第22話 二番手の意地
<3ー11><6ー11>と2本落とした私たちは後がない。
3セット目のサーブ権は私からだ。サーブを受けるのは小春ちゃん。
私たちには後がない。
だけど……私は向かいにいる金町さんを見る。
2セット目が終わり、休憩を挟んだというのに、彼女は酷く疲れているようだった。
これまで鬼神の如き活躍をしていた彼女であるから、当然と言えば当然かもしれない。
しかし、それでも私の脳裏には2セット目までの彼女のプレーが焼き付いている。
正直に言えば……怖い。
私のどんな球も通用しないし、彼女のどの球も……私は触れられなかった。
紡金ちゃんは普段こんなレベルで試合をしていたんだと思うと、少し怖かった。
この調子だと、紡金ちゃんはこれまで学校で一度だって本気でプレーできてない。
私が……私たちが弱いばかりに、本気を出すことすらさせてあげられなくて……本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
だからこそ……このセットは!
「紡金ちゃん、決めてね」
「もちろんそのつもりだよ。悠里の言葉を借りるなら『今の私は絶好調よ』だよ」
「ラブオール!」
審判から、セットスタートの合図がかかる。
私は紡金ちゃんから教わった下回転サーブをロングに出した。
ロングで出せば、小春ちゃんは当然カットを選択する。
カットで台から出ないストップ系の返球は難しい。
台から出てしまえば……紡金ちゃんにとってチャンスボールだ!
「はっ!!!!」
豪快なスイングから放たれる紡金ちゃんのスピードドライブ。
2セット目の金町さんのそれを凌駕する速さの球に、金町さんは全力で食らいつくが、ラケットに当てるので精一杯だった。
<1ー0>
「紡金ちゃんナイス! すっごい速い……!」
「あはは、私も打とうと思えば打てるからね、スピードドライブ。昔は1セット目の悠里より速かったんだけど今じゃダメだね」
「そ、そうなんだ」
ということは、2年生の頃は全ての技術が全ての時間帯において金町さんより優れていたということ?
なにそれチートすぎる……
「この調子でこのセットはもらうよ、緋色ちゃん。またロングでよろしく」
「う、うんっ」
再び私のサーブ。
きっと、小春ちゃんも私がどんなサーブを出すのか、見当がついているに違いない。
それでも小春ちゃんのとれる選択は一つしかない。
ドライブ気質に返すことも可能だけど、そんな甘い球を打てばどうなるか彼女は知っている。
今相手にしている常盤紡金という選手はそういう力を持っているのだ。
「来たよ紡金ちゃん!」
1球目と同じく、カットでボールが返ってくる。
そして再び、紡金ちゃんの力強いドライブが金町さんの脇腹を貫いた。
<2ー0>
得点板を捲ると、審判はボールを小春ちゃんへと渡す。
次からサーブ権が彼女に移ることになる。
小春ちゃんはサーブを打つ前に、チラリと横目で金町さんを見る。
金町さんは紡金ちゃんのボールに2回くらいついたことで肩で息をしていた。
小春ちゃんのサーブはショートに横回転。
バックに構えた紡金ちゃんは一度ラケットを引きつけ力を蓄えた後、それを一気に解放した。
完全な形でのバック台上ドライブが、金町さんと逆側へと走る。
もう立っているのがやっとと言わんばかりの彼女に追いつくことは叶わない。
<3ー0>
紡金ちゃんは台上のプレーは私の方が上手だと言ってくれることがたまにある。
だけど、それは絶対に嘘だ。
紡金ちゃんは……台上でも一流の選手だ。
1つだって、彼女に敵わない。
絶対的な黄金──常盤紡金という選手をまた少し知ることができた。
今の一球は小春ちゃんの心にも響いたのか、真っ青な顔を浮かべていた。
再びサーブモーションへと入る。
2球目のサーブはショートへの下回転。
台上ドライブが打ちにくいその球に対し、再びバックで構える。
手首を使い台上で球の外側を擦る──チキータで台の右側へと逸れるような球を打ち返す。
球速はそこまでじゃない。
金町さんはチキータをドライブで返球しようとするが、ボールはネットに引っかかってしまった。
<4ー0>
金町さんはラケットを確認し、不思議そうに首を傾げていたのだけど、しばらくして、ニヤリと広角を上げた。
「ハァ……ハァ……紡金、やるじゃない! 今のは若干下回転ね……!」
「へー、一球で見抜かれちゃったか。次は取られちゃうかな」
「もちろん……よ! ハァ……次はそっちのペアの子を撃ち抜くわ」
「わ、私!?」
突然話がこっちに飛んできてビクッとしてしまった。
確かに、金町さんの実力なら次は打ち返してしまいそうだ。
でも、それが起こらないことを私は知っている。
今の一球は金町さんに向けた新技披露なんかじゃない。
あれは確実に、小春ちゃんへの攻撃だ。
このセット、小春ちゃんは紡金ちゃん相手にどんなサーブを出せばいいのか迷っている。
