第18話 黄金の時

 覚悟を決めて放った私の言葉に、彼女は同様に覚悟を決めた表情を返す。


「緋色ちゃん、話をしよう」


 そう言って、紡金ちゃんは私の手を引く。

 そのまま上履きをはき替えて学校の外へ。


「ちょっと! まだ部活中じゃ……」


 私の言葉を無視して彼女はそのまま私を学校の外へと連れ出した。

 みんながまだ部活をしているというのに、抜け出してしまった。

 思えば同じ体験をした覚えがある。


 ……そうだ。前にも私はこうやって彼女に連れられて部活を抜け出したのだった。


 *


 歩くことおよそ20分。

 いつもの通学路から少し離れた貯水池に私たちは到着した。

 コンクリートで舗装された広い道の縁石に腰掛ける。


 貯水池の反対側は無駄に広い運動場が広がっており、男子小学生たちがワイワイと野球をしていた。

 最近日が短くなっているため、もう太陽は傾き始めていた。

 チャイムも4時半になるような季節。

 きっとあの子たちもそろそろお家に帰る時間だろう。


 しばらくそうして、遠くの少年たちを眺めながら、彼女は話すタイミングをはかっていた。

 彼女の手が、体操服の端をギュッと握った。


「私ね。緋色ちゃんに話さないといけないことがあるんだ」


 私はゆっくりとうなずく。


「悠里の言っていた事、半分当たりだったんだよね」

「えっ……それって……」

「うん。彼女の言った通り……私はシングルスから逃げたんだよ」


 彼女は憐憫な笑みを浮かべていた。

 その手は、小刻みに震えていた。


「悠里から聞いたよね。小学校の頃の私は本当に神がかっていた。卓球だけじゃないよ。何をやってもそれはもう天才的だった。でもね、それはズルをしていたからなんだ。私の体格は……小学生離れしてたから」


 私は約1年半前、入学式で紡金ちゃんとの出会いを覚えている。

 私と違って整った顔立ちをしているなという感想を抱いたが、それより先に、自分より一回りも大きいその背丈に驚いた。

 彼女の体格は、確かに小学生離れしていた。


「当たり前だよね。小学生と中学生が戦って、普通のスポーツだったら勝てるわけがないんだよ」

「前にサッカーが好きじゃないって言ってた理由って……」

「そうだよ。サッカーは体格での優劣がはっきりついちゃう。スポーツなんてそんなもんだよ。デカい方が、力が強い方が有利。でも卓球はそうじゃない。小学生が大人を倒すことだって、中学生が日本一になることだってある。だからこそ……卓球が好き。卓球は、私が自分の才能を感じることができた唯一のスポーツだったから」

「…………」


 彼女の気持ちを私が知ることはきっとこの先一度もないんだろうと思う。

 私は、彼女みたいに「持つ者」じゃない。

 常に勝利に身をおく彼女は、そのせいで勝利を正しく享受できないんだ。


「だからね、私は本当に悔しかった。私は本当は才能なんてないってことを知ってしまったから」

「そ、そんなことないよ! 紡金ちゃんは……卓球上手だよ!」

「あはは……ありがと。でも、わかっちゃうんだ。自分のことだから。私は3年前から……大して成長してない」


 弱った顔で笑いかける。

 その目からは一筋の涙が流れていた。

 夕陽を反射し、それは小さく、コンクリートを濡らした。


 3年前……それは小学校5年生だ。

 彼女は小6で全国ベスト8だと言っていた。

 となると、その頃にはもう……自分の技術が頭打ちになっていることに危機感を覚えていたってこと……?


「で、でも! 紡金ちゃんはそれでも強いよ! 去年の大会だって……関東大会16位だって……」

「…………3、4、8、これがなんの数字か分かる?」

「えっ……何か規則性があったり……ええっと……」

「これはね……私が悠里に1セット目に取られた点数だよ。小6の大会では<11−3>、中1の関東大会では<11−4>、この前戦ったときは<11−8>。段々、悠里に追いつかれてる」


 遠くの空を見つめて彼女は思い出すようにそう言った。

 紡金ちゃんにとって、あの金町さんという子は特別なんだ。

 小学生から卓球をする人は少ない。

 だからこそ、2人は互いに特別な思いを相手に抱いているんだと思う。


「全部、私の予想通りだと思ったよ。あのままシングルで続けていたら、中3の夏……最後の大会で敗北する。私の黄金時代は……きっと小学5年生のときだったんだ。小6の頃の私の危機感は間違いじゃなかった」


 彼女は立ち上がり、夕陽に向かって歩き出した。

 私はその後ろを歩く。

 オレンジ色の逆光が、彼女の後ろ姿を黒く染めていた。


「だから私がシングルスから逃げようと思ったのは、昨日今日決めた事じゃないんだよ。中学校に入った時には……もう決めていた。これからはダブルスをしようってね。だからね、緋色ちゃん……」

