5 真夜中の小旅行、『私』についての考察
今夜も私は真夜中の街を歩いていた。
日付の変わった頃。
一日の終わりのちょびっとの贅沢。
少し重たい瞳で見渡す都会の夜。
私の住んでいるマンションからほど近い河川敷。
コンクリートで舗装された道をゆっくりと歩く。
等間隔で立つ背の高い街灯、暗闇に鎮座する橋脚とその陰影、川面に反射する無数のビルライト。
足下の石ころ、割れた発泡スチロール、薄汚れたボール。
世界を構築する全てがちょっぴり怪しさを纏った真夜中の小旅行。
私の大好きな時間。
目一杯両手を広げて、胸で暗闇を切っていく。
気分はJ-POPアーティストのミュージックビデオ撮影だ。
誰か私を受け止めて…なんて思ったりして一人にやけてみたり。
一人の時間というのはゆっくりと考え事をするのに丁度良い。
真夜中であることも相まって自らの内側に没頭していくことが容易になる。
ゆっくりと歩を進めながら、自分の心の中へと埋没していく。
『果たして私とは何者であるのか』
今日はそんなことについて考えてみた。
私という人間は一体何なのだろうか。
『私は峯崎詩葉という名前で、十六歳の高校二年生の女の子だ』
…これでは不十分だ。
名前や年齢、性別などはあくまで私を表す記号でしかありえない。
私という人間の本質を表すのには不適格であると言えよう。
それならば、何を持ってすれば私という存在を定義出来うるのか。
『私は峯崎美歌子の双子の妹であり、入栖有栖の幼馴染みである』
…少し本質に近づいて来た気がする。
私という人間を構成する上で欠かせないお姉ちゃんと有栖ちゃんという存在。
血を分けた家族であり、半身と言っても過言ではないお姉ちゃん。
幼い頃から一緒にいて、ずっと支えてくれている有栖ちゃん。
二人の存在は私という人格を作り上げている揺るぎないものであり、私という人間を社会という枠組みに当て嵌めている。
そこで考えてみる。
『私を何者かにたらしめるのは私個人ではなく、私を観測する者の存在なのではないか?』
もし私が世界に一人きりだったとしたら。
私以外に誰もいない、真夜中の街。
たった今、見かけだけなら私の世界には私しかいない。
私を見てくれる人も、私を呼んでくれる人も、私に触ってくれる人も、私を愛してくれる人もいない。
誰もいない漆黒の孤独。
世界にぽつんと一人きり佇んでいる。
私は今私という存在を認識している。
世界に一人きりの私を観測している。
でもそれは真実なのだろうか。
私が自認している私。
私が私だと思う私。
私は今本当に存在しているものだと言えるのだろうか。
わからない。
わからないのだ。
私一人では、何も判らない。
私一人では、私が世界に存在することを証明できない。
私一人では、私が何者であるかを定義することは決してできない。
私が私であることを証明できない。
いつだって私の傍にはお姉ちゃんがいて、有栖ちゃんがいる。
それが当たり前で、日常で、私の世界の不文律だ。
私はお姉ちゃんや有栖ちゃんに見てもらって、呼んでもらって、触ってもらって、愛してもらって、初めてこの世界に存在を認められる。
生きていていいと思える。
ここにいていいと思える。
だからきっと、私を何者かたらしめているのは、私の傍にいる存在で、私の外側から私を観測している者たちなのだ。
そして最初の疑問に戻る。
『果たして私とは何者であるのか』
…私はその問いに答えを持たない。
私の世界には、私の内側にその問いの答えなどないのだ。
いつも私を定義するのはお姉ちゃんであり、有栖ちゃんであり、その他、私の世界の外側から私を観測する者たちだけである。
私は、私を定義することができないのだ。
……なんてことを考えているうちに、いつの間にか私はいつもの公園へとやって来ていた。
物事に考えを巡らすこと、それは私にとってとても有意義な時間だからこそ、知らない間にたっぷり時間が過ぎているなんてこともある。
今こうして公園のブランコに揺られているのも、殆ど無意識下で行われていることであった。
こんな風に考え事をしている間に後ろから襲われたりしたら何の抵抗も出来ないだろう。
もしものことを考えると思わずぞっとしてしまう。
でも、時間を忘れて没頭してしまう程に、私にとってこの真夜中の散歩というものは大切な時間であると言えよう。
今日みたいに、散々考えた結果に答えの出ない問いというものはたくさんあるものだと思う。
『果たして私とは何者であるのか』だなんて、普通の高校生の女の子が考えを巡らしたところで本質に辿り着けるようなものではないのだろう。
