第3話 入部

コンコンッ……コンコンッ……とリズミカルにピンポン球の跳ねる。

現在は放課後。

卓球部に見学に行った後、そのまま流れで仮入部をしてしまった私は、小体育館に続く廊下で『壁打ち』というものをしていた。

壁打ちとは、その名の通り、球を壁に向かって打つ練習のことだ。

長門中……通称長中では、卓球の台がどうしても足りないので、一年生は三年生が引退するまでは5台ある卓球台のうち、半面1つを交代で使って練習することになっている。

他の一年生が台を使っている間は、こうして壁打ちの練習をして……まあこう言うと印象が悪いけど、時間を潰すらしい。

今は仮入部中と言うこともあり、一年生が揃っていないので、台打ち練習はそもそもできないのだけど。

ちなみにラケットは学校に置いてあったものを借りている。


かれこれ1時間ほど壁打ちをして、疲れが出てきた私は、隣で全くブレることなく壁打ちを続ける紡金ちゃんに話かける。


「紡金ちゃん……本当に上手……だね」

「そう? ありがとうー! 緋色ちゃんも初日にしてはかなり上手だと思うよ。ちゃんと回数続いてるし。長く続くだけでもなんだか楽しいよね」

「う、うん…………楽しいね……」


私はコクコクと頷いた。

実際壁打ちは楽しい。

卓球のラケットを握るのも、ボールを打つのも始めての私にとって、ボールがラケットに当たったときの、重いんだか軽いんだかよくわからない感覚がとても新しくて楽しく感じていた。

動くものを追ってしまう猫の気持ちを知った。

夢中になって止められないのだ。とても楽しい。


「そうだ。結構壁打ちしたし、フォームとか覚えてみない? 台で打つとき、役に立つし」

「フォーム……?」


私が首をかしげると、紡金ちゃんはボールを使わずに、その場でラケットをスイングさせた。


「卓球にもね、球を打つ時の体の形とかがあるんだ。こうすると上手にボールが入るみたいなやつ。緋色ちゃんちょっと鏡の前でこれまで壁打ちしてた感じにラケット振ってみて」

「えっ……うん……」



私は周りを見渡すと、近くにトイレを見つける。あそこなら鏡がある。

紡金ちゃん同伴で女子トイレに向かう。


……あれ、これもしかして「友達と一緒にトイレ」じゃない!?

人生初だ。これだ。これが私の望んでいた青春とかいうやつだ……!


私は幸せに満ち溢れ、その場で立ち止まりそれを噛みしめる。

急に止まって紡金ちゃんが心配そうにしていたのですぐに一歩前に進むと、ラケットを持って何回か振ってみせた。


「あれっ……?」


思わず、これが出てしまった。

鏡に映る私は──顔はどうしようもないのでそれは置いておいて、猫パンチともパントマイムとも取れる奇妙な体の動きをしていた。

これまで私はこんなに不恰好に壁打ちをしていたのか……?

それを自覚すると、途端に恥ずかしくなり、私は下を向いて頬に手を当てた。

熱い……顔から火が出ているようだ。


「ラケットスポーツって、他のスポーツに比べると、フォームがかなり目立っちゃうんだよね。カッコよくスイングできればそれが上手かはまた別の話だけど、上手になりたかったら、フォームをしっかりした方がいいと思うな」

「そう……だね。フォームしっかり…………したいかも」


私は呟くようにそう言った。

もし紡金ちゃんくらい綺麗なフォームで卓球ができたら、もしかしたら、ちょっとは、私の姿も綺麗に映るかもしれない。

そうすれば……もしかしたら、もしかしたらだ。

先輩に振り向いてもらえる可能性だって……


「紡金ちゃん……私にフォームを…………教えてくれませんか?」

「いいよ。元からそのつもりだったし。それよりなんで敬語なのー。友達なんだから、普通に話していいんだよ? もっと自分に自信を持って」

「自信は…………ちょっと無理かなぁ……。でも、頑張って話せるように……努力はするね」


紡金ちゃんは苦笑いを浮かべる。

私もそれに合わせて、ぎこちなく口角を上げる。

これが今の私の最大限だ。

自分に自信を持つなんて、私にはまだまだ無理だけど、せめて紡金ちゃんとお話しできるくらいにはなりたい。

トイレに微妙な空気が流れる中、そう思うのだった。



「それじゃあまずは、フォアハンドの練習をしようか」

「フォアハンド……?」


紡金ちゃんから知らない用語が出され、私は首をかしげる。

これを予想していたのか、彼女は右手で敬礼するようにスイングした。


「これこれ。私も緋色ちゃんも右利きだから、自分の右側にある球を打つときにする打ち方のことだよ。さっきから緋色ちゃんがやろうとしてたのもこのフォアハンドってやつなの」

