11 幽霊屋敷

「まったく、うたちゃんったら酷いわ」


放課後、私とお姉ちゃん、コメットちゃんの三人は学校の昇降口に集まっていた。


「ごめんねってば。コメットちゃんと大切な話をしてたからさ」


昼休み、私たちが屋上で吸血鬼騒動についての話をしている最中、お姉ちゃんはどうやら一緒にお昼ご飯を食べるために、私のことを校舎中探していたらしい。


「お姉ちゃんにとってはうたちゃんと一緒にご飯を食べることが至福の時なのに…そのためにせっせと早起きしてお弁当作って上げてるのに…よよよ」


「いつも感謝してるよ。今日のお弁当もと~っても美味しかった。お姉ちゃん大好き」


「そう?お姉ちゃんのこと大好き?えへへ、私もうたちゃんのことだ~~~~~~いすきだよ♡」


さっきまで機嫌の悪かったお姉ちゃんは私の大好きという言葉を聞いた瞬間に上機嫌になる。

お姉ちゃんは取りあえずこんな風にあしらっておけば機嫌が良くなるからちょろい。

…私ってば全く小悪魔である。


「それでね、例の丘の上のお屋敷、あるでしょ?」


「あの幽霊屋敷のこと?」


「うん、そうそれ。これからそこに行ってみようって思ってるんだ。お姉ちゃんも一緒にどうかな?」


コメットちゃんが得たという噂によると吸血鬼が潜んでいるという屋敷。

丘の上にあるというその屋敷はこの辺りで有名な幽霊屋敷のことだろう。


この街にそれ以外に丘の上の屋敷なんてものはないし、あの屋敷以上に妖しい場所なんてそうある筈もない。

それ程までにその屋敷は、ここいらでは有名な曰く付きのお屋敷になっているのである。


「お姉ちゃんも行きたいのは山々なんだけれど、そろそろ冷蔵庫の中身的にスーパーでお買い物しておきたいのよねぇ」


私の誘いは、実に現実的な理由で断られた。

お姉ちゃんが私の誘いを断るなんて事そうそうないから珍しい。


「まあ、今日のところは屋敷の様子を観察するくらいのものなので、あまり人数は必要ないと思うのです。美歌子は心置きなく買い物に出掛けるといいのですよ。何より、美歌子の手料理は美味しいのです。それを邪魔してはいけませんからね」


