6 星空から舞い降りた少女
「その、なんというか。あなたは一体何なのかな?人?空から降ってきたよね?」
混乱した頭で、目の前に立つ浮き世離れした雰囲気の少女に問いかける。
少女の背丈は私よりもずっと低く、私は半ば彼女を見下ろすような形を取っている。
「私はコメット。人ではないのですよ。この世界の観測者にして調停者。あなた方とは違う存在です」
「な、なるほど」
観測者にして調停者。
私たちとは違う存在。
少女の言っている意味がよくわからない。
普通の人間が空から降ってくるなんてことは大抵の場合まずありえない。
そもそも生身で上空から地上に降りるなんて到底不可能だ。
これが夢ではなく現実であるのならば、少女の存在は私たち人間とは大きくかけ離れたものだということになる。
夢でないのなら。
「そうか、これは夢か」
いつの間にか私は自宅へと帰っていて、ベッドの中で夢を見ているのだろう。
きっとそうに違いない。
まるでファンタジー小説の中から出てきたような少女の異様も、月を反射する美しい銀色の髪も、幼いながらもぞっとするほどに美しい容貌も、きっと全てが夢なのだ。
そう思えば納得がつく。
「いいえ、夢ではないのですよ。歴とした現実です。リアルなのです。あなた方の文化でいうとそう、ほっぺたをつねってみるといいのです」
少女に促されるままほっぺたをつねってみる。
「いたた…」
その痛みは確かに現実のものであり、目の前で起きていることがリアルであることを如実に物語っていた。
仮にこれが夢だとしたら、この感覚は余りにも鮮明過ぎる。
「夢じゃないかぁ」
「ええ。そう言っているのです」
少女は凜とした青い瞳で無表情に私を見つめている。
人間離れした綺麗な色だ。
信じられないけれど、今起こっていることはどうやら現実の出来事らしい。
そう思う他なかった。
「さっき言ってた、観測者だとか調停者っていうのは一体何のことなの?コメットちゃんは何しにここに?」
「話すと長くなるのですが、いいですか?」
「うん、大丈夫だよ。聞かせて欲しいな」
少女が空から降ってきた。
それが確かな現実なのだとしたら、如何にして彼女がこの地に降り立ったのかそこら辺の事情が知りたくなってくる。
突然の非現実的な出来事に先ほどから面食らっていたが、落ち着いてきたらなんとなく楽しくなってきた。
まるで小説や漫画のような邂逅に胸躍らないわけはない。
私はとても単純に出来ているのである。
「まずは、昨日引き起こされた未曾有の事態の説明からさせて貰います。あなたは、昨日の彗星を見ましたか?」
「うん。見たよ。あと、私のことは詩葉って呼んで」
「わかりました、詩葉。そもそも今回の全ての引き金になったのがあの彗星の存在でした。詩葉は、平行世界という言葉に馴染みはありますか?」
平行世界。
よくSFなんかに使われるモチーフの一つだ。
「私たちの世界の他に隣り合う別の世界がある、みたいなことかな」
「そうです。物分かりが良くて助かるのです。今私が顕現している世界…詩葉たちの世界は数多に存在する世界の一つでしかありません。そのすぐ隣には別の世界が存在し、またその隣にも別の世界が…というように世界は幾重にも重なり合って存在しているのです」
話のスケールが凄く大きくなってきた。
厳密に言えば違うのですけどと、コメットちゃんは続けて、
「それぞれの世界は常に揺らいでいます。つかず離れず別の世界と共にあり、だけれど絶対に交わることなく、遍く時空に遍在するのです」
「遍く時空に?」
「ええ、世界とは特定の形を持ちません。それは私たち観測者からすると波であり粒子であり、全く別の形を取ることもありますね」
何を言っているのかよくわからなくなってきた。
「イマイチわかってないような顔をしていますね。まあ、この辺りの話は今回の出来事に直接関わってくるわけじゃないので先に進むのですよ」
「うん。続けて」
ひとまず世界の成り立ち?については置いておこう。
理解の追いつかない頭でコメットちゃんの話を聞き続ける。
「昨日突如にして現れた彗星。それは私たちからしても全くの未知の存在でした。一連の世界を包括する時空間に現れたあの彗星は、どこからともなくやって来ると瞬く間に多数の世界を駆け巡りまたどこかへと消えてしまいました」
どこかからどこかへと。
全く不明瞭な話だ。
「彗星の辿った軌跡を遡りその痕跡を調べたところ、どうやらあの彗星には隣り合う世界たちを繋ぎ止めてしまう性質があったようなのです」
「世界を繋ぎ止める…すると、どうなるの?」
「本来干渉し合うことのない世界同士が重なり合ってしまいます」
「ふうん。世界同士が重なると、何か問題があるの?」
「最悪、全ての世界が滅びます」
「世界が滅びる?」
コメットちゃんの話すあまりに現実味のない話にどうにも頭がついてこない。
そもそも平行世界がどうのこうのという話も簡単には受け入れがたい。
まるでお伽噺のように非現実な概念がさも当然の事であるような前提からしていまいちピンと来ないのだ。