「それが……フォアハンドだったんだね」

「フォアハンドは、私は一番使う打ち方かな。たぶん、部活でも最初にフォアハンドの練習をすると思うよ。次にバックハンド、フォアカット、バックカット、フォアドライブ、バックドライブ、スマッシュ、対下回転フォアドライブ、対下回転バックドライブ、ストップ……」

「あわわわわわ………………そんなにいっぱい覚えられないよ……」

「あはは! ごめんね、とにかく卓球はたくさん覚えることがあるの。その中で一番最初はフォアハンドを練習するのが一般的かなって感じ」


おどける私の姿をみて紡金ちゃんは笑顔を浮かべた。

卓球……まさかここまで複雑なスポーツだったとは……

まだ入部も済ましていないというのに、自信がなくなってきた。

張替先輩は、卓球は運動神経が関係ないと言っていたけど本当なのだろうか。


「とにかくフォアハンドの打ち方を教えるよ。まずは敬礼をしてみて」


私は紡金ちゃんのフォアハンドをみたときに最初に感じたものは間違いではなかったらしい。

彼女の言う通りに、敬礼をしてみる。


「そういい感じ。次に腰を軽く落としてみて。それで敬礼」

「こ……こうかな……?」


スクワットまではいかないけど、紡金ちゃんに合わせて少し膝を曲げて膝を落とし、敬礼をする。

これまた大丈夫だったらしく、彼女は親指を立てて突き出してきた。


「おっけー。筋がいいよ緋色ちゃん! 流石は私が見込んだだけある!」

「なにそれ……えへへ…………でも、ありがとう」

「よし! これが最後ね。今は、手を横から上げてるでしょ?」

「う、うん……」

「それを後ろから前に振り上げるようにするの。具体的には、まずは足を変える。右足を一歩引いてみて。そうすると、敬礼の開始位置が後ろの方になるでしょ?」


彼女の言う通り足を下げてみると、不思議なことに私の右手は自然と今よりも後ろに位置した。

紡金ちゃん教えるの上手だ。


「それと、少し体が右に捻れてるよね? 後は、捻れた身体を戻しながら、敬礼をするだけだよ。やってみて」

「こ……こうかなっ…………えいっ」


捻れた身体を戻すようにして、スイングをする。

手応えはあった。

まるで、元々そこにあったピースが戻っていくように、しっくりとくる感覚が全身に伝わってくる。

これまで私がしていたのは、フォアハンドじゃない。

これこそがフォアハンドなのだと、どこか安心に似た感情を抱かずにはいられなかった。

私は伺うように、紡金ちゃんをみる。

彼女は再び、親指を突き出して笑っていた。

今の自分がどうなのか気になって仕方がない。

私の足は、勝手にトイレに向かっていた。


駆け込むようにしてトイレに入り鏡の前に立つ。

先ほどの、私の醜態はよく覚えている。

何かの部族の舞かなにかを踊っていた。

評価がどんどん悪くなっている。


私は心の中で彼女に教わった事を復唱する。


基本は敬礼。

足を曲げ、腰を落とす。

右足は一歩引き、下がった右腕を確認する。

そして捻れた身体を戻すのに合わせて、敬礼をする……!


一連の流れを思い出し、私は初めてのフォアハンドを私に披露した。


鏡の中の私は依然、不細工なまま。

だけど……だけれども…………ちょっとカッコいいように見えてしまうのだ。

スムーズで、体全体を使ったスイング。

体育館で先輩が見せたドライブのようなカッコよさはないけれど、私の身体は、こんなにも見栄え良く動いていた。

それはさながら、バレエのように、ダンスのように……容姿とは別のところに存在する、振る舞いによる優美さというものを発しているように思えた。


これまで、正直なところ部活動に入部するか迷っている自分がいた。

興味はあった。でも、いざ部活動に顔を出してみると、紡金ちゃんはとっても上手だし、私はとても不恰好だし……このままでは惨めな自分を見るだけなのではないかという疑いが…………いや、これは……単に自信がなかったのだ。