うんうんと、コメットちゃんは目を細めて頷いている。


昨日の晩ご飯と今日の朝食はコメットちゃんも一緒にお姉ちゃんの料理を食べた。

コメットちゃんはお姉ちゃんの料理をいたく気に入ったようで、お姉ちゃんを見る目は尊敬すらこもった眼差しになっていた。


「そういえば、コメットちゃんの分のお昼ご飯もお姉ちゃんが作ってたけど、今日のお昼はコメットちゃん固形食糧食べてたよね?お姉ちゃんのご飯はどうしたの?」


今朝、私たちが学校に出掛ける前、コメットちゃんが学校に来るなんて思っていなかったお姉ちゃんは、コメットちゃんのことを思ってお昼ご飯も用意していた筈だ。

果たしてそれは何処に消えたのだろう。


「学校に来る前に、ぺろりと平らげてしまったのです。美味しいものは幾らでも食べられますからね」


するとコメットちゃんは、学校に来るまでの短時間で朝ご飯とお昼ご飯を同時に食べ尽くしてしまったことになる。

やはり、彼女の食欲というものは無尽蔵なのかもしれない。


「これからも美歌子の料理には長く世話になりたいのです。この世界の文化的にいうと、毎朝みそ汁が飲みたいとかいうアレです」


それは少し意味が変わってくる気がするが。


「まあまあ、そんなに気に入って貰えたのなら、お姉ちゃんもお料理したかいがあるってものだわ。今晩のご飯も腕によりをかけて作らなきゃね」


褒められて嫌な気持ちはしないのだろう、お姉ちゃんは嬉しそうに腕まくりしてガッツポーズをしてみせる。


「そんなわけだから、うたちゃんごめんね。幽霊屋敷にはコメットちゃんと二人で行ってくれるかな?」


お姉ちゃんは申し訳なさそうに手の平を合わせている。


「うんわかったよ。それじゃあ二人で行ってくるね。私もお姉ちゃんの晩ご飯楽しみにしてるからさ」


「ふふふ、うたちゃんの為ならお姉ちゃん頑張っちゃうわよ」


私の言葉に、お姉ちゃんは俄然やる気になったのか、荒い鼻息でふんすふんすと気を溜めている。


コメットちゃんの胃袋をばっちり掴んだお姉ちゃんにその辣腕を振るって貰うため、今日はコメットちゃんとの二人で活動することにしよう。


「有栖は、今日はどうしたのですか?一緒に来られないのでしょうか?」


「学級委員長だから今日は会議があるんだって。有栖ちゃんは優等生で人望も厚くてリーダーシップがあって最高に格好いいからね。満場一致で学級委員長に選ばれたらしいよ」


本当、私の幼馴染みは実に尊敬できる女の子である。

そんな有栖ちゃんが大好き。

有栖ちゃんへ届けこの思い。


…遠くでへくしゅんと可愛くくしゃみしてる有栖ちゃんが見えた気がする。


「それじゃあお姉ちゃん、行ってくるね」


学校の校門を抜けたところで、私たちは別れる。


「いってらっしゃい、くれぐれも気をつけてね。危ないことがあったらすぐに帰ってくるのよ。コメットちゃん、うたちゃんをよろしく頼むわね」


「任せるのです。詩葉には何があっても傷一つつけさせないのです。」


コメットちゃんの力強い言葉を後に、私たちは丘の上の屋敷の方角へと足を進める。


何度か振り返るとお姉ちゃんが心配そうに手を振っていた。

心配してくれるのは嬉しいけど、他の学校の生徒もいる手前、大声で「うたちゃんがんばれ~」とか叫ばれるととても恥ずかしいし、百合姉妹の噂がまた大きく広がりそうで私は頭を抱えるほかないのだった。



