第6話(2)
俺が極東への魔術留学から帰ってきたのは、二月の終わり頃だった。〈学院〉には形式上「学期」というものが存在する。「形式上」という形容詞をつけるくらいなので、実体的な運用はされていない。つまり、生徒を〈学院〉に受け入れる入学式と生徒を〈学院〉から追い出す卒業式の日付だけが年間カレンダーに記載されているだけで、春学期も秋学期も、ましてや夏休みも冬休みも、実際のところは決まっていない。要するに、講師は好きな時に授業を行い、生徒は好きなときに授業を受けて、単位を取ればいい、そういうしきたりが〈学院〉ではずっと行われていた。これは、一年間のカリキュラムを厳格に設計して、教員の授業日数を確保するのに頭を悩ませている世間の教育現場と桁違いなことを〈学院〉は行っているが、そもそも魔術という異次元なことをしているのだから、教育法も通常と次元が異なって当然である。ちなみに、〈学院〉の入学式と卒業式は9月に行われる。
俺は〈学院〉の3年次へ編入することになった。卒業まで半年というおかしな時期に編入してきたので、当然というか分かりきったことではあるが、友達をつくることなんてできず、もっぱら、授業と図書館を往復する生活を送っていた。
ある日の夕方、図書館の二階にある閲覧室にいた。窓側の席でだらだら本を読んでいたところ、外が騒がしくなった。窓の外を見てみると、壁際で数名の女子生徒が一人の金髪で小柄な女子生徒を囲んでいた。
※
「その話からはじめるのか。シン、そんな話はいいだろう」
「もしかして、その囲まれた女子生徒はレイネさんなのね」
「えっ、あー、うん」
「俺たちがはじめて出会ったのがこの時なんだから、この話からはじめないといけないだろ。メリカの要望だし」
「仕方がない。早く話せ」
「ここからは、レイネが話すといいと思うのだが・・・」
「・・・嫌だ、と断ったら」
「俺が正しいのか正しくないのか、よくわからない脚色を入れながら話を進めるぞ」
「はぁ、まぁ、いい。
ゾルドアート家は名門魔術一家である。ただ、私が誕生するまではしばらく子供が生まれなくて、〈学院〉へ一家の成員を送り込むのも久しぶりのことだったそうだ。まぁ、そんなことは幼い私にとってはどうでもいいことなんだけどな。晴れて、私は16歳で〈学院〉へ入学することとなった。
私が言うのもあれだが、貴族というのは変な生き物でな。噂や嫌み、陰口やゴシップ、ましてやデマが絶えない社会に棲息する生き物なんだ。幸か不幸か私がそれに巻き込まれることになった。」
「貴族って大変なんだな」
ふむ、とレイネは仕方がなさそうに両肩を上げる。
「それで、あの時なんて言われたんだ?」
「聞いてなかったのか?」
「聞いてたかもしれないが、覚えてない」
「ならその程度のものだったってことだ。私だって、覚えていないしね」
「まぁ、そうか。そういえば」
※
彼女たちは何を話題にしながら、一人の女子生徒を囲んでいるかわからないが、とりあえず様子を見ることにした。〈学院〉の敷地内にいるので、〈学院〉の生徒であることは間違いないだろう。まさか不審者ではあるまい。
金髪の女子生徒を囲んでいる女子生徒たちの中心にいたリーダー格の女子生徒は近くに落ちていた石を拾い上げた。
その石で何をするんだろうか? ここは〈学院〉だから石で何かを生成するのだろうか?
石を拾った女子生徒は、それをもてあそびながら金髪の女の子に話しかけた。話の内容については、彼女たちは離れているため聞くことはできない。魔術を利用する選択肢もあったが、彼女たちのプライバシーを尊重して、様子を見ることに留めた。
はじめ、リーダー格の女子生徒は、やさしく友好的に金髪の少女に話しかけていたのだろう。だんだん、彼女は見るからに激昂した様子になり、おそらく罵詈雑言を吐いていたのだろう。そして石を投げた。周囲にいた彼女の仲間も一瞬怯むくらい、彼女は勢いよく石を投げた。
その石は金髪の子の顔の横を通り、壁に当たって砕け散った。
突然人に向かって石を投げるという行為も驚きだが、何より、石を投げつけられた女の子だ。彼女を囲っている女子生徒たちを見ればわかるが、人が突発的に投げる動作--それも石のような凶器になり得るような物を握っている時、びっくりして怯んでしまう。しかし、金髪の女の子は、瞬きをせずじっと石を投げた子を見つめていた。
「たいした度胸だな」
彼女らの声が聞こえなくても、リーダー格の女子生徒は激昂したのはわかる。見過ごせるのはこの当たりまでだろう。
窓を開けて、身を乗り出す。
「おーい、そこの君たち」
リーダー格の女子生徒とその仲間たちは俺の声に反応、そそくさとその場を去って行った。俺は窓枠に両足をかけて、飛び《出した》。空中でバランスをとりながら、静かに金髪の女子生徒の横に着地した。
「大丈夫か?」
「大丈夫です。あなたの出る幕ではありません」
「そうか、それは済まなかったな」
怪我もしていないようだし、彼女たちの問題を大きくするつもりはないので、図書館の方へ翻ろうとしたとき、
「あの、何か?」
金髪の少女は、青みがかったエメラルドの瞳でじっと俺のことを見つめる。
「君、名前は?」
「3年次のアマースト・シンだ」
「あまり見ない顔だな」
「ついて先日留学から帰ってきたからね、君は?」
「俗物に名乗る名前は無い」
俗物呼ばわりされるのは初めてだ。
「そうか、俺は俗物ですか」
「シン」
さっそく名前呼ばわりされる。
「君は、飛行魔術ができるな」
「飛行・・・?」
「風の精霊を操作したな」
「うん、まぁ。風を操ったから飛行と言ってもいいのかな。俺の魔法がわかるのか?」
「まぁな。私のちょっとした
エメラルドの瞳を持つ金髪の美少女は校舎の角を曲がり、見えなくなった。
「一体何だったんだ」
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