今はもう、そんな気持ちはどこかに行ってしまった。


トイレから出ると、紡金ちゃんはどこかニヤニヤした表情で私を見てきた。

それが少し恥ずかしくなって私は俯きながら、彼女に向かって親指を立てて前に突き出す。

その日、私と紡金ちゃんは正式に卓球部に入部届けを出すのだった。



入部届けを出した週の学校が終わって、すぐの土曜日。

残念ながら桜はもう散ってしまったが、春特有の過ごしやすい気温と日差しのいい日だ。

そんな日に、私は学校の校門の前でモジモジと服の裾を弄りながら、人を待っていた。


予定時刻より20分早く着き、10分ほど経った頃、私の待ち人は手を振りながら現れた。


「おーい、緋色ちゃん! おはよー」

「お……おはよう、紡金ちゃん……」

「緋色ちゃん早いね、早速行こうか」


そう言って、紡金ちゃんは足早に校門を後にする。

私は、初めて友達とお買い物という浮ついた気持ちを抑えながら、彼女の後を追った。

紡金ちゃんの後を追って少し歩くと、私は目的の場所に到着した。

目的地は、地域にあるスポーツ用品店。

全体的に青を基調にした建物で、私は一度もこの施設に立ち入ったことがないので、妙に緊張していた。

まさか自分が、自分みたいな根暗女子がスポーツをするだなんて思っても見なかったので心臓がビックリしている。


自動ドアを潜ると、冷房の効いた心地のいい風とともに、独特のにおいが鼻腔をくすぐった。


「んっ…………なんだか少し……変なにおいがするね」

「あはは。確かにそうかも。でもこれは卓球の用具のにおいじゃないかもね。バスケットボールとか、グローブとかの革製品は新品だとちょっと独特なにおいがするから」

「あっ…………ここには、卓球以外も…………置いてあるんだもんね。忘れてた……」


私が来たのは卓球用具の専門店ではなく、あくまでスポーツ用品店。

他のスポーツの用具も売ってるのは当然だ。

革製品って、お父さんのお財布とかでも思うけどちょっとくさいよね。

使ってると馴染んでこれがいいんだと言ってたけど、私にはまだちょっと分からないや。


紡金ちゃんはこのお店に来たことがあるのか、案内も見ないでサクサクとお店の奥へと向かった。

進んでいくと、すぐに卓球の用具コーナーに到着した。

ユニフォームやラケット、それに何かカラフルな四角いものが並んでいる。

ついに来てしまった。

私は今日、卓球のラケットを買いに来たのだ。


「こんなところ……初めて来た」

「あはは、卓球に興味がない人はここには来ないだろうしね。それより、緋色ちゃん。早速ラケット選ぼう」

「う、うん……!」


まずは好きに見てみようという提案のもと、私は適当にラケットを物色し始めた。

自分の背より高いところまで並べられたラケットを私は見上げる。


うわぁ……たくさん種類があるなぁ。

この中から私のラケットを選ぶんだ。

卓球部に入ってラケット買うって言ったら、お父さんから1万円ももらっちゃったから、絶対変なのを買わないようにしないと。

ラケットはざっと見た感じ、安いので4000円で高いのになると……に、2万円!?

流石に2万円は買えないや。

お父さんがくれた1万円と、私のお年玉5000円でなんとか1万5000円までは手が届く。

……って、あれ? なんだか私が見たことのないラケットがある。

不思議な形をしたラケットだ。持ち手のところが盛り上がっているというか、とても握りにくそう。

私は紡金ちゃんを呼んで、ラケットを指差す。


「紡金ちゃん。あれって…………」

「あれ……? ああ、これね。これはペンホルダーっていうんだよ。緋色ちゃんが今週使ってたのがシェークハンドって種類で、卓球には大きく分けて二種類のラケットがあるんだ」

「ペンホルダー……っていうんだ」

「名前の通り、ペンを持つようにラケットを持つんだよ。ほら、今週使ってたシェークハンドは握手をするように持ってたでしょ? 卓球のラケットは握り方で名前が決まってるの」