長い上り坂。

コンクリートで舗装された延々続く急勾配の道を私たちは息を切らしながら進んでいく。


道の両側には青々と茂る木々が春の優しい陽射しを遮り、霧がかる薄暗い道は肌寒さすら感じる。


「随分と、長い、坂道なのです」


ぜぇはぁと荒い息を吐き出しながらコメットちゃんは言う。


「こんな辺鄙な場所にあるからこそ、幽霊屋敷って呼ばれてるんだけどね」


私も呼吸を乱しながら、そう答える。


もうしばらく同じ景色の中を歩いてきた。

長く続く坂道に足もぱんぱんだ。


だけれど、長い坂道に疲労を重ねるのもあと少し。

そろそろ、お屋敷が見える頃だ。


「やっと、門が、見えてきたのです」


ようやく、視界の先に屋敷の門が見えてくる。


その門は、霧の中にただ悠然と佇んでいた。


かつてはその堅牢さを誇ったであろう痕跡を残す大きな門。

今では虚しく、生い茂る蔦や雑草の中に埋没し、その偉容は昔の面影をただ残すのみだ。


おそらく人が出入りをしているのだろう、通り道は僅かに分かるものの、廃墟を思わせる雰囲気を漂わせ、その門は悲しげに中へと人を誘う。


「随分と、その…寂しいところなのですね」


「うん、そうだね。なんだか悲しい気分になる」


そこに漂うのは、退廃であり衰退した過去の栄光を思わせる陰。

この屋敷の住人に一体どんなことがあったのか、それを考えるだけで酷く物悲しい気持ちになる。


陰鬱とした空虚がべったりと張り付いた、ただそこにあるだけで気が滅入るような空気感。


「どうする?中を訪ねてみる?」


「ええ。そのために来たのですから」


方々に生え散らかった雑草を掻き分け門を抜けた先に待っているのは、これまた荒れ果てた広い庭だ。


石畳の切れ目からも雑草たちが鬱蒼と生え茂っているし、煉瓦調の花壇は所々崩れて壊れかかっている。

池だったらしき一画はその中に汚泥を湛えるのみであるし、腐敗した饐えた匂いが辺り一面に漂っている。


やがて広い庭を進んだ先に、その異様の屋敷はあった。


どこか禍々しい雰囲気を纏い、眼前に聳え立つ建築物。


街の人々から幽霊屋敷と呼ばれるようになって久しい洋館。


かつては瀟洒で荘厳さを感じさせた大きな屋敷は、今では妖しさがただ漂う怪異空間になり果てている。


幾つかの尖塔が空に伸びている様は、地獄の底から手を伸ばす亡者のよう。

ところどころ剥がれ落ちた塗装は、粘性を持った赤黒い血液を流している。

いつから堆積しているのかわからない枯れ葉の絨毯の中には何かが蠢いているし、それら全てが生理的嫌悪感を伴い得体の知れない恐怖心を煽る。


「こんなところに誰かがいるとしたら、それはきっと幽霊や怪異の類いでしょうね」


私の記憶にある限りでは、この屋敷が幽霊屋敷と囁かれるようになってからもう随分の時間が経っているような気がする。


仮にこの場所にずっと何かが住んでいるのだとしたら、それはコメットちゃんの言うとおり幽霊や怪異の類いに違いない。


人間が住んでいるとは到底考えることが出来ない、退廃的で嫌悪感を抱かせる雰囲気がこの場には漂っている。


「でもね、どうやらここには人が出入りしているらしいんだよ」


幽霊屋敷としか表現出来ないこの屋敷には、実際出入りしている住人がいるのだという。


この場所にも所有者がいる。

私有地だからこそ、荒れ果てていてもそのままの形をずっと保っているのだろう。


「こんな所にですか?」


コメットちゃんは目を丸くして驚いている。


「私も信じられないんだけどね」


幽霊屋敷と噂されてはいるが、あくまで人が住んでいる。


本来、肝試しスポットにでもなりそうな場所だが、現実、街の人々は一切近づかない。

それはここに暮らしているという住人に対する人々の配慮か。

いや、それはきっと正しくない。


「こんな場所に誰かが住んでいるという事実が、幽霊なんかよりもずっと怖い現実なのかもしれないね」


本当に人が恐怖するのは、幽霊や怪異などの存在ではない。


現実にいるかも分からない何かに怯える気持ちというのは、一種の娯楽である。

作り出された恐怖という非日常を楽しんでいるのに過ぎない。


本当の恐怖とは、人間の狂気だ。


「普通の感覚の人がさ、こんなに荒れ果てた屋敷に住めるとはどうしても思えないんだよね。どうしたって気の滅入るような風景を見続けることなんて、大抵の人には出来ないことだからさ」