その上突然世界が滅ぶなんて言われてもそんなもの信じようがない。
…けれど、コメットちゃんの言うそれらがもし本当のことであるというのなら、何だかとてもわくわくする。
平行世界論だとか、世界の存亡の危機だとかいう、多くの現実主義者なら鼻で笑うようなそんな話題。
正直なところそういうものが私は大好きなのだ。
創作物なんかに触れて夢見るお年頃なのだ。
そもそも真夜中に空から女の子が舞い降りてくる時点でもう何もかもめちゃくちゃだ。
信じるも信じないもない。
この際だし私は、思い切って今この状況を楽しんでみることにした。
「つまりコメットちゃんは、世界の危機を救いに来たってこと?」
「ええ。大筋はそういうことで間違いないのです。世界を元ある形で継続させて観測を続けていくことが私たちの役目なので」
「それが、観測者であり、調停者の使命だとか、そういうこと?」
「その通りです。私たちは数多存在する世界を外側から監視し続け、異変が起こった時にはどうにかして対処する、いわば平行世界にとってのデバッガーのような存在といえます。ですから今回のように問題解決に乗り出したというわけです。」
浮き世離れした少女は、楚々に髪をかき上げ、
「彗星の軌跡を辿り、詩葉たちのいるこの世界こそがどうやら今回の事態の引き金になっているようだというところまでは判明しました。それ以上の調査をするためには直接私たちが世界に干渉する必要があったため、こうして私がこちらに顕現したのです」
「それじゃあ、コメットちゃんはこの世界で起きてる異変?みたいなものを見つけて解決するのが目的ってことかな」
「はい。その通りなのです。このままこの状況を放置しておくといずれ世界同士の同一化が起こり得るのです。その際引き起こされる次元震によって全ての次元が崩壊に巻き込まれる可能性もあります。ですのでそうなる前にこの世界で起きている異変を見つけ出し元の状態に戻すのが私たちの最終目標となります」
昨日私の見た彗星が引き起こしたという未曾有の事態。
それは数多存在する平行世界同士を繋ぎ止めてしまうという。
このまま放置すると、次元震により最悪世界が滅んでしまう。
そんな状況に私たちは置かれているらしい。
漫画やアニメのような出来事が現実に起きているということ。
私はコメットちゃんの言うそれを素直に信じてみようと思う。
自分でも自分の単純さに驚いているけれど、疑うよりも信じた方がずっと面白い。
何よりも今とてもわくわくしている。
それが一番重要だ。
「わかった。なんとなく理解したよ。それで、コメットちゃんはどうして私の前に現れたのかな?」
コメットちゃんは遠い空から私のところに向けて真っ直ぐに降りてきた。
それはひょっとして、私に秘められた不思議なパワー的な何かが影響していたりなんだりしちゃったりするのかなぁなんて思っちゃうのは年頃の乙女として当然のことだと思うのだ。
物語の主人公的展開がこの先待っているのではないかと考えただけでどきどきを抑えられない。
子供っぽいかもしれないけれど、そんな風に主人公に憧れる気持ちは誰しも持っているものだと思うのだ。
「この世界に私が顕現した時、彗星の幽かな軌跡が幾つか見えました。その軌跡のうち一つを追ってきてみたらここ、詩葉の前に降り立つことになったのです」
「それって、私が今回の出来事に関係しているってことかな?」
「そこまでは、まだわかりません。何よりも彗星の正体がまだ解明されておらず私たちにもわからないことが多すぎるのです。ですが、何らかの関わりがあるかもしれないという可能性はあります。詩葉自身、何か不思議な感覚を覚えたりはしていませんか?」
「不思議な感覚かぁ。特に、感じないかな」
私の日常は特別変わったこともなく、これまでと同じ日々がただ続いているだけだ。
その中で不思議な感覚を覚えたことなんてなかったと思う。
「もしかしたら認知自体の改変が起こっている可能性もあるのです。日常だと思っていることそのものが根底から改変されていたりするかもしれません。果たして彗星がどんな因果によって世界同士を繋げようとしているのかわからない現状、もしかしたらすでに大規模な改変が起こっているという可能性さえもあります」
「でも、もしそんなことが起こっていたら次元震?っていうやつでもう世界が壊れていてもおかしくないんじゃないの?」
「そうですね。それもまたありえる話ではあります。ですが今のところ次元震の起こる前兆のようなものは観測されていません。そもそも次元震が引き起こされる状況に陥ること自体が極めて珍しい事態なので、今のところすぐに世界が滅ぶということはないといえます」
「そっか、ちょっと安心した。今すぐ世界が滅ぶっていうわけじゃないんだね」
「ええ。おそらくしばらくは大丈夫だと思われます。ですが、世界同士の同一化が進めば進むほどその危険性も加速度的に増していきます。今はほんの少しの綻びでも、小さな亀裂から全体が危険に晒されるということも大いにありえるのです。ですから私たちは、この世界に起きている異変や改変を見つけ出し、一つずつ虱潰しに解決していく必要があるのです」