「そうなんだ……」

「でも気をつけてね。シェークハンドで持ち手が短いやつがあるでしょ? それは中国式ペンっていうペンホルダーの持ち方で使うやつだから」

「えっ…………あっ…………これかぁ……」


紡金ちゃんの言う通り、確かに持ち手の部分が他のに比べて短めのラケットがあった。

値札のところを見てみると中国式ペンと書かれている。

なるほど、私はシェークハンドのラケットが欲しいから、これには注意しないと。


ひょんなところから値札を見るということを覚えた私は色々と卓球のラケットについて知ることができた。

シェークハンドのラケットの中には、STとFLというのがあるらしい。

持ち手のところがまっすぐなのがST。広がってるのがFL。

どっちが持ちやすいのかな。

試してみたりって……大丈夫みたいだ。

紡金ちゃん普通に箱開けて握ってみたりしてるし。


よく見たら、棚に並べられているのには番号がついていて、それの在庫が少し離れたところに山積みにされていた。


私は見た目が気に入ってかつ、お値段が7000円とそこそこな青色のラケットを握ってみる。

ちなみに、持ち手がまっすぐなやつ。

名前はSK7とかいうらしい。肉球みたいなマークが付いていて可愛い。


「あれっ……?」


握ってみると違和感があった。

なんだか重心が手の方に来るというか……不思議な感じだ。

多分、ここ一週間借りていた学校のラケットは広がってるタイプのラケットだったんだと思う。


ラケットの握り心地を確かめていると、紡金ちゃんが肩を叩く。


「緋色ちゃんそのラケットが気に入ったの?」

「えっ…………えっと…………なんか違和感があるなって」

「違和感? ああ、グリップのことね。学校のラケットフレアだったからストレートは違和感あるよね」

「フレア? ストレート……? あっ……もしかしてこのSTとかFLって……」

「そうそう! それはシェークハンドのグリップのところの形のことなんだ。他にもあるけど、殆どその二種類だね。緋色ちゃんはフレアの方が持ちやすかった?」


なるほど、STとFLはストレートとフレアの略だったのか。

これは慣れかもしれないけど、私はフレアの方が持ちやすかったのは確かだ。

コクコクと頷いて私は肯定する。


「女子って力が弱い人が多いでしょ? だからフレアを使う人が多いって聞くねー。フレアの方がすっぽ抜けたりすることが少ないから」

「すっぽ抜ける…………って?」

「強い球を打とうとすると、速くラケットを振ることになるよね。だからその時、ラケットが手から離れてどこかに飛んで行っちゃうかもしれないってこと」

「それは……危ないね。握りやすいし…………グリップのとこはフレアにしておこう…………」


紡金ちゃんは「それがいいね」と相槌を打つ。

よし。買うものは決まった。

私はさっき握った青色のラケットと同じ物で、グリップがフレアのものを探す。

商品の箱はちゃんと番号で整理されているので、簡単に目当てのものを見つけることができた。


「見つけた……! これが私のラケット……!」

「ラケット決めたんだね。えっとそれは……いいやつ選んだね」

「これ……いいラケットだったの……?」

「結構いいラケットだと思うよ。安いし、よく跳ねるし、初心者にオススメ聞かれたら私は大体そのラケットがいいって答えてるかな。それじゃあ、ラケット決めたし、次はラバーだね」

「えっ…………ん……? ラバー……?」

「うん。ほら、ラケットの表裏についてるゴムの部分のこと。こっちはラケットよりも違いがはっきり出てくるから私がアドバイスしてあげるよ」

「えっ……えっ…………えええええ……?」


頭が混乱している。

私はラケットを買いに来たはずだ。

それなのに卓球のラケットは、ラケットの他にラバーというものが必要になるらしい。

よくよく考えたら、私がこのお店で見ていたラケットはただの木の板で、赤と黒の面は無かった。

まさか、ラケット以外に必要なものがあったとは……


「えっと……そのラバー…………ってどれくらいのお値段……?」

「値段かー。ものによるね。私が使ってるのとかだと、1枚7000円だから、両面で1万4000円だね」

「あわわわわ…………」


私が選んだラケットは7000円でラバーが1万4000円だから足して……2万1000円!?

私は封筒に入ったお金を確認する。

持ってきたまま、1万5000円が入っている。

お金は勝手に増えたりしない。


「ねぇ、紡金ちゃん? 私ね……今日持ち合わせがなくて…………」

「本当に!? 一応、いくら持ってきてる?」

「えっとね…………1万5000円……」

「あー! 大丈夫、大丈夫! それだけあれば十分だよ。私が使ってるのはかなり高いラバーだからそういうのを選ばなければ余裕で足りる」

「そ、そっかぁ……よかったぁ……」


紡金ちゃんの言葉を聞いて、私は胸を撫で下ろした。

どうにかラケットを手に入れることができそうだ。

ラバーが売っているコーナーに案内される。

一面に四角い板のような商品が置かれている。

なんだか色々種類があるようだけど、それらは外見から中身が全くわからない状態になっていたので、初心者の私からしてみればさっぱりだった。

紡金ちゃんはさっき、ラバー選びについてアドバイスしてくれると言っていた。

もしかしたら要望を出したら、私にぴったりのラバーを見繕ってくれるかもしれない。


「紡金ちゃん? えっとね…………私は……」


私はそこまで言って口を噤む。

どういうラバーがいいのかは今パッと浮かんだ。

それはあまりに安直なもので、口にするのはあまりに困難なものだった。


「どんなラバーがいいか思いついた?」


これを言ったら、紡金ちゃんに失望されるかもしれない。

彼女は、私に才能があると見込んで卓球部に誘ったと言っていたからだ。

しかし、実際のところ私が卓球部に入ろうとしている理由は……一目惚れした先輩とお近付きになりたいというかなり不純なもの。

先輩と同じ種類のラバーを使って「ほら、緋色ちゃん。この球はこうやって打つんだよ」「先輩、手!手が当たってます!」「当たってるじゃなくて、当ててるんだよ? 緋色ちゃんの手は柔らかくて気持ちがいいね」「そ、そんな。先輩の手だって、硬くて大きくて……とても頼もしいです」「緋色ちゃん……」「先輩……」「緋色ちゃん……!」「先輩……!」と、妄想はここまで!

