完璧超人になるのは無理がある

 自分ではあまり認めていないというよりも認めたくはなかったのだが、私は完璧主義者だ。正確に言えば完璧主義者だった。思い返せば確かに「凝り性」ではなく「完璧主義者」だった。どうりで疲れるわけだ。どうりで自分が嫌いになるわけだ。

 完璧超人になれない完璧主義者は疲れる。なんたって、完璧でない自分が大嫌いだから。周りがどれだけ高く評価しようとも、一番自分に聞こえるところで悪口を言うのは自分の頭なのだ。これじゃダメだ、どうしてもっと上手くできないんだ、と。次第に周囲の評価と自身の評価は食い違ってくる。周囲の褒め言葉を受け入れずに完璧であろうとする姿を「努力家」「ストイック」と称する人もいれば「お高くとまってる」と揶揄する人もいる。あまり意識したことも無かったが、実は私の周囲にいたのは後者が多かったかもしれない。いや、この周囲の声と私が認識しているのは実は私の頭の中の声だったのかもしれない。一時期はかなりそこが曖昧だった気がする。

 とはいえ、社会(ここで言う社会とは苦々しくも一般的という認識のある成人の暮らす場所を指す。苦々しくはあるが私はそこに暮らす人々を尊敬する。)のレールからは三歩ほど外れたところに寝転がって、最早周回遅れのような状態の今、完璧主義という馬鹿みたいに重たい名札はそれこそ身につけているだけ自身の頭の悪さを喧伝しているも同然。私の称する「完璧」とは何だ?私はどこに向けて完璧であろうとした?完璧になって、その先は?虚しい問いである。

 虚しいと気づき始めたのは、短大の卒業前に学校から連絡を受けた日のこと。連絡の内容はこうだ。


「あなたは学科内でもっとも優秀な成績を修めたので、卒業式で表彰します。」


 見た瞬間に思ったのは「どう断ろう。」である。私は、客観的に認められた完璧を受け入れられなかった。今になって思えば断るも何もない。確かに成績表はつまらないくらい綺麗に「優」しかなかった。あそこまで欠点のない成績表を私ははじめてもらったのだ。しかし、「いやこの学校Fランだし。」「相対評価だし。」――そう、なぜかいつもどこかに向けて言い訳していた。同時に自分に釘を刺していた。チョーシ乗んなよ、と。

 なにより、その「完璧」な成績を取得するのに、私は大した努力をしていなかったのだ。これは自慢ではなくて事実だ。だからこそ表彰を受け入れがたかった。もっと頑張ってた人いるでしょ、そういう人にあげてよ。私はいらないよそういうの。「努力」こそ認められるべきで、「課程」こそ大事じゃないか。――結果が伴わないと全ての苦労は徒労に変わると本気で思っているくせに、なぜかそんなふうに自分に与えられた評価を拒絶した。完璧主義なのに認められた「完璧」の評価に私は満たされなかったのだ。私の目指す「完璧」ってなんだ。ここではじめて思った。


 悶々と、どうにかして断れないかと不毛に悩む私は、学校から帰る電車の中で高校時代の恩師に出会った。彼女は出会った教員の中でも特別仲良くしてくれた、英語の教師である。星の輝く時間帯に会った彼女はまず私の成人を祝って、学校嫌いの私が無事に短大を卒業できること喜んでくれた。私は彼女に誘われるまま駅前の居酒屋に入って、覚えたばかりのアルコールの味を堪能した。持ち合わせがないと言った私に「いいから」と彼女は刺身の盛り合わせを差し出した。私は酔った勢いで現状を話した。


「わかるよ。」


 彼女は私の話を聞いてからひとしきり笑って、それから頷いた。わかる、とは?尋ねる私に彼女は、おんなじようなこと思ったことがあるってこと、と陽気に答えた。補足すると彼女は一見自信家で、いつだって陽気で、正直者だ。生徒ウケはいいが校長ウケは悪い。そんな人である。性格診断をすると概ね典型的なアメリカ人性格と出るらしい。


「教員採用試験合格したときにね、本当に自分が合格でいいのか?ってね。断って他に譲った方がいいんじゃないかって、すごく悩んだ。」


 彼女はクリスチャンだ。悩んだときは教会に行くのだと言う。その時も教会で話をきいてもらったのだという。その時話した神父は穏やかに彼女を諭したという。「それは自分を卑下するようで、合格できなかった人を見下す気持ちですよ。」と。――その言葉を深く噛み砕く前に、もっとどこか、自分の頭の奥で私はその言葉を理解した。一気に酔いが醒めて、視界が開けて、目の前の恩師を飛び越えた誰かと視線が合った気がした。そっか、とこぼした私の声に恩師は笑った。彼女も深く解説をしなかったし、私も今でもなぜ見下すことになるのか説明しろと言われると言葉に窮する。でも、自分が譲られる立場だったらと思うとはらわたが煮えくりかえるので、きっとそういうことだ。人から譲らればければもらえなかった評価に良い気持ちになるはずもない。


「胸張って受け取っときなよ。猫背直しな。」

「就職決まってないけど。いいかな。」

「それはそれ。別に就職決まってなくても、アンタが成績優秀だってことに変わりはないでしょ。」

「そっか。じゃあ、もらっとこうかな。」

「そうしな。あんた、自分は努力してないって言うけど、ちゃんとできてるから。安心して受け取っときな。」

「……ありがとね。先生。」


 アンタがしおらしいの珍しいから、と恩師は軽快に笑った。ずっと思ってたけど私と似たもの同士だったんだね、とも。

 それ以降、彼女には会っていない。あの日だけは運命だったと今でも思う。



 結果、私は表彰を素直に受け入れた。「成績優秀は認めるけど品行方正は嘘でしょ。」と賞状の文言に笑う友人たちを小突きながら大人しく卒業した。私の心が軽やかであったのはその時だけで、その後一年で仕事を辞めたりする一大イベントもあったりするが、それも含めてやっと私は完璧超人を目指すのを諦め始めた気がするのだ。

 家では言いつけられた家事を完璧にこなして、学校の成績も優秀で、教員ウケも良い。体育が苦手なくらいで他の授業は平均以上にできて、歌えば褒められ、絵も書道も作文も全部作品展に出してもらえて、家庭訪問は毎年「学校側からは申し上げることはありません。何かご家庭から学校に要望などありますでしょうか。」なんて聞かれる。評価は上々。それでもまず「いちばん」になれない、完璧になれない自分が大嫌いだった。今でも嫌いだ。

 しかし――一度はきちんと「いちばん」になったことと、大きくレールから外れたことの両方のおかげで、私はやっと「完璧」であることを放って捨てた。猫背は相変わらずだが、少しばかり気持ちは明るくなった。

 私は完璧主義者だった。でも今は、凝り性くらいにはなったかもしれない。完璧超人には、もうならなくていい。

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