第60話 崩壊
弥生と京橋はカフェを出て、さらにセンター街の奥へと坂道を上っていく。
とある曲がり角を曲がり、人気のない一本道へと進んでいく。明らかに、ホテル街へと歩みを進めていた。
俺は一人先頭に立って、緊張な面持ちで弥生を尾行する。
曲がり角から顔を出して、弥生の様子を監視していると、不意に後ろから声を掛けられた。
「……ねぇ、羽山くん。本当にこれでよかったのかな?」
振り返ると、そこにいたのは西城さんだった。
西城さんは、どこか戸惑った様子で尋ねてくる。だが、今はそう言う曖昧な態度を取られてしまうと、怒りがこみ上げてきそうでやめてほしかった。よって俺の口調もつい強いものになってしまう。
「よかったって、何が?」
だが、西城さんは怖けることなく言葉を紡ぐ。
「美央ちゃん、本当は彼氏さんと仲直りしたいんじゃないかな?」
やめてくれ西城さん。それ以上本質に迫られたら決心が鈍る。だから、自分に言い聞かせるようにして西城さんに語りかける。
「いや、例えそうだとしても、乙中のSOSに気づかぬふりをして、俺の妹と……他の女とのうのうとデートをしているグズ野郎を許すわけにはいかないだろ」
「そうかもしれないけど……」
西城さんは口を紡ぐが、スゥっと息を吐くと、俺の袖をキュっと掴んだ。
俺はその行動が意外で、思わず振り返って西城さんを見てしまう。
西城さんは、確固たる意志のある表情で俺を真っ直ぐ見つめて口を開いた。
「好きっていう気持ちは、そんなことだけじゃ、容易く変わるものじゃないよ……私だって……好きな人がたとえ浮気してたとしても、最後には私のところまで戻ってきてくれるって、信じてる!」
「……」
俺は言葉を失った。あれだけ人に気遣って、自分の意見を心の中で押し殺して周りに合わせてしまう西城さんが、初めてといっていいように自分の意見を俺に訴えてきたから……
直後、西城さんは、はっとなって、掴んでいた俺の袖口を離した。
「ご、ごめんね! 何言ってんだろう私……」
「いやっ……」
その時だった。
「きゃ、やめて!!」
弥生の叫び声が聞こえる。
振り返ると、弥生が京橋に腕を掴まれ、今にもホテルへと連れこまれそうになっていた。俺は頭よりも先に足が勝手に動き出していた。
覗き込んでいた曲がり角から飛び出して、一気に弥生たちとの距離を詰めていく。それを見た橋岡と船津も、後を追うようにして続いた。
「京橋ぃぃ!!!」
そして、気が付いた時には京橋に向かって飛び蹴りをお見舞いしていた。
だが、俺の蹴り程度では、京橋の普段鍛えている筋肉質の身体を吹っ飛ばすには至らず、よろける程度にしかならない。
京橋が面食らっているその隙に、俺は弥生の腕を引き、後ろへと避難させる。
「急に何しやがんだテメェ!!」
京橋は、突如として飛び蹴りをしてきた俺に対して、敵意丸出しの鬼の形相で飛び掛かってくる。
「待て!」
「やめろ!」
直後、俺の両脇から船津と橋岡が現れ、二人係りで京橋を取り押さえにかかる。
「んだテメェら!? ふざけんじゃねーぞ!」
「それはこっちのセリフだ!」
「はぁ!?」
二人が取り押さえている間に、弥生を西城さんへ預ける。
「弥生を頼む」
「うん……」
西城さんは不安そうな表情をしていたが、もうここまでしたら戻れない。本来の計画を遂行させてもらうことにする。
西城さんへ弥生を預けて、俺は再び京橋の前に立ち、対峙する。
「テメェ。うちの弥生に何しようとしてた?」
「あっ? んだお前、アイツの何なんだよ!」
「俺は弥生の兄貴だ!」
「ふっ、兄貴だぁ? 別に妹が誰と付き合ってようが何してようが人の勝手だろ? シスコンがよっぉ!」
「悪かったなシスコンで。だけどな、悪いけど証拠は挙がってんだ」
「あっ?」
「お前、彼女いるんだよな? にもかかわらず、他の女見繕ってはデートしてホテルに連れ込んで……最低な野郎だな」
「はぁ? 彼女? そんなのいねぇよ」
「乙中美央。この名前を聞いても、お前はしらを切るつもりか?」
「なっ……」
ようやく京橋は口ごもってひるんだ。これでまともに話が出来る。
「テメェら、美央のなんなんだよ」
「大学の同輩だ。お前のことについて乙中に相談されて尾行してた」
「……こんなことやって許されると思ってんのか!? 俺は代表選手だぞ!?」
「それがどうした?」
はぁ……ったくよ。だから、菊田みたいに自分に自信を持っている奴らを敵に回すのは面倒くさい。
俺はゆっくりと地べたに抑え込まれている京橋の元へと近づいていき、目の前でしゃがみこむ。
