第4話 はじめての練習

土日を挟んで次の火曜日。

月曜日は学校全体で部活がないので、今日が初めての正式な部活だった。

私はといえば、土日でラケットを買って、月曜日は初めての部活動でワクワクしながらラケットを眺めたりなんかして休み時間も過ごしたせいで、クラスの人と話す機会を失い未だに友達は出来ずじまい。

ラケットを買って浮かれた私のことを、クラスの人たちは某サッカー漫画のようにラケットが友達の人なのかなと勘違いしてしまったかもしれない。しかし、こんなことで諦めてはならない。


私は中庭で円状に並んでいる新一年生の顔を見回す。

その中には見たことのある顔がちらほら見つかった。

今年部活に入った1年生は全部で18名。

その中に、私のクラスメートもしっかりと入っていた。

長中はAからF組までの6クラスだから、大体1クラス3名ずつくらい卓球部に入っている計算になる。事実、うちのクラスからは私を含めて3人出ているし。

とにかく、同じクラスの子がいるから紡金ちゃん以外にも友達ができるかもしれないってことだ。覚悟せい。

私は再び武士を呼び起こし、クラスメートに相対した。心の中で。


新一年生の中心には卓球部の部長である牛久先輩が立っていた。

牛久先輩が何やら名簿を持っていて、私たちの人数を数えていた。


「よーし。初日からサボりはいないね。今年は部員が多いなー。多いと思ってた2年生よりさらに多いや。私は部長をしている牛久です。市内大会までの間だけだと思うけど、よろしくね」


彼女はなんともゆるい口調でそう言った。

よかった、あまり厳しくなさそう。

先週仮入部してた時も思ったけど、やっぱり卓球部は雰囲気が私好みだ。

ピリピリしているようなムードを壊すような人もいないし、かといってだらけて部活動をしていないわけではない。

いたって普通で、健全な部活動といった具合だ。

周りの一年生は、先輩が怖くないと知ると少しくだけた様子で、となりの人と小声で話したりしていた。


「よし、それじゃあ今日から一年生には卓球台の半面を使って練習してもらうからね。順番を守って仲良くやるんだよ。練習メニューも去年からの引き継ぎであるから、とりあえずはこれに従ってやってみて。えーっと……常盤紡金さん? あなたは経験者って言ってたから、あなたに練習メニューと順番表用の紙を渡しておくね」

「あっ、わかりました。ありがとうございます」


隣で気を抜いていた紡金ちゃんは体を少し跳ねるようにして一歩踏み出し、先輩から紙を2枚受け取った。


「部活の流れを説明しておくと、部活の開始の合図はしないから、集まり次第部活開始ね。一年生は半面一台を順番で使って、他の人が使っている間は壁打ちとか、筋トレとかをする。この時期だと部活終了は6時半だから、6時20分には小体育館に集合して片付けと挨拶をして部活終了って感じだから。うちの部にはそんな子はいないと思ってるけど、片付けに来ない後輩をよく思わない人もいるかもしれないから、片付けにはきちんと来てね」

