第9話 飛び火

 藤代に宣戦布告された次の日。

 昨日の今日だというのに、彼女からの攻撃は始まった。


 朝学校に来て、自分の席に向かってみると、私の席の周りに生徒が集まり、何やらざわついていた。

 私が登校したのに気づくと、生徒たちは自分の散り散りに、自分の席へと戻っていく。触らぬ神に祟りなしというやつだろう。

 恐れを知らぬ1人の女子生徒……クラス委員長が声をかける。


「内原さん。あなた……まさかこれは自分でやったんじゃないわよね?」


 彼女は私の席を指差してそう言った。

 見ると、私の机は彫刻刀で滅茶苦茶に傷付けられていて、ビビットカラーなペンキで彩られていた。触ってみると手に色が付いた。

 おそらく朝早く来て誰かが……いや間違いなく藤代らがやったのだろう。

 ヤンキーは早起きで困る。


 冷静に分析してみるが、私は内心穏やかではなかった。

 私はこれまで、友達がいなくて一人ぼっちだったが、それでもいじめを受けたことはなかった。

 無色透明だった私はこれまで見つかってこなかったが、少しでも色を見せればいじめられる資質を持っていることは自分でも自覚していた。

 私はもうこの机のように、無色透明ではない。見つかってしまったのだ。

 唇を強く噛み締めると、鉄の味がした。

 心配そうに委員長が私の顔を覗き込んできて、質問されていることを思い出した。


「…………私じゃないです。それと……犯人はこのクラスの人じゃないと思います」


 私は涙を拭いて、掃除用具いれから雑巾を取り出して机を拭いた。

 すると、途中でソレは固まり出して、雑巾が机にくっ付いてしまった。

 半乾きのペンキを拭けばどうなるかなんて、少し考えれば分かるのに、私はそれほどまでに動揺していた。

 どうしようもないやるせなさを感じて、また涙がこみ上げてきた。


 鼻水をすすり、力ずくで雑巾を剥がすと、私は教科書であおいでペンキを乾かした。多分、これが最良の手だ。


「(紡金ちゃんに知られないようにしないと。知れば、きっと責任を感じてしまう)」


 教科書であおぐ間、いくつもの視線が私に送られてくる。

 みんな、心配してくれている。

 そのことに、私は希望を感じ、かえって涙がこみ上げてきた。


 ペンキが乾き切ったところで、私にとびきり心配した視線を送ってくる彼女に……彼女たちの席に向かう。


 涙を拭って、彼女たちをみると、彼女たちは視線を外した。


「分かってる……分かってるから。あの人に会う機会があったら、こう言っておいて……『こんなことしてるから先輩に振り向いてもらえないんだ』って」


 岩間さんと石岡さんは目を合わせてはくれないが、コクリと頷いた。



 ***



 それから1週間、私への嫌がらせは続いた。

 机へ彫刻刀、ペンキ、のりのイラズラ、割烹着の紛失、靴に画鋲を入れられたり、下駄箱に虫の死骸を入れられたり……。

 割烹着は防ぎようがなく先生に謝ることになったけど、なんとか許してもらえた。

 下駄箱は、いたずらをされた次の日から靴を毎日持ち帰ることにしたのでダメージは最小限に食い止めていると個人的には思っている。


 先生にいじめのことを話すのは負けた気がするので意地でも言いたくなかった。「6月に全て終わります」と説明したら、担任の先生は納得してくれたのは本当にありがたかった。


「(……今日はコオロギか)」


 下駄箱の虫の死骸を掃除してから、紡金ちゃんの家へ向かった。


 *


 練習が開始しておよそ1時間。

 そろそろ体があったまってきたというところだ。

 ツッツキの練習中、私は空振りをしてしまう。


「緋色ちゃん、なんか疲れてる?」

「そう……かな? そう見える?」

「うん。ここ1週間練習をかなり厳しめにやってきたからかなー。ちょっと休憩入れようか」

「ううん、大丈夫。それより紡金ちゃんごめんね。私の練習に付き合ってもらって」

「それはいいよ。だって、緋色ちゃんが練習するのは私のためなんだから。私が付き合うのは当然だよ。まさか緋色ちゃんが藤代先輩と勝負するなんてねー」

「うん。私もまさかこんなことになるなんて思ってなかったよ……」


 私は苦笑いしてそう返した。

 実際、藤代には腹を立てていて、一言文句を言ってやらないと気が済まないという気持ちはあった。

 でも、試合だなんて聞いてない……!

 張替先輩、熱血なのはいいけど上手くのせられすぎかも……


 サーブを出して、ツッツキを続けながら、話を続ける。


「一応言っておくと、私のラケットはこの通り。ちゃんと新しいのを買ってもらえたから、私的には別に復讐とかしてもらわなくてもいいって思ってるんだよね。それでも緋色ちゃんはやるの?」

「……うん。私は彼女と戦うよ。これはお金の問題じゃない……と思うから」

「というと?」

「紡金ちゃん、悲しそうにしてたから……紡金ちゃんにあんな顔させたあの人を……私は許さない」

「…………緋色ちゃん、平気な顔でそういうこと言うんだね」


 紡金ちゃんに言われて、私の顔は熱くなる。

 私ってば、なんて恥ずかしいことを……!