ロングで出せば一撃封殺なのは確実だから、1回目サーブ権がまわっってきた時にはショートで横回転と下回転を試していた。
小春ちゃんからしてみれば、横回転は台上ドライブで厳しく返され、下回転は返されはしたが金町さんが喰らいつけたという結果だろう。
だから次の小春ちゃんのサーブ権ではショート下回転が来る。
そしてショート下回転であれば……
最も簡単でミスが少なく、最も金町さんを動かし体力を奪う──フォアショートへのストップという選択肢を紡金ちゃんはとるはずだ。
だから下回転気味のチキータはこの試合で2度とお目にかかることはないだろう。
小春ちゃんの思惑を逆手に取り、紡金ちゃんは今の2球で4点分とったことになる。
そして、紡金ちゃんはこんな小賢しい手段を何度も使うとは思えない。
つまり紡金ちゃんは……このセットで小春ちゃんに3回目のサーブ権を渡すつもりがない。
<5ー0>
紡金ちゃんのサーブ権一球目。
ただ普通のロングへの下回転サーブだ。
そんな普通のサーブに……金町さんのドライブは歯が立たなかった。
「ハァ……ハァ……流石の、回転ね。次は……絶対持ち上げるわ」
金町さんは汗を拭うと強い意志を持ってそう言った。
ダメだ、彼女はもう……彼女の今の体力では紡金ちゃんの下回転をドライブで返すことなんてできない。
<6ー0>
再び下回転サーブをドライブしようとしてネットにかかった。
私だったら、絶対にツッツキで返している。
金町さんの球はこの場で1番弱い内原緋色という選手が打ち返すことになっているから、そうするのが1番賢明な判断だ。
それでも……金町さんは常盤紡金に食らいつく。
きっとそれは彼女たちがライバルだから。
私が介入できない次元の話が、金町さんを動かしているんだと思う。
結局、このセットは金町さんが体力を削られるだけ削られて私たちの勝利となるのだった。
<11ー2>
*
「先輩、大丈夫ですか? 飲み物持ってきますね〜」
小春はそういうとスポーツドリンクをコップに入れて渡してくる。
スポドリの味が濃い。
たぶん、私が汗をかきすぎているからだ。
調子に乗って1、2セットと最高速度をだしたせいで、3セット目は全然動くことができなかった。
このままだと……4セットもこの調子だ。
負ける……負けるのか。
私は……また……
悔しくて涙が出そうだった。
試合後、紡金が呆れてどこかへ行ってしまう夢を最近よく見ていた。
離れたくない。
大好きな紡金に……見捨てられたくない……!
「先輩、どうしてさっきのセットあんなにムキになって打ってたんですか? 今の先輩じゃ常盤先輩の下回転は返せないのに……」
「…………譲れないものがあるのよ。私と紡金はライバル。だから私は打たなきゃいけないの」
「それで負けてもいいんですか?」
「………………あんたに何が分かるのよ!」
つい、大きな声を出してしまった。
小春は目を丸くして驚いていた。
最低だ。イライラしたと言ってダブルスのペアに当たるだなんて。
「先輩、勝ちたいんじゃないんですか? だって、私とペアになってからずっと常盤先輩たちに勝つって意気込んでたじゃないですか」
「……そ、それはそうよ。私は勝ちたい。紡金に……一度でいいから……勝ちたいわ」
「だったら、勝ちましょうよ! 変な意地を張らずに、冷静にいけば勝てる試合です! 先輩はこれまでで1番常盤先輩に近付いてます!」
小春は私を勇気づけるように、両手を握ってそう言った。
勝てる試合という言葉が、私の胸を貫く。
「先輩、私は先輩の気持ちが少し分かります。私も、先輩と同じ2番手の選手ですから。同じ学年に私より強いカットマンがいるのは先輩も知ってますよね」
「……知っているわ」
「だから、先輩が勝ちたいって気持ちすごく分かるんです。確かに私は部外者ですけど、それは先輩の手助けをしない理由にはなりませんから。私にも手伝わせてください」
小春は屈託ない笑顔を向けてくる。
この子は本当に良い子だ。
およそ2年前、彼女を選んで本当によかった。
彼女がいなかったら、きっと私は諦めてしまっていただろう。
タオルで汗を拭いて、私は立ち上がる。
「ありがとう、小春。元気が出たわ。ただ、1つ訂正よ。アンタは私の気持ちを分かってない。私は小春とは違う。私はもっとドロドロした、気持ち悪い理由で戦ってるのよ」
「先輩……」
「それでも……抱く思いは異なっていても、私とアンタは同じ2番手よ。そこに間違いはない。アンタを選んだ私は、私を受け入れたアンタは……何も間違っちゃいない。だから小春、ごめんなさい。謝るわ」
私は小春に手を差し伸べる。
ギュッと握られたその手に、私の中の勝利への渇望が再び燃え始めた。
「私ってば本当にバカね。1人で考えて意地を張って……ダブルスは2人でするものだってことを忘れているんだから。時間稼ぎは任せたわよ小春……金町悠里の復活は近い!」
さあ、反撃だ。
今日の私は絶好調よ!
