第21話 戦術の相性

 決戦前の会場はやけに静かに感じた。

 応援席から繋がる一階の会場裏は、日の明かりがほとんど届かない。

 選手たちは皆一様にピンと気を張り詰めており、空気が刺々しい。

 ここにいる子たちのほとんどは、学校を代表する子たちだ。


 ある人は負けていった仲間たちのために。

 ある人は自分の力を示すために。


 私は、負けていった人たちのために戦うわけじゃない。

 私は、自分のために戦うわけじゃない。


 今この一瞬は全て、たった1人の友達の心を守るためにある。


「紡金ちゃん。私、頑張るから。絶対、金町さんに勝とうね」

「もちろんだよ。そのために、今日まで練習してきたんだから。私は……自分を見限りたくない」


 震える彼女の手をそっと握った。

 ちょっと驚いた様子だったけど、紡金ちゃんはその手をギュッと握り返してくれた。


 さあ、決戦だ。

 赤いユニフォームを身にまとい、私たちは2回戦の台へと向かった。


 *


 2回戦の台に着くと、対戦相手は既にコートで準備運動をしていた。


 金髪ロングのストレート。背は紡金ちゃんより少し小さい。

 目はキリリと少しキツそうな印象のその少女──金町悠里は、その髪色の通り『黄金の世代』と小学校の頃は名を馳せていたらしい。


 その隣には、コートで最も背の高く、ナイスバディな黒髪少女──羽鳥小春がいた。私は小春ちゃんって呼んでる。

 彼女はまだ2年生。小学校の頃から卓球をしていたらしく、その実力は金町悠里のお墨付きだ。

 戦術は、カットマン。


 うちの中学校にはカットマンは石岡さんしかいない。

 カットマンとは簡単にいえばカットボールで試合をするという選手のことだ。

 紡金ちゃんに最初に教えてもらった下回転はカットで上回転は普通のフォアハンドで返すという基本を完全に無視し、敵のボールの回転に依らず、基本的にカットを選択する選手で、苦手な選手も多い。


 私たちも、軽く屈伸したりして準備運動をする。

 1試合目を済ましてきた私たちは、彼女たちより少し体が温まっている。


 試合前のラリーが始まる。

 2球目のラリーがとぎれたところで、金町さんは口を開く。


「紡金、今日は調子が悪いんじゃない? 球が軽いわよ」

「………………」


 しかし、彼女は何も言い返さない。


 紡金ちゃんは結局一度も彼女の言葉を返すことなく、試合前のラリーを終えた。

 3球のラリーを終えると、ラケット交換に入った。


「内原先輩、よろしくお願いします〜」

「う、うん。よろしくね」


 小春ちゃんはいつものようにフワッとした感じでラケットを渡してくる。

 彼女の立場はきっと私と同じ。

 だけど、私は彼女みたいに緊張感なくこの試合に臨むことはできない。


 小春ちゃんのラケットはコルベルにラバーは表タキネスチョップ 裏カールP-1Rソフトだった。フォア側が裏ソフトラバーで、バック面がツブ高ラバーというカットマンとしては結構一般的な組み合わせだ。


 金町さんのラケットはSK7クラシックにラバーは表テナジー64 裏テナジー05。彼女はドライブをよく打つと言っていた。フォア側のラバーが速度重視の裏ソフト、バック面は回転とスピードのバランスのいい裏ソフト。彼女にぴったりの組み合わせだ。


 ラバーのことはさておき、私は金町さんのラケットが気になってしまう。

 それは、金町さんも同じらしい。


 金町さんは、私の顔をギロリと睨みつける。

『新しい相方と自分が同じラケット』という事実が気に入らないんだろう。

 私のラケットも、SK7クラシック……彼女と同じだ。

 比喩だけど、元カノが今カノに自分と同じプレゼントを渡していたら面白いはずがない。

 だけど、私のこれは自分で選んだものだ。試合が終わったら教えてあげよう。


「ラブオール!」


 審判から試合開始の合図がかかる。

 サーブを構える彼女の後ろ姿が、震えているような気がした。


 *


 試合開始のサーブは紡金ちゃん。


「いくよ、緋色ちゃん!」

「うん!」


 ダブルスのサーブはフォア側から打つ。

 紡金ちゃんは前傾姿勢で陣取っていた金町さんをチラリと見ると、長めの下回転を出した。

 これは効いた、そう確信し、サーブ後はけていく紡金ちゃんに変わって台に立ったその時だ。


 バンッ!!!!


