第5話 部内トーナメント

卓球部に入部して、2週間が過ぎた。

その間の練習は順調で、ラリーが結構続くようになってきた。

相手が紡金ちゃんということが大きいのだけども、最初の目標としていた、フォアハンドとバックハンドで30回のラリーや、ツッツキで50回のラリーなども安定してできるようになってきている。


それだけじゃない。

技術面だけじゃなくて、卓球のルールについても、紡金ちゃんに教えてもらった。


卓球は11点先取のゲーム。

一球目にボールを打つことをサーブと言って、サーブは2球交代で打ち合う。

サーブはネットに引っかかって入ったらやり直し。

ボールが相手のコートで二回バウンドしたり、相手が返球できなかったらこちらの点数。

ラリーが始まった後に、ネットに引っかかったボールはそのままゲーム続行。


他にも細かいルールがあったけど、特に気をつけないといけないのはここら辺だったはず。

突然卓球のルールを話し始めた、もとい心の中で復唱し始めたのには理由がある。

それは……今日私は試合をするからだ。


「校内トーナメント、まさか一年生も参加することになるなんてね。私もこれは予想外だったよ」

「ううう……私に試合なんて……まだ早いよ」

「まあ、一年生は上級生からの洗礼をもらって、練習に励むようにってことだと思うよ。当たって砕けよう、緋色ちゃん!」

「もう……紡金ちゃんは勝てるから気が楽だよね……」

「いやいや、流石に今日は普通に負けるよ。三年生はこれから最後の大会が控えてるから、あまり心を惑わせるようなことはできないし」


紡金ちゃんは苦笑いしながらそう答えた。

これまでの練習を通して、彼女は長中卓球部のレベルを大方把握してるのだろう。

私目線で見ても、この卓球部で紡金ちゃんに勝てる選手は一人としていない。

だけど、紡金ちゃんは今日の校内トーナメントで負けると言っている。

まったく、世渡り上手な紡金ちゃんだ。

こういう気遣いができれば私にも、友達がわんさかできたかもしれない。

私はそれ以上にまずは話しかけることができないからだと思うけど。


今日は土曜日なので、卓球場(小体育館)を女卓だけで貸切ということもあって、使えるスペースが広いが、それがかえって一年生にとっては居心地の悪さにつながっており、私たちは隅っこの方で固まってあまり大きくならない程度に話をしていた。

隅っこに集まるあたり、やはり私の見込んだ通り女卓に来る人たちは私に似た感じの人種が多いのだろう。卓球部入ってよかった。


そうこうしていると、牛久部長が卓球場に入ってきた。

手には小さな紙を何枚か持っていた。


「集合ー! 今月のトーナメント表だから確認して。人数が多いから、4つのトーナメントに分かれるから注意ねー」

「あ、いつもの倍か」

「ということは、アレと当たる確率も下がるってことね」

「こらっ、聞かれてたらどうするの」


そう言って、牛久部長は、ホワイトボードに4枚の紙を手際よく貼っていく。

先輩たちが何やら不穏なことを言っていた。

アレってなんだろ。怪物でも出るのかな。

こんな昼間っからそんなオカルトやめてもらいたい。


先輩たちの小言はひとまず置いておいて、私はトーナメント表を確認する。


えっと……私の名前はどこにあるかな……あった。


探してみると、『内原緋色』の名前は3枚目の紙──つまりCトーナメントで見つかった。偶然にも私のクラスと一緒だ。

私がここに入ったということは、名前の順に組まれたわけではなさそう。

もしかしたら、紡金ちゃんも同じトーナメントにいたりして。

そんなことを考えて彼女の名前を探そうと思ったところで、紡金ちゃんに肩を叩かれる。


「ひゃっ! ……紡金ちゃんどうしたの?」

「緋色ちゃん置いてかないでよー。トーナメント表が貼られたらすぐに見に行っちゃうから私ビックリしちゃった」

「あっ…………えっと……ごめんね」


しまった! 私は普段誰かと行動したりしないから失念していた。

こういう時は、友達と一緒に、トーナメント表を見に行ったりするものだったのだ!

私は後悔してうつむくと、紡金ちゃんは明るい声で励ましてくれた。


「別にいいよ。それより、緋色ちゃんどこだった? 私はCだったよ」

「えっ……私も……Cだよ?」

「そうなの!? じゃあ場所は……おっ、近いね。緋色ちゃんが勝ったら、次に私と当たれるよ?」

「本当だ……って、紡金ちゃん今日は勝たないとか言ってなかったっけ……? それ以前に、私が1回戦で負けちゃうよ……」

「そうだったね。私は手心を加えるけど、緋色ちゃんはちゃんと戦うんだよ。全力でやって、自分に足りない力を見つけてくるんだよ」

「そう……だね。私、頑張るね。ありがとう、紡金ちゃん」


今回のトーナメントは負け試合だ。

勝ち負けよりも、内容にこだわった方がいいんだ。

先輩と試合をして、何かを得るで候。

心の中の武士と共に私はコクコクと頷いた。


「あれっ……先輩たちどうしたんだろう?」


不意に、視線を感じた。

それも一人からじゃなくて、複数からの視線。

一年生からじゃなくて、先輩からだ。

先輩たちは、何故か私に対して哀れみの視線を送っている。

私が何かやらかしたのだろうか?

