第7話 秘密の特訓

 紡金ちゃんに手を引かれて放課後の街を走る。小学校が違うこともあって、私がいつも使っている通学路とは異なる道を進む。彼女の家はそこまで遠くはないらしく、5分程走ったところで目的地が見えてきた。


「緋色ちゃん、ここが私の家ね。なんてことない普通の家でしょ」

「そ、そうかな……?」


 私は彼女の言葉に曖昧な返事をしてしまう。

 古い家だ。まず門のある家ってなんなんだと思う。

 紡金ちゃんは、いわゆる地主の家系なんだろう。

 ここまでくる中で、この家以上に大きな家はなかったし、そもそも三世帯も入るほど大きくて古い家という時点で何かやんごとなき家系なのは間違いない。


「ほら、中に入って。早速練習しよ」


 彼女に連れられるまま、私は使わなくなった車庫の方へ向かう。

 車が5台は入れられそうなそこには、よく見知った鉄製の青色の台ではなく、木製の卓球台が一台あった。


「紡金ちゃん……卓球台持ってたんだ」

「うん。3年生の時から卓球は始めたんだけど、もっと練習したいって言ったら、お父さんが5年生の時に買ってくれたんだ」

「そう……なんだ。ここで毎日練習してるの?」

「うーん、最近はしてないかな。練習相手がいなくなっちゃったから」


 そうして、紡金ちゃんは小学校のころの話を少ししてくれた。


「小学校のころ、卓球友達がいてさ。一緒に練習してたんだけど、中学校では卓球の強い中学校に行きたいってお爺ちゃんの家に引っ越したんだよね」

「そうだったんだ。えっと……前に張替先輩が話してた子?」

「そうだよ。金町悠里ちゃん。まあ顔も知らない人の話をされても、困っちゃうと思うから、ここまで。体育館履きは持ってる?」

「うん。車庫だけど、体育館履きで練習するの?」

「そうだね。車庫と言っても、車庫として使ってないし、掃除もちゃんとしてるから、砂もないはずだよ」


 紡金ちゃんは手で床を撫でる。確かに彼女の手には砂がつくことはなかった。

 クッションがなかったり、違和感はあるけど、ほとんど体育館と同じだ。

 準備体操は、先ほど部活でしたので、程々にして、私たちの秘密の練習はスタートした。


「緋色ちゃん、これまでできるようになった技術は思い出せる?」

「えっと……フォアハンド、バックハンドと、フォアのツッツキとバックのツッツキぐらいかな」

「そうそう。因みに、この4つが出来たらそれなりに試合ができるようになったと思ってくれていいよ」

「で、でも……先週の校内トーナメントではボロボロだったよ?」

「あれは相手が上手だったからだよ。いい、緋色ちゃん? 卓球は、最初の頃は3パターンの選手に分けられるよ」


 彼女はそうして三本指を立てる。


「1つは『打てない選手』、もう1つは『打てる選手』、最後に『打つ選手』」

「打てない選手、打てる選手、打つ選手……?」

「うん。『打てない選手』は本当に打てない。強い球が打てないの。つまりドライブとか、スマッシュのことだね。だから、試合では基本ツッツキばかりで、上回転が きたら普通にラリーしちゃう」

「あっ、それって……私は打てない選手だ」


 紡金ちゃんの話している選手に完全に当てはまっていた。


「今はそうだね。次に『打てる選手』なんだけど、この選手はたまに打つ。もっと言えば、チャンスボールなら打てるくらいの力を持ってる選手ね。上がったボールをスマッシュ出来たりするってこと。私が見るに、長中の先輩たちは『打てる選手』が多いね。というかほとんどがこれ」

「スマッシュか……私にはまだ難しいかもしれない」

「練習すればすぐできるようになるよ。最後に、『打つ選手』。男子の部活を見ればわかるけど、ほとんどの選手はこの『打つ選手』だね。この選手はちゃんと打てるの。チャンスボール以外でも、相手のツッツキに対してドライブで返せたり、相手の強打に対してブロックもすれば強打で返したりもする。言ってみれば、普通の選手だね」


 男子の練習風景は見たことがあるけど、確かにみんなパシパシ音を立てて打っていた。荒っぽい性格とかではなくて、あれが本来の卓球の姿なんだ。


「今挙げた3つの選手はじゃんけんのようにこの選手に対してこの選手が強いとかがあるわけじゃないの。単純に、下の選手は上の選手に勝つことはかなり難しいって思ってくれていいよ」