哲学的などとは言えっこない散逸した思考のリフレイン。
そんなものでもきっと私にとってはとても大きな意味を持つのだと思う。
何よりも、こうして真夜中に散歩しながら物事を考えることで、頭がぱあっと晴れ渡っていく気がするのだ。
淀んだ脳味噌が、次第に澄んでクリアーになっていく感覚。
それだけで無駄に思える時間も貴重なものになる。
お姉ちゃんと有栖ちゃんと一緒に過ごした、何でもない一日。
何も起こらなかった、変わり映えのない今日。
私にとってこれ以上のない幸福を、何気ない一日を、真夜中に反復する。
何だか今私はとても、生きてるって感じがする。
私を定義づけてくれる大切な二人。
お姉ちゃんと有栖ちゃん。
もし仮に彼女たちがこの世界に存在していなかったら私はどうなってしまうのだろう。
それこそ、身体の大半をごっそり失ったような、そんな空虚さを感じるに違いない。
誰かを失うということ。
私はその意味を知っている。
その悲しみを知っている。
その絶望を知っている。
幼い日に失ったもの。
もう戻ってこない大切な人たち。
もう、二度と……。
やめよう。
こんなことを考えてしまうのは、感傷に浸るのは、もう随分と久しい感覚だったが、決していいものではない。
今はお姉ちゃんもいてくれる。
有栖ちゃんもいてくれる。
それだけで十分に幸せな筈だ。
私は怖いのだ。
彼女たちの存在が私という存在の大半を占めているからこそ、彼女たちを失うのがこの上なく怖いのだ。
幸せは壊れ物だから。
でも私は、それを知っているからこそ、自分の幸福を知っている。
何気ない日常の重みを知っている。
辛気くさいのはやめにしよう。
きっと明日もまた同じような日々が続くのだから。
明日もまた変わらず太陽が昇り朝がやって来る。
誰かが言っていたように、それは仮説に過ぎないのかもしれないが、私にとっては確かな現実なのだ。
小さな公園のブランコに揺られながら、夜空を見上げる。
昨日も見た空。
初春の少し霞がかった空。
今日も彗星が現れたりしないだろうかなんて考えながら疎らな星を繋いでいく。
勿論そこには何もない。
変わらない夜空がただ諾々と続いている。
変わらないということ。
普遍性、安定、退屈、平穏、安穏、それらは何よりも尊いものだ。
変わらない夜空をただのんびりと見上げることで、少しざわついた胸が徐々に凪いでいく。
人生とは航海である。
人生とは後悔である?
その時私は、東の空に光を見た。
小さく幽かな光が、少しずつその輝きを増していく。
まるで昨日見た彗星のようにぐんぐんと大きさを倍にして夜空を駆けていく。
二日も連続で彗星を見るなんて事あるのだろうかという疑問が胸に去来するも、現実に見ているのだから信じるほかない。
やがて光は勢いを倍加しどんどんと大きくなっていく。
ぐんぐん、ぐんぐんと大きさを増し。
増し。
……あれ、こっちに来てないか?
突然の光は隕石だったのか、こちらにどんどん近づいてきている気がする。
私の見間違いでなければ、こちらへと真っ直ぐに速度を上げ向かってきている。
「ちょっとシャレにならないよ!」
思わず口から出る悲鳴。
その間にも隕石のような何かは加速度的にこちらへ向かってきている。
逃げなきゃ、でも何処へ?
これだけ近づいて来ているのだからもう遅いのではないか?
あんなものが地表にぶつかったらここら辺一帯が消し飛ぶのではないか?
頭の中をぐるぐると思考が回り身体を上手く動かすことが出来ない。
もうダメだ!
……そう思った瞬間、眼前に強烈な光が迸る。
そしてその光は急激に速度を落とし、ゆっくりと地上に降り注いでくる。
まるで天使のようだ。
…それが最初の感想だった。
眩い光が収束し、一つの形を作り上げていく。
それは、少女の形をした輝きであった。
見に纏う白い民族衣装のような服をたなびかせ、長い銀色の髪をふわりと靡かせる。
所々に夜空を感じさせるような青をちりばめ、幼げな表情で透きとおった青い瞳がこちらを見つめていた。
「こんばんは」
鈴を鳴らすような声色で目の前の少女はそう言うと、ふわりと地上に舞い降りた。
思わず見とれてしまうような美しさを伴って、少女はただそこに存在していた。
「こ、こんばんは」
私は今し方何が起こっているのか上手く頭の整理がつかず、そう答えることに精一杯だった。
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