第61話 瓦解

 これで本当に良かったのかなんてわからない。ただ、乙中本人がそう決断したのであれば、俺はそれを肯定してやろうと思う。

 恋とは何か?

 そんなの分かっていれば、今頃こんなことにはなっていない。

 失敗を繰り返すことだってないし、彼女たちとこうして関係性を続けることだってできていないだろう。だからこそ、俺はその答えを探し続けているのだ。

 恋愛とは、恋とは一体何なのかを?


 俺は一つ一つの角を、見落とさないようにして乙中を探していく。

 そして、何個目かの角を左に曲がった先の電柱の下あたりに、乙中はうずくまっていた。


 ようやく見つけられたことに安堵し、俺は乙中の元へと向かっていく。

 乙中の前で足を止めると、それに気づいた乙中が顔を上げた。

 俺だとわかると、涙を拭って口を開く。


「ありがとう羽山……色々迷惑かけたけど」

「いやっ……俺の方こそすまん。お前を傷つけることになって」

「ううん、いいの」


 乙中は、首を横に振って言葉を紡ぐ。


「遅かれ早かれ、この問題には直面してたし、それが少し早まっただけ。おかげできっぱり終わりにすることが出来た」

「そうか……」


 俺はそう呟いて、乙中の隣に腰かける。


「なぁ乙中、一つ聞いていいか?」

「ん、何?」

「アイツのこと好きになった理由って、覚えてるか?」


 今それを乙中に聞くのは酷だと思った。でも、今聞いておかないと、一生聞けないと思った。

 恋と言うのはどうやって芽生えるものなのか。どれが正しいのか。それを知るためにも必要だった。


「羽山って結構意地悪だよね。振ったそばからそんなこと普通聞く?」

「……だよな」


 俺もそう思う。だが、乙中はそれ以上文句は言わずに答えてくれる。


「今でも鮮明に覚えてる……あれは、私が高校生の時、うちの高校で練習試合があったんだけど、私スポーツ見るの好きだったから、友達に誘われて見に行ったの。そしたら、恭輔は相手選手をあっという間にドリブルで抜き去っていって……圧巻のプレーだった。あのころから、サッカーをしている恭輔は人一倍輝いてた。人を魅了する力っていうのかな? 見ているものの視線を独り占めするようなカリスマ性って言うのかな……そういう魅力に私は翻弄された。試合が終わった時には、恭輔しか視界に入ってなかった。彼を追うたびに胸がキュンッとなって、間違いなく恋してた。あぁ……私、この人みたいな人と付き合いたい。この人を支えたいなって」


 魅了する力・・・・・・か。


 確かに、京橋はサッカー日本代表に選ばれるくらいの実力を持ち合わせていることからも考えて、そのカリスマ性というのを少なからず発揮できるのだろう。

 なおも、乙中は話を続ける。


「そこからは、もう彼しか見えてなかった。気が付いたら何度も試合見に行ってて、気が付いたら告白して付き合ってた。最初の頃は向こうも浮かれてたから、凄い甘い言葉とか掛けてくれたけど、時が経つほどに甘い言葉も会う頻度も減っていった。大学に入ってからかな……向こうが寮生活で、私もアルバイトとか忙しくなって、中々会う機会を失って距離を感じるようになったのは・・・・・・だから、もうそろそろ潮時かなとは思ってたんだよね。そんな時に、こうして他の女の影が現れて……」

「そうだったのか……」


 改めて知らされる乙中と京橋の関係性。その関係性を、俺がとった行動で一瞬にして壊してしまった。俺は本当にこれでよかったのか?

 頭の中でまた自問自答してしまう。


「羽山、ありがとね。あんたのおかげで踏ん切りつけて別れることが出来た。羽山が言ってくれてなかったら、今頃恭輔のこと信じてずっと一人で悩んでたと思う。だから、感謝してる」


 そう言って、乙中は深々と俺に頭を下げた。


「いや……俺はただ、自分が正しいと思ったことを言って、自分の思う通りに行動しただけだ。俺こそ自分勝手に行動してすまん」


 俺がそう謝ると、乙中が顔を上げる。


「そんなこと思わなくていいよ。人って、自分がいいと思う方にしか行動できない。だから、羽山がやってることは何も悪くない。自信を持っていいと思うよ?」

「いやっ……でも……」

「それに、羽山はちゃんとそれを逃げないでやり遂げた。そうやって実行に移せる人ってすごい少ないと思う。少なくとも、私はそれで救われた。多分、羽山が気づいてないだけで、羽山は多くの人をその行動力と決断力で助けてる」

「……」


 優しく語り掛けてくる乙中に、俺は言葉を失った。

 自分のために……自分の思う通りに世界を動かそうとしているだけの醜い心を肯定してくれて、感謝までしてくれた。乙中美央の心の寛大さというのを、実感させられた瞬間だった。


「すまん……そう言ってもらえると助かる」

「うん」


 こうして、乙中美央は、京橋恭輔と別れ、俺たちの間には少し固い友情のようなものが生まれた。。



 ◇



 週末過ぎて月曜日、俺たちはいつもと変わらぬ場所で授業を受けていた。

 だが、いつもと雰囲気が違う。船津と橋岡は、チラチラと俺を冷ややかな視線でチラチラと様子を窺うようにして見てくるし。西城さんに至っては口も聞こうとせず、黙々と脚本の執筆活動に専念している。


 唯一乙中美央だけが、元通り毒舌で淡泊な乙中の姿へと戻っていた。

 俺がふと乙中へ視線を向けると、乙中はニコっと俺へ微笑んですぐに教壇の方へと視線を戻してしまう。


 俺は大きな間違いを犯してしまったのかもしれない。

 俺が、俺たちが理想とする乙中美央を取り戻すことは出来た。だが、乙中を取り巻く俺たちの関係性は、瓦解してしまったのかもしれない。それを修復することは不可能で、これからこの関係性が砕けていってしまうのか、それとも違う形で再形成されていくのか、俺はその答えを導くことが出来る気がしなかった。

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