見慣れた雑貨屋が店仕舞いした
二十年以上あった雑貨屋が店を畳む。小学生とかそれくらいの頃はしゃれた雑貨や文房具を買うといったらその店だった。田舎に住んでいるものだから、まともに子供受けする雑貨を売ってるのはその店くらいだったのだ。ところが、その店が入っている商業施設には、チェーンの大きい雑貨店がオープンした。置いている物も一部重複していたから、苦しくなりそうだとは思っていた。いつかこんな日が来るだろうとも思っていた。家の近くにあった駄菓子屋がある日無くなったのと同じように、この店は来月あそこから姿を消す。
「ありがとうございました」という文字と共に在庫処分で割引された商品が並んでいる。備品であろうビニール袋だとか、棚まで売っているのだから、本当にもう商売そのものをやめるのだろう。店内は近頃では見たことも無いくらい混み合っていた。それがなんだか切なくて、私はすし詰めの店内に入ろうとすら思わなかった。
次に店の前を通りかかったのは閉店の前々日で、割引率は上がっていた。使っているペンの替えインクがあったので久々にその店で購入した。ビニール袋は有料になったので、それは飾り気の無い茶色の紙袋に入って渡された。最後にちらりと見た万年筆売り場が少々気になったが、学生でなくなった途端に紙やペンの類いはとんと使わなくなっていたので目をそらす。文房具は好きだが、コレクションする気にはならない。なんせ、そうしてコレクションになってしまっていた在庫を人に譲ったりしたのは記憶に新しいから。
とはいえ、万年筆は私の頭の中に記憶として思いの外強く残った。次行った時もう一度悩もうか、と考えたところで思う。「次」はもう無い。明日が最後なのだ。そう思ったら、あの投げ売りの価格になった店でなおも売れ残っていた万年筆たちが途端に哀しいものに思えた。明日、もう一度最後に見に行ってみよう。それでそこに無ければそれでいい。
次の日、万年筆売り場に変化は無かった。張り紙に書かれた七割引。本当に投げ売りだ。昨日は五割引だったのだ。高い万年筆が手が届く値段になっている。しかし、私はその隣の青いボディの安物を手に取った。高い万年筆の方はちょっと広めの文具売り場には大抵置いているような物だったが、この安物は他で見かけたことが無い。それから柄が長い。少々手が大きめの私にはこれの方がしっくりくる。クリップ部分の傷が多く、値札のシールがひび割れていて、在庫としての年月を感じた。――これが良いような気がした。
やはり素っ気ない紙袋に入って、ソレは私の物になった。知らないメーカーの製品だからインクカードリッジを探す手間がある。これは後で調べて分かったことだが、この万年筆は既に生産も出荷も終了していた。
インクカードリッジは数日後になんとか手に入った。これもまた昔からよく利用する別の大きな文具店にわずかながら置かれていた。普段は当然のように黒を手に取るのだが、万年筆のボディが鮮やかなメタリックブルーであることを思ってブルーブラックのインクを買ってきた。どうせ嗜好品、楽しく使えるのが一番である。それに、前から手元になるもう一本の万年筆もインクは黒だ。差別化を図った方が、どちらかがお蔵入りになるのも防げるかもしれないと思った。
この、手元にあった万年筆というのも手に入れたのは十年以上前。習字の稽古で使うからと気にかけていた私に友人がプレゼントしてくれた。その友人とは長い付き合いがあったが、ここ数年はもう連絡も取っていない。いろいろな意味で忙しい世の中ではあるが、元気にしているといいと思う。その人の実家も電話番号もメールアドレスも、メッセージアプリのアカウントも知っているのだが、こうも連絡が途絶えるとなかなか用もないのに声を掛けるのは憚られる。なんでもないようなことをメールでやりとりしていた頃が懐かしい。一抹の、寂しさ。このシルバーの万年筆を手に取るたびにその寂しさに心臓を撫でられるので、最近は引き出しの奥にしまい込んでいた。
これを機に、こっちの古い万年筆も洗って使おうと引っ張り出した。蓋付きのビンに水を入れてペン先をそっと沈める。水の中で徐々に固まっていたインクが溶け出し、ビン底に沈殿していく。やがてそれも黒いもやとなって立ち上り、水が透明感のある黒に染まっていく――この様子を眺めるのが、私は好きだ。習字の稽古に通わなくなってから使用頻度の減ったそれを、年末になると年賀状を書くために引っ張り出して、案の定インクが固まっているものだからこうして洗っていたのを思い出す。そういえば年賀状も最近は手書きではなくなった。下手な絵をパソコンで描いて、印刷して送っている。宛名すら自分で書かなくなった。便利になって書き損じも減ったが、それはそれとして情緒は減ったのかもしれない。そもそも、送る相手もさほど多くはないけれど。
そうして古い万年筆を洗浄している間に、今度は新しい万年筆で試し書きをする。新しいせいもあってか少々クセのある書き味で、インクが適当に引っ張り出してきた藁半紙ににじみ、独特の筆跡を生み出す。前述のとおりその昔は習字の稽古に通ったものだが、その頃の筆跡は見る影もなく、汚い字が並んでいく。最も書き慣れていたであろう自分の名前すら汚い。一年ほど前に嫌々書いた履歴書の字が汚かったことに目眩がしたものだが、更に酷い。目眩どころでは済まない。そもそも私の字が綺麗であったことなどあっただろうかと考え込むほどだ。
思えば習字の稽古も劣等感に苛まれる要因の一つではあった。なかなか上達もせず、親からは師が有名な人であるからお前も賞がもらえたに違いないと揶揄された。そんなわけで好きになれるはずもなく、一緒に通っていた知人らが真面目に先へ先へと取り組む横で、嫌になって中途半端にやめたのだ。
しかし、その中途半端にやめて、中途半端に字が綺麗だった記憶のおかげで私はこの売れ残りの万年筆にも、洗浄中の万年筆にも愛着が持てる。もう周りに競う相手も居ない今――きっと今の方が、素直にこの万年筆と付き合っていけるような気がしている。
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