 猛烈な打球音とともに、金町さんはフルスイング。


「あれっ……ボールは……」


 空振りをしたのではないかと一瞬頭をよぎった。

 だけど、そんなわけはない。

 打球音はした。

 彼女は確かにボールを打った。


 審判が、スコアボードを一枚捲る。

 敵チームのポイントだった。


 状況が掴めていない私を指差し、金町さんは高らかに宣言した。


「疾風!! 今の私は絶好調よ! 紡金にだってこの風は止められないわ! まして、ポッと出のあんなんかに、止められるわけがないッ!!」


 恐る恐る後ろを振り返る。

 そこには、未だ回転を続けるピンポン球が青いフェンスでキュルキュルと音を立てていた。


 彼女の言葉は比喩なんかじゃない。

 本当に……風の如き勢いでボールが放たれている……

 卓球を続けて、最初のころ反応できなかった球も今では反応できるようになった。

 それでも、金町悠里のドライブは……私の手に余る代物であった。


 紡金ちゃんは私の方に手を置いた。


「ドンマイドンマイ、今のは仕方ないよ」

「で、でも! 今のボール……全然目で追えなかった……」

「これが悠里の真骨頂……彼女はこの力を『疾風』とか呼んでる」

「『疾風』……?」

「うん。悠里は極端にアーリーゲームに強いタイプなんだ。特に1セット目は……あんな風に手がつけられない」


 じゃあどうすれば!

 このセットは私が金町さんのボールを受けることになるから……ラリーになればこっちが確実に負ける。

 勝機があるとすれば『私のサーブを金町さんがレシーブ、3球目で紡金ちゃんが打ち抜く』……これくらいしか私には思いつかない。


「はっ……!?」


 そして、そこまで考えて私はこの考えも誤りであることに気付いてしまった。


 紡金ちゃんのボールを受けるのは小春ちゃんだ……


 彼女はカットマン。

 ボールを返す技術に関していえば、この会場の誰よりも長けていると言っても過言ではない。

 一球目にして私はこのセットの行く末を予知してしまった。

 確実にこのセット…………


「このセットは落とすよ」

「えっ?」

「変に責任を感じなくていいよ。今の悠里は誰にも止められない。それは、私も同じ。悠里は、私が恐れていた通り……いや、恐れていた以上の成長を遂げていた。彼女の1セット目の打球は男子トップクラスの選手にすら匹敵する」


 焦った様子でそう言った。

 紡金ちゃんの言っていることは確かだと思う。

 現状彼女を止めるのはどう頑張っても無理だ。

 一球目にして格の違いを見せつけられてしまった。


「でも、悠里は体力がない。3セット目中盤……いや頑張れば2セット目終わりまでには、私の方が強くなってるはず」

「体力がない……? それなら確かに……こっちに勝機がある……のかも」


 思いついた私は、紡金ちゃんにある提案をする。

 耳に口を近づけて、見せつけるかのようにコショコショと話した。


 私の予想通り、金町さんの顔が歪む。

 怒ってる、怒ってる。


「その作戦で行こう。本当にいいんだよね?」

「う、うんお願い。これならきっと……2セット中盤くらいからは盛り返せるはずだから」


 話を盛った自覚はある。

 だけど、それくらいの気合いで私はこのセット、ピエロを演じることを決意したのだった。


 *


 2球目。

 紡金ちゃんは再び純粋下回転のロングサーブを打つ。

 サーブの直後から金町さんは動き出す。

 2連続ロングであることに意表を突かれた様子は一切ないと言わんばかりに、素早いフットワーク。

 完璧な体勢から、再び彼女のフルスイングが襲い掛かった。


 <0ー2>


 当然、私は手も足も出ない。

 因みに、ボールも見えなかった。


 *


 3球目。

 今度は金町さんのサーブで私がレシーブだ。

 ボールを手に乗せ台に対して正面に構える。

 ラケットを縦に持ったまま、小指で台をコンコンと2回叩いた。

 おそらくあれは彼女のルーティン。

 サーブを打つ前の予備動作。

 高く上げられた球に、正面を向いた身体……間違いなく彼女はしゃがみ込みサーブを使う選手だ。

 一瞬、彼女の姿が台の下に消えたかと思うと、すでにサーブは放たれていた。


 インパクトの瞬間は見えていた。

 見かけに騙されちゃダメだ!このサーブはただの横下回転!


