第6話
泊まっている602号室に戻り、どっさりとソファに座る。ローテーブルに放り投げていた紙切れを引き寄せる。それはメリカから渡されたもので、彼女曰く差出人不明らしい。 もう一度その紙を見つめる。
真ん中に小さな円が描かれていて、それを囲うように少し大きな円が、またそれを囲うようにより大きな円が順に描かれている。円は内側から外側まで、全部で9つある。内側から三つ目の円には黒い点が打たれていた。木の年輪のように見えるこの図は、じっと見ていると渦巻きのようにも見えなくはないが、これは目の錯覚だろう。念のため紙を裏返してみたり、光に透かしてみたりした。この9つの円と黒い点以外は何も書かれていない。説明書きも指示文もないということだ。
「何かを象徴しているんだろけど、その何かがわからん」
これはまさに暗号だ。ガシガシと頭を書いても、何一つアイデアが思い浮かばない。
こういう時は気持ちを切り替えるためにも、違うことをするといい。 旅行鞄をたぐり寄せて、中からペーパーパックを取りだした。「列車の旅にはトラベル・ミステリーを持って行くべし」とある探偵は言った。もしかしたら、トラベル・ミステリーに探偵が登場させた小説家が言ったのかもしれない。
ガタンと体が揺れた。
窓の外を見ると、田園風景が広がっていた。緑が広がる野原にぽつんぽつんと赤茶色の屋根を持つ家が見える。小説を読み始めた時はまだ集積所にいた。いつの間に列車は動き出したのだ。
列車の旅の醍醐味は美しい景色を見ることだ、と誰かが言った。確かに、いつでも読めるペーパーパックのミステリー小説と、豪華寝台特急の窓から見るのどかな景色では、後者のほうが遙かに貴重な体験である。しかし、4泊5日も田園風景を見ていられない。少しくらい目をそらしても問題はないだろう。「さて、喉が渇いたな」
紅茶は飲み飽きたので、そろそろ違うものが飲みたい。食堂車へ行けば何か貰えるだろうか。
ペーパーパックと暗号が記された紙をジャケットのポケットに突っ込んで、部屋を後にした。何か飲みつつ、小説を飲みながら暗号について考えてみよう。
※
食堂車に入ると、俺たちが昼食を食べていたテーブルにレイネとメリカが向かい合って座っていた。あれからずっと、そこに座っていたのだろうか。
「シン、謎は解けたのかい?」
レイネに表紙を見せるように、ポケットからペーパーパックを取り出す。
「豪華列車で、豪華列車を舞台にしたトラベル・ミステリーを読む。シンもミーハーね」
「いいじゃないか。こういう時にしかゆっくり読書ができないんだ」
俺はレイネの隣の席に座る。すかさずやってきたウェイターにコーヒーを注文する。
「お前らずっとここにいたのか?」
「一度化粧直しに部屋へ戻ったわよ」
「化粧直し?」
「美人は身だしなみに気を遣うのさ」
「はぁー」
お世辞を抜きにしても、レイネもメリカも美人である。レイネは名門貴族出身であるため容姿だけでなく、その言葉や動きに上品さが備わっている。すばらしいお嬢様であるはずなのに、〈学院〉にいた頃から当たりが強いのはなぜだろうか。メリカについては詳しいことはわからない。メリカ自身の言葉によれば、メリカは『この列車に乗る誰よりも重要な人物』であるとのこと。彼女の言動を見ていると、レイネと同等、もしくはそれ以上の高貴さと上品さが感じられる。レイネと仲がいいことから、どこかの上級貴族のお嬢様と勝手に推測している。
俺のコーヒーが届けられたところで、レイネが切り出した。
「それで、シン、暗号はどうなったの?」
「わからん」
「おい、おい」
「そのうちやる」
「何しにここに来たの?」
「コーヒーを飲みに来た」
「いつやるんだい?」
「気が向いたら」
「その調子だから、いつまで経っても依頼が来ないんだよ」
「俺の本業は〈学院〉講師兼魔術書専門古本屋であって、魔術探偵じゃない」
「魔術探偵の看板を提げているのに?」
「断じて本業じゃない」
「あの?」
メリカが会話に割り込んできた。
「二人は〈学院〉で知り合ったんですか?」
「お前、変なこと言いふらしていないだろうな」
「なーに、」
レイネはキリッと口元を上げる。
「心当たりがあるのかな?」
「いや無い」
ここは即答しておく。
「レイネさんからお聞きしたんですけど、シンさんは、レイネさんと同じ頃に〈学院〉にいたとか?」
「ああ、俺が留学から帰ってきて〈学院〉の3年次に編入した時、こいつ《レイネ》は1年次にいた」
あれから8年が経つのか。
「なに感慨にふけているのかな?」
「そんなことは無い」
「二人はどうやって知り合ったか教えていただけませんか?」
「そういえば、シン、私と出会う前のことについて、聞いていなかったな。いい機会だから話しなよ」
隣に座る当たりの強い系お嬢様(フレイやタケルに言わせればお姉様系女子というだろうか。)と正面に座るふわふわ系お嬢様の二人からせがまれては話さない訳にはいかない。「〈学院〉時代はあまりいい思い出がないんだよな」
コーヒーを一口含んで喉を湿らす。
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