肩に手を置いた。ユタカ兄ちゃんは、振り払おうとはしなかった。唇をかみしめて床に視線を落としている。
「何度も言っているが、これまで当たり前に思っていたことも、変えなければいけないときが来る。それが、今なんだ。何かを変えるには、とてつもない勇気が必要だが、誰かが最初に一歩を踏み出さないといけない。周りからは大きな反発を食らうことになってもね。一、ユタカ、二人とも協力してくれるね」
父さんは、そう言ってぼくとユタカ兄ちゃんを交互に見た。ユタカ兄ちゃんの両眼は、もう「死者の眼」ではなかった。これまで見たことのない光がにじんだ眼で、父さんを見上げていた。
そして父さんは、とんでもないことを言い放った。
「今年いっぱいで、〈
月曜9時32分
病院のご飯はどうしてこんなに頼りないのか。まともな小学六年生の胃袋が満足するはずがない。
3分45秒で全部食べ尽くして、満たされたない空腹を抱えて腹立ちながら
「よく寝るねえ」
熟睡しているぼくの鼓膜が、不意に男の声で震わされた。
何かに追いかけられている悪夢から一気に引き離される。寝ぼけながらかすれた声を上げた。
「ふ、不老……?」
しょぼしょぼと眼を開く。
そして、仰天した。
ぼくの眼の前50センチの場所にある顔は、
「Oops! きみの大好きな名探偵君でなくてすまないな」
「ど、ど、どどどどど、どうやってここに……?」
激しくどもってしまう。平針左京は涼しげに長い髪をかきあげた。
「そこの扉を開けて入った」
「じゃなくて……」
よく病室に入れたものだ。〈御器所組〉のセキュリティは大丈夫だろうか?
「ん?」
ぼくは首を傾げた。
これはデジャ・ヴュか? ごく最近、同じ思いにとらわれた気がする。何だったっけ?
「きみを轢いた犯人を捕まえたのは俺だぜ? 少しは感謝の言葉をかけてもらっても、バチは当たらないと思うな」
平針左京は、わざとらしくぼくにウィンクして見せた。
ぼくの脳内で、かすかな記憶のかけらが甦った。
昨日、ユタカ兄ちゃんのお母さんのマンションへ行ったとき、駐車場には一台の派手な大型バイクが停まっていた。
さらに意識を失う直前、大きな塊が爆音を立てて、アスファルトの上に倒れたぼくの脇を駆け抜けて行った――あれは平針左京が運転した大型バイクだったのだ。
「きみに、ちょっとしたお見舞いの品がある」
平針左京は、おもむろにライダー・スーツの前のジッパーを下げると、内側のポケットから何かを取り出し、ベッドのぼくに向かって放ってよこした。
二つに折りたたまれた大きめ封筒だった。
「不老翔太郎君が不在なのが、実に残念だ。本物の探偵の仕事を彼に披露できる絶好のチャンスだったんだけどな」
ぼくは封を開けた。封筒のなかには数枚の写真が入っていた。望遠レンズで隠し撮りした写真らしかった。ショッピングモールの入り口と思しき場所だ。駐輪場の柵に近づく人が映っていた。
「あっ……!」
息を呑みこんだ。
映っている人物は、久屋さんに間違いなかった。左手に閉じた日傘をさげ、右手には何か小さなものを持っていた。
二枚目――久屋さんが駐輪場の柵の前にしゃがみ込み、右手を伸ばしていた。一枚目ではよく見えなかったけれど、そこには小さなクリーム色の犬がいることがわかった。チワワのようだ。飼い主が、柵にリードを留めて買い物に行っているのだろう。
三枚目――小さな犬が、しゃがみ込んだ久屋さんの手元に顔を近づけている。何かを久屋さんの手から食べているようだった。きっと、魚肉ソーセージだ。
四枚目――久屋さんは小さな犬を抱き上げていた。
決定的瞬間。
五枚目以降を見る必要はなかった。
口のなかが一気に乾く。
「こ、これ、い、い、いつ撮ったんですか?」
ぼくはどもりながら尋ねた。
「今から一時間少々前、今朝の九時十三分。ターゲットは、予想以上に早くアクションを起こした。きみの退院前に間に合ってよかったぜ。一部始終を撮影したオリジナルの動画ファイルは、クラウド・サーバーにアップロードしてある。アドレスとパスワードは写真の裏に書いておいた。それをどう使おうが、きみたち少年探偵団に任せるよ」
そう言って平針左京は気障な笑みを見せた。
「ど、どうして、こんなことを?」
ぼくが訊くと、平針左京はぴくりと右の眉を上げた。まるで不老みたいだ。
「さあて、どうしてかな? 俺にもわからない。魔が差したってことなんだろう」
そこで平針左京は言葉を切ると、ぼくの横たわるベッドに腰を下ろした。急に距離を詰めて来られると、ぼくは急に緊張してしまう。
「きみたちがペット失踪事件を追っていることは、すぐに気づいた。プロフェッショナルの探偵として、俺も好奇心をいたく刺激されちまったのさ。きみたちが協力して小型犬転売組織を追い詰めたのは、大手柄だったぜ。きみたちのチームワークを陰ながら見せてもらって、俺は……」
平針左京は言葉を切って、窓の外に視線をやった。
「うらやましかった。仲間がいるってのは……素晴らしいな」
平針左京は、窓の外に広がる空の、さらにその向こうを見ているようだった。
「一つ貸しだぜ」
不意に言うと、平針左京は立ち上がった。ぼくを見下ろす彼の眼は、どういうわけか淋しそうに見えた。それはぼくの錯覚かもしれないけれど。
「俺ときみたちは、当分のあいだ敵対する立場だ。だからといって、俺は決してきみたちが嫌いなわけじゃないんだぜ?」
平針左京は哀しげに微笑んで、いきなり立ち上がった。
「小学校最後の夏休み、しっかり楽しんでくれたまえ」
まるで不老みたいな口調で言い、平針左京はくるっと身を
急に病室の広さを感じた。
小学校最後の夏休み――もう、残りわずかだ。
「フラン姫の失踪」完
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