第2章 緋色の時

第13話 先輩の隣



 恋愛において一番大切なことは何か?

 容姿、声、性格……実際はこんなのあまり関係ない。

 これは別に、私の容姿があまり良くないとか、声が震えて小さいとか、性格が根暗だとかを肯定したいからこんなこと言っているわけじゃない。

 ……まあ、実際ちょっとは肯定したいけれども…………それより何より!

 恋愛には乙女が求めるあれやこれや以上に大切なものがあることを私は最近知ったのだ。


 それは……勇気だ。


「それじゃあ新入部員の皆さん、これから1年間よろしくね。分からないことがあったら、先輩達に聞いてみてね」


 2年生にして部長になった私の友達……常盤紡金ちゃんのセリフにコクリコクリと相槌を入れながら、私は独白を語った。


 そうだ。


 私は結局、去年一度も張替先輩に話しかけることが出来なかった。


 *


「はぁ…………」


 今日も今日とて基礎練習のバックラリーをしながら私はため息をついた。

 集中が切れたこともあって、ボールがラケットの角に当たって、オーバーした。


「どうしたの緋色ちゃん。今日から練習再開だってのに、調子悪い?」

「う、ううん。ごめんね。ちょっと考え事してて……」

「当ててあげようか? 張替先輩のことでしょ?」

「うん……って、えっ!? 何でわかるの!?」


 紡金ちゃんは出会った頃からこういう節がある。

 私の心の内を的中させてくるのだ。

 藤代先輩との試合の時も、紡金ちゃんは私以上に私の心情を当ててみせた。


「緋色ちゃんの悩むことなんて、それくらいしか思い当たらないからだよ」

「え、ええ……私ってそんなに分かりやすいかなぁ……」

「なーんて、嘘だよ。本当はもう一つ思い当たるのがあったから、偶々二択で当たっただけ」

「あはは……紡金ちゃんマジシャンみたいだね」


 予言のカードを複数の場所に隠しておいて、あたかも予言を的中させるマジックを思い出した。

 紡金ちゃんのそれはちょっと違うけどね。


「まあ、まあ落ち着いて緋色ちゃん。そんな緋色ちゃんに朗報だよ」


 彼女はそう言いながらラリーを続けた。

 ボールにしっかり回転がかかっている。気を抜いたらすぐこちらがミスしてしまいそうだ。


「先生から今朝聞いたんだけど、長中もついに合同練習をすることになったみたいなんだー」

「合同練習……? 他校の生徒と練習するってこと……?」

「そうそう。緊張する?」


 心が揺さぶられてボールが何処かへ飛んでいった。

「そりゃあもちろん」と答えようとしたが、その回答は既に行動で示してしまった。

 顔を赤くしながらコクリコクリと頷いた。


「緋色ちゃんすっごく人見知りだもんねー。まあでも大丈夫だよ。緋色ちゃんが知っている人もいるから」

「私の知ってる人なんて……他校にはいないよ?」


 私の知っている人(友達ではないが)はみんな長中に上がってきている。

 他校に知り合いがいるわけがない。

 これは私に友達が少ないからとかそういうことじゃなくて、きっとみんなそうのはずだ。


 あっ、でもヤンキー生徒は他校のヤンキーと勢力争いしてるって漫画で読んだことあるし、もしかしたらそういう特殊な環境の人なら他校に知り合いがいるのかもしれない。

 ええい、ええい、ついに私も心の中の武士を呼び起こす時がきたのじゃ。

 カチコミじゃカチコミじゃー。

 武士ってヤンキーだよね?


「緋色ちゃん?」

「わっ……なんでもあらぬ……じゃなくて……なんでもないよ」


 妄想のしすぎには注意だ。

 気にせず紡金ちゃんは話を続けてくれる。


「言っておくと、合同練習は高校生とだよ。これで何か察せない?」

「高校生……? えっ……もしかして!?」

「そうだよ」


 高校生で私が知ってるとなると去年引退した先輩たちくらいだ。

 そして話の流れ的に答えは自ずと導かれる。


「張替先輩がいる栄光高校から、この度合同練習を持ちかけられたんだってー。男卓、女卓両方ともね」


 降ってきたチャンスに、私は期待に胸を膨らませるのであった。


 ***


「ここが張替先輩の高校……匂い嗅いでおこう」

「緋色ちゃん……気持ち悪いことになってるよ」


 高校の卓球場で深呼吸してる所を紡金ちゃんに咎められる。

 彼女の言うことは正論だ。


 でも、今日は久しぶりに先輩に会えるのだから興奮しない方がおかしいよ!