「日本代表だか何だか知らんけどな。自分が偉いとでも思ってんのか? 悪いけど、同じ人間同士対等な関係だ。勝手に浮かれてんじゃねーぞ?」
「……はぁ? 陰キャが調子乗ってんじゃねぇぞ!!!」
「もうやめて!!!!」
俺が一発かましてやろうと、こぶしを握りしめたその時だ。俺と京橋の間に割り込んでくる悲痛な叫び声。
振り返ると、物陰から出てきた乙中が顔を真っ赤にして身体を震わせてこちらを見つめていた。
「美央……」
京橋は乙中の姿を見ると、唖然とした表情を浮かべた。
どうやら、本人がここにいるとは思わなかったらしい。
乙中は一歩ずつゆっくりと京橋の方へと近づいてくる。
俺たちは、道を譲り、押さえていた身体を解放して、乙中と京橋から一歩離れる。
京橋は先ほどまでの強圧的な態度を静め、乙中が歩いてくるのを悲痛な目でじっと見つめている。
俺たちの出る幕は終わり。ここからは、双方で話し合って、二人でこの問題を解決する番だ。
我に返った京橋が、必死に目を泳がせて言い訳をしようとする。
「……美央違うんだ! これはそのっ……」
「もういいよ」
「えっ?」
すると、乙中は優しく微笑んで呟いた。
「怒ってないから」
「……本当か?」
「うん」
その乙中の表情は、俺たちが今まで見たことのないような、透き通るような優しさと、柔和な笑顔だった。間違いなく乙中はいま、京橋の恋人としての顔を表に出していた。
乙中は、目にたまるものを必死にこらえ、声を震わせながら言葉を紡いだ。
「私は、恭輔が辛いときに心のよりどころになれれば、それだけでよかったから……たとえ他の女の子とデートしようが、ホテルに行こうが……私は怒らない」
「美央……」
俺は勘違いしていたのかもしれない。
乙中の母性というか、恋人に対する心の寛大さに。そして、恋する乙女は、好きという気持ちさえあれば、どんなことも乗り越えてしまうということに……
「だから、ね?」
乙中はゆっくりと京橋へ手を差し伸べる。
その小さくて今にも消え去ってしまいそうな手を、京橋がそっと触れようとした、その時だった。
その差し伸べられた手が、横に振られたかと思うと、一気に振り下ろされ……バチン!っと、何とも鈍い音が辺りに響き渡る。
その場にいる誰しもが、その行動に驚いた。
頬を叩かれた京橋は、自分の頬を押さえて驚愕の表情を浮かべて、ゆっくりと乙中の方へと視線を向ける。
乙中は最後までにこっと微笑みながら、抑えられなくなった目にたまった涙を頬に流しながら言った。
「だから、終わりにしよう。今までありがとう、さようなら……」
そう言い終えると、乙中は立ち上がり、俯きながら京橋の横を通り過ぎて、走り去っていってしまった。
「お、おい……」
橋岡が声を掛けるが、彼女は振り返ることなく走り去っていく。誰も彼女を追おうとするものはいない。
ふと京橋に視線を向けると、顔を歪ませ悔やむように唇をかみ殺して、身体を震わせていた。そして、決壊したように嗚咽を吐きながら鼻をすすり泣き始めた。
こうして、乙中と京橋の恋人関係は、突如として、あっさりとかつ淡泊に崩壊した。
恋というものは、一瞬にして砕け散ってしまうほど、脆くて儚くて……幻想じみたものである。俺はふぅっと一息ついてから、乙中を探しに行くため、ゆっくりと足を動かした。
「これでよかったのかな……」
ふと西城さんが、後ろから俺にそう尋ねてくる。
俺は一度足を止めて、西城さんの方を振り返ることなく独り言のように呟いた。
「どうだろうな。でも……最後は乙中が自分自身で決めた。本人が決めたことなら、それでいいだろ」
「そうかな?」
だが、西城さんはまだ納得いっていないようだ。それどころか、俺に真実を問い詰めるかのように聞いてくる。
「こんなの……間違ってるよ……」
はっきりとそう口にして、西城さんはまくしたてる。
「可笑しい。どうしてこんな簡単に人の恋を踏みにじることが出来るの?」
「……」
そして、性根の根本を問いただすかのように、西城さんは聞いてくる。
「羽山くんにとっての恋って……一体何なの?」
「弥生の事、しばらく頼むわ」
だが俺は、西城さんの問いに答えることなく、その場を歩き出した。
佇んでいる橋岡と船津を見て、俺は一息吐いてから事務的なことだけを口にする。
「悪い、こいつの事、頼むわ」
船津と橋岡はコクリと頷いてそれ以上何も言わなかった。それが、今の俺にとってはありがたかった。
俺は一瞬地べたに座り込んでうずくまっている哀れな京橋を見る。だが、すぐに視線を戻して急ぎ足で乙中が走り去っていった後を追った。
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