第54話 帰宅
翌日も授業後、大学近くのレッスン場へと出向き、浜屋のレッスンに付き合っていた。
浜屋はストレッチや腹筋背筋腕立て伏せなど、筋力トレーニングに勤しんではいるが、肝心のボイストレーニングは相変わらず出来ず終い。
その時間を利用して、今度は、なぜ芸能界デビューしようと決めたのか聞いてみた。
「浜屋は、どうして芸能界に入ろうって決めたの?」
「うーんとね。実は昔から結構やりたいなぁとは思ってたんだけど、中々タイミングというか機会がなかったの。そんなときに、たまたま大槻さんに声を掛けられて、これとないチャンスだと思って即決したの。元々、お芝居とか歌で、人を魅了したり、感動させたりっていうのが快感だったっていうか、楽しいって感じてたから将来的にはそう言う世界で活躍してきたいなって!」
「へぇ~それじゃあ。元々女優とか歌手志望だったんだ」
「うん、小さい頃から母に連れられて、舞台とかお芝居をよく見に行ってて、その影響が大きいかもしれない。そこで、この人達みたいに大勢の人を感動させるよう人になりたいなって」
浜屋は昔の楽しい思い出話をウキウキしながら話していたが、ふいにその表情が暗くなる。
「だから、今の私は、誰も感動させる力がないんだなって、実感させられてるようで辛いけどね……」
「……」
そんなことを思っていたのか……
だが、それは違うと思った。
「……そうは思わないけどなぁ」
「えっ?」
俺がそう呟くと、浜屋は驚いたように俺を視線を向けた。
「浜屋は、人を感動させる力は十分に持っていると思う。ほらだって、合唱コンクールの時の歌声、あれはあの会場の人全員を魅了した。だから、自信もっていいと思うよ?」
「でもっ……」
そこで、浜屋は何かを言いかけたが、自分に言い聞かせるようにして首を横に振った。
「ううん……やっぱりなんでもない」
それ以降、浜屋は口ごもってしまい、沈黙が続いたまま、今日のレッスンは終了した。
◇
浜屋とのレッスンを終えて、家への帰宅途中、電車の中で浜屋莉乃について考えていた。
彼女がなぜ急に歌えなくなってしまったのかということについて……
おそらく彼女の中には、人を魅了したい、感動させたいという気持ちを少なからず持ち合わせている。そして、その実力も兼ね備えていることは違いない。
では何故、彼女は突如として歌うことや芝居することが出来なくなってしまったのだろうか?
一言で言ってしまえば、彼女は芸能界に入ることを夢見ていた。そして、大槻さんの言葉を受けて挑戦してみることを決意した。だが、そこから幾度となくデビュー直前で、運悪く外的要因などがいつも重なり、表舞台に立てていない。
いやっ……もしかしたら、表舞台に立つことを恐れているのではないか?
だとしたら……
その時だった。突然スマホのバイブレーションが何度も振動する。どうやら、誰かから電話がかかってきたようだ。
スマホの画面を見ると、そこに表示されているのは『西城美月』の文字。
生憎電車に乗っている時にかかってきてしまったので、しばらくすると電話が切れてしまう。
『ゴメン、今電車の中』っと、メッセージを入れておこうと思ったら、先に向こうからトークメッセージが届いた。
『羽山くん、帰ってきたよ』
たったの一言。それだけだったが、俺はすぐにスマホをタップして、『おかえり』と返事を返す。
すると、すぐに既読が付いて、こう返ってきた。
『今から会えないかな?』
◇
モクモクと灰色の雲が空一面を覆っている中、俺は、西城さんのアパートの前に到着していた。
西城さんから、『会えないか?』と尋ねられ即決し、すぐさま電車を降りて引き返してここまできたのだ。
アパートの外階段を登って、西城さんの部屋である201号室の前に着いて、インターフォンを押した。
ピンポーン。
しばらくして、家の中からトコトコと足音がこちらへと近づいてくる。
そして、ガチャりと音が鳴り、西城さんが顔を出した。
「よっ」
「うん」
俺が手を上げて挨拶をすると、西城さんもにこりと笑顔を返してくる。
「どうぞ」
西城さんに促される形で、家へとお邪魔する。
「お邪魔します」
ガチャりとドアを閉めると、部屋の中は電気が付いておらず薄暗い。
荷物の整理途中だったのか、部屋には開きっぱなしのトランクの周りに荷物が散乱していた。
「ごめんね、急いで片してたんだけど間に合わなくて」
「いやっ、むしろ早く来すぎたな。ごめん」
「すぐ片づけるから、適当にくつろいで待ってて」
「わかった」
そう言われて、俺は部屋の窓際の端っこに邪魔にならないように座った。
西城さんは、トランクから取り出した荷物を整理して、色んな場所に戻したりと忙しそうだった。
壁に寄りかかっていると、ここ最近のずっと頭を働かせているせいか、疲れが一気に押し寄せてきた。一気に眠気が俺の身体を襲ってくる。
ダメだ……これから西城さんの話を聞かなきゃいけないのに、こんなところで眠くなっているようじゃ……
瞼が重くなり、どんどん眠気が増していく。
眠気に負けそうになっていると、ふと西城さんがチラっと俺の方を見つけてきた。
眠そうな俺を見て、ニコっと微笑みを浮かべてから、再び作業に戻る。
それを見て、俺は安心してしまったのか、そのまま眠りに落ちてしまった。
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