 匂いの1つ2つ許してもらいたいところ。


 卓球場で深呼吸して思ったことがある。

 ここはとても空気が良かった。

 長中の卓球場といえば、卓球台を結構キツめに詰めて10台分くらいの広さしか無い。

 簡単に言えば狭いので空気が悪いのだ。

 でも、先輩の通っている栄光高校の卓球場は違かった。

 卓球の台自体14台と多目に配置できている(7台ずつ横に並んでいる)し、しかも台と台との間がとても空いている。市内大会の時より空いている。


 私もこんな良い環境で卓球したいなぁ……。


 しばらく高校の卓球場の広さに呆然としていたところ、高校生のお兄さんお姉さんたちが練習をやめて挨拶をしに来た。


 はじめに、高校の顧問の先生と、長中の顧問の先生が挨拶をして、次に男卓女卓共に、高校の部長と中学の部長が挨拶をしていく。

 女卓からは紡金ちゃんが挨拶を担当した。


「今日はよろしくお願いします。高校生の胸を借りるつもりで頑張ります」

「君が常盤さんだね。大翔から聞いてる。おい大翔! この子だよな!」

「はい! そうですよ! その子が噂の中学生です」


 はわわわわ……張替先輩の丁寧語だ……!

 レア!貴重!SSR(好き好きラブリー!)!スペル間違っちゃった。

 それに、大翔って呼ばれてる!

 私も先輩のこと……大翔先輩って呼びたいなぁ……って去年一言も話せてないのに何言ってるの私……!