とにかく、なんかこういうイベントがあったらいいなとか勝手に私の頭は思考してしまうのだ。


でも冷静に考えるんだ私。

先輩と同じ種類のラバーを使おうと思うことで、先輩が好きだってことがバレるとは限らない。

選手として先輩を尊敬していると捉えられるのが普通じゃないか!?

私は意を決して要望を紡金ちゃんに伝える。


「張替先輩と……同じ種類のラバーが…………いいな」

「もー、緋色ちゃんどれだけ先輩のこと好きなのー。でも、完全に同じにはできないよー」

「ちょっ……えっ…………ええええ!」


バレた。ノータイムでバレた。

もうそれは見事に一瞬だった。

1を知って10を知るとかそういうやつというか、1を知る前にもう10知ってたような態度だった。

……ということは、紡金ちゃんにはもう私の気持ちがバレてたってこと!?


「おっと、本当に好きだったんだ。なんか怪しいなぁとは思ってたけど……好きな人と同じラバーにしたいとか結構大胆なんだね」

「あわわわわ……」


心の中の私は号泣していた。


「とりあえず、先輩が使ってたラバーは……片面が安かったからそのままにしちゃおうか」

「……よろしくお願いします」


顔から火が出そうだった。

消え入るような声で私はお願いした。

紡金ちゃんは、ラバーのコーナーを少し探すと、目当ての商品を見つけて持ってきてくれた。


「えっと……これだ。スペクトルだね。表ソフトだとかなり使用者が多いから、ちゃんと置いてあったね」

「……表ソフトって?」


紡金ちゃんから聞き覚えのない用語が出てきて、聞き返す。

私はまだまだ卓球について知らないから、色々覚えていきたい。

彼女は手に取った緑色のパッケージのラバーを、横から私に見せてくれた。


「表面がイボイボしてるラバーの事だよ。今週緋色ちゃんが使ってた、表面が真っ平らなのが裏ソフト。表ソフトは回転が掛けにくいけど、回転の影響を受けにくいちょっと特殊なラバーだね」

「そうなんだ……ラバー……色々種類あるんだね」

「そうそう。卓球はラバーの種類でかなり変わってくるから、試合の時に相手のラケット見た段階から勝負が始まるんだよ。えっと、先輩は、バック面をスペクトルで、フォア面をキョウヒョウだったから……粘着で安いのって何があるんだっけなー」


紡金ちゃんは独り言のようにそう呟くと、ラバーを探しに行ってしまった。

私も、ラバーの棚を見てみる。

注意深く見てみると、確かに彼女の言う通り、裏ソフト、表ソフトというラバーの種類があるみたいだ。

その他にも、粒高という種類もあるみたい。

卓球を続けていたら、いつかこのラバーを使っている子に巡り会うことになるかもしれない。


そうこうしている内に、紡金ちゃんはすぐにラバーを見つけて戻ってきた。


「緋色ちゃん、これなんかどう? タキファイア。3000円だし、これならさっきの表ソフトとラケット込みで1万3000円くらいになるよ」

「あっ……それなら私でも買える……! ありがとう、紡金ちゃん」

「どういたしまして。残った2000円は、ラケット入れに使った方がいいかもね。ラケットはそのまま持ち運ぶのは危険だと思うし。クリーナーとかは、私のが余ってるからあげるよ」

「えっ……あっ……まだよくわからないけど……ありがとう……!」


私は腰をヘコヘコさせてお辞儀を繰り返す。

その姿が変に映ったのか、彼女は明るい笑顔を私に見せてくれた。


ラケットとラバーを買った後、お店の人がサービスでラバーをラケットに貼ってくれた。もし、ラバーを貼ってもらえなかったら、紡金ちゃんが貼るつもりだったらしく、本当に紡金ちゃんには至れり尽くせりといった感じだ。


帰り道、私は初めて買った自分のラケットを胸に抱き、これからの生活を思って期待に胸を膨らませるのであった。

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