いや、そんなこと有り得ない。

私は何というか、なるべく空気みたいに周りに溶け込んで無味無臭な生き方をしているし、そんな目立つようなことはしていないはずだ。

じゃあどうして……もしかしたら


私はトーナメント表をもう一度みる。

一回戦の対戦相手は『藤代紫』という3年生の先輩らしい。

この人と当たることが、この視線の原因か?


急に卓球場の扉がギギィと音を立てて開かれる。

嫌な予感がする。

明らかに、空気が、変わった。


「紫さん、今日は部活行くんスか? だるいっスよ〜」

「うっせー。ウチはトーナメントは出るって決めてんの。練習頑張った雑魚ども蹴散らすの最高にアガるし」

「くー痺れるほどの悪役っぷりっすわ、紫さんは」

「あんたらは出ないの? ウチと試合しよーよ」

「無理無理無理! 紫さんの相手なんて無理ですって! それに私たちラケットの握り方もルールも知らないっスよ」

「ははは! あんたら何で卓球部なのかわからないっしょ」


部員たちは静まり返り、チャラチャラした声が卓球場に響く。

茶髪でピアスという校則違反のお手本のような3人がズカズカと私たちの部活を侵略していく。

あの3人はこの場所には似合わない。

あまり校内での地位が高いと言えない人たちで構成された、この集団には似合わない。

アレは間違いなく……スクールカースト上位、いや最上位の不良生徒だ。


そして、私は察してしまった。

紫……藤代紫…………あのヤンキーは私の一回戦の相手だ。


背中から吹き出る汗が気持ち悪い。

こうして私の初めての試合は最悪なものになることが確定した。



「よ…………よろしくお願いします……!」

「よろー。にしてもあんた暗いなー。そんなんじゃ男にモテねーよー?」

「す、すいません……」

「ははは! 素直でいーじゃん」


台について、試合前のラケット交換で早速イジれらた。

萎縮して、手から汗が吹き出る。

体操服で汗を吹いて、ラケットを握り直した。

得点板を持った二年生の先輩が私に同情の視線を送ってくる。


「ラブオール」


得点板の先輩の掛け声と共に、試合が開始した。

サーブは藤代先輩からだ。

気怠げな振る舞いから、ピンポン球を高く上げる。

規定のルールだと16センチ上げればいいところ、1メートルは上げているように見えるた。

そして、長い滞空時間ののち、フォア面を使ったサーブを繰り出してきた。


ボールの下側を擦るようなサーブ…………紡金ちゃんが教えてくれた。

これは下回転のサーブだ!

下回転には……ツッツキ!


左足を前に出し、手を内側にしまい込む。

そして、面を若干上に向けて突き出す……!


「あれっ…………」

「わ、ワンラブ!」


<1ー0>


突き出したラケットにサーブが当たると、すぐに自陣コートに落ちてしまう。

すぐにボールを拾い、藤代先輩に返す。


回転数が思った以上だ。


そして再び藤代先輩のサーブ。

先ほどと同じ、高くボールを上げてからの下回転。


<2ー0>


私のレシーブはネットを越えることができなかった。

紡金ちゃんがやっていた下回転サーブよりも、更に回転がかかっている……!?

練習の中で彼女のサーブを返すツッツキのやり方はしてきたはずなのに、返せないとなると、藤代先輩のは紡金ちゃんのそれを凌駕していることになる。


サーブ権が私に移る。

ここから切り替えていくしかない。

私は、強烈なサーブは出せない。

だから、練習通り、ちゃんと入れられるように頑張るんだ。


左手でボールを持って、少しあげる。

落ちてきたところで、ボールの下を擦るようにして前に押し出した。

擦るのをそこまで意識しなければ、サーブは入りやすいと、紡金ちゃんに教わった。


私のサーブは無事に、藤代先輩のコートに。

そして藤代先輩がツッツキで返してきたので、私もすかさずツッツキで返球。

フォア側に長く、甘めの球。

それは、三年生にとって絶好球だったのかもしれない。

右腕を下に、台から見えなくなる。

次の瞬間、ものすごい勢いのスイングで、私のツッツキにラケットをぶち当てた。


山形で、不可解なほどに落ちる球。

あれは紡金ちゃんにまだ教わっていない技術…………


俊足の球が、私の背後へと突き抜ける。


<3ー0>


ドライブだ。

強烈な縦回転をかけた打ち方だと、聞いている。

でも、ドライブは縦回転。

私は下回転を出したはずなんだ。

どうして、上回転のドライブで……上回転が来たら上回転で返して、下回転で来たら下回転で返す……これが卓球の基本なんじゃないのか!