*
4セット目は、私が小春ちゃんの球を受け、紡金ちゃんが金町さんの球を受けることになる。
このセットで鍵となるのは私だ。
私が金町さんにプレッシャーをかけることで、紡金ちゃんの負担が減る。
2セット目では小春ちゃんに攻め込まれちゃって焦ったけど、攻めてくるのがわかればちゃんと対応できるはず。
私だって、3年間で卓球がそれなりに上手になっているってところを見せてやるんだ。
「緋色ちゃん、ちゃんと相手のコートに返せればいいからね。悠里に打たせながらスローしていけば、この試合勝てる」
「えっ、でも……大丈夫? 金町さんの球を2セット目では……」
「大丈夫。もう私は悠里より強い。今の彼女の球は……そこまで脅威じゃないよ」
紡金ちゃんはラケットをクルクルと回してそう言った。
彼女がそう言うなら、きっと大丈夫なんだろう。
私は体力が落ちた状態の金町さんの球も返すことができないから、なんとも想像しにくいけどね。
コートに戻ると、金町さん達はまだ座り込んで休憩していた。
あまり長引くと、審判に警告を受ける。
公式ルールではたしか1分間の休憩になっていたはずだけど、実際のところそこまで厳格じゃない。
世界大会とかだと話は変わってくるのだろうけど。
小春ちゃんたち、一体何を話してるんだろう。
ちょっと揉めてるようだけど……大丈夫だろうか。
私が心配した矢先、金町さんがピョンと飛び起きた。
立ち上がり、力強い眼でこちらを──紡金ちゃんを見ていた。
どうやら、一筋縄では行かなそうだ。
「ラブオール!」
両者コートに戻ると、審判の掛け声と共にゲームが再開した。
金町さんのサーブだ。
彼女がサーブの準備に入ろうとしたところで、私はすぐに異変に気づいた。
「(あれっ、金町さんはしゃがみ込みサーブを使うんじゃ……)」
これまで幾度となく苦しめられてきた金町さんのしゃがみ込みサーブ。
私はほとんど取れてないし、紡金ちゃんも結構苦戦していた。
そんな必殺のサーブを、彼女は自ら封印したのだ。
「試合を早めるよ」
金町さんが巻き込みサーブを打ったところで紡金ちゃんがボソッと呟く。
そして、台から出るか微妙な長さのそのサーブをバックハンドで弾くように返した。
これは決まる!と直感的に分かる威力。
しかし、それと同時に襲いかかる違和感に私の心臓は鷲掴みにされた。
「(小春ちゃんの立ち位置が……かなり下がってる!)」
いつも周りばかり気にしていた私だからこそ身についた『人よりちょっとだけ俯瞰して状況を見れる力』。
私はすぐに小春ちゃんの立ち位置の変化に気付き、そしてそれは球が返ってくることを示していた。
予想通り、フォア方面──金町さんがいた場所には小春ちゃんが待ち構え、フォアカットでゆったりとした軌道で球が返ってきた。
これまでで1番緩いボールに私は若干の戸惑いを覚える。
「チャンスボールだよ、打っていいんだよ」という甘い誘いを受けているようだった。
「(だったら打ってやるんだから! 私だって……ちょっとは打てるようになってる!)」
回り込むようにして、下回転に対するドライブに備える。
ラケットの面を立て気味にし、敬礼するように振った。
3球目攻撃の練習をやっていた甲斐もあり、私の打球は無事に敵コートフォア側へ。
金町さんは今バック側にいる。
返されたとしても、体力は削れるはず!