「そ、それじゃあ……」

「うん。緋色ちゃんは『打てない選手』。だから、それより上の段階に進んだ選手には勝てない。特に、打てない選手は得点源が、相手がネットに引っ掛けたとか、サーブをミスしたとか、受け身だからね。打てる選手は自分から点数を生み出すことができる分、『打てない選手』と『打てる選手』の力の差はかなりあると考えていい」

「今のままじゃ絶対に……勝てないってこと?」


 紡金ちゃんはコクリと頷いた。その反応に私は肩を落とす。

 しかし、前向きに考えるなら、藤代先輩に負けたのは当然ということを知れたということになる。

 彼女は、間違いなく『打つ選手』だった。

 私のツッツキに対して上回転のボールで返してきていたんだから。

 2段階上の選手に敵うはずもなかったのだ。0点なのもうなずける。


「だから練習しよう。差があると言ったけど、『打てない選手』から『打てる選手』になるのはそう難しい話じゃないから。チャンスボールが打てるようになれば、試合は大きく変わるよ。後はチャンスボールを打たせるための、ほんの少しの戦術があればいいだけだから」


 紡金ちゃんはラケットをクルッと回すと練習をスタートした。私も後でそのラケット回すの練習しよ。


 *


 スマッシュ練習は想像以上に大変なものであった。

 空振りしたときの羞恥心がキツいし、そもそもスマッシュは体力消費が激しすぎる!

 最近普通にスポーツができていたから忘れかけてたけど、私はそもそも運動神経が悪い。

 運動を心の底から嫌っていたので、体力がつくわけもなく、それがこの様だ。

 私は、その場にへたり込み、肩で息をしていた。

 紡金ちゃんが心配そうに駆け寄ってくる。


「緋色ちゃん大丈夫……? ごめんね、激しくしすぎちゃって」

「ううん。私の体力が……ないだけ……だから。はぁ……体力つけないと」

「ランニングしてみてもいいかもしれないね。やるなら一人でやったほうがいいよ。ペースとか、他の人に合わせちゃうと体壊すから」

「う、うん……自分のペースでやってみるね」


 紡金ちゃんは信用できる。普通、一緒にランニングだー!ってなる流れなのに、運動音痴の気持ちがよく分かっている。私は、人に自分が運動しているところを見られたくない。卓球は……まあ見られてもいいかもしれないけど……結局のところ、無様な自分を見られるのが恥ずかしいってことだよね。


 椅子に腰掛けて休憩している間、彼女はサーブの練習をしていた。低い体勢で構え、ボールを掌に。投げ上げ、ボールの下の方を擦った。

 サーブは相手コートでワンバウンド、ツーバウンド……ボールは台を出ることなく、ネットに戻ってくる。私の下回転サーブとは全く異なるそれは、紡金ちゃんがよくするサーブの一つだった。


 下回転のサーブは卓球で最も基本となるサーブだと彼女は言っていた。私が最初に教えてもらったのもその下回転のサーブ。この間、部内トーナメントがあったけど、そこでもほとんどの人が下回転のサーブを使っていた。たまに速いサーブを出して、ラリーになったりしていたけれども。


 呼吸が整って、疲労感が和らいできた。

 立ち上がり、練習を再開する。


「スマッシュ練習……再開しよう!」

「やる気だね、緋色ちゃん。よしやろう! 手順は覚えてる?」

「うん。ボールの落ちる場所を予測して動いて、バウンドの最高地点に来る前に叩くんだよね。スイングは、延長線上に入れたい場所が来るようにでいいんだっけ?」

「その通り。動くのが大変だと思うから、ここからは全部フォア側にボール出すね。とにかく、まずはボールを入れられるように頑張ろう」


 私は一度ジャンプして、気合を入れ直す。

 スマッシュで一番慣れないのはスイングだ。

 ラリーなら上から下に振るという基本の基本が存在する。

 でも、スマッシュは上から振ることが多い。まるでテニスのサーブのようだ。


 ボールが上がる。大きな弧を描き、それは私のコートへと。宣言通り、フォア側だ。変な回転はかかっていない。絶好級。

 私は台の中央に向かうようにラケットの面を作り、そのままボールを叩きつけた。


 高い打球音と共に、ボールは台の外側へ。また失敗だ。


「力みすぎてるよ。本気で振らなくてもボールは入るから頑張って! 次行くよ!」

「お、お願い!」


 再びボールが打ち上げられる。

 力を入れすぎるな私。私が握っているのはラケット。人の手とは違う。ボールを打つために作られたものだ。それは私の感覚以上に跳ねる。私の中の感覚とラケットの感覚を、すり合わせるんだ。