負けじと、もう一度下回転サーブを出す。

今度はツッツキで返すこともせず、一発目からドライブで返してきた。


<4ー0>


藤代先輩のサーブ権。


<5ー0>


<6ー0>


ダメだ。

私じゃ、この先輩には敵わない。

文字通り、敵にすらならない。

全く、歯が立たない。


そこから先、私はどのようなプレーをしたのかなんて、説明は簡単だった。

藤代先輩のサーブは一度もネットを越えることはなく、私のサーブは全て彼女の1球目にドライブで返される。当然、私は彼女のドライブを触ることすらできない。


試合というより、これは練習だったのではないかと思われるような残酷な敗北だった。


<11ー0>


「イレブンラブ! ゲームセット! 勝者、藤代先輩……!」


得点板先輩がゲームの終わりを告げる。

私は試合の終了と同時に膝をついた。

自分のあまりの無力さに、目頭が熱くなる。

スポーツをこれまでやったことが無かった。

勝ち負けというものを避けていた。

負ける……しかも、自分がまるでコートにいなかったかのように、無様に負ける……それがこんなに悔しくて、恥ずかしいものだとは思っていなかった。


タンッタンッと軽快な音を立て、藤代先輩が近づいてくる。

見上げると、彼女は私を嘲るかのように笑っていた。


「あんた一年生っしょ? 2週間練習して一球も触れないとか、あんたセンスないっしょ。ドジで鈍間とか、卓球やめたほうがいいんじゃね?」


そう台詞を残すと、彼女は不良二人と共に卓球場を後にしてしまった。


卓球をやめたほうがいい…………そうかもしれない。

私は……どうしようもなく運動が苦手なんだ。

張替先輩に近付く権利は……私にはない。


悔し涙が、卓球場の床を濡らした。



「緋色ちゃん、もう大丈夫? 落ち着いた?」

「うん…………」


あれから薄暗い廊下で私は泣いていた。

体育座りで泣くのはきっと今の私に似合っている。

惨めで、根暗な私に。


今は、何を考えてもよくない方向に考えてしまう。

だから、私は考えることをやめた。

事務的に紡金ちゃんに受け答えして、私はひたすらに、時間が経つのを待っていた。

早く帰って、布団に入りたい気分だった。


「緋色ちゃん、私試合だ。行ってくるね。ちょっと懲らしめてくる」


その時の彼女の言葉は、私の耳から耳へと通り過ぎていくのだった。



しばらく泣いて、心が落ち着いてきた。

藤代先輩にはセンスがないと言われてしまったが、卓球を辞めることは出来ない。

たとえ上手じゃなくても、頑張るしか……ない。

張替先輩は、頑張る人が好きだと言っていた。

センスがなくたって、私は部活を辞めたりしない。


そろそろ卓球場に戻ってみよう。

卓球のルールは大方把握したけど、今日得点板の先輩のしていることがいまいちわからなかった。

多分、これから一年生の私達も得点板の役を担うことになるかもしれない。

先輩のを見て覚えるぞ!


そう意気込んで卓球場の中に入った。

卓球場の中は相変わらず、窓が締め切りのため蒸し暑い。

だが、今はただ蒸し暑いだけじゃない。

ピリピリした空気を全身に感じた。

また私と同じように、藤代先輩に何か言われている子がいるのだろうか。


卓球場をグルリと見渡すと、部員たちは全員同じ場所を見ていることに気づく。

その視線の先には……


<0ー11>


得点板の先輩がビクつきながら、試合の終了を告げていた。

台には、藤代先輩がいた。

とても不機嫌そうだった。

犠牲者は誰だ?

対戦相手は二回戦だから二年生の先輩だろうと視線をゆっくり逆サイドの台に移すと、そこには……そこに立っていたのは私のよく知る、私の友達……紡金ちゃんだった。


嘘だ。

紡金ちゃんは1回戦で負けると言っていた。

だから、彼女が藤代先輩と戦う必要なんて……


紡金ちゃんはラケットを団扇のようにして、顔を仰ぐ。

そして、一年生とは思えないほどの迫力で、藤代先輩を睨んだ。


「2年間やって一点も取れないんですね。センスないですよ。それじゃ、次の得点板よろしくお願いします」

「…………テメェ覚えてろ。絶対ぶっ殺す……」


ぶっきらぼうに藤代先輩が大きな音を立てながらズカズカと歩く。

中庭に続く扉を力強く開けると、振り向くこともなく卓球場を後にした。


藤代先輩と、その友達が外に出ていった後、卓球場に歓声が上がる。

今の紡金ちゃんは、藤代紫という不良の支配下にあった卓球部に現れた、紛れも無い救世主……ヒーローだった。

先輩たちに囲まれる紡金ちゃんは右手を上に突き出し、私にアピールしてくる。

私は……素直に彼女の好意を返すことができなかった。


「(紡金ちゃん、私のために敵討ちだなんて……そんなことしたら……)」


歓喜に、これから起こるであろう恐怖が優った。

紡金ちゃんの身を案じて、私は再び涙を流すのだった。


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