我ながら頭脳プレーだと感心していたのだけど、敵は私の予想を上回っていた。
<1ー0>
私のドライブは何に触れるわけでもなく、あっけなく得点になってしまった。
自分から得点できたのは嬉しい。
しかし、あまりに不気味だ。
なぜなら……金町さんは私の球を返す気が一切感じられなかったのだ。
後ろのフェンスに行ったボールを、小春ちゃんが取りに行く。
そこで、私はようやく彼女たちの作戦に気が付いた。
「紡金ちゃんこれって……」
「うん。彼女たちはこのセットを本気で落とす気だよ。悠里はしゃがみ込みをやめて、体力の使わない巻き込みサーブ。しかも、それだけじゃない」
「そうだよね……」
「たぶん、悠里はこのセット右か左か、どちらかしか守る気がない。今回はバックを守ってて、緋色ちゃんがフォアに打ったからそのまま無視した」
なるほど……やっぱり金町さんの体力を回復するためにこのセットを使おうとしているんだ。
姑息な作戦だとは思う。でも、それはお互い様だ。
私たちだって、執拗に金町さんの体力を削りに行っていた。
「それと、やっぱりあの羽鳥さんはかなり頭が切れるね」
紡金ちゃんはボールを取りに行く小春ちゃんを指差して言う。
私も、小春ちゃんの行動の意図には気が付いていた。
「う、うん。ボールを取りに行く足取りを、わざとゆっくりにしているよね」
「それだけじゃない。さっき、緋色ちゃんは打たされた。強打すれば、ボールは遠くに飛ぶ。それを彼女は狙ってる」
「な、な、な……!」
私は小春ちゃんの掌の上で踊らされたというのか……!
可愛い顔してなんて策士なんだ……
「だけど、打てるときにわざと打たないのはやめておいた方がいいよ。悠里が動いてこないとは限らない。このセットがダラダラと長引けば、悠里の体力が回復しきってしまうかもしれない」
「た、確かに……私たちは全力でこのセットを畳むしかないんだね」
私の球はそんなに球威がない。
幸いだったのは、球を受ける金町さんが動く気がないことだろう。
とにかくコースをついて早めに終わらせる!
覚悟を決めた私は、ラケットをギュッと握り低い姿勢で構えた。
*
紡金ちゃんのドライブが小春ちゃんの逆サイドを突き抜けた。
<11ー5>
4セット目は結果だけ見れば非常にスムーズな運びで、私たちの勝利となった。
しかし、これが本当に勝利と言っていいのか……私には疑問だった。
会場に設置された時計を見ると、3セット目が始まってからもう10分も経っていた。
一旦休憩のために台を離れる。
紡金ちゃんは水筒を渡しながらいう。
「してやられたね」
「う、うん。勝ったは勝ったけど……」
私たちは反対側のコートで休憩をしている金町さんを見た。
表情は、3セット目始まるときに比べてかなり良くなっている。
恐れていた展開──金町さんの体力が回復してしまうという展開になってしまったということだ。
「緋色ちゃん、私と悠里のいざこざ……いや、私の我儘に付き合ってくれてありがとう。どんな結果になろうとも、緋色ちゃんには何一つ悪いことなんてない。それだけは分かってほしい」
「感謝されるようなことはしてないよ。私は、私の意思でここにいる」
私はそう言って紡金ちゃんの手を握った。
彼女の手は、微妙に震えていた。
金町悠里というライバルに負けることに……怯えていた。
「紡金ちゃん」
「どうかした?」
「卓球やめないでね」
「……それは約束できない」
「なら、私がそうさせない」
そんな悲しそうな顔をしないでよ、紡金ちゃん。
私は、そっと瞳を閉じた。
会場の騒がしさが、段々と落ち着いてくる。
音が遠くなり、私の存在が小さく、小さく……どんどんと小さくなる。
近い……あの時の感覚だ。
私が……外へと溢れ出す……!
「(……まだダメだ。集中しきれてない)」
瞼を開くと、そこには先ほどと同じような景色が広がっていた。
私はまだ、教室の隅で小さくなっている内原緋色だった。
思って、思って、思い続けろ。
勝つためには必要だ。
あの時のあれが。妄想と現実が同化する瞬間が。
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