『はい!』


一年生全員で返事をした。

部活初日から先輩に嫌われるなんて地獄のような事態になりたいと思う人はそうそういないだろう。

厳しくなさそうという印象を受けた人からこのような厳しいことを言われると凄みを感じる。


そうして、牛久先輩は手短に説明を終えると中庭から小体育館へと帰っていった。

残された私たちの間にはまだ、よそよそしさとか、互いに牽制し合うようなピリッとした空気が流れていた。私が普段よく体験している空気だ。


沈黙は私の隣から破られた。


「常盤紡金です。経験者の人です。早速卓球台の順番を決めようか」

「そうだね。どう決める?」


円形になった新入部員の1人が紡金ちゃんに相槌を入れる。

紡金ちゃんと一発目からあんな普通に話せてて羨ましい。


「まずはペアを作って、そこから名前の順がいいかと思うんだけど、それ以外の案の人いる?」

「どうしてペアになるの?」

「卓球は基本的に1対1で練習するから、練習用のペアは作っておいた方が良いと思うんだよね。同じ人と練習した方が効率もいいし」

「そっか。じゃあ私はペア作るので賛成」

「私も賛成」


そこから先、みんなは頷きながら周りをみて同意していることを確認した。

私もコクコクと頷いて意思表示する。

早速ペア作りが始まった。

今回一年生は18人。偶数だ。

つまり……残り物が出ない。

残り物が出るとき、私は少し気が楽になる。

そういう時は大体先生がペアになってくれるからだ。

私は、じゃんけんで負けた人とか、グループの中で力の弱い者が泣く泣く私とペアを作るのが苦手だ。

ただ、今日は状況が違うはず……だ。


伏し目がちに、紡金ちゃんをチラチラとみた。

彼女は私の気持ちを汲んでくれたようで笑顔で近づいてきた。


「緋色ちゃん、一緒にベア組もう?」

「う、うん……! よろしく……ね」


紡金ちゃん……本当に天使だ。

中学校で舞い降りてきた私の友達。

これまで友達が出来たことがないからわからないけど、もしかしたら友達というものはこうあっさりと作れたものなのかもしれない。

紡金ちゃんは私のどこを気に入ったのかな。

微笑む彼女にそう聞いてみたい気持ちが心の片隅にある。

だが、聞いてこの関係が壊れてしまわないかという恐れが少しあった。

私は口を噤む。


順調にペアが組み終わったところで、緋色ちゃんが確認を取る。

そして手際よく、名前の順でペアを並び替えていった。


「はーい、みんな見て。18人だから、全部で9ペアね。最初は石岡・岩間ペア。部活時間は大体2時間半だから、1ペア15分ってところか。15分交代でいい?」

「15分打ったらもう打てなくなっちゃうから、7分交代で2回目があるように回した方がいいんじゃない?」

「それもそうかー。そうだね。7分で行こう。早速最初のペア、台に入って」


他の部員の意見を取り入れ、紡金ちゃんは端的に指示を出す。

最初のペアが台に着いたのを見計らって、紡金ちゃんはスマートフォンのストップウォッチ機能で時間を計り始めた。

そして私たちは、待機件壁打ちのために、小体育館と体育館の間の廊下に移動した。


「緋色ちゃん、私たちは2番目だよ。5分経ったら卓球場で待機しようか」

「う、うん。それまで……何したらいいだろう……」

「メニューとフォームの確認しよう。先輩から渡されたメニューには、まだ緋色ちゃんの知らない技術があるから」

「えっ……フォアとバックだけじゃないの……?」


私はその2つしかまだ分からない。

前に紡金ちゃんはそれ以外にたくさん技術があると言って、口頭で羅列してくれたことがあったけど、その中の1つだろうか。


「うん。フォアバックはもちろんするけど、それ以外にツッツキをするみたいだね」

「ツッツキ……?」


なんだその可愛いのは。

キツツキとかそういう野鳥を感じるネーミングだ。

もしかしたらインコとかブンチョウとかもいたりして。


という冗談は置いておいて、わけがわからないので、紡金ちゃんに疑問を投げかけた。


「ツッツキというのは、カットのことね。緋色ちゃんが1週間練習した、フォアハンドとバックハンドは、上回転をかける打ち方だったよね」

「上回転……? えっと……こっち?」


私は廊下に落ちていたピンポン球を持って手前から奥に回してみせた。


「うん。そっちの回転。ツッツキはその逆で下回転をかける打ち方なんだ。上回転よりは簡単だと思うし、すぐできるようになると思うよ」

「そ、そうなんだ……よかったぁ。ツッツキって……どうやって打つの?」

「今から教えるね。緋色ちゃん私のとなりに立って、真似してみて」


彼女の言う通り、となりに立って構える。

今回は鏡がないけど、紡金ちゃんがいるから、彼女が私の鏡だ。


「まずは、フォアからね。ラケットを持って黒い面が上にして、脇を締める。その後は、右足を前に出しながら、曲げてた肘を伸ばすようにしてラケットを前に出す。これだけだよ。真似してやってみて」

「う、うん……」


紡金ちゃんが何度もツッツキのフォームを繰り返してくれる。

フォアハンドとバックハンドに比べて、動きの小さな打ち方だ。

私は彼女の真似をして体を動かしてみる。


「そうそう。上手!」

「そ、そうかなぁ。紡金ちゃんのフォームが綺麗だから釣られて私も上手にできてるのかも……?」

「それでも、それはいい才能だよ。ラケット競技はフォームがかなり重要なスポーツだから、フォームが真似できるのはかなりの強みだね」


褒められた、紡金ちゃんに褒められた……!