 ラケットに私の血が通うようなイメージが浮かぶ。ラケットは私の体の一部だ。私の意識と別の動きをする私の一部。これまで、そんなこといくらでもあったじゃないか。かけっこの時、私の足は思い通りに動いてくれない。玉入れの時、思ったよりも力が入ってしまい籠に一度も入らない。それでも私は、無様な格好を見せまいと、見た目だけでもよくする努力をしてきた。時には他の人の動きを真似て、時には自分がどんな気持ちの悪い動きをしているのか鏡を見ながら。結果が思い通りにならずとも、私は運動音痴が原因でいじめられるようなことがないように……形だけでも様になるように。

 ラケットは私の体に比べれば幾分優秀だ。振り方が合っていれば、予想通りの跳ね方をする。少しだけ出来の良い私の体の一部だと思えば、私の右手はとても心強く思えた。私はこれを信用できる。


 考えろ。どれくらいの速さで、どの角度で打てば、計算上は……いや、計算なんて分からない。どうすればイメージ上ではボールが台に入っているのか想像するんだ。こうあって欲しい。こうだったらなぁという妄想。それが私ができる数少ないことだってことは痛いほど分かっていた。


 ボールの軌道がわかる。放物線のそれは、私の顔の高さほどまでバウンドする。


「見えた……!」


 ラケットの面を作ると、延長線上に伸びる補助線が見えた気がした。

 それが台の中央に来るように保つ。そのままラケットを力を入れずに振った。

 ボールは私が込めた力以上……想像以上のスピードで台の中央に着地すると、高く舞い上がった。鋭く速いその球を、緋色ちゃんがラケットで受け止める。

 そして嬉しそうに駆け寄ってきた。


「やったね緋色ちゃん! 初めて入ったよ!」

「う、うん……! やった……やったんだ……!」


 私たちは手を取り喜びを分かち合う。自分のことのように喜んでくれる紡金ちゃん。初めてスマッシュが決まって嬉しいという気持ちと共に、こんな良い友達ができた感動で胸が熱くなる。

 手にした確かな感触を忘れまいと私は、拳を固く握るのだった。


 *


 辺りが暗くなってきた。時計を見ると6時半を回っている。部活動が終わりの時間だ。そろそろ帰らないと、お母さんが心配してしまう。


「紡金ちゃん、そろそろ帰るね。一応……私、部活動してることになってるから、学校に連絡とかされたら困るし」

「そうだった。送ろっか?」

「ううん、大丈夫。道は分かるよ」

「オッケー。それじゃあ玄関までは送るよ」


 そう言って私は練習の手を止めて支度を始めた。紡金ちゃんはまだ少し練習するのか、私が片付けをしている間も、サーブ練習をしていた。

 紡金ちゃんは強い。でもそれには努力が裏にある。小学校には部活がない。だから、彼女はこれまでも、きっとこうして一人で努力を重ねてきたんだと思う。


 本当に、尊敬できる。私も、紡金ちゃんみたいになれるかな……


 スクールバッグに荷物を詰めて、車庫を出る。


「じゃあね、また明日」

「うん。また明日もよろしくね、紡金ちゃん」

「あ、そういえば緋色ちゃん普通に話せるようになってるね」

「えっ? あ、そうかも」


 紡金ちゃんが笑いかける。

 知らないうちに、おどおどせずに話せるようになっていたらしい。多分彼女の前だけだけど、大きな進歩だ。


「私ね、友達ができたの初めてなんだ。だからどう接すればいいのか分からなかったんだけど……なんでだろう。紡金ちゃんとは自然と普通に話せるようになって」

「そんなの考えなくてもいいって。それが友達ってものだよ。付き合ってる間に、どういう振る舞いをしたらいいかなんて、なんとなくで決まっていくものさ」


 お辞儀をして彼女の家を発つ。帰り際、紡金ちゃんが私の背中に言葉をぶつけてくる。


「他の部活の人とも友達になれるといいね!」

「うん。今は部活に行けないけど!」

「あはは! それもそうだね! そしたら二学期だ! 新しい友達ができても、緋色ちゃんの1番の友達は私だからそこはよろしく」


 いかにも青春なやりとりに私は恥ずかしさを感じる。胸をかきむしりたくなる。

 でも、この感覚あまり嫌じゃない。

 よし、私も頑張ろう。今日からランニングだ。

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