 私は小春ちゃんが返球しやすいであろう台の真ん中を狙うようにカットで返球しようとしたが、私の返球は左側へと逸れてしまう。


「(回転量が想像以上だよっ……!)」


 金町さんが一歩引くと、小春ちゃんは空いたスペースに移動しフォアカットでバック奥へ。

 既にバックサイドで回り込んでいた紡金ちゃんは敵陣バックに逸れるようなフォアドライブを打ち込んだ。


 これは決まる、という確信はあった。

 しかし、そんな確信など1セット目の金町さんの前では無駄なことであると、私はここで痛感する。


 先ほどまでフォアサイドにいたはずの金町さんは気付けばバックサイドに移動し、身体を回転させるようにして……メチャクチャなフォームでバックハンドを振った。

 紡金ちゃんの脇を抜けるような強烈なカウンターに、得点板が捲られた。


 <0ー3>


「(速い……それも尋常じゃないほどに。球だけじゃない。彼女自身が風となっているんだ)」


 彼女のプレーを見て紡金ちゃんも焦りを覚えているようだ。

 いつもよりも手の汗を拭く回数が多い。


 私たちの作戦は至ってシンプル、金町さんをサイドに振って体力を奪うというものだった。

 そのためには、まずはこちらの体力が削られないようにしないといけない。

 基本的に台の中央から撃たれた球は角度がつかないから、私はあえて中央に返球し、返ってきた球を紡金ちゃんが角度をつけて返球する。

 そのとき、決められそうであれば決めて試合のペースをスローさせ、さらに体力を奪う。

 そういう作戦だったはずなのだ。


 予想以上に回転のかかった横下回転サーブに私の返球がフォアサイドに、小春ちゃんが返球し、それを紡金ちゃんが角度をつけて返球。

 私のレシーブから崩れたプレーを、小春ちゃんの甘えた返球と、紡金ちゃんの技術で作戦の軌道に戻したところまでは良かった。

 しかし、金町さんの圧倒的な力が私たちの計画を否定したのだ。


「紡金ちゃん……」

「うん、緋色ちゃん」


 目配せだけで私たちは意思疎通ができていた。

 このセットでの試合のスローは不可能。

 金町さんの体力がどうこう言ってる場合じゃない。

 単純な話……レベルが違う。


「紡金! 見たかしら私のカウンター! 今のはシングルスだったとしても決まったんじゃない!?」

「あはは、それはどうかな。私もアレから強くなってるからねー」

「そんなこと分かってるわ! でも、私の方がもっと強くなっているんだからね!」


 金町さんはラケットを紡金ちゃんに向けて挑発した。

 気の強い彼女の姿は非常に様になっていた。

 紡金ちゃんはああ言い返してたけど、実際のところ、あまり成長していないらしい。

 私からすればよく分からない話なのだけど、悩みの種であると自分で言っていたから間違いないんだろう。


 笑う金町さんに強がる紡金ちゃん。

 1セット目の主導権がどちらにあるのか、側から見てもそれは明白だった。


 額の汗を左手で拭う。

 少しでも相手の失速を早めるように、私は知恵を振り絞るのであった。



 *



 試合開始前。

 卓球は小学生からずっとやっている。

 大会の雰囲気にのまれて緊張するなんてこと、私はもうない。

 だけど、今日は違う。


「センパーイ、コート番号聞いてきましたよ〜」


 羽鳥小春──私のダブルスペア。

 和泉南中には同学年で彼女より強いカットマンがいる。

 そのせいで試合に出れなかったのにヘラヘラホワホワしてたから私が引き抜いた。

 彼女を選んだのは、きっと私と似ているからだと直感的にはそう思っていた。

 だけど、彼女は違かった。

 意外なことに、彼女は結構努力家であり、野心家でもあったのだ。


「先輩、頑張りましょうね! 常盤先輩は先輩の因縁の相手みたいなので、足を引っ張らないように頑張ります〜」


 常盤という名前を聞いて、私の緊張はさらに高まった。

 私は試合で緊張したりしない。

 それは、勝ち負けを蔑ろにしているからだと、私は思う。

 精一杯強気で勝敗にこだわる熱いキャラを演じてはいるが、心の中では勝敗にこだわりはない。

 だけど……いやだから私は緊張している。

 私は今日、初めて本気で「勝利」を手にしたいと考えているからだ。


「行くわよ小春。今日は本気で行くわ」


 私はいつまでも二番手でいい。


 でも一度、彼女から勝利をもぎ取りたい。


 そこで得た一勝は、彼女を一生縛り付ける。


 彼女は奪われたもの以上のものを奪い返そうと躍起になるはずだ。


 そうすれば、私はきっと永遠に彼女のそばに居られる。



 *



「ハァ、ハァ……どうかしら紡金! 後1セットで、私たちの勝利よ!」


 肩で息をしながら、金町さんが勝利宣言をした。

 体力は確実に削られている。

 しかし、スコアボードに目をやると、私と彼女の間にある大きな実力の差というものを突きつけられるかのようだった。


 <6ー11>


「緋色ちゃんドンマイ。次のセットで取り返そう。悠里の体力はもう限界のはず」

「で、でも……私たち2セットで11点取れてないんだよ!? それに……」

「うん。分かってる。羽鳥さん、あの子相当頭が切れるね。2セット目からはかなり積極的になった。きっと、体力削りに行ってるのはバレてる」


 私たちの誤算は「金町さんが想像以上に成長していた」だけではなく「小春ちゃんが攻めてきた」というところにあった。

 事前情報で小春ちゃんがカットマンと聞いていたから、攻め手が金町さん1人になると踏んで作戦を立てていた。

 実際、1セット目は金町さんしか打ってない。


 だけど、2セット目からはあからさまに小春ちゃんからの強打が増えていた。

 2セット目は私が小春ちゃんのボールを受ける番……つまり、そこまで強い球でなくても、私なら抜ける可能性が高いという話だ。


「ごめんね、私が弱いばかりに……」

「いや、こういう展開を想定してなかった私も悪いよ。それに戦術の相性だってある。カットマン相手なら台上プレーの上手な緋色ちゃんは若干強気に立ち回れるけど、打ってくるなら話は変わってきちゃうし」


 紡金ちゃんはラケットで前髪をあおぐと、続ける。


「大丈夫。次は取れる。次は……悠里に打たせないから」


 紡金ちゃんはラケットを素早く振り、ボールを上に打ち上げる。

 爪で受け止めると、それはキュルキュルと音を立てていた。

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