あまり褒められ慣れていない私は、顔を赤くして俯いた。


昔から、周りに溶け込むようにして生きてきた私は、いつの間にか周りに合わせる生き方を習得していた。私の処世術は、意外なところで役に立っていた。


「とにかく、フォームはいいから後は、実際に卓球台でボールが入るかだね。ここからは感覚だよ。卓球は頭で考えて、感覚で調整していくスポーツだと私は思ってる」

「そう……なんだ……」


感覚と言われて足が止まった。

私は自分がそういう運動神経とか、センス的なものがないと思っている。というか、実際これまでの経験上なかった。

頭で考える、というか妄想とかなら得意なんだけどね。


ピピピピピッと、不意にタイマーがなる。

時間だ。私たちが台で待機する時間だ。


「緋色ちゃん、行こう」


紡金ちゃんがラケットを持って歩き出す。

綺麗目な容姿と、軽い口調が相まって彼女は普段あまり威圧感のようなものを感じる人ではない。

しかし、ラケットを持ち卓球場に入っていく彼女の姿からは、黄金の鬣をたなびかせる獅子のような勇猛さを感じた。

張替先輩とあの白熱したラリーをしていたのを目の当たりしていたからというのが大きのかもしれないが、彼女が卓球に向き合う時、彼女からは溢れんばかりの才能を感じた。

彼女は、黄金の、私の光だ。


そこで、私は紡金ちゃんが張替先輩に『黄金の世代』と呼ばれていたことを思い出す。もしかしたら、彼女から感じるこの感覚は、私以外の人たちも感じていたのかもしれない。


卓球場に入り、少し待つと前のペアの練習が終わった。

ちなみに、石岡さんと岩間さんは私と同じC組の生徒だ。

私は思い切って2人に話しかける。


「お、お…………お疲れ様………………です!」

「内原さんだ。ありがとう。頑張ってねー」


話せた……! クラスメートと話せた……!

心の中の武士が刀をブンブン振り回して興奮していた!

岩間さんは私の1つ前の席。石岡さんはその2つ前。

上手いことにうちのクラスの卓球部は窓沿いに固まっていた。

これは神が私に友達を作れと言っている。


少し話せて満足した私は、今度は教室で話しかけるんだと意気込んだ後、卓球台に着いた。


「緋色ちゃん、準備はいい? まずはフォアハンドから」

「う、うん! お願い……紡金ちゃん」


ラケットを握り直すと、私は応えた。

紡金ちゃんがボールを打ち出す。

ゆったりと弧を描いて私の台にやってくる。

そのボールに、フォームを思い出しながら、敬礼をするようにラケットを振った。

振ったのだが……


「あれっ……?」

「あはは……空振りだね」


顔が熱くなる。

妄想の中ではかっこよくフォアハンドを決めた私だったが、現実では空振りという結果だったらしい。


「もう一回行くよ。まずはそこまで敬礼を意識しなくていいから、ボールを入れることを意識してみて。慣れてきたら、だんだん正しいフォームに直していこう」


私はコクコクと頷いた。

紡金ちゃんの説明を聞いて、同じ台で練習していた2年生の先輩も何やら感心しているようだった。

恐らく、というか間違いなく、紡金ちゃんはこの卓球部の中でかなり上位の実力を持っているのではないのかと思う。

男子の三年生と軽々打ち合えるだけの実力があったし、うちの女子卓球部は多分そんなに強くない。

前に張替先輩が「今年は市内大会を突破できるかもしれない」と言っていた。これは長中の女子卓球部が市内大会を勝ちぬけないほどだということだろう。


空振りしたボールを紡金ちゃんに投げ返すと、2回目のボールを送ってくる。

私は言われた通り、小さいフォームで入れることを意識してラケットを振った。

ボールはラケットにあたり、コンッと心地よい音を立てて跳ね返る。

そして無事に紡金ちゃんのいる台でバウンドする。

不恰好ではあるが、私たちはポンポンと、何回かそれを繰り返した。

しかし、そこで私はあることに戸惑っていた。

私の様子を見てか、紡金ちゃんは一度ボールを手で取ってラリーを中断する。


「緋色ちゃん、自前のラケットは結構弾むでしょ?」

「えっ……そうだよ。よく分かったね……」


紡金ちゃんの私の心中を読んだかのように、思っていたことを言い当ててきた。

その通りだ。

私はあまりに跳ねるこのラケットに違和感を感じていた。

私が先週使っていたラケットと比べて圧倒的に跳ねている。


「だから、感覚が必要だって言ったでしょ? 慣れてくればそれが普通になるからそこまで心配しなくてもいいよ」

「そう……なんだ」

「ちゃんとしたラバーは、お遊びで使うラケットについてるラバーとはわけが違うんだよ。よく跳ねるし、よく回転もかかる。そういう良い道具を使って私たちは卓球をしてるんだ」