今すぐに世界がどうにかなるっていうわけではない。
それでも、世界そのものが滅んでしまうという可能性があるからコメットちゃんたちはそれを引き起こさせないために動き始めた。
つまりはそういうことらしい。
「これからコメットちゃんはどうするの?」
異変や改変を虱潰しに解決していくとは簡単に言うが、手がかりが何もない状態では無闇矢鱈に動いても仕方がないだろう。
彼女たちは、どのようにしてこの状況を打破しようというのだろうか。
「ひとまずは、彗星の残した幽かな軌跡を調査する他ありませんね。それ以外現状で手がかりになるものはないのです」
お手上げだ、という風にコメットちゃんは渋い表情をする。
「観測者だとか、調停者だとかの力でばば~っと解決することは出来ないの?」
「それが出来れば一番なのですが、私たちもそこまで万能な存在ではないのです。そもそもこの世界に顕現している時点で私そのものが持っている力というのはさほど普通の人間と変わりません。先ほどデバッガーと表現したように、出来ることといえば、見つけた異変や改変を元の形に戻すことや、人間の認知を歪めることくらいなのです。詰まるところ、異変を見つけるところまではどうにか自力でやるほかないという訳です」
「つまり、すご~く困ってるってこと」
「はい」
空からコメットちゃんが降りてきた時には、彼女が人間を超越したもの凄い存在のように思えたが、どうやらそうでもないらしい。
不思議パワーでなんでも簡単解決…なんて風には行かず、地道にマンパワーで問題を解決するしかない。
それこそ、ゲームやプログラムのバグを見つけるデバッガーのように。
「私たちが下手に動くと、それ自体が逆に世界を危険に脅かしてしまうおそれさえあります。不要な改変がどんな悪影響を及ぼすかわかりません。まずは徹底的な調査を行い、明らかに異常だという出来事を見つけなければ私たちは何も出来ないのです」
コメットちゃんの哀愁さえ漂うしゅんとした表情が、彼女がとても親しみやすい存在であることを物語っている。
幼げなその姿はとても可愛いくて何だか抱きしめたくなる。
「だったら、私が協力してあげようか?コメットちゃん、困ってるんでしょ」
「それは、願ってもない提案なのですが、詩葉はそれでいいのですか?もしかしたら危険に巻き込む可能性だってあるのです」
驚いたように、申し訳なさそうにこちらを見つめる瞳が揺れている。
出会ったばかりとはいえ、小さな女の子にこんな瞳を見せられて放っておけるような人間では、私はないのだ。
「全然いいよ。なんかこういうの物語の主人公になったみたいで興奮するしさ。コメットちゃんすごく困ってるみたいだしさ、協力させてよ」
「詩葉はとってもお人好しなのですね」
「うん、よく言われるよ。馬鹿みたいにお人好しだって。だからさ、気にせず頼ってくれていいんだよ」
「ありがとうございます、なのです」
コメットちゃんの表情はぱあっと笑顔になり、とても嬉しそうにしている。
その笑顔はどこまでも純粋で澄み切っていて、彼女の心の内側までもが見通せるくらいに綺麗で…。
観測者だとか、調停者だとか言ってたけど、彼女もきっとただの女の子だもんね。
未曾有の事態だなんて言っていたし、本当のところすごく不安だったりするんだろう、多分。
人間じゃなくたって、どんな存在だって、私の目の前で彼女は困った顔をしているのだ。
だったら私は、そんな彼女の助けになってあげたいと、そう思うのだ。
「それじゃあ早速、我が家に案内するよ。野宿するわけにもいかないもんね。私の家にしばらく泊まってくれていいよ」
「いいのですか?どうして、そこまで?」
「困ってる人を助けるのに、理由は必要なのかな?それに、コメットちゃんは私たちのために頑張ってくれてるんでしょ?だったら私もその力になりたいって思う。これから、よろしくね?」
「ふふふ、詩葉は本当に、不思議な人ですね」
私の差し出した手を、コメットちゃんが優しく握る。
彼女の小さな手はとても温かく、だけれど握れば壊れてしまいそうなほどに華奢なものだった。
……そんなこんなで、私は真夜中の散歩中に出会ったコメットちゃんという少女と一緒に暮らすことになった。
自分でも、こんな風に厄介事に進んで首を突っ込んでいくのはどうかと思うが、それよりもずっと、コメットちゃんの助けになってあげたいという気持ちや世界の危機なんてものに対する好奇心の方が勝ってしまったのだ。
これからどんなことが起こるのか、まるで想像さえつかないけれどきっと不思議なことがたくさんあるのだろうと、この時の私は脳天気に考えていた。
まるで自分が物語の主人公になったかのように錯覚して、調子に乗っていたのだ。
……これは、私が本当に大切なものに気付くための物語。
出会いと喪失の先にある、日常を取り戻す物語。
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