平常な人間は、一定の美意識をもって生きている。

それが個々人によって千差万別のものであれ、このように惨状を見せつける屋敷に住むということは、あまりに逸脱している。


「きっとこの場所を幽霊屋敷だって噂している人たちはさ、確かに存在する人間の狂気から目を逸らしたいんだよ」


腐敗臭の漂う暗澹とした屋敷。


こんな場所に住むことが出来るのは一体どんな人間なのだろう。


荒れ果てた庭で、汚泥の堆積する池や壊れた花壇を眺め続ける日々はどんな色をしているのだろうか。


想像しただけでもそのグロテスクさに寒気がしてくる。


「もし仮に、ここの住人が吸血鬼だって言うのなら、その方がずっとしっくり来るよ」


幽霊屋敷に吸血鬼がいるという噂。

この屋敷に住んでいるのが人間ではなく吸血鬼だと言われた方が、ずっと信頼出来る。


一種悪魔的とも言える気持ち悪さを纏った屋敷には、人間よりも怪異の方がお似合いだ。


「チャイム、鳴らしてみてもいいですか?」


黒檀の開き扉が特徴的な玄関。

この場所とは少々不釣り合いな可愛らしいチャイムが設えられている。


「本当に?」


正直なところ、私は怖かった。


お昼休みにコメットちゃんと話した時にはその場の勢いで楽しくなってしまっていたが、いざこの場に来て屋敷を目の前にすればどうしても及び腰になってしまう。


チャイムを押したことにより、もしこの中の住人と顔を合わせることになるとしたら、私は正気のままでいられる自信が無い。


それが人間であれ、吸血鬼であれ、まともな存在ではないことは確かだ。


得体の知れない恐怖心が、べったりと張り付いていた。


「せっかくここまで来たのです。きちんと調べない訳にはいかないのですよ」


「まあ、そうだよね…」


私は渋々、コメットちゃんがチャイムを押すことを承諾する。


鬼が出るか蛇が出るか。

ここまで来てしまったらもう引き帰すこともできない。


「それでは行くのです」


コメットちゃんの白魚のような指先が、チャイムに触れ、恐る恐る力を込める。

しかし、その指先が離れても、音のようなものは一切発されない。


「中で音が鳴ってる様子もないね」


「おかしいですね」


ひょっとしたら電源自体が切れているのかもしれない。


「チャイムが鳴らないなら仕方ないね」


私は少し、安堵する。

鳴らない呼び鈴で呼べる者なんていない。


見るからに妖しいパンドラの匣を開けなくて良いのならそれが一番いいのだ。


触らぬ神に祟り無しともいう。

もっともこんなところに潜むのは邪神の類いであるだろうが。


「諦める訳にはいかないのです」


そう言うとコメットちゃんは、ごめんください、といいながら扉をバシバシと叩き始める。


「こ、コメットちゃん、もう流石にやめておこうよ!これ以上やると不法侵入とかそういうアレになっちゃうからさ」


焦った私の言葉に、コメットちゃんは残念そうな顔をするも、扉から一歩下がる。


もし憤怒した住人が血走った目で扉から出て来るでもしたらそれは一大事だ。


「とりあえずさ、日を改めるなりしてもう一度来てみようよ。時間はたっぷりあるでしょ?」


「まあ、それもそうですね。残念ですが今日はこれくらいにしておきましょう」


そうは言ってもなかなかコメットちゃんは納得出来ないようで、それから私たちは最後に屋敷の周りをぐるりと一周してみた。


近くで見るほどに屋敷の外観は悲惨なものだったが、ところどころ割れた窓を補修した痕があったりと人為的な手が加えられているような様子はあった。

しかし、それ以外に何か手がかりがないかとくまなく探してみても、見つかるわけもなく、全ての窓にはカーテンがかけられ中の様子は一切覗くことができなかった。


もし仮にこの場所に吸血鬼が住んでいるというのなら、絶好の隠れ家には違いない。

吸血鬼が潜んでいると噂されるのも、なんとなく納得することが出来る。

だが、それが現実だと裏付けるような何かは一つも見つからない。


「何も手がかりは掴めませんでしたね」


そして私たちは、幽霊屋敷を後にする。


一刻も早くこの場所から離れたいと思わされるような重苦しい雰囲気から、自ずと足早になる。


薄暗い坂道を下りきり街中へ戻ったあとも、しばらくは厭な感覚が纏わり付いていた。


「本当にいるのかな、吸血鬼」


「どうでしょうね。何もなければ一番いいのですが、何が起きるともわかりませんからね。ただ一つ言えるのは、あの屋敷には何かがあるような気がするのです」


「それは、コメットちゃんの観測者だとか調停者だとかの感覚?」


「はい。例の彗星が残した幽かな軌跡のようなものを僅かに感じました」


世界を危機に追いやったという彗星。

コメットちゃんの言う、未曾有の事態を起こした正体不明の天体。

それが残した軌跡というものを彼女が感じたというなら、本当にあの屋敷には何かあるのかもしれない。


「また後日、尋ねてみる必要がありそうなのです」


果たして、あの屋敷に潜む何かの正体とは何なのか。

ただの狂人であるのか、それとも本当に吸血鬼がこの世界に存在しているのか。


それらの謎の手がかりは一切掴めないままであるが、そこには確かに何かがあることには違いない。


少しの恐怖心と、抑えきれない好奇心を胸に抱いて、私たちは家路に着く。


「美歌子の晩ご飯が待っているのです」


傾き始めた陽射しを浴びて、コメットちゃんは私のすぐ隣を歩いている。


「そうだね。今日の晩ご飯はなんだろう」


「腕によりをかけると言っていましたから、きっと凄いものが出てくるのですよ」


晩ご飯の献立に思いを馳せるコメットちゃんの横顔は、きらきら輝いている。


「本当にコメットちゃんは、お姉ちゃんの料理が気に入ったんだね」


「はい。美歌子の料理は最高なのです」


そんな風に語らいながら、私はあの屋敷で感じた重苦しい感情を忘れようと努める。

そうしなければ、あのべったりと張り付く恐怖感はいつまでも消えはしなかった。


私たちが飛び込んだのは、恐ろしい怪物の腹の中だったのかもしれない。

そう思えるほどに、肌を粟立てるあの感覚はずっと続いていた。


あの暗澹たる屋敷の中から、暗闇を這うように私たちを見つめる影があったことなんて、当然知る由もなかった。

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