「ちょっと待って! 待ってよ! そこから先は言わないで!」


 私は必死に彼女の言葉を止める。

 彼女の言いたい事を私はすぐに理解してしまった。

 それはダメだ。

 それを彼女の口から言われてしまえば、私は……私たちの関係は……


「ダブルスのペアにするために、緋色ちゃんを卓球部に誘ったんだよ。そこそこ上手になりそうな未経験者で、いかにも友達が少なそうで、従順そうだったから、すぐに適任だって思った」

「そ、そんな…………そんなの…………」


 私の中で、彼女との思い出がフラッシュバックする。

 感情が、抑えられなかった。


 初めての友達……常盤紡金ちゃん。

 彼女との会話は全て覚えている。

 だって、私にとって彼女は特別なんだ。

 紡金ちゃんが金町さんを特別に思うように、私は紡金ちゃんを特別に思っている。


 それなのに、それなのに…………紡金ちゃんにとって私の存在って……


 しばらく泣いてると、彼女は私の肩を叩いた。


「だから、私の足を引っ張るから身を引くとか、責任を感じなくていいんだよ。ただ、緋色ちゃんはこう言ってくれればいいんだ……『こんな性格の悪い女とペアなんて組めない! 解散だ!』って」

「…………全部、嘘だったの……?」

「……嘘?」

「紡金ちゃんは私に優しくしてくれた……私と友達になってくれた……それは全部嘘だったの!!!!」

「…………嘘じゃないよ。声をかけた理由は酷いもんだけど、緋色ちゃんに嘘をついたことなんて一度もない。友達じゃないなんて思ったこと…………一度だってないっ!」


 震える声で、彼女はそう絞り出した。

 私はその言葉に安堵し、胸を撫で下ろした。

 よかった……彼女は悪い人じゃない。

 彼女は今でも…………私の友達だ。


「分かったよ紡金ちゃん…………それとありがとう。私に悩みを打ち明けてくれて」

「ううん。本当にごめんね。不純な思いでダブルスに誘っちゃって。最後の大会はお互いシングルスで出場しよう?」

「……それはだめだよ」


 意外な返答に、紡金ちゃんは首を傾げていた。

 ここからは私のターンだ。


「紡金ちゃんが負けるところなんて……私はみたくない。ダブルスだったら……私のせいにできるから……そっちの方がいいよ」

「それは……」


 俯き、どこか反省した様子で彼女はそう返した。

 きっと紡金ちゃんもそういう気持ちがあったんだと思う。

 ダブルスなら、責任は半分こ。なんなら私は下手だから9:1くらいで私が悪い。

 それで、紡金ちゃんの……友達の心が守れるなら私は喜んで負けてやる。


「そういえば、紡金ちゃんは自分の黄金時代が小学校5年生だって言ってたよね……? でも、それは違うよ」

「……そんなことない。私は本当に、全然強くなってないんだよ」

「ううん、強くなってないとかそういうのは関係ないの。紡金ちゃんは……今までずっと黄金期なんだよ」


 一歩彼女へと踏み込むと、一歩引く。

 まるで犯人を問い詰めるかのように、私は彼女の弱い心を追い詰めた。


「私が藤代紫と試合した時のこと覚えてる……?」

「う、うん。フルセットになったけど緋色ちゃんが勝ったよね」

「あの時ね、私は紡金ちゃんだったんだよ。私の中で、1番強くて1番輝いてる…………そんな私の理想の姿。手を伸ばしても決して届かない絶対的な黄金……妄想の中なら私はいつだって紡金ちゃんになっていたよ。何度も何度も、紡金ちゃんになって上手に卓球する姿を妄想してた……」


 顔を上げると、紡金ちゃんは少し引きつった表情をしていた。

 分かってるよ。

 私のこれはタチの悪いメンヘラ女みたいなものだ。

 縁を切られたって、文句は言えない。

 それでも私は…………私にとって紡金ちゃんはそれだけ大きな光であることを知ってもらいたかった。


「だから、私は藤代に勝てた。紡金ちゃんは、藤代なんかに負けないから。紡金ちゃんはずっと輝いてるよ。出会った時から今日に至るまでずっと……それにきっと明日だって紡金ちゃんは黄金の時を生きているよ」

「緋色ちゃん…………」

「それでも不安なら……私、強くなるよ。今日より明日、明日より明後日……少しずつになっちゃうけど絶対強くなる! 紡金ちゃんの練習相手になれるように私が強くなるから! だからね……私とダブルス…………」

「続けてください」


 私の言葉を半分遮りながら紡金ちゃんはそういった。

 バツの悪そうな顔をして、頬を掻くその仕草は、彼女が初めて見せるものだった。

 普段完璧な彼女も、そういう仕草をするんだな、してくれるんだなと少し心が暖かくなった。


「う、うん……!」


 差し出された手をとる。

 きっとこの選択は間違ってない。

 私が決して間違いにさせたりしてやるものか。


 黄色がかった赤い太陽が、私を熱く包み込んでいた。

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