 欲を言うならヒロとか、ヒロくんとか……そう言うあだ名で呼んでみたいけどそれは心の中と消しゴムの中だけに留めておこう。


 そして、先輩と紡金ちゃんの話を聞いてわかってしまった。

 今回の合同練習、合同練習と言いながら、高校生の狙いは紡金ちゃんだ。

 近隣に全国クラスの選手がいたら、意地でも一緒に練習したいという人はいるだろう。

 あるいは、力試しをしたいという人もいるはずだ。


 挨拶が終わったところで張替先輩が男卓の人たちに絡みに行った。

 先輩は去年卒業した先輩だから、今の長中でも知っている人が多い。

 肩を組んだり、背中を叩き合ったり、なんだか青春っぽくて眩しかった。


 私も、一歩踏み出せてたらあんなキラキラした青春を送れたのかな…………


 一年の間、一言も先輩に話しかけることができなかった自分に対して嫌気が差したその頃、先輩が女卓の方にもやってきた。

 しかも、その視線は……一点に向けられている。

 私は他人から受ける視線にすごく敏感だ。

 だから、先輩が誰をみているかだってはっきりと……


「内原さん、久しぶりだね。元気にやってるかな?」

「せ、せ、せ、先輩!? はっ、はいっ! おおおお、お陰さまで元気です」

「ん? どうしてそんなに戯けているのさ。今年の市内大会は内原さんに期待しているからね。元気があるのはいいことだ!」

「わわわ、私に期待……!? あっ……」


 ダメだ、顔が近い。

 爽やかさで死にそう。

 肩を叩く手が、大きくて硬くて頼もしくて……もう無理……


 そしてまたしても、私の意識はそこで途切れるのであった。


 *


「わわっ……!! 何!?」


 頬に冷たい何かが当てられて飛び起きる。

 周囲をキョロキョロとしてみると、右側に赤いリボンをつけた子……岩間さんがタオルを持って驚いていた。

 突然起きてびっくりさせてしまったみたいだ。


「内原さん大丈夫? 突然倒れたから心配したよ」

「う、うん。大丈夫だよ。ちょっとびっくりしちゃっただけだから」

「内原さん、張替先輩のこと好きだったもんね」

「うん……」


 過去形じゃなくて現在進行形だけど……

 部活に入って一年も経つので、私も喋れる人が増えた。

 紡金ちゃんはもちろん、同じクラスの岩間さんと石岡さんとも関わる回数が多かったので、いつのまにか仲良くなっていた。

 どうやら私の恋心はわかりやすかったらしく、この3人には話していないというのに好きな人がバレてしまっていたりする。

 他の人には……まだバレていないはず。私の機密保持能力は高いのだ。


 私の意識が戻ったところで、岩間さんは練習に戻ってしまった。

 岩間さんは卓球部にしては珍しいちょっとイケてるタイプの女の子だ。

 はっきり言ってしまえば、浮いている。いい意味で浮いている。

 一般的卓球部といえば、私みたいなちょっと暗めで教室の中でもそんな活発に動かない人を指す。

 彼女は上の上ではないと思うけど、クラスでは上の下くらいの位置にいると思っている。ギャルっぽい生徒とも普通に話せてるし、私の目に狂いはない。


 たぶん岩間さんが看病してくれたのは、相方の石岡さんがうちの卓球部では珍しくカットマンで、練習に引っ張りだこになっていたからだと思う。

 実際、練習を眺めていると、石岡さんは高校生の先輩たちのボールに必死に食らいつくようにカットしていた。やっぱり大人気だ。

 石岡さんは長い前髪を払うと、手でおでこを扇いだ。


 紡金ちゃんが部活に来てからというもの、長中の女卓は意識が変わってしまった。

 端的にいえば、みんな強くなるために真剣に活動し始めた。

 岩間さんと石岡さんは特に頑張っていると思う。

 私も、負けていられないね。


 そして、女卓の話は一旦置いておいて、だ。


 男子卓球の台へ視線を向ける。私の目には、もう彼しか映っていない。


「張替先輩……久しぶりに卓球してるところ見た……」


 太腿が太い!二の腕の筋肉がすごい!でもムキムキってわけじゃなくて洗練された筋肉って感じ!あの腕で抱かれることを何度妄想したことか……!


 久しぶりの先輩のプレーに興奮を隠しきれない。

 先輩は得意のドライブ練習をしているようで、高校でもその力は健在だった。

 安定したフォームから鋭い球を連続で放っていた。

 卓球という競技を少しは知った後だから、より張替先輩の強さを感じることができていた。


「それにしても、先輩のドライブをちゃんとブロックできてるのすごいなぁ……流石高校生、レベルが高い」


 少々先輩びいきにも聞こえるが、実際のところ先輩は最後の大会で県大会ベスト8まで行ってるほどの強者だから、これは過大評価でも何でもない。

 先輩は、紡金ちゃんの成績と比較して「俺もまだまだ精進しないとだな」とか言っていたけど、1年で関東大会ベスト16まで食い込んだ紡金ちゃんがおかしいだけだと思います。


 さてさて、高校での先輩の練習相手はどんな人なんだろう…………今後の妄想のために先輩の友人関係を調査しなければ。


 私は視線をゆっくりと逆側のコートへ移す…………えっ、女の子?

 衝撃で思考が止まっている間に、向かいの女の子がミスをした。


「ごっめーん、大翔。ミスった!」


 え、呼び捨て……?


「ナイスブロック、香織! 10連ブロックも安定してきたじゃないか」


 先輩まで!?!?!?!? しかも下の名前なの!?

 そういう仲だっていうの!!!!!!?


 香織と呼ばれた女子は、先輩にボールを投げて練習を再開した。

 緋色eyesが急遽先輩のプレーを見るのをやめて、例の女子生徒の分析に入った。


 身長は結構高め……165くらいかな。

 髪は短めですごく活発そう。口調からも活発確定。

 もうこの時点で中の上以上の女子だ。

 そして、信じられないくらい目がキラキラしている。メイクしてるのか?

 メイクしないでその目の輝きはもう犯罪だぞ。

 どこまで私を含めた下の下女子を惨めな気持ちにするつもりだ?

 そしておっぱいが……大きい! Dは堅いよこれは!


 ふと緋色eyesで自分の胸を見る。まごうことなき、Aカップだった。おまけに身長は139cmのちんちくりん。

 やめて!私を見ないで!見ないでも知ってるでしょ!


 そして、彼女の卓球の実力だが……これはかなりのものだった。

 先輩のドライブを止められているということもそうだけど、その姿勢がかなり安定していた。

 足捌き……フットワークがかなり洗練されている。

 女子選手でこの実力となると、県大会上位入賞は堅い。

 もしかしたら、紡金ちゃんも彼女のことを知っているかもしれない。それくらい勝ち上がっている可能性が高いということを言いたいのだ。


「(そういえば先輩は熱いのが好きだって言っていた……きっと、強くないと先輩の世界の登場人物にはなれないのかも……)」


 自分の実力は、自分が一番わかっている。

 私は弱い。

 まだ打つ選手になりきれていないほどの実力だ。

 先輩の隣に立つためには、まずは強くならないといけないんだ。


「(先輩待っていてください……きっと、振り向いてもらいますから……!)」


 やるべきことは決まった。

 今はとにかく練習しかない。

 せっかくの高校生との交流会なのだから、きっちり鍛えてもらおう。


 ラケットを握って立ち上がる。

 今日の私はちょっと積極的……中の下女子だ!


 そこから、練習に混ざるまでに卓球場の隅を何周かした話の詳細は伏せておくとしよう。

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