「それなら、私も本気で協力するよ。市大会までに藤代先輩に勝てるようになるには、かなり頑張らないといけないから覚悟して……ねッ!」


 私のツッツキで下回転のかかったボールを紡金ちゃんが豪快なスイングで返球する。

 気づいた時には、ボールは私の後ろにいた。

 ドライブ……だ。


「はっきり言って、緋色ちゃんが勝てる可能性は、今のところ万が一にもないよ。藤代先輩はそこまで弱くない。女卓なら、私を除いて一番強い」


 続いて紡金ちゃんは下回転のサーブを放つ。

 ラケットに当たった途端、垂直にボールは落ちた。


「相手は打つ選手だよ。今から打つ選手になるのはきっと無理だと思う」


 さっきと同じサーブ。

 下回転だと思っていたのに、私の返球は宙を舞った。

 同じモーションから、上回転?

 当然、スマッシュが打たれる。


「だから、まずは打てる選手になろう。そうすれば、戦略の幅が広がる。そして……」


 台から出ないように、短いサーブを出す。

 紡金ちゃんは台上で手首を捻って高速でそれを打ち返した。


「私から一点でも取れるようになるんだ。そうしなければ、彼女に勝つなんて夢のまた夢だよ」


 ゴクリと、唾を飲み込む。

 最高の友達は、最大の壁となって私の前に立ちはだかった。



 ***



 紡金ちゃんが言った通り、まずは打てる選手になるための特訓を行った。

 これまでツッツキ主体の練習だったところから、スマッシュ、そして下回転に対するドライブの練習も追加した。

 練習メニューが増えたから単純に練習時間を増やせばいいじゃないかと思うかもしれないが、それは出来なかった。あくまで私は部活に出ていることになっている。お父さんとお母さんに心配をかけることはできない。

 同様に、紡金ちゃんにも心配をかけられない。もし、私がいじめられていると知ったら、彼女はすぐにでも藤代に殴り込みに行くだろう。紡金ちゃんは体格もよく、見るからに喧嘩は強そうだけど、こっちから手を出したら藤代とやってることが変わらなくなる。藤代との決着は卓球でつけたい。


 一通りの基礎練習が終わった後に、紡金ちゃんによる戦術解説が始まっていた。


「短く出してから、長く出す。右に出してから、左に出す。基本の考え方はこれだよ」

「う、うん」

「さっきのは右利きの選手の話ね。基本的にフォアの方が得意って選手が多いから、フォアを強制させてからバックに鋭く打てば、そんなに速度がなくても得点に繋がることが多いんだ」


 100円ショップで買ったというホワイトボードに矢印をかきながら解説してくれる。とっても分かりやすい。


「速度がなくてもって……ツッツキでもいいの?」

「それでもいいけど、遅すぎるかもしれないね。ツッツキ程度の球速なら、フットワーク練習をしてない藤代先輩でも簡単に取れちゃうと思う。だからなるべく上回転で出したいよね。そのためのドライブ練習だよ」

「あっ、そういうことだったんだ! 今までの練習が繋がってきたかも」


 これまで練習してきた技術はきちんと紡金ちゃんのいう戦術にピタリとハマっていた。

 これまでやってきたのはただボールを打ち返すだけ。

 ここからは、卓球という競技をするんだという気持ちがわいてきた。


「さっきのは、ラリーが始まってからよく使う考え方。分かってると思うけど、卓球の試合はラリーだけじゃないよね」

「うん。サーブの話……だよね?」

「そう。卓球は2本交代でサーブ権が移っていくの。そして、市内大会くらいなら、サーブでかなりの点数が動くはず」


 サーブの話はすごく説得力があった。

 実際、私は毎日1回、紡金ちゃんと試合してるけど、彼女のサーブを1度たりとも返せたことがない。

 返せたことがないだと、少し誤りかもしれない。

 1度たりとも、私の球として返せたことがない……だ。


「3球目攻撃という考え方があるよ。サーブで相手の返球を絞って、ドライブスマッシュで決めるってあれね」

「う、うん……毎日紡金ちゃんにされてるから……分かるよ」

「前に戦った感じだと、3球目攻撃は藤代先輩も知っているみたいなんだよね。だから、緋色ちゃんと試合するときも間違いなくそれを狙ってくるはず」

「でも、どうしたら先輩の3球目攻撃を……」

「対処法はたくさんあるよ。2球目でこちらが攻撃すれば、こっちのもの。狙いとは別の場所に返球すれば、完全な形で攻撃が成功しない。狙い通りに打たせて、ブロックでカウンター。2球目の攻撃は難しいから、緋色ちゃんがするなら後ろの2つね」


 紡金ちゃんはそう言って立ち上がる。お尻をパンパンと叩いた。

 さあ特訓の再開だ。

 市大会までそんなに時間はない。絶対に……紡金ちゃんから1点でも取れるくらいに成長してやる。



 ***



 市大会の早朝。

 夏が近づいているというのに、朝はまだ涼しい。

 服をパタパタとさせると冷たい風が中に入って、冷たいくらいだった。


 大きく息を吸い込んで、吐き出す。

 上がった息を整えると拳を強く握る。

 紡金ちゃんは私たちを隔てる卓球台の間まで歩くと、スコアボードをめくった。


 <10-1>


 確かな手応えがそこにはあった。

 市大会直前、私はついに彼女から1点をもぎ取った。


「行こう、紡金ちゃん。悪者退治に」

「絶対勝ってね。今日の緋色ちゃんは、カッコよくて可愛い、

 私のヒーローなんだから」


 彼女の手を取り、必勝を誓う。

 火のついた私の魂は、メラメラと熱く燃えていた。

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