「確かに……ラバーは1枚3000円もするし、安物とは全然性能が違うのかも……」


3000円に見合う性能を持ったラバーなのだと考えると、この跳ね具合も頷けた。

きっとこれをコントロールできたら、速い球が打てるのだろう。

そういえば、紡金ちゃんのラバーは1枚7000円していると言っていた。

卒倒しそうな値段だけど、常軌を逸した性能のラバーなのかもしれないね。


その後、私たちは、というか私がフォアハンドが安定するまで練習した。

段々と上手くなっていくのはとても楽しい。


「緋色ちゃん上手くなってきた。時間も無いし、メニュー通り、ツッツキもやっておこうか」

「うん……わかった」


今日教わった打ち方を早速試す機会がやってきた。

そういえば、隣で練習している先輩はさっきからずっとツッツキを練習している。

まるで機械のように、淡々と。どちらかがミスするわけでもなく、ひたすらにツッツキでのラリーを繰り返していた。


「いくよー」


紡金ちゃんの言葉で意識を戻す。

私は目の前のボールに集中する。

さっきと違ってツッツキの練習の際には、紡金ちゃんもツッツキのフォームのように面を上にしてボールを打ち出した。

フォアハンドの時よりさらにゆったりとした球が独特な軌道で迫ってくる。

軌道は独特だが、ボール自体はゆっくりなので、ラケットに充てることは容易だった。

私は、教えられたフォームそのまま腕を押し出す。


「は、はいった……!」

「その調子! そのまま続けるよ!」


一発目から返球することができた。

彼女が言っていたように、ツッツキはフォアハンドに比べると簡単目な技術なのかな。

そのまま何級か繰り返して、私のボールはネットにかかってそこでラリーが終わる。

紡金ちゃんの真似をして、下回転をかけて最初の一球を台に入れると、そこからまたラリーが始まった。

コツン、コツン、コツン……


また5球くらい返したところで私がミスをしてラリーが止まる。

一球目を台に入れて、再びコツンコツンとやりだす。

コツン、コツン、コツン…………


地味だな。

3球目にして、私は気づいてしまった。

このツッツキという技術は、非常に地味だ。

フォアハンドのような華やかさがない。


そういえば、先輩にもらった練習メニューの大半はこのツッツキだった。

それに今隣でプレーしている先輩たちも、ずっと飽きもせずツッツキを続けている。

これは……どうしてだ。


「緋色ちゃん、ツッツキはとても大切な技術だよ。特に中学女子卓球では」

「わっ! 紡金ちゃんいきなりどうしたの!?」


心が読まれていた。


「いやー、緋色ちゃんがあまりツッツキ乗り気じゃなかったように見えたから。ツッツキは確かに地味だけど、しっかり出来るようになれば、武器になるよ。緋色ちゃん私のツッツキ返してみて」


そう言って紡金ちゃんはポケットからピンポン球を1つ取り出すと、一球めを打つ。

私がそれを返した後、先ほどまでと同じようにツッツキをしてみせた。

そのボールを返そうとラケットを当てたところで、ボールはネットにかかる。


しまったミスしてしまった。


「紡金ちゃん、もう一球お願い」

「何球でもどうぞ」


そう言って、再び先ほどと同じように、何級か繰り返す。

そして、私の4球目のツッツキは必ずミスしてしまう。

なにかがおかしい。

私は紡金ちゃんに言われた通りのフォームで返しているはずなのに。


「ツッツキは下回転がかかるって言ったよね。下回転がかかった球は、ラケットに当たると、下に跳ねるの」

「う、うん……」

「それで下回転が強ければ、今まで通りのツッツキの角度だとネットにかかっちゃうの。だから、緋色ちゃんのツッツキはさっきからネットにかかってる」


なるほど。

相手のツッツキがどのくらい下回転がかかってるのかがわからないと、ツッツキだけで点数がとられてしまうということか。

しかし、私はここであることに気づいてしまう。

だったら、ラケットの面をもっと台と平行に近い角度にしてしまえばいいのではないだろうか。


もう一球紡金ちゃんにツッツキをしてもらうようにお願いする。

仮説通り4球目のボールに対して、私はラケットの面を作って返球しようとするが次はボールが高く山なりになって紡金ちゃんの台に返る。


「えっ……?」


風が……風が吹いた。

パンッと強烈な音に気づいた時には球はすでに後ろの壁へと到達していた。

全く、見えなかった。

紡金ちゃんは未だにすました顔をしているが、となりの先輩たちは目を見開いて驚いている様子だ。


「今のツッツキは、ほとんど回転をかけてない……ナックルだよ。これはラケットに当たっても下に落ちない。だから、平行に近く面を作ると上にあがっちゃう。上に上がれば……スマッシュされちゃうね」

「でも、紡金ちゃんの動きはさっきと変わってなかったような……」

「練習すれば、緋色ちゃんも出来るようになるよ。同じフォームから下回転がブチギレてるのと、ほぼ無回転に近いボールも出せるように。もしそれができるようになれば、ネットにかけて得点したり、チャンスボールを返させて得点したりできる。地味だけど、ツッツキは間違いなく得点に繋がる技術の1つだよ。逆に、相手にツッツキで翻弄されたら、それだけでゲームが終わっちゃうから練習しなきゃね」


紡金ちゃんの言葉を噛みしめる。

私は間違っていた。

思った以上に、卓球は頭を使わないといけないスポーツのようだ。

頭だけじゃない。経験や練習量がかなり必要なスポーツだ。


その日は、結局2回目の練習の番でもツッツキを練習して、部活が終わるのであった。

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